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今、人生観についてのレポ-トをやっています。
今回は自分の人生観についてを書くんですが、
参考に、色んな人の人生観を知りたいです。
有名人や歴史の人物、たくさんの事を知りたいです。
お願いします。

カテゴリ-を哲学にしましたが、
違ったら教えてください。

A 回答 (3件)

 人生観はそれぞれの民族や宗教や環境によってかなり変わりますが、日本人だとやはり仏教が日常影響しています。

私のお勧めは五木寛之さんとか瀬戸内寂聴さんの著作です。NHKラジオ深夜便の朝4時の「心の時代」を参考にされると良いでしょう。人生の先輩方の貴重な言葉があふれています。キリスト教ですと三浦綾子さんの著作が素晴らしいですね。私は彼女のファンです。とにかく沢山の本を読んでください。人格の形成には読書が一番です。
 ヘルマン・ヘッセの「シッダ・ルータ」を是非お読みください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます★
本読んでみます!!

お礼日時:2007/01/19 16:00

 カテゴリーを哲学にしたことは正しいと思います。

 ただし、それはPhilosophyという英語での話です。 語源を調べると、Philoは「愛する」という意味で、sophyは「知恵」です。  
 「知恵を愛する」という原語を、明治の俊秀は「哲学」と漢字造語で翻訳しました。 「生きる知恵」という本来の意味が、象牙の塔のえらい学者がこむずかしい言葉で論ずることになってしまったのです。
 欧米ではフィロソフィーは生活の知恵の感覚で、庶民が1人1人自分の言葉で考えを話します。 人生観・フィロソフィー・生活の知恵は日本でも、井戸端会議ややきとり談義で、庶民の間で語られています。
 今までの体験や読書や人の話から、「自分はこう思う」ということを書かれれば、あなたの人生観になると思います。 さらに驚いたこと・感動・感激・目からうろこの体験などが加われば、なおすばらしい。
 70年以上の人生から得た、「みんなより良く・ALL BETTER」を目標に、毎日を生きています。 みんなで改善を少しづつ続ければ、自分も家族も地域も国も世界も、みんなより良くなって行くと思います。
 「ALL BETTER」は、日本語だけでなく世界中に同じ意味で通じます。
過去は反省のたねや嬉しい思い出にして、今から未来に向け、自分を含めたみんな『より良く』なるため、協力し合おうではありませんか。
 今ある不具合の責任者をきめ、「とかげのしっぽ切り」をしても、解決にはなりません。 不具合は関係者みんなの、小さい『悪さかげん』が積重なりで、全ての戦争や不祥事や事故や失敗についても言えます。 不具合や不祥事や失敗は、関係者みんなが落ちなく、その原因を、なぜなぜと5回繰り返して「真の原因」をつきとめれば、関係者ひとりひとりが、自分はどう協力して改善したらよいかが自然にわかります。
 トヨタが自動車の地道な改善で、世界一に上りつめつつありますし、ほとんどの英英辞典に、「KAIZEN」として載っています。 しかし日本は15000年前から、固有の文化と外来文化の調和で改善の歴史でした。
 責任は問わず改善を優先すると、「あいまい」で責めますが、世の中の改善はファジーでもたらされます。 家康の260年平和、平安時代の400年平和は、謝罪すれば責任を問わない姿勢から生まれました。  

 
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この回答へのお礼

英英辞典も見てみます!
ありがとうございます☆

お礼日時:2007/01/19 16:02

 私は人生観ということで言えば、「幕末の三舟」をお勧めします。

三舟とは勝海舟・高橋泥舟・山岡鉄舟のことです。それぞれがそれぞれに個性のある人たちです。簡単な逸話などを載せておきます。

・勝海舟
 幕末の頃の勝海舟は有名だが、維新後は勝安芳の名で、参議・海軍卿、その後伯爵となり、枢密顧問官となった。海舟は新政府に役職を得たが、明治政府の仕事に興味がなく、出勤してただ椅子に座り黙るだけの日々を送っていたようだ。後年、海舟は「部下に仕事を丸投げして、判子を押すだけのような仕事しかしてないよ」と語っている。明治三十二年一月十九日に脳溢血により意識不明となり、二十一日に亡くなった。最後に遺した言葉は「コレデオシマイ」であった。

