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薩摩は、生麦事件のあとの薩英戦争で攘夷の難しさを知り、方向転換をしたそうです。
その後藩の方針が倒幕に動いたのはいつごろでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

薩長同盟が成立したのは慶応2年(1866)1月ですね。


京都二本松の薩摩藩邸で、木戸と西郷、大久保、小松らが会談して成立したわけですが、
薩長両藩とも成立させることを前提に会談しています。

元治元年(1864)8月の第一次長州征伐以来、長州は長崎で貿易ができなくなり、
このため外国製の艦船や武器を購入することができなくなっていましたが、薩摩名義で
これらを購入してほしいとの木戸の提案を、西郷は「京都」で坂本竜馬から聞き、
この提案を受け入れています。
慶応元年6月のことです。
西郷がこの提案を受け入れたということは、この時点で薩摩藩として「倒幕」の方針が
固まっていたとみるべきだと思います。

なお、西郷は「京都」でこの提案を聞き、即座に受諾していますから、薩摩藩としては
もう少し前に倒幕の方針を固めていたと思います。
慶応元年5月、鹿児島で竜馬と大久保利通が会っていますから、薩長同盟の機運は
このころ芽生えたのでしょう。

維新直後、西郷は「攘夷というのは、あれは倒幕の名目だ」と言っています。
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徳川慶喜が将軍に選出された時です。

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薩長同盟からだと思います。


下記のサイトを参考に。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%92%E5%B9%95
薩摩藩と長州藩は和解、倒幕の密約を結ぶ。後、西の諸藩が倒幕の元に終結する。


http://www.eva.hi-ho.ne.jp/iwaemon/satuma.htm
1863年イギリス艦隊との間で行われた薩英戦争で外国の力を目当たりにし、以後開明策をとり、西郷隆盛、大久保一蔵らの改革派が活躍。1866年、薩長同盟を結び倒幕へとむかった。
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