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江戸時代には、現代のように掛け布団(かいまき)・敷布団を太陽光の下に干したのでしょうか。
イメージではずっとたたんでついたての裏にしまってある印象しかないのですが。
それともやはり打ち直し以外はじめじめした状態のままたたんでおいたのでしょうか?

どなたかお詳しい方、よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

土用干しの習慣は、江戸時代以前からありましたから、掛け布団や敷布団があれば、布団干しをしたと思いますね。



江戸時代の町民の生活習慣は、ほとんど記録に残っていないようですが、農民の生活は、名主・庄屋の日記でかなり知ることができます。
最近、読んだ成松佐恵子著『庄屋日記にみる江戸の世相と暮らし』に、関連する記述があります。
http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/book/239-shouy …

江戸時代後期、その庄屋の菩提寺である大きな催しがあった際、庄屋は寺にさらさ五布ふとん6枚、さらさ敷きふとん6枚ほか計20枚を貸し出しています。
この庄屋は質屋も兼ねているのですが、質草で圧倒的に多いのは袷・綿入・羽織(成松氏は絹ものと推定)などですが、なかにふとん2枚、ふとん3枚の記録があります。
質屋で借金するほど困窮した農民が所持していたとは驚きです。
この庄屋では、衣類、穀類、書類の虫干しを年中行事にしていますから、多分布団も陽に干したと思います。
夜着・かいまきは、厚手の衣類と変わりませんから、まちがいなく干したでしょうね。

ほかにも農民がふとんを所有していた例があります。
上野国伊勢崎の百姓・森村新蔵が西日本に旅したときの日記『西国見聞記』で、新蔵は主に旅籠屋や木賃宿に泊まっていますが、九州の農村では役人に斡旋してもらって百姓家に泊まっています。粗末な家に二人で泊まったが掛け蒲団は1枚しかなく蚤いっぱいで一人宿銭60文、蒲団代20文を支払っています。
しかし、野宿は一切せず、木賃宿や旅籠屋に泊まっています。

江戸時代後期の宿には布団がありましたから、布団を干したという記述は見当たりませんが、干したと思います。
ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

なるほど、土用干しの一環として布団も干したかもしれないということですね。
衣類の記述はあっても布団の記述がない事が気にかかりますが、布団も衣類と考えていたという可能性もありますね。

資料提供、どうもありがとうございました!

お礼日時:2007/06/07 14:12

中国から綿が輸入されたのは17世紀後半のことだから徳川家康のころはまだいまのような布団はありません。


江戸時代には国産のふとんが登場したということだが、座布団みたいなものです。一般庶民には手の届かない高級品で豊かな商人などはともかく、一般庶民は着ているものかぶるか、むしろやござに包(くるま)まって寝たのでしょう(^^)

ふとん干すどころか、布団持っていません。なので一般には干す習慣はなかったでしょう。
とある布団製造もとのページによれば綿打ち直しの技術は比較的初期から発達したということです。捨てるのでなく使い倒す工夫は科学的知識の勝利です。理屈はわからなくても動作は真似ること可能で干せば寝るのに快適、乾燥する、ダニの死骸やほこり払うことが出来ます。
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この回答へのお礼

布団は持っていたはずなのですが、干す習慣についての記述がみあたらず疑問に思いました。
やはり、干さずにいきなり打ち直しだったのでしょうか。
早速のご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/06/06 22:12

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