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お世話になります。
子供が戦国時代に興味を持ち始めたこともあり、この夏大阪城に行きました。城を見に行くのは子供は初めて、私は小さい頃に何箇所か行きましたがあまり記憶にありません。
大阪城は1階から8階まですべて展示ばかりで、それはそれで勉強になりました。
でもどの階も同じように階段を中心にぐるっと展示物を見て回るだけで、昔の城の内部がどうだったかなどはまったくわかりませんでした。
その点では大変がっかりしました。
今、残っている城はみんなこんな感じなのでしょうか。
これを機会に姫路城やら名古屋城やら連れて行ってやりたいと思いますが、すべて大阪城同様に展示物ばかりで昔の生活を想像できるようなものが何もないとしたら無意味な気もしています。

もちろん展示物が無意味だということではなく、展示物のおもしろさを理解するのはかなりの教養が必要だと思うのです。
私自身、戦国時代の小説等はかなり読みましたし、女性としては戦国時代について詳しいほうだとは思います。
でも子供の頃は展示物について半分も理解できなかったと思います。
今回大阪城に行って絵巻の解説などはとても興味深かったです。大人になったからこそ理解できる部分が多いと感じました。
でも、武将の生涯を年表にしたものとかジオラマで見せるものとかは何もその城でしか得られないことではないですよね。
廊下があり部屋があり、武将の部屋、下働きの者の部屋、武具を置く部屋など昔の生活が想像できるようなお城は残っていないのでしょうか。
もしご存知でしたらお教えくださいますようお願いします。

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A 回答 (7件)

>女性としては戦国時代について詳しいほうだとは思います…



そうですか。
戦国時代の定義にもいくつかあるようですが、信長が義昭を追放した元亀 4年、1573年までとしましょうか。
残念ながら、確実に戦国時代からと判明して現存している城はありません。

【犬山城】 (愛知県) が戦国時代らしきことを言っていますが、確たる証拠はないようです。
丸岡城よりあとという説もあります。

ほかには、安土桃山時代に入ってすぐの、
・天正4年 1576年【丸岡城】福井県坂井市
http://www4.airnet.ne.jp/kmimu/kasumi/index.html
次いで、
・1594年? 【松本城】長野県
があります。

江戸時代では
・1606年 【彦根城】滋賀県
・1607年~ 【松江城】島根県
・1618年 【姫路城】兵庫県
・江戸初期 【丸亀城】香川県
・1662年~ごろ 【宇和島城】愛媛県
・1681年ごろ 【高梁城】岡山県
・1747年 【高知城】高知県
・1810年 【弘前城】青森県
・1824年~ 【松山城】愛媛県

があり、合計 12カ所の天守閣が残っています。
上記以外の城はすべて近代になってからの復興天守です。

お住まいがどこ書かれていないので、とにかく現存する江戸時代以前の天守をすべて書き上げてみました。
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この回答へのお礼

そうですよね、戦国時代という言い方は大変浅学なのがばれてしまいました(^_^;)
家康の誕生の少し前~夏の陣くらいの感覚で言っていました。
私は東京在住です。ご紹介いただいた12城、松江はさすがに遠いなぁと思いながらHPを見ました。春に行っても秋に行ってもそれぞれに大変美しいようでどうにかやりくりして行けないものかじっくり考えたいです。
これまで歴史は歴史として面白いとは思っていましたが、建造物にはそれほどロマンを感じることなく来てしまいました。歳をとってからの味わい方というものがあるのでしょうか。松江城は子供と行くより両親でも連れてしっとり楽しみたいです。
この12城のリストは大変嬉しいです。
秋から本格的に城めぐりをしますので、1つでも多くまわれるようルートを探ってみます。
こんなにご丁寧に回答くださいまして本当にありがとうございます!

お礼日時:2007/08/14 22:46

天守閣ではないので、階段などはありませんが、武士の部屋の内部などがお望みでしたら、京都の二条城はどうでしょうか?



