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戦国期の軍用馬について教えてください。ドラマや映画で戦闘シーンで使う馬はたいていサラブレッドなど西洋産の馬です。戦国時代に日本でそんな馬はいないのでは?したがって農耕馬やそれを改良した種だったのではと考えています。
重い鎧兜の武者を乗せて短躯の国産馬が戦場を駆け回れたのか疑問です。源平合戦の鵯越え(崖を馬で下り奇襲した)は作り話なのでしょうか。武田騎馬軍団もそうなのでしょうか?なぞが多いです。ご存じの方は教えて下さい。お願いします。

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A 回答 (11件中1~10件)

また失礼します。


恐らく回答者の皆さんの殆ど全ての方、あるいは時代劇などを見てる殆ど全ての方が大きな勘違いをしてると思われる部分があるのでそれだけ挙げておきます。

今の時代劇や歴史を扱った放映画像は、全てにおいてスピードが速すぎるのです。
実際に真剣を振った事のある人ならわかると思いますが、時代劇でやられてるようなちゃんばら光景にはなりません。
江戸時代の飾り刀でも重すぎてあんな振り方は出来ないのです。
槍に至っては出て来る頻度は少ないですが、その用法は滅茶苦茶です。
鉄砲も時代劇は連射が早すぎる傾向にあります。
稲富流鉄砲保存会(だと思いましたが)にNHKが取材して個人のスピードで乱射実験をした実験でも1丁が連射するには数分かかってます。
これは次の弾を詰め込む速さではなくて、一定の時間を空けて砲身を冷却しないと危なくて火薬が入れられないからです。

そして、さらに重要なのは、馬に限らず、飛行機や船、戦車、歩兵でもそうですが、編隊機動の時は全速力は使えません。
従って、仮に騎馬隊を作って機動した時、競馬のような走り方にはなりえないのです。
もし、編隊機動で全速力を使ってしまえば編隊がバラバラになってしまって機動そのものが出来ません。

従って騎馬で編隊機動をするには、足並みを揃えて走る事が重要であって、速度は疾走ではなく、人が走るより少し早ければ十分用をなします。
実際に馬で編隊機動をしようと思ったら、いかにゆっくり走るかが重要になります。
この辺は自衛隊の方なら判るかもしれません。

もう一つついでに、古典の記述は誇張が多いです。
中国ではひげが1000丈(1丈=人一人分の背丈)あったとか滅茶苦茶なのが多いので誇張はすぐ判るのですが、日本の古典の誇張は「あ、ありそうだな」というレベルの誇張が多いです。
摺墨(するすみ)という真っ黒な馬の話が出てきましたが、もう一頭のやたら噛み付く事で有名な生喰(いけずき)という鎌倉殿(源頼朝)が有していたという馬のサイズなども誇張であると思われますし、時代が下ると同じ単位でもサイズが違っていた可能性もかなりあります。
これは人の平均身長等が時代とともに変わっているので、普段使われる単位もそれにつれて変化する事が多いからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。今までの回答者様の回答をつなげたりしてだいたいイメージがわかってきました。スピードしかり、武器を使用するさいも下馬していたんでしょうね。馬が大事な乗り物であることは間違っていないと思うので、戦闘に馬を使用することはなかったのでしょうかね。だんだん騎馬軍団のイメージから離れてきましたが、それが多分真実でしょう。騎馬軍団は戦わない。武者の威厳と運搬(私は前のお礼にも書きましたが、馬の背に乗ることで平地での兵の指揮にも使っていたのでは・・・と考えています)が主な用法だったのではと思えます。
中国大返しも誇張が入っていたのでしょう。平均身長での単位。確かに昔の平均的武者の身長からしたら少し大きいだけで、馬も誇張されたサイズになったんでしょうね。回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/27 18:31

