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マリアナ沖海戦で日本軍の航空隊は壊滅しました。
マリアナの七面鳥撃ちとまで言われています。
負けた理由は航空隊が実戦経験が無いもしくは少ないとか、訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。
それ以外にもアメリカ軍のレーダーとVT信管搭載の対空砲の為とも言われています。

でも、ある本で見たのですが、VT信管搭載の対空砲はたいして威力を発揮していない。
それよりも、レーダーで日本軍機を発見、上空待機の敵遊撃隊に撃墜された為と書いてありました。

そこで、パイロットの技量不足が一番の敗因と考えていましたし、実際、敵遊撃機に襲われても、まっすぐ飛んで、避けるとかしないで、次々と撃ち落されていったとかも聞きました。(隊長機も含む)

でも、1944年末?に、最後の最強航空隊を作りましたよね。
松山沖の航空戦で大勝利、日本軍の意地をアメリカ軍に見せつけましたよね。

そこで、疑問が。前置きが長くなりましたが、どうして、この部隊というか、パイロットをマリアナ沖海戦に参加させなかったのかです。
この後のレイテ沖海戦では、おとり部隊ですし(航空機はほとんど積んでいなかったらしいですが?)壊滅必至の作戦なので仕方ないとか思いますが、マリアナ沖海戦の時は、全力、日本軍の持てる力すべてを注ぎ込んだ海戦のはず。
偵察機が敵機動部隊発見、攻撃隊全機発進した時、日本海軍の司令部にいた人達は喜んだそうです。勝った!と。このことからも、負けることが前提では無く、勝てる布陣を、今の日本軍にできる事すべてをしていたはず。
なのになぜ?それほどの海戦なのに?
もし彼らが隊長機なら、あそこまでアメリカ軍に言われなかったのでは?的確に回避行動・交戦などにより、敵母艦上空に…もしかしたら、勝利…は難しいかもしれませんが、それなりの損害を与えていたのでは?と思います。
どうして、温存したのでしょうか?参加しなかったのでしょうか?

彼らはマリアナ沖海戦には参加していないと思うので。航空隊は壊滅している。それに松山沖の時に50機以上で遊撃しているので、それなりにベテランパイロットが沢山いたはずと思います。

A 回答 (6件)

マリアナが落ちるまでは、本格的に空襲にはあっていないので、まだまだ各地でパイロット育成中です。

それがマリアナが落ちた結果空襲でパイロットの育成もできなくなったので、教官を大量に引き抜くことができたのです。あとは、空母搭乗員の訓練の多くは、発着艦、計器飛行に費やされます。そこで落第したもの(技量甲ではなく乙)の中にも、空戦は得意だったものもいるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>教官を大量に引き抜くことができたのです。
なるほどなるほど。
みんな教官の人達で、343空は作られたんですね。
それなら、技量抜群の人達ですし、引き抜くこともできそうですね。
マリアナ沖の時はまだまだ、訓練していたと…。納得ですな。

…もしかして、マリアナ沖で戦った人達は、教え子だったのかもしれませんね。
もしそうなら、教官達は技量未熟なのは解っていたから…戦地に送り出すのは辛かったかもしれませんね。。。涙

>空母搭乗員の訓練の多くは、発着艦、計器飛行に費やされます。
空母搭乗員は普通の搭乗員より、訓練が大変そうですね。
簡単に空母の搭乗員にはなれそうもありませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/14 23:48

質問者様が、私よりお若いと仮定して。


「その状況に臨まずに手前勝手な事を言うなよ。」
と言うことです。
その時の戦況がどうであったか、指揮官にどの程度の情報があったかは、我々には知りえません。
楽な立場で、評論だけするのは、当時の方々に大変失礼な行為と思いますが如何?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
そうですね。
このような質問はイヤな方も沢山いますよね。
申し訳ありませんでした。

ありがとうございました。

ご回答してくださった方、ありがとうございました。
このような質問に付き合って頂き感謝しています。
ポイントは大切な時間を割いてご回答してくれていますのでポイントは付与させていただきます。
ポイントは質問に対する、回答とさせていただきますので
ANo.6さんのご意見は質問者の質問に対する意見なので、対象外とさせて頂きます。
ANo.6さんもその辺りは理解していただけると助かります。
ご意見はとても参考になりました。
すみませんでした。

お礼日時:2007/03/15 00:49

343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで、ようやく、米軍の戦闘機に対して十分に戦える機体が生産できたからです。


マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化してました。
速度に勝る米軍戦闘機が2機でチーム組んで、一撃離脱戦法を取ってからは、零戦に勝ち目はなくなってます。
しかも、この海戦は、小沢提督が、アウトレンジ戦法を取り、かなり遠い距離(航続能力一杯)で発艦させたため、米軍に迎え撃つ準備をたっぷりとさせたり、練度の低い搭乗員に長時間操縦させたため疲れさせたり、味方撃ちしたりと、大失敗に終わっています。
米軍が地上攻撃に発艦させた機体が日本軍を迎え撃つのにちょうどよかったとか、天佑も味方しなかったというのが実情でしょう。
また、その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>343空が活躍できたのは、紫電改を与えられたからで
>マリアナ海戦では、戦闘機は零戦52型で、もう旧式化
なるほど。持ってた戦闘機の性能差は大きかった。
旧式では…。。。
343空の人達は性能差が無くなったから、アメリカ軍に対抗できたんですね。

>アウトレンジ戦法
有名な作戦。日本軍機の有利な性能、航続距離をうまく使った、見事な作戦。なんと、敵が攻撃できない距離から、発艦、一方的に攻撃できるはずだったのだが…。。。
無理に無理を重ねた結果…壊滅してしまった涙

>その稼動機数も日本400に対して米軍は1200ぐらいですから、勝つことは難しかったと思いますよ。
3倍か…勝つ事は難しいでしょうね。
343空の人達でも、旧式戦闘機では、あまり活躍できなかったかもしれませんね。
少し、アメリカ軍の損害が増えるくらいで日本軍の損害は変わらず、母艦は沈んだでしょうね。。。涙

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/14 23:40

>訓練不足で母艦の離発着がやっととか、隊長機まで実戦経験が無かった為と聞いています。



レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。
敵の索敵機に補足されてから全機を投入します。

帰還ガ困難ナ場合、マニラ空港ヘ着陸セヨ。
(着艦経験が殆ど無い搭乗員が多い。)の追加指示を与えましたが、

途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。
(計器飛行が出来ない)
目標に到達出来た機体は数機であったようです。
(いずれもベテランパイロット)
爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです。

小沢機動部隊に帰還した機体は数機程度になっていました。
オトリ部隊として敵の空襲にさらられる寸前、残存零戦を発進させ、

発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、
零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。

これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。

マラリアで参加出来なかった搭乗員や、歴戦の勇士は点在しており、
これかき集めた訳です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
これは・・・レイテ沖海戦の時の航空隊の戦いですね。
ちゃんと、戦ったんですね。
ほとんど搭載していない空っぽ空母では無かったんですな(笑)

>レイテ突入の際、敵機動部隊を早期に発見しますが更に懐深くへ進入。
何!日本軍の方が先に見つけていたみたいな感じの書き込み。
更に懐深くへ進入…なぜ???

>途中スコールに遭い、多くが離散してしまい目標を見失います。
…悲しい。。。涙
>目標に到達出来た機体は数機であったようです。
ベテランパイロットは数人しかいなかったんですね涙
>爆装零戦による至近弾、ベテラン搭乗員の艦攻による命中弾1発が戦果であったようです
頑張ったんですね。でもなんにあたったんだろう?
航空隊の意地を見せつけましたな。おとり部隊なのに、先に攻撃できたのは奇跡ですね。

>発艦シテマニラ空港ヘ向カエ。の指示を出しますが、
小沢さんの最後の優しさなんですかね。
>零戦3機は途中で遭遇した300機を相手にひるみもせず敢に防空戦闘を開始します。
>これが小沢機動部隊の最後の戦闘になります。
たった3機(涙)でも母艦を守ろうとするのはパイロットの意地なんですかね。
最初は何機くらいだったんですかね?
これが、最後の機動部隊ですか…マリアナ沖で本当に壊滅したんですね。。。かき集めてもこれだけだったとは涙

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/13 22:06

松山343空か結成されたのは1944年12月で、マリアナ沖海戦はその半年前の6月です。



源田が熟練搭乗員を各地の航空部隊から343空に強引に引っ張ってこれたのは、すでにその頃には各地の航空部隊が航空機が破壊されるなどし壊滅状態だったから出来たことです。

マリアナ沖の時期は海軍航空隊も余力があったからこそ空母決戦が出来たわけで、この時期ではいくら源田でも熟練搭乗員を引き抜いて新たな航空部隊を作るといった芸当は出来なかったと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>松山343空か結成されたのは1944年12月で、マリアナ沖海戦はその半年前の6月です。
343空です。最強の航空隊の名前、忘れてしまっていました。。。12月に誕生したんですね。