将軍の寝室や、大名と謁見する部屋や家臣の控えの間などもありますし、将軍のすわる位置には天井裏に賊が忍び込めないようになっている「折上格天井」なんかも見られます。
鴬張りの廊下なんかも子供さんは興味を示されるのではないでしょうか?

また、こちらも城ではありませんが、奈良のならまちにある「今西家書院」などはいかがでしょうか?
ここは、公家や武士などが移動中に休憩をとったお屋敷ですが、銀閣寺と同時代の書院があり、身分の高い人しか入れない部屋、家臣が控える部屋、籠をかつぐ者が控える部屋などが、高さを違えて造られていて、(身分が高い人の部屋の床が高くなってます)当時の雰囲気が味わえます。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます!
二条城は下の方へのお礼にも書きましたが、私自身行ったことはあるのにかなりうろ覚えで、これはぜひとももう一度行かなくてはと思います。鶯張りの廊下は覚えています。息子も名前くらいは知っていると思いますが、ぜひ二条城で実体験させたいです。将軍の寝室、家臣の控えの間、折上格天井、子供も私も知識が深まってさらに読書の楽しみが増すことと思います。

今西家書院というのも初めて聞きました。
もちろん城だけでなく武将の移動など生活の一端がうかがえるものはぜひ行きたいと思っています。身分の違いで控える場所の高さが違うというのも子供にとって非常に興味深いと思います。
二条城と同じ旅で行けそうで嬉しいです。
お城という視点でしか考えていませんでしたので、こういったところをご紹介くださいましてとても嬉しいです。ありがとうございました!


-----ご回答くださいました皆様-----

こんなにたくさんの場所を教えていただけるとは思ってもいませんでした。本当にありがとうございます!息子と共に楽しめる歴史探訪、みなさまにご紹介いただいた場所すべて行きたいという思いでいっぱいです。お礼のポイントをお2人にしか差し上げられないことがとても残念です。いつかまた何か質問させていただきます時にはどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/14 23:04

姫路城や彦根城あたりはどうでしょう。


彦根城では鉄の扉は圧巻でした。

また、城ではありませんが、城塞としての建物として
瑞龍寺(富山県高岡市)があります。
外に対しては窓のない回廊や、
融かして弾丸にするために鉛で作られた屋根瓦、
昔ながらの建築法で作られた建物、
前田氏の墓所としても歴史的価値があります。
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この回答へのお礼

すばらしいですね!彦根城!
行ったことはなくて、彦根城関連のHPをいくつか見ただけですが、鉄砲狭間に武家屋敷跡、こういうのを探していたんです。本気にしているわけではありませんが、私の前世は戦国時代の武将だとか。彦根城のHPを見ているだけで血が騒ぎます。現地に行ったならば子供に解説することなど忘れてタイムスリップしてしまうのではないかと思います。

瑞龍寺というのはまったく知りませんでした。
写真を見ると壮大なスケールで建てられたようですね。こういうのを見ると建築技法ってもしかしたら昔の人のほうが上なのではないかと思ってしまいます。
小説はずいぶん読んだつもりなのにこういう場所を知らなかったというのはいかに表面の部分しか読んでいないかですね。反省です。
秋から城めぐりをしたいと思いますが、その前にまたしっかり勉強たいと思います。
すばらしいところをご紹介くださいましてありがとうございました!

お礼日時:2007/08/14 22:31

犬山城の天守閣は戦国時代のまま残っています。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8A%AC%E5%B1%B1% …
松本城も確かそうだったと思います。
    
一乗谷朝倉氏遺跡はお城ではありませんが、広大な面積の土地に一乗谷の様子が復元され一見の価値があると思います。
http://www3.fctv.ne.jp/~asakura/index.html
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この回答へのお礼

朝倉義景の館跡というのがまた何とも戦国時代の醍醐味というのも変ですが、まさにその時代の息吹を感じられそうですね。かなりものがちゃんと発掘されて復元されたようで、城だけでなく城下町の姿も見られるというのが大変魅力的です。福井市なら友人の実家があるので探訪の相談にものってもらえそうです。

犬山城は行ったことがあるのですが、何しろ当時は小学生で「小説に出てくるお城に行った」という満足感だけでした。昔の生活がどうだったかという観点から見なかったこと、非常にもったいない話ですね。
場所的に掛川城とセットで旅行できそうです。今度行くときはしっかり見てきたいと思います。ありがとうございました!

