
戦国期の戦闘時の陣形と部隊について教えてください。いろいろな陣形があるようですが、
1・これは武器別でも当てはまるのでしょうか?つまり槍隊や鉄砲隊、弓隊の区別で決まってくるのでしょうか?
2・状況によって変えていたのでしょうか?変えていたとすると鳴り物で合図(指揮)するのでしょうか?他の部隊との区別や敵味方の区別の場合、鳴り物では混乱するのでは?逆に鳴り物でないとするとどうやって合図(指揮)していたのでしょうか?
3・投石隊というのは槍や弓同様、部隊として存在していたのでしょうか?合戦開始時は投石で始まると何かの本で見たような気がしますが?
個別回答でもかまいません。よろしくお願いします。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
陣形というような整然としたものは特殊な武将しかとらなかったようです。
大体に種々雑多な部隊の混成ですから、同郷同士に集合していたでしょう。 訓練もまちまちで指揮官の掌握出来る人数はローマの100人長のように100人くらいではないかと思います。
武将はこのような部隊の集団を10個以上まとめて指揮するので部隊規模は1000人を越える事になります。 ローマの千人長のようなものです。
これでは集団として纏まりませんから、次第に部隊の機能別に編成する工夫が生まれそれが発達したのが陣形です。
武田信玄や織田信長など特定の対象はこれを利用したのです。
従ってこれらの大将は連絡将校による指揮命令組織を整備したのです。
おおよそ飛び道具(石、弓、鉄砲)、密集歩兵(槍、刀)、補助部隊という編成に騎馬の指揮官や伝令将校が混じる形です。
日本では騎兵というものは発達しませんでした。 従って騎兵部隊や騎兵の集団突撃などはなかったに等しいと理解します。
地形の利用は重要で、本陣は見通しの良い高地に置かれるのが普通で各武将の隊はその周辺に配置されます。 行軍体形は道路が狭いのでどうしても縦長になるので戦闘隊形がとりにくく、最も弱いのが普通です。
各部隊の区別は背の旗印、袖印、鎧の色などの服装、方言で行われたようです。 部隊の指揮は指揮官の号令、旗信号、音響信号などが定められていました。 訓練の行き届いてない場合屡々混乱が起き戦いに破れたケースもあります。
投石隊というのは主に武器を持たぬ補助部隊の兵が行い、投石による敵の混乱を誘発するもので常に行われる手段ではありません。 乱戦になる前の段階で行われました。
連絡将校とは前回答者様の言う母衣衆、百足衆などですね。
馬に乗ることは指揮する側が見晴らしが良いこと、徒歩足軽から見て大将であることが分かることに通ずると思います。これに連絡将校を使って指揮を執るのでは。
地形と陣形に関してはおっしゃるように隘路に隊列を誘い込み挟撃する戦法はよく聞きますね。
>次第に部隊の機能別に編成する工夫が生まれそれが発達したのが陣形です
飛び道具、その他集団徒歩など大雑把にでも機能別の編成はやはりあったのでしょうね。これも特定の統率力ある大名、武将でなければ
>訓練の行き届いてない場合屡々混乱が起き戦いに破れたケースもあります
となってしまうのですね。
また、部隊の区別に方言と言うのは興味深い話ですね。薩摩隊、津軽隊などはまず方言が暗号めいていて面白く思います。
常備隊でなくても投石隊の存在があったというのは確信持ててよかったです。やはり初期の挑発的意味合いがあったのでしょうね。(先に動かせるための)
回答ありがとうございました。
No.4
- 回答日時:
諸葛孔明の八陣は魚鱗、長蛇、鋒矢、衡やく、鶴翼、えん月、方円、雁行ですが、このほか鳥雲、横陣、車掛など江戸軍学者が述べていますが、実戦での使用は疑問視されています。
江戸軍学は江戸時代の大名のよく統率された軍団に適したもので、戦国期の大名の家臣には大小さまざまな土豪もおり、各自が引き連れた兵士からなる統率の取れにくい軍団では、適用されにくいからです。
兵士を率いた家臣はそれぞれの旗印を使うので、敵味方は判別でき、指示、連絡する連絡将校も困ることは少なかったでしょう。(ただし敗戦時は連絡は無理ですね)
屏風絵で「武田信玄配陣図屏風」は現実の配置に近いそうです。
一般の陣立屏風絵は江戸軍学の影響を受けて正確さを欠くそうです。
投石隊は武田軍では農家の二、三男から選ばれ、こぶし大の石を投げたそうで、力持ちで平常は軍の土木作業に従事したそうです。
中国の兵法が基本であることは出ていますが、江戸軍学は後世の記述であるのでやはり実戦は?ですね。特に私は車懸かり(車掛け)という陣形に疑問をいだいています。
おっしゃるように土豪、国人の連合であるので統率は取りにくいでしょうね。よほどの訓練を積む、また訓練する側の力量、経験を問われます。やはり陣形を組むのは誰でもというわけにはいかなかったようですね。
投石隊が武田軍にいたのですか!農家の次男、三男。もちろん最前列に出たのでしょうから経験(度胸)を積ませる意味もあったのでしょうか。
回答ありがとうございました。
No.2
- 回答日時:
1.
