
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
Wikipediaの記事の内容からは正しい推論と判断のように思えます。
しかしそれでは野坂の平和革命論から武装路線への変更の説明がつきませんからね。所感派は一度はコミンフォルムの批判を受け入れませんでした。しかしNo.1にありますように、すぐに受け入れてしまいます。だからといってすぐに国際派と和解しないところが面白いですね。
所感派がコミンフォルムの批判を受容したことの傍証として、その後に徳田や野坂が中国に亡命したことが挙げられます。批判を受け入れなければ、海外には飛べなかったはずです。
余談ですが、スターリンは朝鮮戦争が近いことを知っていました。そして米軍の基地になっている日本において撹乱を起こさせたく思いました。それには平和革命論は余計なものだったのです。そこでコミンフォルムは平和革命論を批判したのです。
参考URL:http://www.kitanet.ne.jp/~takashi/1bu-kyou/1bu-k …
No.1
- 回答日時:
所感派も、ソ連・中国からの批判を受容してます。
http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/khronika/1950/ …
党派の名前はいいかげんですからね。
ボリシェビキ(=多数派)ってのも強引な自称ですから
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%AA% …
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