お礼日時:2007/08/14 13:30

他の方も推薦していらっしゃいますが、姫路城にぜひおいでください。


エレベーターやエスカレーターなど、いっさいありません。
階段なども狭くて急で、ほぼ昔のままです(手すりくらいは、あとからつけたかと)。
逆にいえば、バリアフリーとはかなり遠いつくりです。足元に自信のない方は、事前調査をおすすめします。
混雑する日(無料開放デーなど)は、小さいお子さまはやめた方が無難でしょう。
ちなみに、夕方暗くなってからのライトアップを外からながめるのも美しいものです。平日と、土曜日とでは、微妙に照らし方が変わります。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございます!
エレベーターもエスカレーターもなし。けっこうですね~!!
Tシャツ半ズボンでもつらい階段を昔の人が毎日登り降りしていたことを子供に実感させたいです。
私はライトアップというものがあまり好きではありませんが、美しさで評判の姫路城のライトアップは昼間とはまた違った感動が味わえるのでしょうか。お城が見える場所にホテルを取り、昼の姿・夜の姿をしっかり目に焼き付けたいと思います。
早く姫路に行きたくなりました。ありがとうございました!

お礼日時:2007/08/14 13:08

今の大阪城は1931年に鉄筋コンクリートで当時の最新技術で建設された「外見だけを復元したビルディング」です。

名古屋城も同じです。

近畿・東海地方であれば、犬山城の天守閣は昔のままのものです。ただし、木の床では傷みますのでカーペットが敷いてあったりしますが。彦根城も当時のものです。あまりにも有名な姫路城は、戦災を受けていない城ですし、豊富な資金でメンテナンスがされていますので、恐らく質問者様の期待に沿うのではないでしょうか。

また、昭和や平成になってから、できるだけ当時の作りを再現して「木造」で復元されたお城があります。恐らく、これが質問者様の求めるものに一番近いと思います。

宮城県の白石城
静岡県の掛川城

等がありますが、掛川城の方が近そうですね。

http://www.geocities.jp/woodone3831/c-1-3-5-3-si …
で詳しく解説されていますが、とにかく徹底して「本物はこうだったろう」という具合に築城された、非常に手の込んだ「平成のお城」です。天守閣だけでなく、大手門や塀や櫓などの建造物も可能な限り復元されています。大阪城で失望された質問者様も、掛川城なら満足されるでしょう。

また、京都の二条城の建築物は、江戸時代のものがほぼそのまま残っています。「城郭」というより「御殿」ですが、「廊下があり部屋があり、武将の部屋、下働きの者の部屋、武具を置く部屋など昔の生活が想像できるようなお城は残っていないのでしょうか」という点では、見るべきものが多いでしょうね。

この回答への補足

すみません、今気づきました。
以前「初心者向きの三国志」という質問をした際にも大変ご親切な回答
をいただいていました。その節はありがとうございました。
「蒼天航路」はすごい勢いですべて読みました。諸葛孔明もアマゾンで買って読みました。
その後は陳舜臣の「小説十八史略」も読んでスケールの大きい中国史(のほんの一部分)の世界に浸ることができました。ありがとうございました!

