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過去ログを拝見したところ、いつ死んでもいいと考えている人がたくさんいるようですが、これは、本来おかしいことなのでしょうか?

うちの母は、一度もそのような心理になったことがなく、理解不能だというのです。そして、私や兄弟姉妹が皆「いつ死んでもいい」と思っていることを最近知り、本気で心配しています。死にたいとは特に思わないが、たとえばガンとかになっても、もっと生きていたいとは思わないのです。(闘病で苦しむのは怖いですが死ぬことは怖くない)

兄弟のうちの一人はリストカットもしたこともあり、母は、自分の育て方が悪かったのか、家庭環境が悪かったのか、心理内科に連れていこうかと色々悩んでいるようです。(私は特に家庭環境が悪かったとは思いません)

私の個人的な心理としては、何回か転職してやりたい仕事はしてしまったし(飽きっぽい)、行きたい国も旅行してしまった。両親や夫や子供のために、義務感から、自分は生きていたほうがいいなとは思いますが、子供を残しては死ねないとかそういうふうには思いません。

そのうち兄弟みな診療内科に連れて行かれるかもしれませんが、診察料も高そうだし、もっと深刻な患者さんもいるだろうし、私たちは行く必要があるのかなぁと私は思っています。

A 回答 (6件)

人生を自分達で利用するという気持ちが大事だと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:25

こんにちは。


私は昔から「いつ死んでもいい」と思ってますが、少数派ですね。

「いつ死んでもいい」と思われたんじゃ行政は税金を取る相手が減る心配があるので「そういうのは悪い」と決め付けます。
お上(かみ)に文句を一切いわない日本人は、行政の言うなりになりますから、お上が「悪い」と言ったら「悪い」わけですね。
戦争中は「お国の為に死ね」なんて言っておいて勝手なものです。

そもそも自分の命なんだからどう使おうと人様に危害を加えない限り自由だと思うのですけど。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:26

こんにちは。



そういう心理になったとしても、必ずしも、異常であるとは思いません。
わたしの憶測ですが、自分なりに「納得のいく満足した人生」を送れている人は、そういう心理になることがあるように思います。
わたしも、一時期、そうでした。
「見るほどのことは見つ」という心理状態だったのです。
今は、まだまだやることがあるので、それをしないうちは死ねないという気持ちでいますが・・・。

ただ、おそらく、その人の性格や置かれた環境・条件など、さまざまな要因で、人は、そういう心理状態になるのでしょう。
一概に、「異常だ」とは言えないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:27

時にはそう思う時期があるかもしれない、という意味では誰にでもありうることだと思いますが、あんまり健康な考え方ではないですね。


凡人は「人間は誰もがいつかは死ぬ」と理屈では分かっていながらも、なるべく明日死んだりはしたくないですから。

死にたいと思うのと、死んでも構わないと思うのはちょっと違う気がしますし、死にたいと思うのとそれを本気で実行するのにも、違いがあります。

死んでも構わない、と思いながら、だからと言って無軌道で無頼な生活を送るでもなく、淡々と日々を送っているならば、それは積極的ではないですよね。自殺しようとか、やぶれかぶれに突っ走るわけでもないんでしょ?

>(闘病で苦しむのは怖いですが死ぬことは怖くない)

たぶん死にたいというよりは、生きることが面倒で億劫なんだと思います。
苦しみたくはないけど、面倒だから消えたいんじゃないでしょうか。
生きるエネルギーが不足しているのでは。死ぬほどのエネルギーもないけれど。
(漢方的に言ったら気虚とかそんな感じ?)
そういうのはちょっと解る気がします。


心療内科って、症状が重くならなければ行ってはいけないものでもないです。
でも心療内科は、厳密には内科的なんですよ、本来は。ストレスで十二指腸潰瘍になった人とか。
軽いうつとかなら心療内科でもOKですが。
「精神科・心療内科(必要に応じてカウンセリングも実施いたします)」というような感じの医者がいいと思います。
カウンセリングや心理療法がない病院だと、内科なんかとほとんど変わらないと思います。薬治療だけで。
薬にはうつ症状がおさまるとか不安感がなくなるというメリットがありますが、それ「だけ」では根本的には解決しにくいです。