>すでにその頃には各地の航空部隊が航空機が破壊されるなどし壊滅状態だったから出来たことです。
なるほど。まだ、一応元気だった、航空隊では、ベテランパイロットを渡すか!状態だったんですかね。
持てるすべての力を注ぎ込む大切な海戦なのに…。。。涙

>海軍航空隊も余力があったからこそ空母決戦が出来たわけで、この時期ではいくら源田でも熟練搭乗員を引き抜いて新たな航空部隊を作るといった芸当は出来なかったと思います。
チョットは協力しろ!状態ですな。
海軍内部でも、あんまり仲良くなかったんですかね。。。
陸軍とも仲悪かったのに…。。。
一致協力して戦う事してないのに勝てるか!ですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/13 21:43

カギは空母に有ります。


空母の搭乗員は発艦・着艦の訓練があります。
松山の343航空隊の搭乗員は地上基地の経験者が多く、空母の経験者は少なかったそうです。(ネコ・パブリッシング刊 「源田の剣」参照)
空母のベテラン搭乗員は昭和18年10月の南太平洋海戦までに大多数が戦死しました。
海軍の飛行機搭乗員に対する思想は「搭乗員は消耗品」でした。
ですので本当に消耗しつくしたのです。
だから経験の浅い搭乗員が空母に配属されました。
地上基地のベテラン搭乗員はある程度生き残り、技量抜群の搭乗員は343航空隊に配属されたのです。
しかしご存知の事と思いますが、343航空隊は主だった将校クラスが戦死して終戦時は名前だけだったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
>カギは空母に有ります。
>空母の搭乗員は発艦・着艦の訓練があります
空母の離発着ですか。
でも、彼らほどの技量があるなら、チョット練習すれば、簡単に…とか思ってしまいますが、実際は相当訓練しないとダメなんですかね?

>地上基地の経験者が多く、空母の経験者は少なかったそうです。
もう、ほとんど消耗してしまって、ベテランパイロットがいなかったみたいですね。地上と空母は全然違うんですかね。

>昭和18年10月の南太平洋海戦までに大多数が戦死しました。
マリアナ沖の時はまだ、回復途中だったので、質問本文のようなパイロットの人が多かったんですね。

>「搭乗員は消耗品」でした。
攻撃一辺倒で防御無しですからね…後半には少し防御してましたが…。
技量のあるベテランパイロットが沢山いた時期は良かったけど、いなくなると、パイロットの差がくっきりとでてしまった。悲
アメリカ軍の航空機も良くなっていますしね。

>だから経験の浅い搭乗員が空母に配属されました。
補充という意味ですな・・・でもベテランがいないとダメでしょう。
少しは地上勤務の人を空母にとか考えなかったんですかね。

>しかしご存知の事と思いますが、343航空隊は主だった将校クラスが戦死して終戦時は名前だけだったようです。
確か、3人の指揮官は戦死された事は知ってます。
でも名前だけとは…多くのベテランパイロットの人も戦死されたんですね。最強の航空隊が最後は名前だけとは。。。悲

ありがとうございました。

お礼日時:2007/03/13 21:32

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Qマリアナの七面鳥撃ち

昭和19年のマリアナ沖海戦についての質問です。
 記録映画で観たのですが、航空機戦ではアメリカ軍が圧倒的に強く、のちに「マリアナの七面鳥撃ち」と呼ばれたそうです。
 日本のゼロ戦などはとても優秀で、小回りが利き、アメリカ戦闘機を寄せつかなかったと思うのですが、どうなってしまったのでしょう。
 敵に背後をとられても三回転もすれば形勢が逆転したとききましたが。
 少なくともミッドウェイ海戦の時点では、日本機はアメリカ戦闘機を問題をしないほどすぐれていたと同じ映画で解説していました。
 日本の戦闘機は技術革新を行わなかったのでしょうか?