補足日時:2007/08/14 12:54
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました!
なるほど、大阪城は「外見だけを復元したビルディング」なのですね。
豊臣氏の隆盛と衰退の舞台となった場所、もっとうまい復元をしてあげればいいのにと思います。「城の形をしただけの博物館」という印象を受けましたが「外観だけ復元」ということで納得しました。

ご紹介いただいたHP拝見しました。
塀や櫓も可能な限り忠実に復元されているようで、これはぜひ子供に見せてやりたいです。思いもつかなかったお城を紹介してくださってとても嬉しいです。掛川城、必ず行きます!
二条城はかすかに記憶に残っています。
廊下をぐるっとめぐりながら色々な部屋を見られる構造でしたでしょうか。京都は武将達が目指した都ということで息子の歴史探訪からはずせません。これも必ず行きます。
息子よりも私のほうが戦国時代大好きだった頃を思い出してワクワクしている感じです。ありがとうございました!

お礼日時:2007/08/14 10:59

 


姫路城なら貴方の期待を裏切らない思います。
二次大戦でも戦火を免れ、建設当時の建物が残ってます。

 
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この回答へのお礼

早速の回答をありがとうございました!
姫路城は建設当時の姿なのですね、知りませんでした。
私も子供の頃に行ったと両親は言うのですが恥ずかしいことにまったく覚えていません。
美しさで評判だし子供をぜひ連れて行きたいとは思っていたのですが、展示物だらけならイヤだなと思っていました。これで姫路城行きは決定です。ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/14 10:44

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Q再建されてない古い城

姫路城は江戸時代のままの古い城ですよね。
だから世界遺産にも登録されています。

一方、大阪城は戦後再建された城ですよね。
だから、中にエレベーターがある。

姫路城のように、再建されずに昔のままの城って他にもあるのでしょうか?

Aベストアンサー

明治以降までに残った天守は、全国で19ありましたが、戦災で 6、火災で 1 (北海道福山城) が失われ、現在は 12カ所です。

犬山城 (愛知) 室町末期 ☆
丸岡城 (福井) 室町末期
松本城 (長野) 1594年~ ☆
彦根城 (滋賀) 1606年 ☆
松江城 (島根) 1607~11年
姫路城 (兵庫) 1618年 ☆
丸亀城 (香川) 江戸初期
宇和島城 (愛媛) 1662~65ごろ
高梁城 (岡山) 1681ごろ
高知城 (高知) 1747年
弘前城 (青森) 1810年
松山城 (愛媛) 1924年~

☆印は国宝、その他はいずれも重文。
犬山城より丸岡城のほうが古いという説もあります。

Q最初の天皇はなぜ誕生したのか?

初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?
神武天皇は、国王(日本で一番偉い人)みたいなものだったのですか?

Aベストアンサー

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたのであろう。と予測する立場があるんですね。
ですから国家や天皇の成り立ち自体はよくわかっていない中で、神話などの古伝承から国家や天皇の成り立ちを整合性を以って説明できるのでは?と目下奮闘中といった人々もいる。とのあり方が現況では一番進歩が見られるスタンスであり、逆にそのような暗中模索な状況こそが、現在の学界における日本国家成立の研究、ないし天皇支配の淵源の研究などの現状だと思います。

そして天皇(大王)を中心とした国家といった概念が表れたであろうとされるのが、いわゆる4世紀の古墳時代と呼ばれる時代であったことは、考古史料から、特に前方後円墳などの規格性の強い墓制の出現で見当がつきつつあるのですが、そこの詳しい実態は、日本はもとより、3世紀段階における日本の国情を伝えた古代中国の史書などが4世紀時点ではないためよくわからないんです。いわゆる「謎の4世紀問題」ですね。

いずれにせよ『魏志』倭人伝などの記述から、卑弥呼が活躍する前後(3世紀)にあっては「倭国大乱」と評価できる内戦状態が、その規模は別として事実あったのでしょうね。もちろんその戦闘状態は天皇の出現と無関係であるとも思えないんです。その様な中、詳しい経緯はわかりませんが、倭国大乱と呼ばれる混沌とした戦乱の世にあって、統一的国家としてのヤマト政権を樹立するだけの武力ないし交渉力が、4世紀段階における天皇(大王)の祖先にあったことは疑う余地はないのかな?と思いますし、考古史料などが語る結果から帰納法的に糸を手繰りつつ明らかにしようと試みている、3世紀から4世紀にどのような経緯で歴史がつながるのか?といった問題は、識者はもとより僕に限らず古代史に興味を持つ者が一番知りたい部分なのです。

