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 江戸時代の切腹は、江戸初期では実際にお腹を切っていましたが、江戸中期になると刀や扇子を腹に当てるだけで介錯人が首を落としてお腹は切らないのが一般的だったと聞きました。江戸末期になると、またちゃんとお腹を切る切腹が一般化した様で、堺事件や神戸事件の時など、外国人の前で立派にお腹を切っています。
 そこで質問ですが、切腹が行なわれる際に(ただし、自分で勝手に切腹する場合ではなく、藩など、上から申し付けられての切腹の儀式での場合で)、実際にどれ位お腹を切るか、切らせるかは、誰が決めるのでしょうか。切腹を申し付けた方が、または切腹人を預かった方が、切腹の儀式の段取りの中で、決めてしまったのでしょうか。あるいは、切腹する人が、「見苦しくないよう、早めに首切って。」とか、「せめて最後は武士らしく死にたいので、介錯はぎりぎりまで待って。」などの指定が出来たのでしょうか。

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A 回答 (8件)

こんにちは。


切腹の作法は、切腹する人本人の意思、というか、家によっては作法が伝わってたりしますので、それが尊重されたようです。
例えば介錯を立てない自刀式の切腹もありますけど、本人が望めばそういうのもOKだったみたいです。
実際は、江戸時代になると平和な時代が続き、自分でお腹を切るのが怖くて・・・って人が殆どだったと思われます。
また、切腹する人を受け入れる家で気を利かして扇子腹(本当に切らないやつ)で準備してあげたりする事も多かったようですが、本人が望めば実際に切る事は出来たようです。

ただ、しきたりとして、切腹に承服できない場合、そこにいる介錯人と検分役に勝負を挑み切り倒してしまえば放免?というのがあったらしいので、本当に切るのを望まれた場合は、検分役も断るわけにもいかず、相当緊張したでしょうね。

切腹はなんでもかんでもお腹を刺して切ればいい、というのではなく、最後を形式美で美しく飾る、という非常に重要なポイントがあるのですが、これを全く知らず、憤怒に刈られて滅茶苦茶な切腹をして失敗した人が三島由紀夫です。

つまり、お腹に深く刀を刺してしまうと、腰や膝の関節が伸びて、状態が上がってしまい、前のめりに立ち上がって倒れる、という現象が起こるのは古くから知られていました。
その為、お腹はせいぜい腹筋程度までしか刺さず、座ったままで介錯を受けるのが介錯をつける場合の作法なのですが、三島さんはこれを知らずに内臓に達するまで深く刺してしまい、立ち上がりかけた為、苦しむ時間を減らしてあげようと介錯の人がほぼ同時に振り下ろした刀が肩口に当たってしまいました。
動揺した介錯人は3回太刀を振るっても首を落とせなかったらしいです。

ご質問最後の点は、そういうお願いは出来たし、受け入れられたようです。
ただ、最終的には介錯の人の腕と経験と意識によったでしょう。
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この回答へのお礼

早速の丁寧なご回答ありがとうございました。

>つまり、お腹に深く刀を刺してしまうと、腰や膝の関節が伸びて、状態が上がってしまい、前のめりに立ち上がって倒れる、という現象が起こるのは古くから知られていました。

なるほど、こういう知見が昔はあったのですね。三島由紀夫は知らなかったのでしょうか。わざわざ切腹という死に方を選んだにしては、見苦しい最後だったとのことで、疑問に思っていました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/14 23:46

江戸時代の切腹には自死(自殺)と賜死(死刑)があります。

   賜死の切腹では幕臣は大名家や他の幕臣に預けられ、そこで行う決まり(藩の場合もこれに準じたでしょう)がありました。    切腹作法書が何種もありそれに則って行ったようです。
戦国の気風の残っていた江戸初期を除き、切腹を納得した場合は短刀を押し戴いた時に介錯するのが普通だったようです。(扇腹も)
赤穂浪士の切腹で腹を突いた人はいなかっったと思います。
処分に納得しない時は短刀を腹に突きたて、時にははらわたを掴みだしたそうです。   美学の江戸時代は見苦しいと考えたようです。
江戸末期はまた武張った気性が盛んで戻ったようです。
大体腹切り人の意向が通ったことは先賢の書かれた通りです。   介錯人の身分(禄高など)を聞き気に入らぬ時は、替えてもらう事もあったそうです。   介錯人が身分を偽った話がありますが、これは真偽不明でも他にはあったそうです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2007/10/28 12:21