鵯越えについてですが、これは根拠が無く私の乗馬経験のなかからの推測です。

急ながけを駆け下りて急襲したというようなイメージがありますが、
「駆け下った(直滑降)」は100%無いはずです。馬は頭が重く体重の1/3以上は前足にかかっていますから、普通は緩い下り坂でさえ駆け下ることはしません。ましてや甲冑をきた武者を乗せているわけですから更に過重は前足にかかります。
私はモンゴルで幾つも山越えをしました。その中には60度以上の勾配もありました。そのときは崖に並行に馬を歩かせジグザグに下っていきます。これであれば安全に下っていきます。
奇襲を必ずしも急襲ではありません。相手が予想しない所から攻めるから効果があるのであって、この場合スピードは絶対ではなかったと思います。
また、馬の体力も考えねばなりません。相手の陣に辿り着く前に駆け足をすればその後は動けなくなります。条件が揃うならば武士も騎馬で戦うでしょうしこの戦の場合はあいては馬が少ない為、源氏は馬に乗ったほうが有利です。また平家の勝利条件は沖の船に乗ることで、源氏はそれを阻止する事だと考えれば追撃戦になりますから相手の陣地に入ってスピードを上げねばなりません。

一つ考慮しなくてはならないのはNo.9さんがあげた実験で、現在の実験で在来馬に武装させた乗り手をのせ馬の体力を計ったものですが、これはオフィスワークのサラリーマンに自衛隊の完全装備をさせ行軍をさせたようなものだとおもいます。少なくとも武士を乗せていた戦闘馬は今の馬よりもそれなりの体力はあったでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。まさか軍馬の回答でこれほどの回答がくるとは思いませんでした。皆様ありがとうございます。
重い武者を乗せて崖を降りることよりも、その後降り切った後の合戦が重要だったのですね。モンゴル種の馬である、との以前の回答者様のご意見からすると、ANo10様の体験は貴重かつ信憑性のある話ですね。奇襲=急襲では無い・・・ジグザグに降りる・・・等、馬の体力の消耗を避けることが勝利を呼んだといえるのですね。ありがとうございました。
皆様の回答に更に疑問なのですが、現在、TV、映画などの撮影に使われている、サラブレッド、アラブ系の馬が軍用に使用された時期はあったのでしょうか?戦国期は無いとしても、明治以降も相変わらず国産馬
だったのでしょうか?ついでといっては申し訳ないのですがどなたかご存知の方、ご教授お願いします。

お礼日時:2007/05/27 08:15

源平合戦の鵯越えは実話の可能性が高いです。


武田騎馬軍団は100%創作話です。

武田の騎馬軍団の虚像を証明する資料は、当時の日本の馬の大きさです。
現在では馬というと、普通はTVや実際の競馬場で見る、サラブレッドやアラブ種の馬を連想します。
しかし、そう言う現代の馬と、日本の古来からの馬は根本的に異なる点がありました。
馬の体形を体高という点で比較すると、サラブレッド種やアラブ種の馬が体高150~160センチ前後もあるのに対して、木曽馬の体高は135センチ前後しかありません。
木曽馬のみならず、日本の在来種の馬は、総じて中型、小型馬でした。
これは実際の発掘調査からも明らかとなっています。
次の引用は、鎌倉幕府が滅亡したときに埋葬された鎌倉市材木座の人骨・馬骨の分析結果です。

「昭和28年、東京大学人類学教室が鎌倉市材木座の遺跡を発掘した。
この遺跡から元弘3年(1333)、新田義貞の鎌倉攻めで戦没した人々556体とともに、128の馬骨、若干の牛や犬の骨が発見された。
林田重幸・小内忠平両氏は、脛骨・中手骨などから、材木座の馬の体高は109~140センチ、平均129センチであると推定している。
この事実からも、鎌倉時代末期の馬は、現存する在来中型馬とほぼ同じ体型であったとみてよい。
鎌倉時代における小さな馬は、現在の与那国馬やトカラ馬と同じだが、大部分の馬は木曽馬・土産馬・蒙古馬などの大きさで、戦記物に出てくる四尺七寸(142センチ)にも及ぶ大きな馬は1頭もなかった。
源義経など坂東武者たちは、足の短い馬にまたがり、合戦に参加したのである。」
※ 市川健夫著『日本の馬と牛』(東京書籍 1981年)P22
 
