「覚え間違い」を教えてください!

皆さんお時間いただけませんか?
今、大河ドラマを見てて思ったのですが、戦国時代の武士は、兜を被ることで頭皮が蒸れるのを嫌って、チョンマゲの髪型にしていたと聞きます。ところが、大河ドラマの武士は髪を茶筅のように結ってはいますが、おでこより上が剃り上がって(月代)いません。ドラマであるがゆえなのか、ドラマのような髪型をしていた武士もいたのでしょうか?
また、職人や町人はどんな髪型をしていたのでしょうか?戦国時代の武士や職人・町人の髪型に詳しい方、教えてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

まず時代劇の考証は曖昧という事(江戸時代といっても長いので髷も流行があったのですがどれも同じになってますよね。

)、それと戦国時代というのは室町時代から続く一時期ですから、そこだけ切り取るのは難しいという事をふまえて下さい。
参考URLのように古くは庶民でも烏帽子をかぶっていました。この場合頭のてっぺんに髪をまとめる髷の形でしたが、時代を経て烏帽子を略すようになります。といってもいきなり皆がかぶらなくなった訳ではないので戦国時代でも様々な層で被っていたと思いますが。庶民でいうと萎烏帽子ですね。
かぶらない場合の髪型は自然に後ろで纏めるものになったと思います。
そこからいわゆるチョンマゲに進化していくのですが、月代は鎌倉時代などの早い段階で存在していたようですね。武士に流行した理由として兜を被る際の要因は大きいと思いますが、ぶっちゃけハゲの人が開き直ってスッキリしてしまったというのもあったのでは、と考えてます。
とすると戦国物の時代劇でことごとく月代を見かけないのは少しおかしいと言えますね。何故か織田信長に多い気がします。
ちなみに月代が武士以外にも流行したのは江戸時代以降だそうで、一般の大衆の月代姿は少なかったと思います。

参考URL:http://members3.jcom.home.ne.jp/pehota02/equipme …
    • good
    • 1
この回答へのお礼

参考になりました。有難うございました。

お礼日時:2007/05/05 11:49

身分制度と服装や髪型の研究が進んでいるのは、江戸時代です。


江戸時代では、身分制度を明確にするために、服装や髪型に関して口うるさく法令を出していました。出しているが故に、あるいは法令に反して罰則を受けていた人がいる故にそれが、文章として歴史資料が残っている。残っているが故に研究ができるという側面があります。

以下は、想像ですが

戦国時代では、武士も商人も農民も明確な線引きがありません。明確な線引きがないのですから、その身分に伴う服装や髪型に明確な線引きが存在し得ません。

上級武士では典型的な外見があったのか?という予想もできますが、身分制を外見と同様に明確化する「名前」に関しても、中央権力による統一的な命名法、つまり○○の守を名乗って良いという公式な許可があったわけでなく、勝手に名乗っていたところを見ると、外見も勝手にしていたように思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

有難うございました。

お礼日時:2007/05/05 11:50

手元の資料によりますと、「巻立茶筅」というものが、ありますが、月代は剃っています。


私も、このサイトを始めてから、髪型に興味が出たので、まだ、勉強中なのですが、茶筅だけでも、マナー違反なのに、月代を剃っていないのは、更にマナーを逸することになると思います。
髪型について、まとまったサイトは、発見できていませんが、ふざけた髪型をしている者に切腹を申し付けた殿様もいるとのことですから、かぶくのも命がけだったと思います。
町民と、武士のちょんまげで、一目で、違いがわかるものは、襟足の上がたぼと言って、ふくらんでいるか、否かです。
総髪の上に茶筅は、ドラマ用だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/05 11:50

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報