大体暗黙の了解で切腹刀を左手から右手に持ち替えて少しお腹に突き立てた時に首をはねていたようです、赤穂浪士の切腹は白装束に居住まいを正して一文字に腹を切ってから首を落としたそうです、ただ生麦事件の時は検分のイギリス人に切腹した内臓を自らの手で引き出して見聞のイギリス人の方に放り出すしぐさをした剛の者もいたそうです、其の時まで首刎ね役は待ってその後で首に刀を振り下ろしたそうです、気持ち悪がったイギリス人はその場から早々に退散したそうです、この様に大抵は場の雰囲気現代語で言うなら、KYで行っていたようです、回答になりましたでしょうか。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2007/10/28 12:20

 


>三島由紀夫は知らなかったのでしょうか<
 
 切腹の儀式を研究し、その流儀について異論があるとしても、自作の
映画でも十分にリハーサルを重ねたので、軍隊経験者や剣道有段者より
以上に、よく知っていたと考えられます。
 
── 短編《憂国 196101‥ 新潮社:スタア》
── 映画《憂国 19660412 東宝:ATG》監督・主演・脚色・美術
 
<PRE>
 三島 由紀夫 楯の会会長 19250114 東京  19701125 45 /割腹自殺/作家
 森田 必勝  楯の会会員 19450725 三重  19701125 25 /割腹(介錯未遂)
 古賀 浩靖  楯の会幹部 1947‥‥ 北海道       /介錯(逮捕服役)
</PRE>
 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
参考になりました。

お礼日時:2007/10/28 12:19

そういう話は具体的な制度があったわけではないです。

扇子腹や、死出の水(水だったり酒だったり)等、は世話人に意向を伝えるもので、基本的には世話人がその意向に従うものです。死装束だけは身内が用意するものらしいです。どの時点で介錯かも、切る前に介錯人に伝えるものです。切腹は最高刑ではなく、誇りある死でしたので、そのへんはまさに武士の情けで運用していたわけです。切腹を賜る・斬首に処す、表現を見れば一目瞭然なように位置づけが違うので、切腹の場合は本人の意向しだいで、それを周りの人間に伝えれば事が足ります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/28 12:17

江戸時代については下記のことから切腹方法は切腹する本人が決められると思います。


1.東大史料編纂所教授の山本博文が著書で切腹が怖くてできない場合は服毒自殺という方法もあったと述べています。江戸時代の武家制度研究が専門なので間違いないでしょう。

2.切腹に抗議する場合は介錯を拒んだ。これを恨み腹というそうです。既述の堺妙国寺事件も外国の圧力に屈した不当な切腹命令に抗議したものです。

3.私が記憶しているNHK大河ドラマのシーンを2つ。ひとつは合戦に敗れ自決する場合は頸動脈を切ってました。(番組名不明)既述回答のとおり、確実死ぬためでしょう。
 ふたつめは峠の群像で赤穂浪士が切腹する際、最年少の矢頭右衛門七(役者:野村義男)が切腹の作法を知らないので先輩に相談すると、先輩は「目の前の刀を取ればいい」ようなことを教えていました。既述回答のとおりです。

 *しかし実際はどうかというと以下は私の意見ですが、幕末維新の動乱期はまだしも、太平の江戸時代に実際には切腹方法を決めるのは難しいでしょう。切腹を命令する者と切腹場所を提供している者は別です。恨み腹をしたら場所提供者に迷惑がかかります。赤穂浪士は幕府命令で他の複数藩の屋敷に預けられ、そこで切腹しましたが、各藩は幕府の命令のもとに切腹を執行しているだけで、赤穂藩とはなんの縁戚、利害関係もないです。切腹にかかる費用は各藩負担です。しかも熊本藩、長府藩はお預け期間中にかなり厚遇してくれたようです。その藩に「腹を十文字に切って内臓を投げたところで介錯してくれ」とは要求できないでしょう。
 また、遺族、親類、縁者にも迷惑がかかります。そもそも切腹とは「死刑だったら家も断絶、親類、縁者も処罰されるぞ」(当時は縁坐制)だが、自分から切腹すればなんとかお家も残してやる、縁坐も最小限にしてやるぞ」というものです。武士はお家大事です。だから切腹のときにあれこれ(切るのを深くする)注文をつけるのは現実としてやらないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
江戸時代では、腹を切るにも、お家のことをまず第一に、なんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/15 00:37

こんにちは.


質問から少し逸脱しますが,
出典が定かで歴史的に信憑性など,
責任ある真摯な書物から一部を転載します.
法学博士である井上和夫の著書に,
『残酷の日本史』があります.

その中に「みせかけだけの切腹」という項目があります.
それの一部を転載します.

切腹はがんらい,自殺の方法だった.
永延年(988年),強盗殺人犯の藤原保輔が捕らえられたとき切腹したのが,
その最初だと言われている.
中略
その後,切腹は上から自殺を命じられる『賜死(しし)』と言う形で行われることが多くなり,
実質上は刑罰となんら異なるところはなくなってくる.
江戸時代の切腹も,自殺に偽装された死刑である.
上古の自尽も,賜死が多い.