ですから率直に申し上げれば「初代天皇は、どういう経緯で出来たのですか?」という質問については「こっちが知りたい部分です」といった頼りない回答になり、せっかくのご質問に明確にお答えできないことを心苦しく思いながらも、現状をご理解いただければありがたいと思う次第です。

実はそのことについてわからないので困っているんです。
というのも3世紀に活躍したとされる邪馬台国の卑弥呼という女王の解釈により、最近では神武天皇でさえ紀元前660年前の人物とすることには異論がありながらも、その存在自体はありえて、だからこそ正史である『日本書紀』に記載されているのでは?といった論調もあります。
神武天皇そのものというより、神武の伝承として伝わる物語の核になる史実が存在した。それは現存はしていませんが『日本書紀』編纂の主な材料となりえた『帝紀』などに書かれていたの...続きを読む

Q現存する最も古いお城は何でしょうか?

松本城に行ってきました。
案内の人は日本で最古の城だといっていました。
しかし、建築されたのは秀吉が天下を取ったあと、1590年代です。
それ以前は戦国時代でたくさん城があったはずです。
それらの城のすべてが残っていないということでしょうか?
いくらなんでも、そんなことはないと思うのですが。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

明治以前からある日本のお城は、現在 12カ所あります。

犬山城、室町末期
丸岡城、1576年
松本城、1594年
彦根城、1606年
松江城、1607年~11年
姫路城、1618年
丸亀城、江戸初期
宇和島城、1662年~65年ごろ
高梁城、1681年ごろ
高知城、1747年
弘前城、1810年
松山城、1824年

教科書などでは上記のような順序とされています。これらより古い建物は残っていません。

このうち、犬山城は年代がはっきりせず、福井県の丸岡城のほうが古いという学説もあります。
いずれにしてもこの二つは、中世の山城から近世の平城に移る過渡期の建物で、小高い丘の上に建っています。建築学的にも「望楼型」といい、「層塔型」といわれる松本城以降とは大きく異なる面があります。

それに対しご質問の松本城は、
「近世平城 (平地にある) として最古」
「5層の天守を持つ城として最古」
という意味です。

なお、参考URLの小見出しには、
「丸岡最古の天守閣、丸岡城」
とありますが、
「日本最古の天守閣、丸岡城」
の誤植です。同町にメールしておきます。

参考URL:http://www.town.maruoka.fukui.jp/ibento-kankou/kankou/maruoka-cas.html

明治以前からある日本のお城は、現在 12カ所あります。

犬山城、室町末期
丸岡城、1576年
松本城、1594年
彦根城、1606年
松江城、1607年~11年
姫路城、1618年
丸亀城、江戸初期
宇和島城、1662年~65年ごろ
高梁城、1681年ごろ
高知城、1747年
弘前城、1810年
松山城、1824年

教科書などでは上記のような順序とされています。これらより古い建物は残っていません。

このうち、犬山城は年代がはっきりせず、福井県の丸岡城のほうが古いという学説もあります。
いずれにしてもこの二つは、中...続きを読む

Qパーセントの計算がまったく出来ません…

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○円で、65%オフ!?ということは○○円ですね!?」などとパッと暗算で計算しているのを見るととても驚きます。

暗算とまではいかなくても計算機(ケータイにもその機能はありますし)があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。

また、今のバイト先で、商品の売り上げ目標というのを作るのですが、先輩たちのミーティングを見ていると「目標○○万円でしたが、××円しか売り上げがなく、△△%の達成率となってしまいました」と報告をしているのですが、この場合もどのような計算式で計算しているのでしょうか?

消費税を出す場合につきましても教えて頂きたいのですが、今現在の税率は5%で、その計算をする場合は「定価×1.05」で出ますよね。なぜ、1.05をかけるのかわからないのです。

本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。よろしくお願いいたします。

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○...続きを読む

Aベストアンサー

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。
つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。
だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた
残りである700円が答えです。
でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。
30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。
つまり、1000円の70%なので700円、となります。
ここまではいいですか?

