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第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と
蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。
どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?
貧弱な兵器しかない印象がありますが。
また、ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?
ソ連が引き下がったのが不思議です。
一悶着なかったのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

>第二次世界大戦終了後、中国では毛沢東率いる共産党と蒋介石率いる国民党とが内戦をしていたそうです。



正確には、日中戦争以前から内戦がありました。
日中戦争・第二次世界大戦中は、国民党・共産党は「抗日」目的のため停戦していたのです。大同小異・呉越同舟です。
この戦時下、国民党・共産党軍が作成した「抗日プロパガンダ写真」(TIME雑誌等の写真を歪曲修整し、反日意識を高めた)が、現在の抗日資料館に展示している写真です。
(実物写真と歪曲写真を比べると、興味深いですよ)
日本敗戦後、停戦状態が終わり再び内戦になりました。

>どうして共産党が勝利することができたのでしょうか?

先ず、国民の大多数を占める農民・労働者の支持を得る事が出来なかった事でしよう。
中国歴代王朝も、彼らの支持が無くなると滅亡しています。
(歴代王朝滅亡から新王朝樹立間に、各時代1000万人前後が犠牲になっています)
それと、解放軍(八路軍)兵士に農民出身者が多く「思想統一を行った」事です。
貴族・資本家・地主などから搾取された彼らは、共産思想に夢を見た訳ですね。
今までの辛酸を「仕返し」の力と変えたのでしよう。
反対に、自由主義者(有識者)は、「反革命」の下に大量虐殺を行っています。
旧満州国の首都・新京では「八路軍が30万人住民全員を殺害」していますよ。(当時のアメリカの新聞記事及び生存者談)
(現中国の教科書には「無血入城」となっていますが)
「思想的に一致団結した一枚岩の軍隊」と「自由な思想・意見を持った軍隊」では、戦う前に結果が見えてます。
それと、経済的な強烈なインフレでしよう。
戦費調達で、大量に紙幣を発行したので「紙幣は紙屑」になったのです。

>貧弱な兵器しかない印象がありますが。

八路軍は、ゲリラ戦が得意なんです。
ゲリラ戦には、近代兵器は必要ありません。
また、人海戦術が可能でした。
ベトナム解放戦線(ベトコン)もゲリラ戦が得意で、米国・韓国軍を破って(ベトナム戦争に)勝利しましとよね。
※ベトナム人従軍慰安婦と韓国軍人との混血児が、約15000人存在しています(ベトナム政府調査)。
※韓国政府は認めていないので、金大中・ノムヒョンがベトナムを訪問した時に謝罪・賠償を拒否しました。

>ソ連が一時支配していた旧満州地域はどうやって折り合いをつけたのでしょうか?ソ連が引き下がったのが不思議です。

旧満州地区(中国東北部)は、もともと清王朝の領土でした。
ソ連としては、分捕った領土を渡す気持ちは一切ありませんでしたが、米ソ対立の下で中国共産党と争いを避けたかったようです。
同じ共産党政権同士、アメリカに対抗する必要があったのです。
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日新報道 福田博幸 中国対日工作の実態


に簡単ではあるが 若干そこに触れた記述があります
ソ連の軍事援助でゲリラ戦を制した
国民党の腐敗で国民党への人民の支持が離反した
国民党軍の米軍援助下の兵器を代わりに確保した、国民党軍の放棄したものを
再利用した という点で軍備の問題はクリアかと・・・
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勝利の要因



1.ソ連の軍事的援助と指導

2.米国の国民党政府への軍事援助停止。
米国は内戦を平和的に解決させようと調停に乗り出し、国民党政府に対し圧力をかけます。1946年7月から武器・弾薬の禁輸措置を行ったのです。その結果、国民党軍は1年以上も武器・弾薬を米国から確保する事ができず補給に苦しみます。米国が援助の再開を決定した時には時既に遅く、国民党政府が台湾に敗退した後でした。

3.国民党の腐敗・圧政による民衆の共産党支持。
共産党は農村に対し、地主打倒・土地分配という土地改革を掲げ支持を集めます。
都市部では、政府の役人の腐敗と横暴が酷かった事と、国民党が共産党だけでなく他の諸党も認めず、また国民党の政策に反対する者には弾圧を加えたので、世論は共産党支持の流れになりました。