ただしこの切腹と言う方法は,自殺の方法としてはけっして適当なものではない.
腹に刀を突き立てたとところで,簡単に死ねないからである.
頚動脈や心臓を付いた方が明らかに楽に死ねる.
死ににくい腹を突いたのは,
その苦痛にも臆しないという勇気を誇示したかったからである.
一文字・二文字・三文字・十文字・鍵十文字などの切り方があった.
したがって,刑罰としての切腹は,次第に形式的なものになり,
江戸時代の幕府法では,切腹を仰せつかった罪人が
三方にのせられた短刀に手を伸ばそうとする瞬間,
後ろに立った介錯人が首をはねることになっていた

その後には本物の短刀さえ使われなくなり,木刀を三方にのせて出した.
だから実質は,斬首刑と同じである.
赤穂浪士も,ほとんどが実際に腹を切っていない.
中略
切腹処刑のうちでも,最も壮烈だったのは,明治元年(1868年)堺妙国寺事件の,
土佐藩兵たちのそれだった.
この事件は,フランス軍隊に対する暴行殺傷事件で,
大阪土佐稲荷境内で抽選のうえ,死刑囚を決定し,
妙国寺で腹を切らせた.
そのとき,若い一番隊 箕浦猪之吉(みのうら いのきち)は,
フランス公使の面前で腹十文字に切って,自分の臓器をつかみ出して投げつけた.
驚き恐れた公使たち外人一同は立会いをやめ逃げ去り,ほかの囚人の処刑は免れた.

関連情報として参考になればと,
投稿しました.
お役に立つようであれば幸いです.

切腹の作法などが記された書物も持っていたのですが,
年齢とともに忘却のかなたに行っており,
蔵書の中から探し出すことがかなわず,
今回少し逸脱した内容の投稿を試みました.
ご不満の場合は,ご笑納ください.

なお著者の井上和夫,日本法制史専攻・法学博士
明治36年広島県生まれ.文部省人文科学研究員.司法省司法研究員などを歴任.
現在ご存命であれば,御年104歳になられておられるはずです.
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
長文の投稿をいただき、興味深く読ませていただきました。
箕浦猪之吉のような切腹は、今の人間には、あるいはおそらく江戸時代の侍でも、ほとんどの人には出来ない出来ないでしょうね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/15 00:33

藩にもよりますが、原則として自分で腹を切ることはまずなく、短刀を腹に当てるしぐさをしたところで介錯人が首を落とすのが普通だったようですが。

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切り始めてから切り落とすまで5分くらいかかるのでしょうか?

Aベストアンサー

>介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間って、どのくらいなのでしょうか?

他にも回答がありますが、「一瞬」の出来事でした。
介錯人との事ですから、切腹時の介錯ですよね?
切腹は「神聖」なものですから、介錯人も「選ばれた人材」なんです。
決して、名誉職ではありません。
一度の太刀で一瞬に首を(皮一枚残して)落さないと、介錯人だけでなく所属する一族・上司も「不名誉」扱いされるのです。
※太平の世になると、皮一枚を残す技術が難しくなったのでギロチンの様に首を落します。
ですから、一の太刀で失敗して二の太刀・三の太刀と増えるに従って「武士としての面目まる潰れ」となり笑いもの。
当初は、介錯に失敗すると「介錯人も処刑」だったのですね。

>人参を切る用に一瞬じゃ切れないですよね?

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余談ですが・・・。
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>介錯人が首を切り落とすまでにかかる時間って、どのくらいなのでしょうか?

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切腹は「神聖」なものですから、介錯人も「選ばれた人材」なんです。
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Q昔の時代、日本人の女性はどのように自殺しますか

つまらない質問、申し訳御座いません。

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優しい方法はあるかと思います。
昔の時代、日本人の女性はどのように自殺しますか。
それとも男性の切腹と斬首一緒ですか。

つまらない質問、本当に申し訳御座いません。(><)

Aベストアンサー

大抵は喉か胸を短刀で突いて自殺しますが、切腹した女性で有名なのは8代将軍足利義政の側室「今参の局」と言われておりますが、確実な話ではなく「彼女ならやりそうだ」という程度ではっきりはしません。
壇ノ浦で安徳天皇を抱いて入水自殺した「二位の局」のような投身自殺も多く、これは伝説ですが、織田信長の正妻「帰蝶」は夫とともに本能寺で焼身自殺したと言うのもあります。
明智光秀の娘で細川家に嫁いだ「ガラシャ(玉)」は宗教上の理由で自殺できず、家臣に命じて自分を殺させたのでこれも一種の自殺。
女性が優しくなったのは江戸時代からの話で、木曽義仲の巴御前など合戦に出てますし、岐阜県の岩村城では織田信長の叔母さんが城主として戦っております。
持統天皇も女性ながら天武天皇と同行し弘文天皇(大友皇子)と戦ったと言う伝説もあります。
一般の女性でも戦いで死んだ武士の首を化粧したり死体を目にする機会も多く、かなり殺伐としており、男同様と言う女性は多かったと思います。
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その日は一日、ぼーっとして過ごしました。三十数年経った今でも、あの日のことは、鮮明に思い出せます。

Q書類送検と逮捕の違い?