 16世紀に日本へやってきたヨーロッパ人宣教師たちは、この日本の馬の小さなことも記録に残しています。 

「「われわれの馬はきわめて美しい。日本のものはそれに比べてはるかに劣っている。」(フロイス)
「エスパーニャの乗用馬よりも荷馬に似ていながら」(ロドリーゲス)」
※ 坂内誠一著『碧い目の見た日本の馬』(聚林書院 1988年)P12

このように日本の馬が小さかったことが、どのような結論につながるのでしょうか。
「中世の馬の状態がどのようであったかを、NHKが「歴史への招待」のテレビ番組で実験していたが、それによると、実験馬として、鎌倉時代の馬と同じような体高130センチメートル、体重350キログラムの馬を使い、鎧、冑、鞍の重量として45キログラムの砂袋と、体重50キログラムの人間の合計95キログラムを乗せて走らせた。
大学の馬術部員の話では、歩調が重く鈍くなり、駈歩をしていたのに、すぐ速歩に落ちてしまったという。
普通、駈歩は、分速約300メートルの速さであるが、実験馬は、分速150メートルに達していなかった。
そして、乗馬してから十分で馬は大きく首を振り、やっと走っているという状態で実験を終了している。たった十分問である。
よって、当時の合戦の実情が推測できよう。
決してテレビや映画の時代物のように、勇壮に駆け続けるわけにはいかないのである。
軍隊でも、駈歩は約500メートルぐらいで、直ぐ速歩に速度を落としていた。
今日、小柄な騎手を乗せた大形の競走馬でも、全力疾走できるのは200~300メートルといわれている(若野章『日本の競馬』)。
そこで長距離レースでは、騎手はどこで力を出させるかに苦心し、レースの駆け引きをするのである。」
※ 坂内誠一前掲著 P118
 
つまり、重い鎧を着た武士を乗せた日本の小柄の馬は、映画「影武者」の中の騎馬隊の馬の様に、長い距離を疾走して突撃することなどできないということです。

参考URL:http://miraikoro.3.pro.tok2.com/study/mekaraurok …
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。源平合戦は事実、武田騎馬軍団はフィクション。時代が組み討ち中心の源平の頃はそれなりに馬も錦をかざっていたのでしょう。でも鵯越え、逆さ落としはやっていたとしたら相当な技術が必要だったでしょうね。
URL参考になりました。海外からの宣教師の目って国内の歴史執筆家(?)に比べるとどこの権力にもおもねることが少なそうで信憑性が高いような気がします。それに集団戦における騎馬の比率が10%そこそこだったなんて・・・あまりにも少なくてこれでは騎馬軍団とは言えませんね。これは戦闘用としてよりも大将の見得や移動のためのような気が・・・。しかし戦況を平地で見るためには(采配を振るったり、下知を下したり)馬の高さが役立ったのでは?
重量がある鎧兜の武者を乗せて疾走するのは所詮ブラウン管(液晶画面と言い換えます)の中だけだったんでしょうね。
詳しい回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/26 15:57

6ですが、名馬といわれ、名を残した馬について、調べていたことがあります。


宇治川の合戦の先陣争い、生月、磨墨あたりから調べ始めました。
馬高は、150センチ前後と飛びぬけて高いのが特徴です。
サラブレッド、アラブ種の180センチには、及びませんが。
馬(戦闘馬)の産地も各地に存在し、名馬を産出したことは、誉れであるようでした。
特徴のある馬ですら、2~3箇所、ありふれた毛並みだと、笑えるくらいの数の生産地、終焉の地の名乗りがありました。
優れた馬の概念もあったと思いますし、馬の取引、掛け合わせは、お金を生むこともあったと思っています。
山内一豊の馬揃えに名馬を出したエピソードも馬がステータスであったことを物語ります。
優れた馬は、存在し、各リーダーの戦闘馬として、まかなう数くらいは、存在したと思っています。
騎馬軍団については、不勉強なので、口を控えます。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。生月、磨墨とはどの辺だったのでしょう。調べてみます。一豊のエピソードからしても軍馬として馬を産出していた地域(馬市が立つぐらいだったので)があったのは確かだったのでしょうね。重ねての回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/26 15:38