・山岡鉄舟
 鉄舟は剣禅書の達人として知られている。天保七年、江戸本所に御蔵奉行小野朝右衛門高福の四男として生まれる。飛騨郡代となった父に従い、幼少時を飛騨高山で過ごす。そこで弘法大師流入木道(じゅぼくどう)五十一世の岩佐一亭に学び、十五歳に五十二世を継ぎ、一楽斎と号す。書は巧みで各地で鉄舟の書が散見される。生涯に百万枚書したという説もある。剣術は父の死に伴い、江戸へ出ることになり、安政二年講武所に入り、千葉周作に北辰一刀流の剣術を学ぶ。また同時期、山岡静山に槍術を学び、静山急死後、静山の実弟・高橋泥舟らに望まれて山岡家の婿養子となる。また自ら一刀正伝無刀流を起こした。禅においても三十里離れた三島の竜沢寺 星定和尚のもとに三年間参禅し、箱根で大悟したという逸話が残っている。明治十六年維新に殉じた人々の菩提を弔うため東京都台東区谷中に普門山全生庵を建立。明治二十一年七月十九日九時十五分、皇居に向かって結跏趺坐のまま絶命。享年五十三。戒名「全生庵殿鉄舟高歩大居士」。

・髙橋泥舟
 名を精一郎。泥舟は後年の号である。生家の山岡家は槍の名家で、兄高橋静山に就いて槍を修行、海内無双、神業に達したとの評を得るまでになる。また江戸城無血開城のおり勝海舟が西郷隆盛へ使者として選んだのは泥舟であった。しかし泥舟は主君徳川慶喜の側を離れられぬと、義弟の山岡鉄舟を推薦する。明治になり、主君慶喜が世に出られぬ身である以上、自身も栄達を求められぬと、新政府への誘いも「総理大臣ならひきうけてもいいが」と断った。鉄舟が先に亡くなり山岡家の借金返済を義兄の泥舟が工面することとなったが、自分にも大金があるはずがなく、金貸しに借用を頼むとき「この顔が担保でござる」と堂々と言い、相手も「高橋様なら人を欺くことなどないでしょう」と顔一つの担保を信用して引き受けた等、その人柄を示す逸話が多く残っている。勝海舟、山岡鉄舟に並んで「幕末の三舟」と呼ばれているが、勝海舟は後年「あれは大馬鹿だよ。物凄い修行を積んで槍一つで伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」と高橋泥舟を評している。槍一筋、節義一筋に生きた泥舟の生き方を勝流に賞賛した言葉であろう。

まぁ、こんな感じです。三舟だけでなく幕末期のかたはなかなか深い人生観を持っておられる方々ばかりです。
 また、先に回答されている方もおっしゃっていますが、日本の仏教者たちの人生観も調べると深いです。私は浄土真宗を信仰していますが、法然や親鸞はもちろんですが、他の多くの祖師たちもすばらしい人生観をお持ちです。
 そういったすばらしいと思う人生観のもち主の私が思う共通点ですが、一生その人生観を深め続けたということにあると思います。どこかで、完成するということはありません。その思想は常に深化し続けていたように思います。私個人としては一休サンなんか好きですよ。調べてみてください。
 こういった方々は、たいがい詩(和歌・俳句・都々逸)なんかをよんでおられます。そういった部分から触れていくと、わかりやすいのではないでしょうか。

長々駄文を連ねましたが参考にしていただけたら幸いです。
  合掌 南無阿弥陀佛


 
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この回答へのお礼

「幕末の三舟」読んでみます。
ありがとうございます☆

お礼日時:2007/01/19 16:00

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