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北条氏が滅びたとき得宗家、六波羅探題をはじめ地方の出先機関の一族の多くが集団自決をしてるようですが、日本の歴史のなかで戦に敗れて集団自決したのは平家と北条氏と先の大戦の一般市民だけだと思われますが他にもあるのでしょうか?北条氏は平家の子孫ですから先祖の例に倣ったのでしょうか?また切腹という自害方法は鎌倉時代以前にもあったのでしょうか?その思想はどこからうまれたのでしょうか?腹切といえば薩摩武士が思い浮かびますが、やはり島津家の鎌倉時代の名残なのですか?

A 回答 (5件)

初めて切腹をしたのは、平安時代末期の武人で、弓の名手、鎮西八郎と呼ばれた勇将、源為朝だそうです。

彼は戦い敗れた時、敵に捕まり首を落とされるのを嫌い、自ら切腹して果てました。彼の潔い鮮烈な死は、敵方にも感銘を与えたと言われます。後の鎌倉時代に武士道が広まるに従って、敵に捕まり斬首されるよりは、源為朝を見習って切腹するという考えが定着していったと言われます。

北条氏が平氏に倣って集団自決したのかはわかりません。その可能性はあります。ただ、戦いに破れ、もはや再起を諦めた者が自決の道を選ぶのは決して珍しい事ではありませんでした。湊川の戦いに敗れた楠木正成は弟の正季以下50余名と共に自決しています。
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ざっと思い浮かぶままに書けば



武田氏:天目山の戦いで、武田勝頼、嫡男信勝、北条夫人など一族が自害

長屋王:藤原氏の陰謀により、長屋王は自刃、その妃吉備内親王と子の膳夫王らは自殺

上宮王家:蘇我氏の陰謀により、山背大兄王以下、一族22人全て首を括って自殺。

一族の集団自決は幾らでもあります。
大抵は保険として、一族の誰かを安全圏に置いたり、態と敵勢力に味方させたりして、誰かが生きのころようにしますけど。
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戦に敗れても逃げて再起をはかるのが普通ですが、逃げてもあてのない時、逃げ道をふさがれて逃げ場の無い時、降服を潔しとしなければ集団自決します。

   後者の例として後北条氏に攻められ、三浦半島先端に追い詰められ滅亡した三浦氏があります。
辞世の「討つ者も討たれる者もかわらけよ 砕けてのちは元の土塊(つちくれ)」が有名です。   
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あとは、大化の改新の時の蘇我氏とか


白虎隊とか、蛤御門の変のあとの京都出陣組の長州藩(山崎/天王山方面部隊)とか、武田勝頼の最後のときとか・・・でしょうか?
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規模がちいさいものならば一族が揃って自害したという事例はいくつもあります。

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