Aベストアンサー

お答えします。

そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。

零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。

しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。
ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席を守るために防弾鋼板など
防御・防弾に力を尽くしました。

日本のゼロ戦にも防御をという意見はありました。
しかし、軍令部作戦課の源田 実中佐はこれを退け、防御装備はなされないままでした。

マリアナ沖海戦の敗因はヘルキャットのほかにも、レーダーやVT信管があげられます。これら防御兵器の前に日本の攻撃部隊は壊滅しました。その理由は攻撃一辺倒で防御を軽視したからです。

詳しくは角川文庫から出ているドキュメント太平洋戦争3「電子兵器カミカゼを制す」をお読み下さい(同じ内容で平成5年にNHKスペシャルをやっていました。この時の題は「エレクトロニクスが戦を制す」でした)。

お答えします。

そのとおり、日本の戦闘機は技術革新を行いませんでした。

零式艦上戦闘機、ゼロ戦は確かに戦争初期は優秀でした。ミッドウェー海戦の活躍はその通りです。

しかし、日本は攻撃一辺倒で防御・防弾を軽視したため、マリアナ沖海戦ではアメリカのグラマンF6Fヘルキャットの攻撃に負けました。この戦闘機はゼロ戦の特性を知り尽くした上で設計されました。
ゼロ戦が燃料タンクをやられるとすぐ燃え尽きてバラバラになるのに対し、ヘルキャットは燃料タンクを守るための特殊ゴムや操縦席...続きを読む

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ミッドウェー海戦の敗因を教えて下さい。なぜあんなに強かった日本軍が負けてしまったのですか?理由を教えて下さい。ちなみに僕は戦史に関してはド素人ですので、その辺はご了承ください。

余談ですけど、先日新聞を読んでいたら「アベノミクス第三の矢はミッドウェー」とかいう記事が載っていて、要するに第一、第二の矢(経済政策)はうまくいったが問題は第三の矢で、これが日本の今後の経済趨勢を決するという内容でした。

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○日本には防衛研修所戦史室 (現在の防衛省防衛研究所戦史部の前身)が編纂した「戦史叢書」という全102巻にも及ぶ太平洋戦争について書かれた公刊戦史がありまして、ミッドウェー海戦について書かれたものは、その第43巻が「ミッドウェー海戦」として出されています。
「戦史叢書ミッドウェー海戦」・・・市立や県立図書館でも置いてるところは結構あります。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E6%B5%B7%E6%88%A6-1971%E5%B9%B4-%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%8F%A2%E6%9B%B8-%E9%98%B2%E8%A1%9B%E5%BA%81%E9%98%B2%E8%A1%9B%E7%A0%94%E4%BF%AE%E6%89%80%E6%88%A6%E5%8F%B2%E5%AE%A4/dp/B000J9GX1M

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(3)山本長官の出撃。山本長官が戦艦に座乗して出撃したので、その位置を秘匿するため、無線の使用が制限され、作戦指導に支障を生じた。

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でも、それほど日本とアメリカで単位時間発射弾数が違うとも思えませんが。

ずっと気になっていたので質問させていただきました。
ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

まず対空砲の射程の問題があります。
雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

従ってこれを撃退するには目標艦より距離2000メートルの海上に護衛艦を配置する必要があります。
日本軍は護衛艦が少数でしたから有効な弾幕を張ることは困難でした。

アメリカ海軍の輪形陣はこの点強力な防御体形でした。
射程の長い対空砲は射撃も種々の理由で制限があったことは他のご回答に示されています。

急降下爆撃機の場合は高度3000メートルくらいから急角度で降下しますから加速度もあり爆弾投下高度まで急速に接近します。
この間の対空射撃は対空砲が有効ですが発射弾数が少なく適当な距離での爆発を設定する事は困難です。
日本軍の対空射撃の有効射程を知っておればその圏外で爆弾を投下して離脱できます。

戦艦や空母は大型ですから至近弾でも損害を与えることが可能です。
これを迎え撃つ機銃座は暴露状態ですから死傷者が続出し対空能力が低下せざるをえません。

アメリカ軍のVT信管、40ミリ機関砲、20ミリ機関砲の組み合わせは極めて有効な弾幕射撃が可能でした。
しかも攻撃地点に近い場所に配置されていましたから雷撃、爆撃、特攻攻撃も困難ないし犠牲者を生むだけでした。

まず対空砲の射程の問題があります。
雷撃機は高度2~3000メートルで接近し敵艦を発見し次第に高度を下げ高度を海面上10メートル前後までさげないと魚雷を投下できません。  これは海面での衝撃で魚雷の破壊や爆発を避けるためです。

この距離ないし接近中に早期に射撃して雷撃機を撃墜するには日本軍の対空機銃は射程が不足でした。
雷撃機は約2000メートルまで目標に接近すると魚雷を投下し離脱するものです。

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Q特攻は通常攻撃より有利だったのですか?