4.地方軍の共産党への転向。
日中戦争の頃は軍事的・経済的援助を地方にもしていた国民党でしたが、戦争が終わるとその援助の規模は非常に縮小されました。その結果、地方軍の司令官達の間には国民党への不信感が大きくなり、遂には共産党に寝返る者も出ました。

5.共産軍の戦略・戦術の成功。
共産軍は当初、国民党軍の攻勢に無理に立ち向かわず、自己の勢力圏や都市を国民党軍に占領させました。そして国民党の支配領域が広がり、兵力が分散し補給路が伸びたところをゲリラ戦で突き、国民党軍を消耗させました。その一方で軍の規模を拡大するとともに、ソ連の援助で陣容を整えました。そして反撃作戦に出て勝利したのです。

満州については、ソ連は無理押しできるような国力の状況ではありませんでした。ドイツとの戦いでソ連は疲弊し国内の再建に力を注ぐ必要がありました。また、東欧諸国をしっかりと握っておく必要もありました。そもそもドイツに勝てたのも米英国の援助のおかげでした。戦車だけで1万両以上、飛行機1万6000機以上、トラック40万両以上、その他の物資も膨大な数をソ連は援助してもらったのです。
そうした莫大な援助ができる米国が支援していたのが国民党政府です。その兵力は400万人以上でした。満州を賭けて戦うには、ソ連にはあまりにもリスクが大きすぎたのです。
ただ、ソ連も満州で何も得なかった訳ではありません。満州にあった機械設備や採掘済みの鉱物資源、物資等、根こそぎ持っていったと言われています。また、そうした物資を接収する為に撤退も数週間の遅れが出たとも言われています。
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ソ連軍は国民党政府との協定通り、1946年3月以降、満州より撤退を始めます。

国民党政府と直接の戦闘になったら、ソ連はアメリカとの戦争を覚悟しなければなりませんので、表面上、おとなしく引き下がった格好です。
ところが、満州で武装解除された日本軍の、大量の武器弾薬はソ連により、中国共産党軍40万の手に渡っていました。国共内戦は、満州での衝突から始まります。

国民党軍は、共産党軍の3倍以上の兵力と、アメリカから支給された優秀な兵器を持ち、個々の戦闘では勝利しますが、政策の相違により民心は共産党に傾きました。
共産党の政策は、貧民へ農地を支給する(私有は認めないですが)という、わかりやすいものです。一方、国民党の失政もわかりやすい。戦時中から続く超インフレが、一般国民の生活を圧迫していました。
原因は紙幣の刷りすぎ・・・まあしょうがないっていえば、しょうがないんですが。
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まず、当時の国民党が政治の腐敗や失政により人口の大部分を占めていた農民や労働者層の民衆から支持をうけていなかったことが国民党軍敗北の一番の理由でしょう。


逆に共産党が数々の政策で農民や労働者層の民衆の支持を得ていたことで共産党軍は抗日戦争から継続してきたお家芸の持久ゲリラ戦を民衆の支持のもと成功させることができました。逆に国民党軍はその兵士たちは農民や労働者層ですから士気も上がるはずがなく、戦闘意欲も高くありませんでした。戦争中盤を過ぎると国民党軍からは集団投降や離反逃亡が相次ぎ、一部を除いては戦わずして崩壊していく様相を呈します。
国民党軍はアメリカからの軍事援助で共産党軍よりも良好な装備をもっていましたが、上記のように根本的な部分での戦意に欠けていたため勝利を得ることは叶いませんでした。

あと、朱徳や林彪をはじめとする共産党軍の将軍たちは国民党軍の将軍たちよりも優れた資質を持っていたこともあるかもしれません。ただ、この資質の評価の件につきましては異論ある方もいらっしゃるでしょうが。

政治組織的にも内戦当時の国民党が様々な派閥や政治勢力の錯綜があった一枚岩とは程遠い政権であったことに反して、共産党は毛沢東の独裁的指導がほぼ末端まで徹底する強固な政権であったことも要因になるのではないでしょうか。後年の毛沢東はともかく、国共内戦での毛沢東は戦争政府の指導者として手腕を持っていたと思います。

大まかではありますが、これが私の考えの一端です。
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