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タイトルそのままですが、幼名があり、その後、名を改めるといった風習というか制度というか、そのようなものはいつ頃まで続いていたものなのですか?
 少なくとも明治の人には幼名を持つ人がいたことまでは分かるのですが、いつまであったのかは分かりません。
 ご存知の方、お願いします.

A 回答 (4件)

ちなみに現在は、代々襲名が続いている場合に限り、先代が亡くなれば跡取が家裁に申し立ての上、改名できるそうです。

そういう意味では細々ながらも現在も幼名は残っています。みんな長生きする時代なので、襲名したときにはいいトシですけど。
2,3事例を知っています。

今は原則として戸籍名が一生を通じての名になりますから、改名の機会がなくなったのが、幼名のすたれた一番の理由でしょうね。
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ウチの家は、代々当主が「吉右衛門」です。


祖父は、幼名吉太郎、家を継ぐにあたり、吉右衛門にしたようです。
戦死した長男である伯父が、幼名吉郎でした。
私の父は、今は家を継いでいますが、元々長男ではありませんから
幼名にも「吉」の字は含まれていません。
伯父が戦死して、後継ぎになったとき、父の名前を改名しませんでした。
というより、新民法では改名が容易ではなくなったので、変えることもできない?

それでも、ウチの家は子供が生まれると、氏神様に名づけ親になってもらい
長男には吉の名を入れるようになっているらしいのですが・・・
次の代の弟の子供には、もうそんなことは通用しないのでしょうねぇ。
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幼名と元服名の存在理由はよく判りませんが、古くから「七歳までは神の内」として、氏子入りするのが7歳からであったことや、娘衆・若者衆に参加するのが13歳~15歳くらいであったことに原型があると思います。



つまり、完全な親族の監督下から社会生活へデビューするにあたって、親族の中でだけ使われる呼び名から社会人として対外的な名前に変えたと言う習慣からでしょう。

もちろん、武家社会ではそれに加えて次男坊以下は元服時に他家に養子に行くことも少なくなかったので、それも影響したのではないかと思います。

武家社会の女性の場合、嫁入り時に名前を変えることも良くありましたしね。

しかし、近年になり一生を通じての戸籍に名前を登録することから、その流れはかえって邪魔になったのでしょうね。

その後について、通名と言う形で残った幼名・元服名の習慣も、子供自身が幼稚園など比較的低年齢から社会性のある場所に出るようになったため、「生まれたときから元服名」と言う形になり廃れたのだと思います。

もちろん、西洋的な「子供は小さな大人」と言う感覚が
影響したであろうことは想像に難くありません。
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戸籍制度との関係もありますが、いわゆる幼名と元服名は昭和の初期まで使われていたようです。



元服名ではありませんが、今でも芸名の襲名制度や、商人が主となったときに名前を襲名する制度は残っていますね。

昔の商人の名前は階級制度のようなモノです。

(丁稚)源吉→(手代)源七→(番頭)源八→(大番頭)源助→(主)源右衛門

のように変わりました。

この回答への補足

なるほど、そういえば現代にそういった例がありますね。
あわせて、何故一般の人にあったはずのこの幼名を名乗り、改名するといった
流れが廃れてしまったのか、戸籍制度と関連するならそのあたりをもう少し詳しくお願いします。

補足日時:2002/07/22 21:43
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