書類送検と逮捕とはどう違うのでしょうか?
書類送検の方が、拘束されないだけ罪が軽いような気がします。
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どういう場合に書類送検となるのでしょうか?
どうも分かりません。

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既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機関が知り、必要な証拠を集め、被疑者(=容疑者)の身柄の確保をしないとなりません。これを捜査と言います。
被疑者の身柄の確保というのは、「後で裁判になった時に被疑者の出廷が必要」なので逃げられては裁判ができなくて困るというのが第一点。それと「自由にさせておくと証拠を隠滅するかもしれない」というのが第二点。
ですから逆に言えば、「逃げも隠れもしない、証拠隠滅のおそれも無い」のであれば身柄を確保する必要はありません(一定の軽微な犯罪につき、更に例外あり)。入院しているような人間なら逮捕しないことはよくあります。この身柄の確保のための手続きが、「逮捕」であり「勾留(起訴前勾留)」です(起訴前と言っているのは起訴後というのがあるからですがここでは関係ないので説明しません)。
「逮捕」というのは、被疑者の身柄を確保する手続きの内、「短時間のもの」。具体的には、身柄を拘束し最大48時間拘束し続けることです。この制限時間が過ぎると釈放しなければなりません。
しかし、それでは困る場合には、引き続いて身柄を拘束することができます。これが「勾留」です。勾留は最大10日間身柄を拘束できます。なお、勾留は1回に限り最大10日間延長することができますから、都合20日間まで勾留できることになります(例外として25日可能な場合もあります)。

ところで勾留の申請ができるのは検察官だけです。ですから警察官が逮捕した場合には、検察官に勾留申請をしてもらうかどうか決めてもらう必要があります。そこで48時間の逮捕の制限時間内に検察官に証拠物、捜査書類と一緒に身柄を送致しなければなりません(刑事訴訟法203条1項)。これを「検察官送致、略して送検」と言います。無論、警察限りで釈放する場合は必要ありません。
検察官送致を受けると検察官は24時間以内に釈放するか勾留請求をするかしなければなりません。ですから、警察官が逮捕した場合の身柄拘束は48時間+24時間の最大72時間に及ぶ可能性があることになります。このような身体を拘束した被疑者を送検することを「身柄付送検」と言う場合があります。これはなぜかと言えば、質問にある「書類送検」と明確に区別するためです。ただ、一般には単に「送検」と言えば「身柄付送検」を意味します。

さて、では「書類送検」とはなんぞや?ということになりますが、まず前提として犯罪捜査は常に被疑者の身柄を拘束するわけではないということを知っておかなければなりません。全犯罪件数から見れば、身柄を拘束しない事件の方が多いです。身柄を拘束していない場合には、先に述べたように「(203条1項による)検察官送致」をする必要がありません。と言うか、身柄を拘束していないのでできません。たとえ逮捕した場合でも、警察限りで釈放すればやはり検察官送致の必要はありません。
しかし、それとは別に、警察は犯罪の捜査をしたら原則として必ず検察官にその捜査についての資料、証拠などを送らなければなりません(刑事訴訟法246条本文)。これを「書類送検」と呼んでいます。書類(証拠物、捜査資料、捜査報告書などなど)を検察官に送致するということです。正確には送致しているのは「事件」なのですが、実際に何を送るのかと言えば「書類」であるということです。
つまり、「(身柄付)送検」と「書類送検」は同じ送検でも別の条文に基づく別の手続きです。と言っても、(身柄付)送検をすればそのとき書類も一緒に送っているので、重ねて書類送検を行う必要はないので、(身柄付)送検は書類送検を実際には兼ねていますが(と言っても、身柄付送検をすれば書類送検をしなくていいのはあくまでも246条本文に「この法律に特別の定のある場合を除いては」と書いてあり、身柄付送検が「特別の定」だから)。

というわけで、「逮捕」と「送検」というのは次元の違う話であることがわかると思います。
まとめれば、
1.「逮捕」とは、捜査において被疑者の身柄を確保すること。
2.警察が「逮捕」した場合は、刑事訴訟法203条1項により、釈放しない限り48時間以内に被疑者の身柄を検察官に送致しなければならず、これを「(身柄付)送検」と呼ぶ。
3.「書類送検」とは、警察が捜査した事件について刑事訴訟法246条本文に基づきその証拠、捜査資料を検察官に送致すること。
4.「(身柄付)送検」は「書類送検」を兼ねている。
5.警察が「逮捕」した場合でも、釈放すれば「(身柄付)送検」はできないので、その場合は「書類送検」を行わねばならない。
ということです。