くすりで良くなるの?
http://www2.health.ne.jp/library/3000/w3000226.h …

ここに行ったことはありませんが、こういうとこだと総合的なケアが可能。
http://www.ginza.jp/g-med/
東京のど真ん中でなくとも、カウンセラーと提携・連携して治療をする精神科医はいます。

薬が必要ない人ならば、カウンセリングのみという方法もあり。
http://www.f5.dion.ne.jp/~with/
http://2.csx.jp/~counselor/counseling
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:28

的外れかもしれませんが、少し書き込みます。



私もそう思ってた頃がありました。
しかし今思い返すと…「そう思い込んでるだけ」か、
「惰性なんかで死を嘗めてる」のどっちかだったと思います。
死とは眠るように死ねるのであれば怖く無いでしょう。
眠るのを怖がる人はそう居ませんし、眠ってる最中は起きる事無くとも恐怖はありませんから。

私が死を本当に恐怖になった瞬間は病気にかかったときです。
癌にかかりました。
その時に「俺は死ぬことなど怖くないぜ」という思いなんかどこかに吹っ飛びます。
医者に告げられた絶望感…それはまるで死刑宣告のようです。
死がリアルに感じられる経験…
例えば自分のように「死のカウントダウンがある難病」とか、「銃などを突きつけられて、殺傷与奪権を奪われた場合」、きっと誰もが死ぬのは嫌と思うはずです。
リストカットなどは色々な要因がありますが、殺傷与奪権が自分にあり、陵辱などもなく、更には自分で殺傷度合いを加減できるような行為ゆえに「死を覚悟」と考えるのは少し違うと思います。
死とは「自分以外の者から残酷なエンディングを強制される陵辱」なのです。
死体がカッコイイ姿とは限りません。
七転八倒する悶絶的な苦しみも付加される場合も多いです。
それをリアルに体験、もしくは待ち構えていると覚悟した上で「死ぬ事は怖くない」と言えたら何らかの境地かもしれません。

更に思い馳せて欲しいのですが、子供の頃、「死ぬとはなんだろう?」と突き詰めて考えて怖くなった経験がありませんか?
これは全ての人じゃなくとも経験がある人は多いはずです。
子供は素直なので、その問題を思考的にスルー出来ず、考えて悩み、怖くて眠れないなどの経験があると人から聞きますし、自分にもあります。
しかし大人になると、その「恐怖の本質」で怖くなる前に日常の「娯楽」や「仕事」などの課題に思考をスライドさせているような気がします。
以上長くなりましたが、私が思うのはこうです。

死を言葉の表面上怖く無いと言ってるだけで、それが垣間見える瞬間になると怖いはずだ、と。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:29

私の親友にも特に表面的な悩みは無いのに、リストカットしてしまったり、“死にたい”“死んでもいい”と考えてしまう子がいます。


本人曰く、自分でもよく分からないそうです。ただ、気付くとカッターを握っているそうです。普段は明るく、楽しく、家庭に問題は無く・・・。普通の子なんです。

「生きてても意味が無い」という言葉は聴いたことがありません。彼女には目標もあります。ただ一つ言っていたことは「なんとなく違う気がする。死は痛いと思わないし・・・私は生きてるのかな?」

多分、その子は“死”を考えることで、自分の存在を明らかにしたかったのだと思います。

その子は時間はかかりましたが、なんとか正常に戻りました。一応、精神科に通ってはいましたが、それは全く意味が無かったといってましたよ。「結局私を治したのは“時間”と“信じられる仲間”と“あまり敏感にならない心”」だそうです。

心が病んでいる人には、自分の事が良く分からない人・自分の事が分かりすぎる敏感の人の2パターンがあるようです。しかし、もしかしたら本人よりも周りが騒いで当人の傷を深めてしまっているのかも知れません。

まずは、冷静に今の自分を見つめてみてください。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/04/09 14:29

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