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清の雍正帝時代から始まった一条鞭法っていつまで続いていたのでしょうか?教えてください!

A 回答 (2件)

地丁銀の地は土地税、丁は人頭税、銀は銀納を表します。


これらを合併して銀で払う、銀経済推進のための施策のようです。
明代後期に制定された一条鞭法も趣旨は同じで、銀納化を徹底させたという事ですか。

低所得者には重税になったと言われています。
例えば使役で払うほうが、金持ちと同額の銀納より良いと云うような、ことでしょうか。
地丁銀法は清の滅亡と同時に消えたと思います。
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一条鞭法が始まったのは明代後期ではありませんか?



形式的に「一条鞭法」という名の制度が存続した期間が問われるならば明の滅亡までということになります。
ですが、「税をまとめて銀で支払う」という趣旨の制度は清にも受け継がれています。そういう意味では一条鞭法は存続していたことになります。清の末期のどこかで廃止されているか、最後まで続いていたかまでは私にもちょっとわかりません。

この回答への補足

すいません。「地丁銀制」でした。

もしよろしければ、地丁銀制についても教えてください!

補足日時:2007/07/05 20:45
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