都道府県穴埋めゲーム

沖縄の人口よりそれ以外の地域の日本人の数のほうが圧倒的に多い。
ということはあの時代の国益だったのですか?

A 回答 (6件)

>沖縄を見捨て本州の盾代わりとしたことは



どのような根拠でそうした発言をされているのかわかりませんが、当時も沖縄は日本の一部だったと思います。うちの叔父も沖縄で戦死していますが、本土と同じように沖縄を守っていたでしょう。
本来ならば沖縄戦線が拡大する前に無条件降伏の道もあったとも思いますが、それが言えるのも結果を見ているからではないでしょうか。
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この回答へのお礼

未来がわからないのは戦争でなくとも古今東西あらゆる物事で同様ですが戦争だけは結果的な戦争責任を持たなくてよいということですか?

お礼日時:2007/09/17 20:57

見捨てたのではなく、アメリカ軍の戦略上日本本土占領の第一段階だったに過ぎません。


次には本土上陸が予定されていましたし、軍部は日本人全てを犠牲にしても戦うつもりでした。

軍部が見捨てたのは旧満州国です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:16

「戦争中、沖縄を見捨て本州の盾代わりとしたことは日本の国益だったのか」



沖縄を攻撃・占領するのはアメリカの意思であり、別に日本が「沖縄を差し上げますので本土占領は勘弁してください」とか頼んだわけではありません。質問者様は根本的に考え違いをしているように思います。

また「悲惨な沖縄戦の前に日本はアメリカに降伏するべきだった」とお考えなら、それは質問者様の歴史認識が甘いと言わざるを得ません。これについては後述します。

いくら米軍であっても、マリアナやフィリピンからいきなり日本本土に上陸作戦を行うことは出来ません。日本本土に近い場所に陸上飛行場を確保して、上陸地点の制空権を「単発戦闘機」で完全に確保し、かつそこに大量の物資を集積しなければなりません。

フィリピンを占領したアメリカ陸軍が日本本土に侵攻するには、吸収上陸を目指すのが自然です。そのためには沖縄を取らねばなりません。沖縄に飛行場を建設すれば、九州がアメリカの陸上戦闘機、例えばP51の行動圏内に入りますから。沖縄はある程度の広さがあり、淡水もあり、気候も過酷ではありませんので、占領して九州上陸作戦の根拠地にするのに最適です。だから、アメリカは沖縄を占領したのです。

沖縄戦の段階で、アメリカは日本に一切降伏条件を示していませんでした。「国家としての無条件降伏」をした場合、天皇の地位(国体)はおろか、日本という国家の存続すら保障されず、戦後の日本の扱いは「戦勝国の胸先三寸」となります。戦争中のアメリカでは、「日本から全ての工業力を奪い、農業だけを認めるべし」という意見も強くありました。その場合、日本が農業のみで養える人口はせいぜい4千万人です。昭和20年の日本人の人口(外地居住者を含む)は9千万人程度ですから、「日本を農業国に戻す=5千万人の日本人が餓死する」ことを意味します。

ドイツは本土決戦を行って「国家としての無条件降伏」をした結果、「固有の領土」を特にソ連に大幅に奪われ、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国に分割占領されると言う過酷な処遇を受けました。

歴史上、例えば「ポーランド分割」のように、強国に弱国が分割されて消滅してしまう事例や、ソ連が第二次大戦中に行ったように、あるいはアメリカがインディアンの多くの部族に対して行ったように「一つの民族を遠方へ強制移住させる。移住先での生活手段は保障しない」事例が存在します。ソ連による例えば沿海州の朝鮮人の中央アジアへの強制移住では、貨車による輸送の過程で「貨物と同じ」扱いによって多くの死者が出、移住先では食料も家もなく多くの餓死者、凍死者等を出しました。

「日本沈没」という映画で、「日本人が世界各国に移住を余儀なくされる」というフィクションがありましたが、日本が「国家として無条件降伏」すれば、「日本はアメリカの植民地化。日本国民の私有財産は没収し、工業設備は全て撤去してアメリカに持ち去る」などということもありえたわけです。

なお、ソ連は満洲や東ドイツで「公有資産は全て接収してソ連に持ち去る。民間人の私有財産は略奪できるだけ略奪し、女性は全て強姦。占領地域の工業設備や鉄道レールは撤去してソ連に持ち去る」を実行しました。上記のことは決して絵空事ではありません。