そして、「書類送検」するということは「身柄付送検」をしていないということですからつまりは「身柄を拘束していない」ということになります。身柄を拘束していない場合というのは大概は相対的に軽微な犯罪であることが多いのでその意味では、逮捕した事件(これを身柄事件と言う場合があります)に比べれば罪が軽いことが多いのは確かです。しかし、それはあくまで結果論であって、書類送検だから、逮捕したから、と言うわけではありません。既に述べたように逮捕しても身柄付送検せずに釈放すれば書類送検ということになりますし。

なお、先に述べたとおり、「捜査した事件はすべて検察官に送致する」のが原則(全件送致の原則)ですが、例外として検察官送致にしないものが幾つかあります。例えば、検察官が指定した事件について、月報でまとめて報告するだけの微罪処分ですとか、あるいは報告すらしない始末書処分などがあります。ちなみに、交通反則通告制度については、微罪処分の一種とする文献もあるにはありますが、多少なり疑問のあるところではあります。
そういうわけで、どういう場合に書類送検となるかと言えば、「刑事訴訟法246条前段に当たる場合」ということになります。もう少し具体的に言えば、「微罪処分等で済ませることのできない事件で、かつ、身柄付送検等もしなかった事件」ということになります。

ところで、前科というのが何かと言えば、これは法律用語ではないということになっているのですが、法律的に見れば「有罪の判決を受けたこと」を言うと思ってください。ですから、前科が付くためには、「裁判を経て有罪判決が出なければならない」ことになります。しかし、最初に述べたとおり「検察官送致」というのは単なる捜査手続きの一部でしかなく、この後で検察官が起訴するかどうかを決め、起訴して初めて裁判になるのですから、検察官送致だけではまだ前科は付きません。その後どうなるかはその後の話です。無論、逮捕だけでも前科は付きません。逮捕=有罪ではありません(そう勘違いしているとしか思えない報道が多いのは事実ですが、有罪判決が出ない限りは被疑者、被告人はあくまでも「無罪」です)。
ちなみに、捜査したが起訴しなかった犯罪事実について「前歴」と呼ぶことがあります。

既に適切な回答があるので蛇足かもしれませんが、刑事手続きがどうなっているのかを知ればその違いが自ずと分かるので刑事手続きの概要を必要最小限(のつもり)説明しておきます。長いですので覚悟してください。

刑事手続きの大雑把な流れは、
捜査->起訴(公訴提起)->公判->判決->刑の執行
というところ。全部話をするわけにもいきませんしその必要もないので質問に関するところ(主に捜査)だけ説明します。

犯罪が犯罪として処罰の対象になるためには、まず裁判に先立って、その犯罪の存在を捜査機...続きを読む

Q切腹や打ち首直前の人の心理はどんな感じだったでしょうか?

おはようございます。
質問です。
戦国時代の人物が、何かの責任を取らされて『切腹』したり、
『打ち首』になりますが、その直前の心理はどんな感じなのでしょうか?
『死への恐怖でいっぱい?』『生まれ変わったあと、次の人生、がんばろう。』『切腹でよかったぁ。』

先日、『今、おとなしく出てくれば打ち首ではなく、介錯付きの切腹だ!ありがたく思え。』『ははぁー、ありがたき幸せ。』って
シーンをテレビの時代劇か、何かの漫画で呼んだのですが、
いまいち、理解できません。
最近のゲーム世代みたいに、人生にリセット機能があると信じている
ってわけでもないでしょうし・・・。
よかったら、アドバイスをお願いします。

Aベストアンサー

切腹というのは「自決」の形を取ります。即ち、実質はどうであれ「過ちを恥じて自決すること」であり「刑罰」ではないのです。切腹は武士だけに許されることですので、死ぬ前も後も武士のままです。

例えば、ある藩の武士が何らかの理由で「切腹」となった場合、遺族はそれ以上責任を問われることはありません。本人の責任により家禄を削減されても、息子が跡を継ぐことが許されるのが普通です。

一方、「武士が『打ち首』になる」というのは大変なことです。武士としての身分を否定されることですから。本人が打ち首になった後、遺族は藩から追放されるのが普通です。その場合、「野垂れ死に」や「人狩りに捕まって飯盛女に売り飛ばされる」と言った悲惨な運命が待っているでしょう。

先年の映画「隠し剣鬼の爪」で、

* 主人公の親友が、藩に対する謀反の罪を起こし、百姓家に立てこもる。百姓を人質にしている。
* 立てこもっている男は剣客である。藩は、鉄砲隊で百姓家を包囲し、主人公に「あいつを説得して切腹させるか、討ち取れ」と命じる。
* 主人公は「犬コロのように鉄砲で撃ち殺されるより、武士として腹切れ」と呼びかけるが相手は応じず、刀を抜いて切りかかってくる。主人公が劣勢になった時、火縄銃で狙撃されて死ぬ。

