No.5ベストアンサー
- 回答日時:
前にも挙げた例ですが、
(1)「金がすべての世の中。」
これと、
(2)「だしが決め手のだし」
とは、構造が同じだと思います。(単純化するために「やさしい」は省略しました。)
(1)は辞書にも載っていて(下記URL参照)、一応、巷間よく使われている表現であるといえます(規範文法的に見て可か否かは、まだ保留しておきましょう)。(1)は慣用句とは思えないので、同じ構造を持った(2)も使うことが可能だといえるでしょう。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …
まず、”「名詞+の」を述語と考える”ことの可否について考察するしましょう。
結論を先に言えば、「名詞+の」も述語になることはあります。ただし、それは体言代用(準体助詞)の「の」に限られますが。
例「それはだれのですか。」「この本はぼくのだ。」
しかし、(1)・(2)両方の「の」は明らかに連体格であり、「金がすべて」「だしが決め手」の全体を承けて下の体言(世の中・だし)に係っています。
しかし、ここで注意していただきたいのは、私も#1の方も、
「だしが」という部分の主語に対する部分の述語が「決め手の」としてはいない点です。「だしが」に対する述語はあくまでも「決め手」です。(この点は、学校文法(橋本文法)に立って述べてはいません。時枝文法の入れ子型構造説によっています。右文の「現代日本語の文法」256ページをご覧ください。すでに、問題が学校文法の枠を大きく超えていると考えるからです。下記参照。)
以下、ややからめてからの説明になりますが……。
橋本文法(文節至上主義)によれば、「だしが」「決め手の」という、文節単位でしか成分(言葉の構造)を考えられませんが、それは便利である一方、実際の言葉の構造を記述するのには向かない点もあります。例えば、
(3)梅の花が咲いた。
橋本文法では、「梅の」という連体修飾語が「花が」に係り、全体で「梅の花が」という主部になっていると考えます。連文節として「梅の花が」を一体のものと考えれば、何の問題も出てきませんが、実際の構造を考えると、「梅の」が「花が」に係るととらえるより、「梅の花」という概念に「が」が付いているととらえた方がより正確であるといえます。同様に、「咲いた」も述語としてひとくくりにするより、「梅の花が咲い」という概念を叙述としてまっとうしているのが「た」だ、と考えた方が客観的に見て正しい。
ただ、中学校で教える(学ぶ)レベルでは、橋本文法に立って「梅の」「花が」「咲いた」に分けても、時枝文法とはさほど大きな齟齬を来しません。それは、上で少し触れたように、連文節概念を導入して、「梅の花が」という主部と、「咲いた」という述語に構造分析することで、文節論の不備を補っているからです。
しかし、今回の「だしが決め手の旨み」の分析にあたっては、橋本文法に立って「だしが」に対する述語は「決め手の」という文節だ、ととらえていたのでは、真実には迫れません。「出しが決め手」というまとまった内容を、連体格の「の」がまとめてさらに下接していく、というように考えなければなりません。それは、(1)の「金がすべての世の中。」の場合も同じです。「金が」が主語であることは確かです。その述語は「すべて」。「金がすべて」というまとまった内容を体言化して「世の中」という体言とつないでいるのが「の」です。
また、「玄関が大きな家。」「あの、顔の小さなのが私の妹です。」の「大きな」「小さな」(連体詞)のように、用言以外の語も部分の述語にはなることがあります。(1)の「金がすべて」や「(2)の「だしが決め手」も、部分の主述の関係で、あるまとまった意味を表していると考えてもいいのではないでしょうか。(1)も(2)も述語(すべて・決め手)が体言ですが、文型としては「何は-何だ」型ではなく、「何は-どんなだ」になると考えます。