ドイツが本土決戦を行い、膨大な人的・物的損害を受けて「国家としての無条件降伏」を強いられる悲劇に追い込まれたのは、最後まで連合国がドイツに降伏条件を提示しなかったからです。

硫黄島や沖縄の戦闘で、米軍は想像以上の損害を蒙りました。その結果、「日本に降伏条件を与えよう」ということでアメリカが出したのが「ポツダム宣言」です。あくまでも沖縄戦の後のことです。

良く「日本はポツダム宣言を受諾して無条件降伏した」と誤解している人がいますが、ポツダム宣言は「日本に対する降伏条件の提示」です。決して「無条件降伏を要求する文書」ではありません。
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …

ポツダム宣言では「五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ 」として、降伏条件が示されています。
「日本本土四島は日本国の領域として認める」
「海外にいる日本軍将兵は武装解除後速やかに日本に復員させる」
「日本国民を奴隷として扱わない」
「日本国にある程度の産業の維持を認める」
「連合国軍が日本を占領するが、日本に民主的な政府が樹立されれば撤退する」
ことが約されています。実際の歴史を見ますと、ソ連以外の連合国はポツダム宣言の約束を概ね守っています。

沖縄戦で死んだ将兵、想像に絶する戦禍を受けた沖縄県民には申し訳ないことですが、結果としては
「沖縄戦、それに先立つ硫黄島戦で米軍に深刻な損害を与えたことが、アメリカの方針を転換させ、アメリカをしてポツダム宣言という降伏条件を提示させ、日本を救った」
ことになります。

その意味で
「沖縄戦が行われたことによって、その後の戦局が日本にとって大きく好転したとか、後の敗戦の際の条件が有利になったというようなことは基本的にありません」
という歴史認識は間違いです。
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この回答へのお礼

長文お疲れ様です

お礼日時:2007/09/19 13:16

沖縄戦が行われたことによって、その後の戦局が日本にとって大きく好転したとか、後の敗戦の際の条件が有利になったというようなことは基本的にありませんでしたので、沖縄戦が「国益だった」とはとてもいえないと思います。

仮にそうなったとしても、極めて多数(一家全滅も多く正確な数はわかっていない)の沖縄県民の生命と引き換えにしてもいいのでしょうか。本来、国民の生命・財産を守ることが最も大事な国益でしょう。

沖縄戦は多数の沖縄県民の生命・財産を奪っただけでなく、戦後にも広大な米軍基地が残り、60年以上経った今でも県民にさまざまな苦しみをもたらしているのが現実です。沖縄戦末期に、海軍の司令官は「沖縄県民かく戦えり、県民に対し後世特別のご高配を賜らんことを」という最後の有名な電文を送りましたが、今まで「特別のご高配」はどれだけ実現したでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:16

> 沖縄を見捨て本州の盾代わりとした



そんな事実はありませんが?
 見捨てたという根拠として直前に一個師団が抽出され補充が行われなかったが挙げられますが、日本軍の防衛計画を知ると納得する部分があります。

 日本軍は防衛地域を大きく4つに分けました。
フィリピン/台湾・沖縄/九州・四国・本州/北海道・千島・樺太

 フィリピン戦が始まると台湾の部隊をフィリピンに派遣したため、台湾の戦力が低下したのです。そこで台湾・沖縄方面軍は沖縄の戦力を台湾に移動させました。第32軍としては3個師団しかない戦力の一つを台湾に持っていかれたのです。そこで本州の部隊の転用を求めたのですが最終的に補充が行われなかったのです。
 方面軍としてはフィリピン→台湾→沖縄の順に攻めてくると考えていたのです。ところが米軍はフィリピン→沖縄と台湾は無視したのです。

 日本は確かに陸軍部隊の補給は行いませんでした。しかし保有攻撃機1万5千機中の3千機を沖縄に投入したのです。知覧・鹿屋から一度も行ったこともない、故郷でもなんでもない沖縄のために特攻攻撃したのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:17

見捨てたのではなく、守るだけの力が無かっただけだと思う。



元々、やる前から勝つ事は無理だと分かっていたわけだし。
ある程度勝ったら、有利な条約を結んで終りにしようとしたのを、軍部の暴走で続けただけなんでしょ?

本州の盾代わりに使った、なんて、ケチなプライドが言わせたものですよ。

元より、守る力なんて無かった、それが真実だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2007/09/19 13:17

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