というシーンがありました。「切腹を許す」というのは、罪を犯した武士にとっては非常にありがたい、寛大な処分なのです。

切腹というのは「自決」の形を取ります。即ち、実質はどうであれ「過ちを恥じて自決すること」であり「刑罰」ではないのです。切腹は武士だけに許されることですので、死ぬ前も後も武士のままです。

例えば、ある藩の武士が何らかの理由で「切腹」となった場合、遺族はそれ以上責任を問われることはありません。本人の責任により家禄を削減されても、息子が跡を継ぐことが許されるのが普通です。

一方、「武士が『打ち首』になる」というのは大変なことです。武士としての身分を否定されることですから。本...続きを読む

Q何故?お侍さんは刀を2本持ってるのでしょうか?

タイトル通りですが
お侍って腰の所に2本の刀(長刀と短刀)を、持っていていたのでしょうか?

Aベストアンサー

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・安土桃山の頃になると集団戦が
中心となったために、太刀が廃れ、
より扱いやすい打刀が主流となり
打刀(大きい方)が実用の武器となったわけです。

ちなみに腰に足緒(あしお)で吊る太刀に対して、
帯にさして用いる長い刀を打刀(うちがたな)といいます。

豊臣秀吉の刀狩以降、新スタイルの刀剣、新刀が生産されるようになり
大小拵、同じ鞘塗装、絵巻で統一された打刀と脇差の二本を腰にさす
武士の作法がしだいに完成されます。
江戸時代には幕府の規定で大刀・ニ尺三寸、脇差一尺五~七寸と
定格化されて、時代劇でみるような感じになったわけです。

この頃になると実用性はほとんど失われたので
拵も形式的なものになり、刃も薄く軽くされるようになっていて、
幕末の頃は、古刀(新刀以前に製造された刀)を用いる
示現流の薩摩藩士などとの戦いでは、刀ごと折られて頭を割られたという
事例がでたほどでした。ちなみにですが。

もともとは武士が持っていた
太刀というのが非常に大きくて
合戦のときは鎧の上からこれでぶん殴って
馬上から叩き落す、あるいは組み付いて
引きずり落としてから
脇差(短刀)を抜いて、喉元や脇の下をグサっと刺して
相手を殺していたわけです。
だから実用の武器は実は短い方だったわけ。

ちなみに太刀は非常に丈が長かったので、腰刀にはできず、
短刀のほうも古いものは丈が通常の刀と思うぐらいに長いものでした。

平安から鎌倉を通じてこのような
戦いの作法があったわけですが、
室町・...続きを読む

Q偏差値40というと、どの程度のレベルですか?

知人が偏差値40の大学を受けると言っています。ゼミナール?の偏差値分布で調べたそうですが、私は高校中退なもので、この40というのがどれくらいなのか分かりません。

英語・国語・数学でいうとどれくらいのレベルの問題が出るのですか?

また、大学全入時代ですが、偏差値40の大学を受けまくっても、落とされることもありえますか?

というのは、私の親戚ですごく頭の気転が利く人がいるのですが(たぶん頭はいいです)、試験場に行くと極度に緊張して実力が出せない、ということで、偏差値45くらいの大学に入って、不本意そうだったので、そういうこともあるんだな、と心配に思いました。

Aベストアンサー

偏差値は50で、全体のちょうど中間のレベルになります。
偏差値は45で、全体が100人いた場合の下から31%、下から31人目にあたります。
ですから、偏差値40ということは、それ以下で、成績は下から30%以下ということになり、かなり低いレベルになりますね。

せめて、偏差値50を目指してもらいたいものです。
今、偏差値40でも悲観する必要はないでしょう。
偏差値なんて、55ぐらいまでは簡単に上がりますから.
ただ、65を超えていくのは非常に大変です。
偏差値65で上位7%になります。

Q実際の殺陣はどうだったんでしょうか?

よくテレビや映画などで侍や武士同士が刀を使って切りあってやる殺陣シーンがありますが、チャンバラといわれるようなあんな格好いい戦い方だったんでしょうか?僕だったら怖くて隙を見つけて突くと思います。実際、剣道の有段者と剣道をして籠手をして突きました。戦国時代から江戸時代まで侍同士の戦い方は実際はどんな刀さばきだったんでしょうか?また一人で何人も相手して勝てるものなんでしょうか?また、鎧を着た武士は切られずにいられたのでしょうか?あまりにも映像が想像できないのでよろしくお願いします。また、実際の侍の殺陣の映像ってありますか?

