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最近、明治維新近辺に凝っています。
個性豊かな登場人物が多いですね。
そこで皆さんのご意見をお聞きしたいのですが、幕末の志士で最も活躍した人は誰だと思いますか?
人物とその理由をお聞かせ下さい。

A 回答 (19件中1~10件)

高杉晋作でしょう。


彼がいなかったら長州藩の腰は定まらず、薩長同盟もどうなっていたか。
そうなると龍馬も西郷も、これほどの活躍は残せなかったかも。
藩論統一の為に、無謀としか思えない決起をした時の「これから長州人の肝っ玉をおみせします」の台詞はしびれます。
また、日本国内に植民地が存在したかもしれず、それを防いだのは晋作です。
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個人ではありませんが、水戸藩だと思います。

藩内で、分裂してしまい歴史的には表舞台には出てきません。しかし、明治維新の思想的支柱となった吉田松陰の思想が「水戸学」をバックボーンに構築されていることは、あまり知られていません。
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「会津藩」ですかねぇ…人物ではくくれませんね。


白虎隊を始め最後の最後まで徳川を信じた忠誠心「幕末」を語るうえで欠かせない存在です。
何度訪れても、何度本を読み返してみても胸がつまるおもいをします。
西郷頼母、神保修理、中野竹子なんて調べてみるといいですよ
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明治維新近辺は興味があります。


私は新撰組と西郷隆盛を挙げたいです。
新撰組(近藤勇・土方歳三など)、松平容保・定敬は幕末にはなくてはならない人物です。彼らのおかげで倒幕派が結束し本懐を遂げることが出来ました。
また彼らのおかげで「幕府方の膿」が明らかになりを取り除くことができたのは言うまでもありません。
また西郷隆盛の功績も称えたいと思います。
西郷は倒幕派の先頭にたって結束を強化しました。
また明治維新後の不平武士を束ねて見事に撃沈してくれました。
彼らの犠牲があってこそ今日の近代国家民主主義がなりたったのではないでしょうか。
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「志士」とは、いえないですが・・


私は「岩崎弥太郎」とか、「渋沢栄一」ですね。
彼らは、経済の観点から、明治新政府を支えています。
新政府の、富国強兵政策には、「お金」が絶対必要ですが、これを実質的に担った人たちです。
岩崎は、三菱の母胎を作ります。龍馬よりも、もっと階級の低い人ですが、
商才はかなりのものです。龍馬亡き後、海援隊を、上手く使って成功しました。
(だから、三菱は、長崎・神戸といった、海援隊=龍馬の臭いの強い所に、地盤があります)

渋沢は、第一勧銀の前の第一銀行を作った人で、岩崎より、もっと、新政府の中枢で、日本経済の土台を創り上げた人と言っても良いでしょう。
(彼の経済論を説いた著書は、未だに読まれています)

ということで、政治側の観点だけでなく、経済の側から、明治維新を成し遂げた人たちを、推します。
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この回答へのお礼

両名とも名前くらいしか知らないのですが、面白そうですね。
ちょっと調べてみます。
有難うございました!

お礼日時:2002/07/31 08:56

私は孝明天皇を推します。


孝明天皇が、黒船来航以来、幕府の政策に対して、自分の意見を押し通す意志を持った天皇であったからこそ、天皇を旗頭として、勤王の志士なる者達が暗躍できたのだと言えるからです。
調べてみると魅力ある人ですよ。
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この回答へのお礼

なるほど。孝明天皇ですか。
全くノーマークでしたね(笑)。
ちょっと調べてみます。
ご回答有難うございました!

お礼日時:2002/07/31 08:56

多分、一般的な「人気」では、竜馬や西郷等なんかが特別でしょう。


しかし、私が思うには、吉田松陰先生だと思いますね。なぜ「先生」かといいますと、山口県、中でも萩の人々の多くは、今でも、こう呼んでいるらしいのです。
松陰は、維新の急先鋒=長州藩に多大な影響を与えた。しかし、若くして安政の大獄で死罪となってしまった。(幕府に害となる先進的思想を有したため)
直接に教えを請うてない人でも、藩に松陰のイデオロギーは残っており、その倒幕の精神こそを長州が一貫して持ちつづけ、革命に貢献したといえると思われる。
明治政府の要人には圧倒的に長州人が多かったが、彼らには神のような存在だったらしい。
また、小学校の銅像でおなじみの二ノ宮尊徳も、始めの選考では、松陰が勤勉の士ということで名前があったが、教育の観点から、「罪人」になった松陰は、却下された。
また、朝鮮や中国に出兵した軍部も長州人が多いが、彼らも事ある毎に、日本の偉人「吉田先生」と詠っていたらしい、そのイメージが、今日に至っては、余り日本人が松陰を語らなくなった、原因のひとつと思われる。
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この回答へのお礼

吉田松陰いいですね。
彼の辞世の句は忘れられません。
「たとえ身は武蔵の野辺に朽ちぬとも 留めおかまし大和魂」
彼のこの精神が長州の志士たちを育てたとも言えますよね。

お礼日時:2002/07/28 10:41

ここは松平容保でしょう!


会津藩主です。

京都の守護職を幕府に命じられ(それも会津藩のことを思えば何度も断ったのが真相です)、遠く異国の地に会津藩兵を従い職務をまっとうしました。
また新撰組を雇ったのは周知の事実です。
その為、薩長の反感をモロに買い、賊軍の汚名を着せられました。

戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟の中心となり、最後は篭城戦を繰り広げました。また、白虎隊は全国的にも有名です。

「勝てば官軍。負ければ賊軍」
この言葉は当時の松平容保の微妙な立場を良く言い表しています。

知れば知るほど面白いのが、会津藩です。
当時の武士道にも触れることが出来ます。

歴史の狭間で犠牲となったというところでしょうか。
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この回答へのお礼

松平容保ですか。勉強不足で彼の事はあまり知らないんですが、なるほど、非常に興味深い人物ですね。
ちょっと調べてみます。
有難うございました!

お礼日時:2002/07/27 10:48

地味ですが、大久保利通が好きだったりします。

陰謀を張り巡らせるイメージが強いですが、明治になってからは身を粉にして国のために働いた理想の政治家だからです。

暗殺されなければ日本がどう変わったか非常に興味がありますね。もっと評価されてもいいと思いますけどね。
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この回答へのお礼

確かに、派手で目立つ人は他にたくさんいますが、実質的に黙々とやるべき事をやったという感じの大久保利通は貢献度が高そうですよね。
有難うございました!

お礼日時:2002/07/27 10:47

私も明治維新は面白いです。



私は勝海舟です。なんか最終的に負けた側に惹かれてしまうというか・・・
明治維新は、薩長の力だけでなく幕府内における海舟のような人の影響も大きいと思います。江戸無血開城はその顕著な例だと思ってます。
彼は、幕府の中で、幕藩体制がもう役に立たない組織であることを良く理解していて内部から改革、もしくは幕府を越えた組織作りを考え続けてた人だと思います。したがって、慶喜将軍との対立もあったようですし・・・。
しかし、最終的には徳川家への愛着、忠誠心を捨てきれなかったってかんじですよね。なんか、そういうところに惹かれてしまいます。立場は違いますが、西郷隆盛も似たようなにおいを感じます。維新を押し進めたのに、最終的には武士中心の旧体制を捨てきれずに西南戦争に突入してしまう。江戸無血開城の立て役者二人は大好きです。
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この回答へのお礼

なるほど~。勝海舟と西郷隆盛は類似点がありますね~。
面白い切り口です。
ご回答有難うございました!

お礼日時:2002/07/27 10:46

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