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自分の心の内を話すと涙が出てしまいます。
こんな状態で面接は大丈夫なのかとかこれから社会生活大丈夫なのかとか不安になります。

色々な事が積み重なり少し自分の思っている事や感じている事を人に話すと涙が出てしまっていて、情緒不安定なのか、けれどこんな感じでは面接などで突っ込まれてしまうと涙が出てしまう気がします。

初めて会った人に相談した時色々話していたら涙が出てしまって、初めて会った人なのにいきなり泣かれたら困ると思うのに取り乱してしまい、悪い事をしてしまったと思いました。

涙は出るし、時々なんで自分はここにいるのかとかこのまま消えたら楽なのになとかいなくなりたいとか頭の中をよぎる時があります。
けれど、そんな事を思っても仕方ないのでなんとかしないとと思っています。

心療内科には2週間に一回通っています。

けれど、以前信じていた人を信じられなくなってからなかなか人を信じる事ができなくて、けれどどこかで信じたい気持ちもあって、けれどこのまま人を信じられないのが一生続くのかなとか思うと辛くて、何の為に自分は生きているのかとか考えてしまう自分も嫌で。

涙は出るし自分自身が不安なんです。

どうすればよいでしょうか?

A 回答 (2件)

私にもそんな時期がありました。

とにかく心が弱りきっていて、自分の傷やトラウマのことで頭が一杯で、手のつけようがありませんでした。診療内科に通って、医者相手に自分のことを話そうとしても声が震えて泣き出すしまつ。親しい人に相談しようとしても同じ。そういう自分を憎悪してなんでこんな情けないことになったんだろうって、もう、電車の中だろうが、帰り道だろうが、自分の部屋だろうが、真夜中だろうがすぐぼろぼろ泣いてました。assa1234さんも同じような感じなんでしょうね。もう自分も信じられないし、事情があって人も信じられないということですけど。。。とにかく自分のことを話し出すと泣いてしまうっていうのは、よっぽど弱っていて、そして多分、自分の経験からすると「こんなの私じゃないんです、信じて下さい、」、元の私はこうじゃないんだ、信じて、って気持ちだと思います。で、実際そうなはず。今は度重なるショックで弱っているだけです。涙がでるなら泣いちゃえばいい。私は周りの人間大混乱させるぐらい泣きました。その内絶対また自分自身をとり戻せます。そしてその時はより強い自分になってるはず。
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心療内科に通っているのでしたら、まずはプロの先生を


しっかり信頼して、じっくり治すのが一番だと思います。

人間不信というものは、生まれてから築き上げてきた人生から
不幸にも到達してしまった、長い経験から来る重大な結果ですから、
簡単な病気でもありませんし、すぐにも治らないことがノーマルだと思います。

人を信頼したいと願えば願うほど、当然、これまで傷ついてきたと同様の
しっぺ返しを、今度はより大きなダメージで食らってしまうことになります。このプレッシャーは危険です。

人を信用しない人生なんて、と悲観する気持ちもよく分ります。

1つだけ気になったのは、

人を信用しない人生=人を信じない(嫌う)人生

と、いうところです。

じつは「信用する」という言葉は、あまりに美しく、酔いがちですが、
これには落とし穴があります。
「信用する」という行為には、「こちらの期待を押しつける」面が
裏表、紙一重、としてあるからです。

人間関係においてまったくという対等関係はありませんから、
どちらかが上下があり、どちらかが得をし、損をします。
全部、100%損することは友人や知人の関係ではないと思いますが、
一方的にそんな関係は多く存在します。

こちらが立場が弱いときや、能力が劣るとき、性格の消極的なとき、
相手があまり立派でないとき、などなど、
いろいろなケースで、この損得は偏ります。

このとき、残念ながら一方的に損をすることばかりの人は
出てしまいます。
これを悲しいと思うことはなにもおかしいことはありません。
他の人が泣かないのは、そこまで損をしないからです。

あなたが自分を嫌だと思うことは何もないのです。

嫌なことがあって、涙が出る。
これはひどく人間的なことです。
また、人間の構造上、一度クセになると、その部分の反応が過剰になってしまい、戻らない傾向があります。
アレルギーも、原因を排除しても、反応が消えないことがあります。
感情系ルートの神経が太くなるなど、なにか肉体的に「発達」してしまったかもしれません。

こういった推測はさておき、ではどうしたら良いか、ですが、
気持ちの病気の場合、少しずつ治すことが一番です。
10年も20年も傷ついてきた痛みは、半年ぐらいじゃ治りません。

まずは自分を嫌いになるのだけはおやめになった方が良いかもしれません。

私のように、まったく他人を信じない人間でも、生きることぐらいはできます。
だれも信じてはいませんが、逆を言うと、人間はウソもつくし、悪さもするし、自分が一番大事だし、ということを認めているからだと思います。
それは人間の中に必ずあるものだと思いますし、
それを許しながら、共存できるのも、なかなかどうしてスキルの高いことだと思うのです。
利己的な人間同士がこんなにたくさんいて、秩序正しく世界が回るというのも、みんながんばっているからなのかもしれない、とふと思います。
とはいえ、私自身がダメージを負うのも困るものですから、だれかを信じるなんていう面倒なことから距離は置いています。

そういった意味では、自分自身に強く関心も持たず、他人にも強く関心を持たず、といったところでしょう。
別に人間以外に興味が向いているならば、それほど気にはなりません。
そういった状態でも、コミュニケーションしたいという気持ちを補えるほど、インターネットや携帯が発達して、便利な世界ではあります。

お役に立てはしないと思いますが、自分の体験から参考にしてくだされば幸いです。
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