Aベストアンサー

実際の剣術とTVや映画での剣の動きはまったく違います。殺陣(西洋ではステージコンバットといいます)は常に観客の目(あるいはカメラ)を意識し動きを大きく、派手にします。たとえばシュワルツネッガーの「コナン」ですが大きな剣を大きく振りかぶり派手にうごかします。しかし、剣術ではそのような動きをすると相手に攻撃のタイミングが読まれてしまいます。私の師は「コナンは下手なケンジュツ、スグコロサレマース」といつもいいます。特に突きの場合、剣先は小さく動かすのが大切で、相手の体の幅から出てしまったら危険な状態です。
西洋では日本より接近戦が多かったようです。ばら戦争当時の戦死者をまとめて埋めた墓地が発掘されたとき、戦死者のほとんどがスパイクや斧状武器によるもので、平均4~5個の骨に達する傷がありました。
(内臓に達する傷は残っていないので確認できません)この時代は鎧が発達し多くの兵士も鎧を着ていました。これを見ると一撃で人はなかなか死なないようですね。ちなみに日本の場合、もっとも致命傷として多かったのは石であり、次に矢、そして槍でした。

鎧を着た相手には甲冑剣術というのがあり、西洋では剣を棒術のように使い足や腕に絡めたり、脇の下や股間を狙いました。特に後期のプレートアーマーは強靭でしたから、ターゲットはそこしかないので非常に特殊でユニークな剣術になりました。

実際の剣術とTVや映画での剣の動きはまったく違います。殺陣(西洋ではステージコンバットといいます)は常に観客の目(あるいはカメラ)を意識し動きを大きく、派手にします。たとえばシュワルツネッガーの「コナン」ですが大きな剣を大きく振りかぶり派手にうごかします。しかし、剣術ではそのような動きをすると相手に攻撃のタイミングが読まれてしまいます。私の師は「コナンは下手なケンジュツ、スグコロサレマース」といつもいいます。特に突きの場合、剣先は小さく動かすのが大切で、相手の体の幅から出て...続きを読む

Qいわゆる江戸時代の娼婦はどうやって避妊してたんでしょうか

コンドームのない時代にどうやってたのかな?
とよく思うんです。

事のあとで洗浄するとか、外出しですか?
(あの時代にはピンと来ない方法ですが…)
それとも妊娠の都度、堕胎したんでしょうか?

ご存知の方いらっしゃったら、教えてください。

Aベストアンサー

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなものと、女性用として御簾紙という薄い髪を丸めたタンポンのようなものとがあったそうです。いずれも紙製の頼りないもので避妊率は極めて低い、ほんの気持ち程度のものでしかなかったようです。
それでも妊娠すると堕胎する場合がほとんどだったそうで、場合によっては遣り手(遊女を取り仕切る年寄り女…「遣り手ババア」は吉原のこの役職の女性が語源)に強引に堕胎させられていたとか。当然ダメージを負った女性の中には性病や容姿の悪さなどで追いやられた遊女達と一緒に羅生門河岸という最下級の場所に送られたとか。

…というと江戸時代=昔=封建社会という背景も助長して「女性がとても虐げられている」というイメージが強いですが、実は江戸市中でも最も女性が強かった地域でもあるのです。特に花魁ともなると容姿はもちろん最高級の教育を受けた教養の高い女性であり、「源氏物語は、全部読んでありんす」というスーパーウーマンであり、それぞれの廓屋の看板であり、身分の高い武家階級や大金持ちの大店の主人を相手にするにふさわしい女性であったのです。
廓屋が大枚を叩いて徹底的な教育を仕込む所なんざ映画「プリティ・ウーマン」を思い起こさせますが、あの程度の金の掛け方では花魁の簪ひとつ分くらいじゃない?というくらい破格のものでした。今風に言えば伊東美咲に叶姉妹やマリエやデヴィ夫人や西川先生の持っているそれぞれ10倍くらいのものを与えちゃった、って感じです。
おまけにこれだけのスーパーウーマンだから、誰でも床入りできるような「安い女じゃない」のです。なんと花魁が気に入らなかったら床入りを拒否出来ちゃったんです。「いっくら金積んだって、あちきはあんたみたいな下衆とは、お断りでありんす」だったんですな。それだけに花魁目的で廓屋に通う男達は身だしなみに気を使いセンス良く知的におしゃれして花魁に気に入られようと必死だったのです。事実一生処女のまま生涯を閉じた花魁もいたのです。

それなりに格のある身分の遊女はおいそれと抱く事はできなかった、というわけですが…今の時代もそうですね。銀座の高級クラブはもちろん六本木の超有名キャバクラ嬢だって、気に入らなきゃ「おめえとなんか寝ないよ、バーカ」です。故杉浦日向子さんは「江戸時代の江戸市中は女性主導の社会だった」と指摘している通り、実は花のお江戸は女性によって成り立っていたようです。それが男尊女卑に一変したのは明治維新以後…長州と薩摩の習慣が入ってきたせいかなぁ、と個人的には考えています。
もちろん廓屋という特異な世界では劇になるような悲惨な面もありますが、実は現代とさほど変わらない面もたくさんあるんですね。