明治にはいっても日本の騎兵の馬は去勢していませんでした。

その結果、気性が荒くまともに隊列も組めず、ロシアから牝馬を放たれると勝手についていくしで世界中の軍隊から「日本はまともな馬を持っていない」と笑われました。モンゴル人ですら、一つのグループのオスは一頭だけをのこして全て去勢しその一頭もたてがみを切らずにすぐわかるようにしました。気性が荒いので滅多に乗ることはありません。
日本の武士は去勢しない気の荒い馬を乗ることを誇りとしていました。
馬自身、相手に乗りかかる武器として使ったわけですが、そのような理由で細かい制御などできるとは思いません。戦場で鉄砲や怒鳴り声がとびかうなか馬は半狂乱になって真っ直ぐ進むだけ、乗り手は大まかな方向に馬を誘導でき、落馬しなければそれで十分だったと思います。
そのようなわけで規制の取れた騎馬軍団などできようもなく、徒歩の足軽と武士の中にちらほら馬に乗った武士がいる程度でした。
逆に農耕馬はおとなしく百姓でも制御できるものでなくてはなりませんから
牝馬が多かったでしょう。しかし、農耕馬をそのまま戦闘馬に使ったかというとこれはないと思います。農耕馬は鍬やろくをつけ人が横について引っ張って誘導し走る事はありませんが、戦闘馬は人が乗り走り回ります。とくに乗用馬の制御に関しては乗り手の脚で誘導ができなければ使い物になりません。これは調教しなくてはだめで「種」そのものを農耕馬から戦闘馬に改良すると言う事は無く同一品種のなかで調教によって戦闘馬をつくったと考えるべきでしょう。日本の馬文化は先に述べたように去勢も知らず、ましてや交配の技術などもありませんでした。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。別の視点からの回答勉強になりました。
日本の馬文化は遅れていたのですね。たしかにモンゴルあたりだと遊牧民と重なって優れた技術がありそうですものね。
いわゆる荒馬を乗りこなす、これこそは武士の誉れだったのでしょう。いまで言うフェラーリ(跳ね馬)の大馬力を使いこなす。そんなところでしょうか。おっしゃるとおり、鉄砲の音は馬を制御する上では邪魔なものですね。戦国期では銃声で敵を脅すのも銃の使い道である、と聞いたことがあります。ありがとうございます。

お礼日時:2007/05/26 15:34

源平の頃、モンゴル種の馬が日本に入ってきたらしいのですが、気性は、荒くても、大きさは、馬高が、10センチと、上がらず、130センチほどだそうです。


鵯越えは、私たちの感覚では、かっこいい奇襲ですが、背後から、いきなり敵を襲うのは、当時の感覚では、卑怯極まりない作戦だったようですよ。
敵方の記録に載っていると、真実味のランクが上がるようです。
ずんぐりした、観光馬が重い馬車を引くように、馬は、力持ちです。
馬で、急坂を駆け下りる行事もありますし、その鵯越の現場は、断崖絶壁とは、遠い、急な斜面でした。
数百年で、地形が変わることは、ないと、思いますが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。モンゴル種ですか。でもやっぱり小さいですね。確かにスピードより馬力をもって役立っていたのでしょうね。私の質問での今までの回答は一つ目の「鵯越え」では肯定回答が多く、二つ目の「武田騎馬軍団」では否定回答、もしくはごく一部存在回答がありました。馬を戦闘に使う、と言ってもどう使っていたのかまでは想像にまかせるのしかないのでしょうか。どちらにしろ、やはり映画やドラマのように「颯爽と」とはいかなかったのは確かなようですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/24 22:01