次、達成率の計算ですが、、
目標100万円に対して売り上げも100万円だったら達成率は100%なのは
感覚的に分かりますよね?
つまり、達成率=(実際の値÷目標値)です。
%で表現する場合はこれに100を掛けます。(●%=●÷100だから)
たとえば目標50万円で売り上げ35万であれば35÷50×100なので70%になります。

最後、消費税。前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。
つまり、税抜き●円であれば、●円と●円の5%を足した金額が税込み金額です。
式にすると●+(●×5÷100)です。
これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。
5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。
ですから●×(105÷100)です。
ここで出てくる(105÷100)は1.05ですよね。
つまり、元の値段●に1.05を掛ければよいのです。

おまけ。暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。
1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、
  順番を無視しても答えは一緒です。
  上の例でいくと35÷50×100は35×100÷50でも答えは一緒です。
  で、100÷50を先に計算して、それに35を掛けます。
  これならすぐに暗算できますね。

2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば35÷50であれば、前後に2を掛けて(35×2)÷(50×2)でも
  答えは一緒です。
  35÷50の暗算は一瞬悩むけど、70÷100なら簡単ですよね。

3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば25×32を計算する場合、32は4×8なので25×4×8を計算しても
  答えは一緒です。
  25×4は100、100×8で800ということで25×32=800です。
  これなら暗算できそうですよね。

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場...続きを読む

Q日本の城天守閣の階段

先日犬山城に行きました。それ以前にも松本城にもいってますが、天守閣の階段の勾配の急さと、蹴上がりの高さについての疑問です。天守閣が篭城の際に最後の守り場所となりますね。それを考えると、天守閣の階段が急勾配で、幅も狭く、蹴上がりも高いことは敵が攻めにくいとの理由があると一見おもわれます。しかし、敵が天守閣内部にまで侵入してきたような状態では、落城は確定です。wikiでみますと、天守閣は物置代わりという記述もあります。これを考えますと、天守閣には武具などの備品が蓄えられ、戦闘時にはそれらを動かすために、武装した城兵がたくさん移動しなくてはなりません。それを考えると動線が考えられておらず、あのような階段では城兵の動きが固まるだけで反対に防御しにくいように思われます。例えば、あの狭さでは下りとのぼりは一度にできません。
海外の城では階段を2つつくり、のぼりと下りにわけた例が多いです。

もし、敵兵が進入すれば、取り外し式の階段で上の階に引き上げすシステムのほうが、よほど理にかなっています。
なぜ、あれほど使いにくい階段である必要性があるのでしょう?

Aベストアンサー

犬山城の天守閣は慶長六年に基礎となる二階部分が作られ、その上層は元和六年頃に完成されたといわれていますし、松本城は諸説あるようですが、現在のスタイルは寛永年間になってからではないかといわれています。

つまりその年代を考えると、もう世間は平和な江戸時代になってからです。
日本の城を象徴するあの天守閣がいつから作られたのかは諸説ありますが、ほとんどの城は江戸時代になってからの完成となります。つまり、天守閣なるものは実際の合戦では「使われる」ことはほとんどなかったのです。
実際問題、天守閣がある城での攻防戦となると最も有名なのはなんといっても大阪城に尽きるでしょうが、秀頼と淀君は、天守閣の北側にある「山里丸」で自刃したといわれています。つまり天守閣に籠もっていたわけじゃあないんです。