「の」の意味ですが、(1)の場合は「~である」、(2)の場合は「~となっている」ということでしょう。文法的には、「体言について、その体言が後続の体言の属性(性質・性格・状態)にあたることを示す。」(「現代語の助詞・助動詞-用法と実例-」第三版 昭和35年 国立国語研究所)にあたります。
なお、
「かつおと昆布のだしが」 →主部
「決め手のやさしい旨みです」→述部
という分析はありえないと考えます。「決め手の」が意味的に浮いてしまいます。(「決め手」は普通、「~の決め手」という使い方しかしないと思います。)また、これでは、主述の骨格が「だしが-旨みです。」になってしまいます。文法的にはともかく、意味的に変ではないでしょうか。
上に述べた私の考えが正しいか(適当か)どうかは別にして(かなり牽強付会であると自覚しています。)、
「かつおと昆布のだしが」 →主部
「決め手のやさしい旨みです」→述部
ではありえないと思いますが。いかがでしょうか。
(これ以上書くと、マナー違反(議論の禁止)で削除されてしまうので自制します。)
念のため、連文節で示せば(直接構成成分ではない)、
「かつおと昆布のだしが(部分の主部)決め手(部分の述語)の(前出部全体をまとめる連体格)+やさしい(連体修飾語)旨みです(述語)。」となるでしょう。「~の」は、「やさしい旨み(です)」に係っています。(ただ「やさしい」を「旨み(です)」と切り離せると考えられなくもありません。しかし、連体修飾語には違いがないので、結局、被修飾語に係ることで、成分としては既出のように全体で一成分(述部のみ)ということになります。)
学校文法でどう考えるか、というご質問に対しては、「学校文法では説明できない」とお答えするしかありません。入試で実際にこんな難問が出ることはありません(文法について何にも知らない教師が間違って出すことはありえますが)。例年、文法の難問を出すのはラ・サールと東大寺ですが、それでもたかが知れています。
ラ・サールの場合は、毎年、先生が自作の評論を書いて、その読解問題という形で出題します(ご存じでしょうが)。よって、教科書レベルの知識と読解力があれば解ける問題です。学校文法を逸脱したとしても、前後の文脈(説明)から答えを絞れるようになっています。
東大寺の場合、私が記憶している範囲で最も難しかったのは、文脈から「ゆっくりする」という語形を、「副詞+する」と「サ変動詞」のどちらと識別するか、というものでした。こちらは、学校文法の枠を超えることはありません。
しかし、
(1)かつおと昆布のだしが決め手のやさしい旨みです。
学校文法に従って、(1)の文節の働き、文の成分を分析するとどうなりますか?
という問題、どこにあったのですか?
回答ありがとうございました。だんだんとすっきりしてきました。質問してよかったと思っております。
(1)kyouzaiya-kさん、Parismadamさんも「~だしが→主部」、「決め手の→述語」と考えていない。これは私の誤読でした。申し訳ないです。
(2)「~だしが→主部」、「決め手の→述語」と考えていては、分析は難しい。
(3)[「~だしが決め手」 の ] →うまみです。
[「部分の主部+部分の述語」+ 格助詞]
という構造になっている。入れ子型構造である。
(4)「の」は「体言について、その体言が後続の体言の属性(性質・性格・状態)にあたることを示す。」この「の」の用法はとても興味深かったです。
(5)例文は、学校文法では、分析できない。
(6)この問題は、学校の先生からの宿題だそうです。解答は、まだ聞いてないです。もし解答が提示されたら、ご報告します。
またよろしくお願いします。
No.4
- 回答日時:
私は学校文法の細かい決まりについてはあまり知らないのですが、参考になれば良いと思ったので、回答させてもらいます。
結論から言うと、「旨みのだし」が不自然で「だしの旨み」が自然だという考えなら、「かつおと昆布のだしが決め手のやさしい旨みです。」という文は不自然です。その考えの場合、「かつおと昆布の旨みが決め手のやさしいだしです。」という文が自然です。