「特攻-還らざる若者たちの鎮魂歌」(神坂次郎著)を読んで思ったのですが、
特攻は、通常の飛行攻撃に比べてどう有利だったのでしょうか?
この本に「われ特攻を拒絶せり」という章があり、特攻を拒絶した美濃部少佐率いる芙蓉部隊が奇襲攻撃を繰り返して成果をあげています。
飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率82%、また17年のコロンボ攻撃などでの江草隊の命中率85%などからも確かでしょう。
恐るべき命中率で、パイロットの高い錬度の賜物でしょう。

ただしその後は激戦を重ねる中で熟練パイロットが消耗し、命中率は低下していったと思われます。
元々戦闘機乗りでWW2では航空参謀、また剣部隊の司令となった源田実は、戦艦・航空母艦の議論の中で、「一方航空機の場合は水平爆撃の命中率が12%,急降下爆撃が50%,雷撃が75%である」と分析していますから、一般的及び充分な錬度での艦爆(急降下爆撃)の命中度は50%ほどと考えるのがいいかと思います。

特攻での命中率ですが、米軍の資料で56%と言う資料がでましたが、これは書類上で正確には命中効果率であり、命中率とは違います。米軍が視認した機数を分母に至近命中まで含んだものです。
下記データの中から
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/kamikaze-statistic.html
日本海軍の特攻機(1944年10月から沖縄戦まで)
出撃数 2,314
帰還数 1,086
損失 1,228
の帰還数は戦闘に参加しなかった数なので、損失(未帰還)1228の中で
損害を与えた322を計算すると26%となります。
日本側の特攻初期の推定26~28%と重なりますね。

また安延多計夫大佐の調査での比島作戦~硫黄島作戦の数字、奏功率(奏功率とは命中機数と至近弾機数の合計)27.1%とも重なります。
命中率では19.5%です。
しかし米軍の特攻対策により、大戦末期の沖縄戦では特攻の命中率も極端に下がり、奏功率13.4%、命中率6.8%となっています。6.8%…もうボロボロですね。
http://d.hatena.ne.jp/fuldagap/20070220

ちなみに水平爆撃と急降下爆撃を混同されがちですが、攻撃目標に対してのベクトルをあわせて急降下し500メートルの高度から爆弾を投下すると3秒後には目標に激突しますので、ある程度の錬度の航空隊ならば急降下爆撃の命中度は非常に高いです。

また特攻を始めた時の急降下爆撃のほうが命中率は数%だったようですから、そうなれば特攻のほうが命中率は高いです。
つまりその当時では、錬度の低い兵士を各地に投入せねばならなかった悲しさですね。
その上で軍内部での対立(陸軍・海軍)などもあり、戦果があがらない上層部が「ウチはこんなにまでしているという」という言い訳、責任回避にさせられた面もあります。

戦略面で言うと、特攻は敵との戦闘までいけば死亡率100%ですから、米軍側からすれば、命中しようが海に落ちようが攻撃機はすべて落ちます。つまり敵機迎撃率100%と同じです。

日本側からすれば、攻撃をするごとに確実に機体とパイロットを失い兵力が減少していくわけで、ただでさえ苦しい戦況がその後どうなるかは自明の理です。正に負ける事を前提に、負けに向かって進んで行くだけの時間稼ぎの戦略になります。そんなものに使われた若者たちはたまった物じゃありません。

もちろん「君たちだけを死なせはしない。最後には私も君たちの後を追う」と言って若者を特攻に向かわせた上層部の多くが、戦後に国会議員や政治顧問になっていたりします。
逆に特攻に批判的だった、あるいは責任を感じていた上官が後を追ったり、腹を切ったりしているのは皮肉です。

という事で単純な比較はできませんが、ある程度の錬度の航空隊なら急降下爆撃のほうが命中率が高い。しかも艦船への爆弾の激突時の速度、ダメージも上です。
特攻を始めた当時のみでみれば、体当たり攻撃のほうが命中度が上です。

>飛行機のまま体当たりするのと、途中で爆弾を落とすのとで、命中精度がだいぶ違ってくるのでしょうか?

急降下爆撃(水平爆撃ではない)の命中率で言うと、日華事変当時の艦爆隊の命中率は60~70%、錬度が頂点に達していた昭和17年のインド洋海戦のころは急降下爆撃命中率は80~90%です。
これはインド洋海戦の九九式艦上爆撃機53機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機)の巡洋艦への爆弾命中率88%、九九式艦上爆撃機85機(赤城17機、蒼龍18機、飛龍18機、瑞鶴14機、翔鶴18機)から航空母艦への爆弾命中率8...続きを読む


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