
吉良少将は播州浅野への虐めに先立って、同じく勅使饗応役の任にあった石州津和野の亀井豊前守をも虐めていて、家老が機転を利かせて黄金製の源氏巻を届けて藩主の非礼を詫びた事で一転して優しく指導するようになったという件があったようですが、一度ならず二度となるとやはり吉良という人物にも大きな難があったのでしょうか?
よく、吉良は名君で、浅野は人物・精神面に問題があったという言い方がなされるのを聞くのでどうなのかなと思いました。
浅野は叔父も刃傷沙汰の末に改易されていますが、この先例が松の御廊下での一件を思いとどまらせる要因とはなり得なかったのでしょうか。
素人の質問ですみませんが、ご意見を賜れれば幸甚です。
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