そもそも、日本の城は木造です。木造っつーことは「燃える」ってことです。いくらコーティングしたところでも。
確かにおっしゃるとおりに敵兵が侵入すれば取り外し式の階段にした方が合理的です。でも、攻め手はそうなったら火をかけてしまえばもっと合理的です。そもそも火は下から上に上がりますから。上にいる人たちはバーベキューになるか燻製になるかどちらかです。
だから秀頼や淀君は山里丸にいたのです。天守閣の上層階なんかにいたら、火がついたらアウトです。
実際問題、江戸城の天守閣はいわゆる振袖火事で焼失し、結局再建されることはありませんでした。要らなかったからです。
天守閣というのは、多分に気分的なものというか、実用性じゃなくてまあ見た目だよねというようなものです。だから、たぶんどこの藩主も天守閣じゃ暮らさなかったはずですよ。火事が怖いですからね。
私が知る限り、天守閣に住んだ人はただひとり、織田信長だけです。あの安土城の天守閣に住んでいたそうです。火事になったらどうするつもりだったんでしょうね。

だから日本の城の天守閣というものは、時代が平和になった江戸時代に、多分に芸術的ポイントを重視して作られたものであると考えたほうがいいと思います。戦争で使うものが芸術の域に達したものだと思えば良いのではないでしょうか。まあ、ポルシェのマウンテンバイクみたいなものです。それで本当に山を走るバカはいないよねということです。

犬山城の天守閣は慶長六年に基礎となる二階部分が作られ、その上層は元和六年頃に完成されたといわれていますし、松本城は諸説あるようですが、現在のスタイルは寛永年間になってからではないかといわれています。

つまりその年代を考えると、もう世間は平和な江戸時代になってからです。
日本の城を象徴するあの天守閣がいつから作られたのかは諸説ありますが、ほとんどの城は江戸時代になってからの完成となります。つまり、天守閣なるものは実際の合戦では「使われる」ことはほとんどなかったのです。
実際問...続きを読む

Q現代の標準語は戦国時代の人に通じるか?

例えば仮に日本の戦国時代にタイムマシーンでワープしたとします。
そこでそこら辺の通行人に、現在の標準語で話しかけて、会話したとします。
そしたら、相手に日本語は通じるのでしょうか?マジ、パネェ、ガチで、とかの完全な現代語は話さないとして。
例えば、
「今日はいい天気ですね」 「そうですね、昨日は雨だったけど、晴れてよかったなぁ」
とかまともに会話できるんでしょうか?

Aベストアンサー

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。

 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったでしょうね。まぁどちらも世間の広い人で、西郷さんも江戸に居た経験も豊富ですから。

 今も、近所の青森出身の方が郷里の方と話している内容は全くわかりません。日本語ではないような気にさえなります。

 ご近所のいろは四十八組の一番筒先の方に小学校の時に可愛がられました。
 お尻の割れ目とおちんちんを残して青と赤の彫り物(刺青は罪人にするもの)が鮮やかで、銭湯なんかうめていると、金魚がおよいでいらい。なんていってと水道を停めてしまう。
 舌使いや発音が違うので、同じことばでも慣れないとわからない。
 それが江戸職人のことばかもしれません。江戸の範囲も年々変わりましたが、地域と職業で言葉は全く違っていたのですね。

 戦災で浅草聖天町から隅田川や荒川などの川を越えたところにきて、子ども達の話し方はずいぶん違いました。
 無論気風も違います。
 学校に誘い合う呼び方だって、全く違う。
 ことばの変化は激しいものですね。戦国時代の日常言語の社会は私たちは入れないでしょう。
 古典の高座や芸能では何か偲べるでしょう。
 敗戦終戦後の映画を見ますと、昔の話し方が聞けてとても懐かしいですね。
 昔の世界、人間関係、そして生活が伝わってきます。

 ANo.3さんご紹介の録音は私たちの話し方と変わりませんね。

 質問は戦国時代ですね。
 その時代の発音や話し方を研究している人もいますよ。ある大学の教授ですが。
 その方は読経を材料にしています。そのほか国語学では何人かいますが、個人的に存じ上げていません。
 あと参考までにいうと、幕末の志士などは無論、剣術道場と言う議論の施設や場で長く居る人は通じ合えたが、そうでない人は通じなかったそうです。
 だから謡曲的に話し合ったそうです。
 山岡鉄太郎と西郷さんの会見はどんなだったで...続きを読む


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