最速怪談選手権

ある映画を見ました。
80年代の米映画「ガン・ホー」というものです。
日本の自動車メーカー(日産がモデル)がアメリカに工場を持つことになり、日本人社員とアメリカ人工員との文化の違いによるいざこざがあり、最後にはお互いを理解しあうというハッピーエンドな話です。

そこでアメリカ人工員側の代表者が、日本人社員に
「我々はみんな自分が一番だと思っているんだよ。みんな特別だと思っているんだ。」と言っていたのが印象的でした。

以前からこういう疑問を持っていましたが、この映画を見て改めて不思議に思いました。日本人は「集団のための個人」という形で社会を成り立たせていると思うのですが、アメリカ人(欧米全般?)は「個人のための集団」でも社会として成り立たせているように見えます。これは日本社会に慣れている自分には不思議に思えます。なぜ「俺が、俺が!」とみんなが思っている社会が成立するのでしょうか?

ちなみに、安易な日本論みたいになっていますが、わかりやすいようにざっくり分けさせてもらいました。

A 回答 (8件)

こんにちは。



欧米では、日本と違って非常に他者の事を気にします。そしてそれをルール化しています。その結果、あたかも他者に無関心なように見えます。逆に日本人は他者の事をあまり気にしません。逆説的に聞こえるかも知れませんが私の実感です。

>なぜ「俺が、俺が!」とみんなが思っている社会が成立するのでしょうか?

例えばドイツでは、スーパーに行っても、レジの人は知り合いとおしゃべりをしています。客が順番を待っていてもお構い無しです。それでも客は文句を言いません。文化の違いですね。初めて行くと驚くと思います。しかし社会が成立しているかどうかという点で言えば、当然ながら成立しています。どちらの社会が良いと思うかは、人それぞれでしょう。

自分を律するものとして、「神様」か「世間様」か、という説明は分かりやすいですが、実は、日本と欧米の両者は対立的な関係ではないと考えます。私は日本社会は欧米社会に近付く方向で変化していくのだろうと思っています。「俺様」は日本人の中にもいますし、日本人は他者に無関心(実効性が無いという意味)ですから、そういう人がモンスター化してしまう土壌があると思います。そういう特別な人でなくとも、「自分が一番」と思っているのは実は日本人も同じなのです。

しかし、欧米ではエゴとエゴがぶつかり合うのを前提として、市民社会(ルールのある社会)が出来上がっているような気がします。日本人の「頑固なおじさん」や「口うるさい近所のおばさん」よりも、場合によってはうるさいと感じるくらいです。

ここから先、どちらの文化にも優劣は無い(文化相対主義)と考えるか、欧米の方が合理的である(グローバルスタンダード)と考えるか、日本の方が優れている(日本的保守主義)と考えるかは人それぞれですね。
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シベリアに拘留された日本人の方の手記を読みました、その中で・・・



収容所に入ってくるパンは決められており、生産性を挙げる為に
ノルマ以上の働きをした者にはパンが追加されることになった折
日本人は必死でノルマを上げようと頑張ったそうです
対して欧米人はあえてノルマを上げようとはせず、仲間間で協定を結びました

結果、どうなったかというと
一時的に日本人は生産を上げることができたが
パンの数は限られていた為に、増えた人もいたが手に入れら無い人も出て、餓死者が増えた
欧米人はノルマは上げられなかったが餓死者は少なかったそうです

欧米にはギルトという制度があり(今でいう労働組合)個々の利益を守ることで全体を守っている
日本人にはその意識がなかった為、自滅を招いた・・と懐古されていました

社会が資本主義である以上、個々の利益や尊厳が守られなければ
労働者は単なる使い捨てにされる一方です
今の日本は派遣労働が多くなり格差社会と呼ばれていますが
この収容所で起こっていることが繰り返されているようで、怖いです
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キリスト教の思想にもとずくもの


神と自分の関係が中心で他人は他人です。
みんな個性があるんだ、その中に一人一人が生きていればいいんだと言う考え方
後は狩猟民族で基本は自分と動物 日本は農耕民族で一人では生きていけない。このような文化の違いですね
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>ただ、私はそのような社会がなぜ成立するかが不思議なのです。



お気持ちは理解出来ます。

私も、全てを理解しているとは言えず、転換期に当たるメカニズムを説明出来る技量を持ち合わせておりません。

しかし、12世紀以前の欧州には、日本と似通った世界観があったという事が分かっただけでも大きな収穫でした。

と、同時に、日本の教育は、あたかも欧州と同じ概念が昔から存在しているという、ある意味「嘘」の教育もし続けていたという事実に気付いたのです。

転換期のメカニズムを理解出来ていないのは、日本(と、欧州)の歴史学者の落ち度ではないかと思う一面もあるのですが、この気付きを切っ掛けにして、宗教と歴史の変化を読み解くのが、今生きている私達の世代の課題ではないかと考えたりもします。