こんにちは。


当時の日本の馬はおっしゃるようにサラブレッドじゃなく、小さな馬でした。

多くの武将が普段は農耕用の馬を合戦時には農民兵士と一緒に徴用してたようですが、甲斐、木曽、南部など、xx駒として知られる地域では、牧場が発達し、馬の産地だった関係上、馬は豊富なので合戦用に騎馬を生産する事が行われていたようです。

#農耕用と同種ですが、育て方の違い、訓練などは行われていたみたいです。

また、牧場で騎馬生産に従事する家では、当然、馬を上手に乗る人が兵士として出征しますから、ある程度の騎馬軍団を組織する事も出来たようで、武田信玄などは、少数ではあるけど、強い騎馬隊を実際に持っていたようで、これによる機動で勝利した戦もちらほらとあるようですので、あながち「騎馬軍団などは無かった」ともいえないみたいです。

ちなみに、北条氏康の頃の北条の騎馬兵含有率?は10%程度、武田信玄で8%で、比率では北条の方が勝る事になってるようですので、武田騎馬軍団が有名なのは、量ではなくてやはり質によるものでしょう。

恐らく牧場出身部隊などを独自に将に付けて機動を行ったのではないかと思われます。

また奥羽地域では、雪が半端じゃない事などで独特の戦術が発達し、本州側とは少し違う戦術があった事などがあり、義経が特殊な戦法に長けていたのは、奥羽地域で幼少期を過ごした為である可能性が高いです。

馬が戦場を駆け巡る事の真偽ですが、日本のような平地の少ない地形、田んぼや畑が沢山ある場所では、現在のサラブレッドのような足の長い品種の方が走りにくく、簡単に骨折・放棄されてしまう事になります。

むしろ農耕用の馬をそれなりに調教して使った方が有効だったでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。う~んやはり農耕馬でしたか。たとえドラマや映画とは言え、馬を乗りこなせないと武士役は務まりませんものね。乗りこなせる、調教できれがこそ戦場に行ける。そうですね。
回答して下さったように、ある意味足腰強い農耕馬は日本の国土にマッチしていたのかも。道も相当悪かったようですし、田畑や川を渡ることも馬にさせていたならなおさら納得です。
<武田騎馬軍団が有名なのは、量ではなくてやはり質>
まったく存在しないのではないのですね。しかも北条氏の方が量が多かったとは。
奥羽地方や木曽で馬が丈夫に育つのも感じとしてはわかります。勉強になりました。

お礼日時:2007/05/24 21:50

重い鎧をつけた武士を乗せて国産馬が戦場を駆けていたのはたぶん事実でしょう。

平安時代から鎌倉時代にかけての事ですが。鵯越の逆落としも「おそらくかなり事実に近い」のでしょう。馬を大事に思った武者が、馬を抱えて降りたという描写がありますから。サラブレッドではそんな事あり得ませんが、国産馬なら不可能ではないでしょう。
この時代の戦争は騎馬武者が二騎敵味方で一騎打ちを行います。武器は弓箭。矢が尽きた場合は互いに「組み討ち」へと移行します。馬上では行えませんから、飛びかかって地面の上で鎧通しなどを使って決着をつける事になります。配下の徒武者は主人の手柄を横取りしない様に、旗や弼、予備の武具などを持って主人の周りに待機する事になります。

武田の騎馬軍団はフィクション。当時の編成では「騎馬のみの部隊」はなく、騎乗した武士にやはり鉄砲、槍、弓箭を備えた徒が随行します。

当時の織田軍が画期的だったのは鉄砲をたくさん運用した事ではなく、通常武田軍の様な「混成部隊」だったものを鉄砲足軽、槍足軽、弓足軽などで編成し足軽大将などに指揮させた事です。これによって部隊ごとに「目的に合わせた配置」が行えます。