No.1のParismadamさんとNo.3のkyouzaiya-kさんがした文節同士の係り受けの分析(=分析1)も、No.2のANASTASIAKさんがした文節同士の係り受けの分析(=分析2)も、「だしが決め手の旨み」の解釈が大切な部分だと思います。
分析1は「決め手」が「だし」の述語であるという分析です。
結論から言うと、それはつまり「旨みのだしが決め手である」ということです。
例:「鼻が長い象」→「象の鼻が長い」 「お父さんが教師である太郎」→「太郎のお父さんが教師である」
そして、「旨みのだし」は不自然で「だしの旨み」が自然だと私は思うので、最初は私も分析1の考えでしたが、分析1は不自然だと考えています。
分析2は「旨み」が「だし」の述語で、「決め手」が「旨み」の述語であるという分析です。つまり、「だしが旨み」と「旨みが決め手」とを表しています。
私は「だしが旨み」は不自然だと思うので分析2も不自然だと考えているのですが、「だしが旨み」が自然だと考えるなら分析2は自然です。
何かの参考になれば嬉しいです。
回答ありがとうございました。そもそも、前提となる文が間違っている可能性があるということですね。
文を変形させて、分析するというのは、とても興味深く、参考になりました。読んでいると、分析1も分析2も両方、許容されるのではないかと思えてきました。
もう一度、よく考えたいと思います。
No.3
- 回答日時:
学校文法では、ほぼ#1の方のおっしゃるとおりであると考えます。
>この文には主部はありません。全て述部になります。
主部がない、というのは確かです。すべて述部、といえるかどうかは微妙です(「これが」という主語が隠れているとすれば、(1)のすべてが述部といっていいでしょう。)
連文節でいえば、これも#1の方のおっしゃるとおり、
「かつおと昆布のだしが決め手の」という連体修飾部が、「やさしい旨み」という体言を中心とした成分に係っています。つまり、成分的には「かつおと昆布のだしが決め手のやさしい旨みです。」で一つの連文節になっているわけです。
ポイントは「だしが決め手の」の部分ですが、これは、「金がすべての」という言い方と同じ構造であると考えます。文節相互の関係は確かに「だしが-主語」→「決め手-述語」でしょう(※)が、そもそも、その述語にあたる「決め手」に連体格の「の」が付いて更に下に係っていくので、「だしが」と「決め手」の間に切れ目を入れ、ここで二つの成分(文を直接構成している成分)に分けることはできません。
※「決め手」や他例に挙げた「すべて」が叙述性を持つか、またそれに格助詞「の」がついた形をどうとらえるかは、非常な難問です(※※)。期限なしの課題とさせてください(誠に勝手ながら)。
※※「非常な難問だ」か「非常に難問だ。」、これも難問です。「難問」は体言なので「非常な」の方が適切であるというのが学校文法です。それは確かですが(「難問な」という形はないので、「難問だ」は形容動詞ではあり得ない)、この場合の「難問だ」は、述語の形で言うところの「-何だ」ととれると同時に、「-どんなだ」ともとれるからです。なぜか。「難問」が「難しい問題」の意であり、「非常に」はその「難しい」に係っていると(かなり牽強付会ですが)考えられるからです。…だいぶわき道にそれました。すみません。
今日、「現代日本語の文法」を入手しました。我が意を得たりという点(補助形容詞には「ない」以外に「ほしい」「よい」などもあるという点)もあれば、首をかしげたくなる点(肝心な文の成分に関して述べたところ)もあるのですが、まだざっと目を通しただけなので、このことについても、今日は、触れません。
最後に、前回のご質問に関して。
>「光村の考えでは、偏や旁などは、漢字のどの位置にあたるかを示す概念に過ぎません」とあります。
これは、つぎのようなことと等価ですか?