少なくとも言える事は、文面に残ったものだけが歴史ではなく、残らなかったものの中にも、歴史を紐解く上での重要な一部分があるのではないか、という事です。

これを解明する作業は、並大抵の事ではありませんが、知りたいという事だけで置くのではなく、そう思った者の宿命として、一端でも解明する努力をしなければ、解決の糸口が見えてこないのではないかと、私は考えてます。

ちなみに、先日、とあるシンポジウムにおいて、非暴力の問題を考えうる上で、東洋と西洋の宗教観の問題に対峙しない限り、真の答えが見えてこないだろうという話が出てました。

その話を聞いたとき、私達一人一人が、広い意味での『宗教』を避ける事無く対峙しなければ、物事の理解し、解決はなし得ないのだろうと思った次第です。

この場で答えが出せず非常に歯がゆいのですが、長い歴史を踏まえますと、学者だけに預けておけば解決する問題ではないとも思えますので、これを切っ掛けに貴方ご自身も『歴史』と対峙し、考える機会を持って頂ければと。切に願います。
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おもしろいですね。

日本人が「集団のための個人」、没個性的国民といわれてるのに、
古来スポーツでは、個人対個人の個人戦なんですよね。(相撲、柔道、剣道)

それでいて欧米は個人個人が独自の個性と技を持ちながら、
スポーツは団体戦(サッカー、ラグビー、野球)
チームプレー(注:欧米に個人戦スポーツがないといってない)で成り立っている。

そこには、目的(勝つ!)、ルール、フェアプレー、反則にはペナルティがあって、
契約で成り立ってる社会ゆえんでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

欧米は明確な契約でなりたっているけど、日本は契約でなく暗黙の了解のようなものでなりたっているということですね。

ということは、「自分が一番」という思想と「契約」は相性がいいということですよね?
日本の場合、「自分が一番」という思想がないので「契約」社会が成り立ちにくいということですかね?

お礼日時:2007/09/30 00:13

それが成り立っているかは少し疑問です


アメリカ製品というのは基本的に粗悪品が多く
戦後日本製品に徹底的に駆逐されてしまいました
WINDOWSなんかもバグだらけでしょう
自動車なんかは特にその傾向があります
その映画はそのまま描いているのではなく
願望や皮肉も含んでいると思います
つまり実際は「逆」でそうはなっていないのです
アメリカでは各技術者が仰るプライドを持っていて
日本では製品が売れないと全員の責任として処理されますが
アメリカではたとえばあの製品は売れなかったけど
私のプログラムだけは最高だな とか私の担当した
設計だけは最高だなというような表現をするそうです
それがつまり責任の在りどころが不明確になって
工業が衰退した原因の1つともいわれています
金融面などでも状況は同じような感じです
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、日本との比較においてアメリカが優れているかはわかりませんね。ただ、いっぱしの国家としてやってこれているじゃないですか。他の欧米諸国もそうです。「成り立っている」と私が表現したのはそういう意味です。「繁栄している」というわけでなくても、国として崩壊はしていませんよね。

なぜ「自分が一番」とみんなが思っている社会が成り立つのか、メカニズムが知りたいのです。

お礼日時:2007/09/30 00:00

>なぜ「俺が、俺が!」とみんなが思っている社会が成立するのでしょうか?



  上記のようには思っていません。
 簡単に説明すると、自分の役割や自分の仕事の範囲が明確です。
 それが社会に数百年ねずいています。
 人の分野には手を出しません。簡単に参考まで
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「俺が、俺が!」というのは少し誇張した表現かもしれませんが、日本よりも強い自意識を持っているのは確かだと思います。

なるほど、分業が日本はあいまいでアメリカは明確ということですよね。そのように分業を明確にすることは、メリットもあるしデメリットもあるということですね。

お礼日時:2007/09/29 23:57

この問題を考える上で、源流となる欧州の宗教的な背景(即ち、キリスト教)を無視する事が出来ないと感じてます。


http://old2.josuikai.net/josuikai/21f/main53-1.htm
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/0020 …

興味深い事に、日本的経営手法を取り入れた欧米企業では、日本人と似た悩みを抱えるようになったという指摘もあるようです。
http://www.geocities.jp/japankaroshi/rengou1.htm
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど、キリスト経によって、個人が神と一対一で接することにより個人が自分は特別と思えるということですね。

ただ、私はそのような社会がなぜ成立するかが不思議なのです。

お礼日時:2007/09/29 23:53

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