長篠の戦いで武田が敗れたのは単に鉄砲どうこうではなく、挟撃にあって袋のネズミになっていたからです。織田軍到着までに落城させられなかったのが敗因といえるでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。ここまで皆さんの意見を読んで、あぁやっぱり、って感じでしたが、初の肯定回答ですね。でも馬を抱えるってよほど大事(貴重)だったのでしょうか。組み討ちに持ち込んで決着を付ける。結局最後はそうしていたのでしょうね。
<武田騎馬軍団はフィクション>
やっぱり戦国期の集団戦闘では無理があったのですね。部隊編成的なことを考案したのは織田氏だったんですか。かなり画期的といえますね。
勉強になりました。

お礼日時:2007/05/24 21:36

幕末に撮られた写真に馬にまたがる武士の写真があるのですが、そのお馬さんはすんごく小さくて、またがった武士の足がほとんどつきそうになっていました。

そして、当時の日本人の平均身長は150センチそこそこです。
だから、どうやらポニーよりヘタすると小さかったかもしれませんね。山梨県で、戦国時代当時の馬の骨が出土しましたが、ほぼポニー並みだったそうです。
そして戦国時代の宣教師(確かルイス・フロイスでよかったと思いますが確信が持てません)が「西洋の騎兵は馬に乗って戦うが、日本の騎兵は戦うときには馬からおりる」と記録しています。我々のイメージする映画やドラマで見るような武田騎馬軍団は完全なフィクションです。そもそも、戦国時代の軍制では、近代軍の騎兵のような騎馬隊のみで構成されるような部隊は存在しません。それは織田軍の鉄砲隊もそうで、あの長篠の合戦では、長篠に行かなかった軍勢からも鉄砲兵のみを抽出しました。そして合戦が終ったら彼らは原隊に戻されたのです。

源平合戦に至ってはその辺りの事情が資料として残っていないのでタイムマシーンが開発されない限りもうわかりません。そもそも、当時は一騎打ちが主流だったはずですから、これもまたドラマにあるみたいに軍勢が「わー」と激突する、というのも眉にツバをつけたほうがよさそうです。

これと逆なのがナポレオン時代の騎兵です。サラブレッドはだいたい体重が500キロくらいですが、ナポレオン時代の軍馬は800キロから1トン近く。今だと北海道のばんえい競馬の馬がこれに近いですが、なんかピンとこないですよね。私もばんえい競馬の馬って見たことないですし。で、800キロくらいの重さで大きさを考えると軽自動車が一番身近で大きさと重さが近いと思います。んでそれが40~50キロくらいで突っ込んでくるんですから、軽自動車が40キロくらいで向こうからやって来るのを当時の歩兵は待ち構えたのです。ちなみに、どうやって待ち構えたかというと、もう銃撃しても間に合わないですから、命令一下銃剣を付け(当時の銃剣は銃口にねじ込む方式なので銃剣つけたら射撃ができません)、恐怖心を和らげるため密集して、一番前の列がしゃがんで銃を構え、二番目の列が立って銃を構えて「槍ぶすま」を作って待ち構えます。向こうから軽自動車が集団で突っ込んでくるのを。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。150センチの体格の武士とポニーの組み合わせ。想像したら・・・。やはりフィクションなのか・・・少し残念というか。そもそも単一武具(騎馬)の隊は存在しなかった。これも残念。長篠の合戦の鉄砲3段撃ち、私も怪しいとは思っていました。でも騎馬隊もそうだったと言われると戦国ファン(?)の私としては寂しい気もします。ナポレオンの話、私なら「槍ぶすま」の後ろで逃げる用意します。

お礼日時:2007/05/24 21:24

ロバやポニーのような小型のがっしりした おウマさんだったみたいですね



木曽馬とか…

参考URL:http://web1.aaacafe.ne.jp/~yataro/sy-kisouma1.htm
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考HPも面白かったです。結構早く走れるので驚きました。が、足軽なら置いていかれる速度でもないですね。秀吉の中国大返しもこれなら着いて行けそうです(笑)
お馬さんってぴったりの表現です。

お礼日時:2007/05/24 21:16

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