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 すべての少年犯罪がそうではありませんが、動機の背景にはとても悲しい同情すべき点もあるように感じます。
 みのものたのように「やったら死刑!」というのはストレートで正論であり、世間の風潮も「少年でも殺せ!」と言っているように感じます。
 私も親族・隣人を殺されたらそうなるでしょう。しかし、私が他人事と感じているからだと思いますが、俯瞰で見ている私からすると「少年の人生はあわれだな・・・」と思ってしまいます。
 
 たとえば、大阪で起きた姉妹殺害事件ですが、犯人の生い立ちは涙なしには読めません。父親の理不尽な行動と早すぎる死。それからなる貧困生活。母親の過度な干渉。頑張れと言われても結局生まれた環境で培われたいしづえがその後の人生を大きく左右するわけで、自立しても不安定な生活を強いられます。誰もが奇跡のような出世を頑張ればできるというわけでもありません。

 もちろん、被害者の殺され方も涙なしには読めないのですが。
 問題を解決するためには一体どうすればいいんでしょうかね?。
 やはり、どんなに生まれた環境が不遇でも悪いことは許されない!という姿勢だけで解決はされると皆さんはお考えでしょうか?

A 回答 (26件中11~20件)

>やはり、どんなに生まれた環境が不遇でも悪いことは許されない!という姿勢だけで解決はされると皆さんはお考えでしょうか?



はい、そうだと考えます。
よく考えてみてください。そうであれば生まれた環境が不遇であれば、みな犯罪者になるのですか?
そうであれば、同じ環境で立派に生きておられる大勢の方に対して失礼だと思いませんか?
そのような主張は同じ境遇の方への侮辱だと思います。

結局、罪を犯した本人の責任です。責任の一端を生い立ちに転嫁させて
罪一等減じようなんてことは許してはなりません。
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 悪いことをしたら罰せられる。

これが法治国家の原則であり、本来ここに一切の例外をも認めるべきではありません。
 ここに精神障害や泥酔による心身喪失状態だとか、未成年だとかという例外を設けるから話がややこしくなるのです(精神障害はまた別の微妙な問題ですが)。
 加害者側にも事情はあるでしょうが、被害者側にも事情はあるのです。
 貧乏だからといって泥棒が許されていては、世の中の貧乏人の多くが泥棒に走ってしまいます。
 少年に同情するのはかまいません。しかし犯罪を裁くことと、犯罪者の境遇に同情することは全く別のことなのです。
 幸せというのは金銭的な余裕などによって得られるものではなく、あくまで本人の心のあり方です。毎日食うや食わずの生活をしていても幸せに生きている人もいれば、裕福な生活を送りながらも幸せを感じられない人もいます。私からすれば本当にその少年に同情の余地があるのかどうかすらわかりません。
 どんな理由があろうと他人の権利を不当に奪う行為は罰せられなければなりませんし、その原則が無ければ私たちは安心して暮らすことが出来なくなる、ということだけは確かです。
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たしかに、不遇な環境で、生きていくために犯罪を犯す例はあります。


「食べ物や金を盗む」はこの範疇になります。

しかし、人を殺したり強姦をする行為は生きていくためのものではありませんね。
同情する余地は無い。
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不遇な家庭環境に育っても、逆境をバネに立派に育つ少年もいます。


要は少年自身の問題なのです。
努力しても報われない。だから犯罪を犯す。どうみてもおかしいロジックです。
最大の問題は、少年が『罪を犯しても、どうせ少年だから重い罪にはならないよ。日本の法律はそうなってるんだよ』と開き直って、犯罪を犯すことです。法律が改正されましたが、中学生が人を殺しても死刑になることはまずないですね。
中学や高校を“怠”学して、日中からゲーセンに入り浸り、友達の家で薬やシンナーをやったり、かつあげ、ひったくり、万引き、暴走族で調子こいて
走ったりする・・・明らかに常識がなく脱法行為を何とも思わない。
こういう輩を、家庭環境のせいだとかでくくってしまうのはおかしい考えです。
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こう考えるとどうでしょう。



少年Aはとてもつらい境遇を過ごしてきた。
「大変だったね。じゃ、誰か一人殺していいよ。」

ぞっとしませんか?
入力しながら私がぞっとしてしまいました。

他人を傷つけるくらいなら自分を傷つければ・・・
という事にもなりませんが、そんな人も多いのではないでしょうか。
(自殺、自傷行為、など)
不幸な生い立ちだからって、犯罪に向かう理由にはならないと思います。
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理由はどうあれ犯罪を犯したことに変わりはありません。


人は生きてる限り誰でも辛い思いをし生きています。
「私は辛いんだから何をしてもいい」という考えは
理解できません。少年であろうがなかろうが立派な殺人者です。
質問者さんは性善説を信じてるようですが世の中には
三つ子の魂百までと言う様に更正出来ない人もいるのです。
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>どんなに生まれた環境が不遇でも悪いことは許されない!という姿勢だけで解決はされると皆さんはお考えでしょうか?



“許されない!という姿勢だけ”というご発言ですが、だれかそのような“姿勢だけで挑むべきだ”
などという主張をする方がいるのでしょうか?
私は
“そのような姿勢をとる事も考慮に入れて”
行動すべきだと思いますしそういった主張を多く聞きます。

>どんなに生まれた環境が不遇でも悪いことは許されない!
許される悪い事と許されない悪い事があります、例えばNo.6の方が触れた山口母子殺害事件は許されない事だと思います。
涙抜きでは語れない人生を送ればどれほど卑劣な悪事を行っても余人ならば受けるであろう死刑が免除されるという意見には全く賛同できません。
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犯人がどんな劣悪な環境で育ってきたとしても、被害者、遺族にとってはまったく関係ありません。



犯罪を犯した後にどんな言い訳をしようが、被害者、遺族にとってはまったく関係ありません。

人を殺した犯人はどんな理由があろうが命をもって購う、つまり死刑に処するべきだと思います。でないと被害者や遺族が浮かばれないと思います。

光市の殺人犯を弁護する21人の弁護士達も良識ある弁護士とはとても思えません。裁判であの犯人に極刑が下ることを願います。
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日本刑法の基本理念は「性善説」ですね


ですから、罰を与えるよりも、刑務所生活を
通じて更生させることが優先されます
しかしながら、これっておかしいですね
更生するかどうかは個人責任です
更生したと判定できる人は釈放し、
そうでない人は終身刑務所でいいと思います
少年だからといって刑を軽くする必用はありません
たとえ14歳でも死刑や50年懲役でも罰を与えるべきです

しりあいで、
悲惨な家庭ながらも、社長になったり、夜学へ行って
その後に特許で大金持ちになったとかいろいろと
立派な人物がいます
家庭環境などは、同情・減刑の要素に入れてはいけません
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#6です。


訂正します。「夫なら犯人を殺します。」→「夫なら犯人を殺して自決します。」
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