戦国時代の部隊というのは、各家ごとに分かれていました。それぞれの家は半独立し自腹で戦争に参加していたのです。それぞれの知行(収入)に応じて何人兵を出すか決められていて、その中に槍を何人、鉄砲何人、弓何人、というふうに決められていたのです。
だから、鉄砲だけで構成された部隊とか、騎馬だけで構成された部隊なんてのはなく、雑多な装備が集まった混成部隊が雑多に集まっているのが戦国合戦の実像のようです。
2.
ある程度は決まりごとはあったと思います。例えば、太鼓がこのリズムで鳴ったら前進、とかね。
あとは細かい命令については連絡将校みたいのがいて大将の命令を伝えていたようです。武田信玄には百足衆と呼ばれる連絡部隊が、織田信長には黒母衣衆と呼ばれる連絡部隊があったのが有名です。特筆すべきは、どうやら彼らは戦国大名自らが抜擢するエリート集団だったようです。大将の命令を伝えるわけですから、その命令の意図をよく理解し、間違いなく部下に連絡し、その結果をきちんとまた大将に報告しなければならなかったわけです。バカには勤まらない仕事だったのでしょう。
3.
投石隊は、どちらかというと兵員には数えられないような人たちが中心だったようです。軽装で前線に立つと石を投げて、相手が前進してくると安全な場所へ退避したようですよ。
1に関しては混成部隊であったのは想像できますが、やはり最初は弓隊で崩れさせておいて、槍隊で押して、騎馬隊で・・・などという順序はあったのでしょうか?
2鳴り物での指揮は進軍のほら貝、退き太鼓などは有名ですが陣形に対しては混乱を招く(大戦の場合)こともあったのでは?戦場の規模や鉄砲、大砲の使用があればかなりうるさいでしょうから。
百足衆や母衣衆の例は分かりやすく納得しました。ある程度の特権を持っていないと伝令として成り立たないのでエリートであったのでしょう。佐々成政がそうだったようですね。
3はやはり存在したのですね。姉川の合戦の類の川を挟んで対峙というなら、石ころなので武器は無限にあります。でも「でかい石」はそんなに遠くに投げられないし・・・あまり効果は期待できませんね。一時的(一次的)攻撃としてあったのでしょうね。
詳しい回答ありがとうございました。

No.1
- 回答日時:
>いろいろな陣形があるようですが、
現在伝わっているのは、殆どが甲州流兵学です。
これは武田八陣形が最も優れていると言うので江戸時代に編纂された物ですので、実戦で使ったかどうか(使えるのか)は疑問があります。
他の大名は基本の戦法を元に、地形に合わせた陣形と、地形を利用した戦法を考案していたと思います。
ですので、記録に残っていない陣形はまるで分からないと言う事になってしまうのです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%A3%E5%BD%A2
元を正せば鶴翼の陣は、古代ローマのハンニバルの戦術です。
中国の兵法を信玄が手を加えたと言うのが正しいようです。
風林火山も、北畠顕家が使った物を真似たものです。
山本勘助は、本を良く読まずだそうです。
実際には武田の騎馬の比率は少ないのに騎馬集団であったり、
陣地と配置を検証すると豪雨で5m先を通過した織田軍を見逃した事になったり、三段構えも実用面から考えると考え物の戦術です。
これは江戸時代に面白おかしく変えられている公算が高いです。
古代ヨーロッパや、中国の兵法、古代の日本の戦法なども研究してみて下さい。
総合面での陣形に対する回答ですね。ウィキにあるのはごく一部の陣形と考えても良い訳ですね。古代ローマにもある、と言うのは洋の東西を問わずということでしょうが、中国の兵法あたりが基本になったのは想像できますね。
>地形に合わせた陣形
そうですね。谷間を通過するのに鶴翼は無理です。納得です。
甲州流は甲陽軍監で有名ですが、資料としては???な部分も多いのであてにはしておりません。読み物としては面白いとは思いますが。
また、車掛りの陣形に至っては実用されていたのか常々疑問に思っています。やっていたとしたら、相当高度な訓練が必要だったでしょうね。
回答ありがとうございました。
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