たとえば、「伸」の人偏は、「伸」が漢字の中の、部首であるところの人部に所属するということを示す。
全く違います(逆です)。私が言いたかったのは、
…光村では、「伸」の部首は「人」である。「伸」の場合、たまたま部首である「人」が偏の位置にあって、人偏となっているに過ぎない。つまり、「伸」は、人偏という偏と「申」という旁でできている。そのこと(どういう部分が組み合わさって「伸」という一つの漢字になっているかということ=漢字の組み立て)と部首とは、直接関係がない。言えるのは偏である人偏が、部首である「人」が偏になった形であるということだけである、
ということです。
別の例を挙げてみましょう。
「初」…この字は、偏が「衣偏」で、旁が「刀」です。部首は、多くの辞書では「刀」です。
本屋でガイド類を見たところ、”朋友”は、光村版も、全く他社の説に則って執筆していました。”文理”では、光村の教科書に忠実でした。”光村”では要領を得ず、何が何だかよくわかりませんでした。
毎回、丁寧な回答ありがとうございます。
私も最初は、Parismadamさんやkyouzaiya-kさんのおっしゃるとおり、
かつおと 昆布の だしが 決めての やさしい 旨みです。
連文節 主部 述語 修飾語 述語
成分 述部
と分析しました。しかしお二人がご指摘のように、「決め手の」というところで、混乱してしまいました。
というのも、文法書や文法辞典などには、「名詞+の」を述語と考えるとは書いていなかったので、「決めての」を述語と考える事が出来るのだろうかという疑問があったからです。
学校では、どのように教えているのでしょうか?
「決め手[であるところ]の」のように、省略と考えるのが妥当なのでしょうか?
No.2
- 回答日時:
「かつおと昆布のだしが」 →主部
「決め手のやさしい旨みです」→述部
でよいです。
最小構造は、
だしが(主)......旨みです(述)
英文法でいえば、主格補語の第二文型です。
回答ありがとうございました。
また、質問なのですが、お時間があれば、ご教授ください。
「だしが」という文節は、「決め手の」という文節の主語であり、そして「~だしが決め手の」が「やさしい旨みです」にかかっていくと考えられないでしょうか。つまり
[かつおと昆布のだしが決め手の]
↓
[やさしい旨みです]
という構造です。もしこのような構造は許容されないならば、どのような根拠が考えられるでしょうか?
No.1
- 回答日時:
こんにちは。
この文には主部はありません。全て述部になります。主部は強いて探せば、「これは」「この味は」といった主語になりますが、これらが省略されたものです。
この文は述部だけですが、従属文と主文に分かれた複文になっています。
文を下記のように分解します。
1.
かつおと昆布のだしが決め手の:全体で「やさしい旨み」という名詞句を修飾している連体修飾語になっています。
やさしい旨み:述部の核になる名詞句です。「やさしい」は形容詞として名詞「旨み」を修飾する連体修飾語です。
です:述部の助動詞です。
2.
かつおと昆布のだしが決め手:複文の従属文になっています。「かつおと昆布のだしが」
が主語、「決め手」が述語になっています。助動詞「です」「だ」などが省略されたものです。
かつおと昆布の:後の名詞「だし」を修飾する連体修飾語です。
決め手:「決め手である」「決め手だ」というのが、正しい文になります。ここでは、名
詞節「かつおと昆布のだしが決め手の」と、名詞句「やさしい旨み」をつなぐ働きをする格助詞「の」に接続するため、「です」「だ」といった助動詞が省略されているのです。
以上ご参考までに。
毎回、回答ありがとうございます。参考にさせていただいております。
かつおと 昆布の だしが 決め手の やさしい 旨みです。
連文節 主部 述語 修飾語 述語
成分 述部
という分析は、とてもわかりやすいのですが、No2のkyouaiya-kがご指摘のとおり、「決め手の」という文節の扱いに苦慮しています。
「決め手の」は、述語であり、「決め手である+の」の「である」が省略されているということなのですが、学校文法で「名詞+の」が述語になると説明していいのかわかりません。
また「だしが決め手である~旨みです」と「だしが決め手の~旨みです」
「私が小学生のとき」と「私が小学生だったとき」
のように、最小対立的な表現があるとすれば、省略といってしまっていいのかという思いもあります。
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