吉原細見というHP(http://yosiwarasaiken.net/)に「遊女と避妊(http://yosiwarasaiken.net/moyou/hinin.html)」というサイトページがあります。それによりますと…

遊女(吉原の花魁などの幕府公認遊興場の売春婦=女郎;深川・辰巳などの岡場所の売春婦は売女と言った)の世界では妊娠は恥とされていた。当時は絶頂を迎えると妊娠しやすいと言われていたため「男に負けた」的な捉え方をしていたようです。
避妊の方法は「洗浄」「薬」「灸」それに「道具」。道具は男性用として大人のおもちゃのようなもの...続きを読む

Qパーセントの計算がまったく出来ません…

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○円で、65%オフ!?ということは○○円ですね!?」などとパッと暗算で計算しているのを見るととても驚きます。

暗算とまではいかなくても計算機(ケータイにもその機能はありますし)があればいいので、どういう計算式でその%オフされた数字を出すのか教えて下さい。

また、今のバイト先で、商品の売り上げ目標というのを作るのですが、先輩たちのミーティングを見ていると「目標○○万円でしたが、××円しか売り上げがなく、△△%の達成率となってしまいました」と報告をしているのですが、この場合もどのような計算式で計算しているのでしょうか?

消費税を出す場合につきましても教えて頂きたいのですが、今現在の税率は5%で、その計算をする場合は「定価×1.05」で出ますよね。なぜ、1.05をかけるのかわからないのです。

本当にお恥ずかしいのですが、どうか教えてください。まったくわからないので、出来る限り丁寧で細かい説明をして頂けると本当に助かります。よろしくお願いいたします。

本当にお恥ずかしいのですが、パーセントの計算方法を教えて下さい。

お店のバーゲンセールなどでよく「50%オフ」「45%オフ」といった表示を見ます。50%は半分ということは「感覚」でわかるので、定価が2000円ならその50%オフは1000円ですし、1500円なら750円と計算が出来ます。
ですが、たとえば75%オフだとか、44%オフだとか、80%オフだとか、そういう中途半端(?)な数の場合、さっぱりわからないのです。テレビなんかでバーゲンセールを取材している様子を見るとリポーターの女性なんかが「定価が○○...続きを読む

Aベストアンサー

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場合ですが、「オフ」=値引きです。
つまり、1000円の30%分を値引きします、ということですよね。
だから、元の値段1000円から1000円の30%分である300円を引いた
残りである700円が答えです。
でもそれを計算するのは面倒なので、ちょっとテクニックがあります。
30%オフということは、元の値段の70%分を求めればよいと考えます。
つまり、1000円の70%なので700円、となります。
ここまではいいですか?

次、達成率の計算ですが、、
目標100万円に対して売り上げも100万円だったら達成率は100%なのは
感覚的に分かりますよね?
つまり、達成率=(実際の値÷目標値)です。
%で表現する場合はこれに100を掛けます。(●%=●÷100だから)
たとえば目標50万円で売り上げ35万であれば35÷50×100なので70%になります。

最後、消費税。前述のオフとは逆で、消費税5%分を上乗せする、と考えます。
つまり、税抜き●円であれば、●円と●円の5%を足した金額が税込み金額です。
式にすると●+(●×5÷100)です。
これが基本ですが、先程のオフの計算のテクニックと同じ考え方が適用できます。
5%上乗せした額ってことは、元の値段の105%分を求めればよいと考えます。
ですから●×(105÷100)です。
ここで出てくる(105÷100)は1.05ですよね。
つまり、元の値段●に1.05を掛ければよいのです。

おまけ。暗算を早くするためのテクニック初級編として3つだけ書いておきます。
1.計算式に掛け算と割り算しかない場合、もしくは足し算と引き算しかない場合、
  順番を無視しても答えは一緒です。
  上の例でいくと35÷50×100は35×100÷50でも答えは一緒です。
  で、100÷50を先に計算して、それに35を掛けます。
  これならすぐに暗算できますね。

2.割り算の場合、前後の数字に同じ値を掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば35÷50であれば、前後に2を掛けて(35×2)÷(50×2)でも
  答えは一緒です。
  35÷50の暗算は一瞬悩むけど、70÷100なら簡単ですよね。

3.掛け算の場合、前後の数字を分解して細かく掛け算しても答えは一緒です。
  たとえば25×32を計算する場合、32は4×8なので25×4×8を計算しても
  答えは一緒です。
  25×4は100、100×8で800ということで25×32=800です。
  これなら暗算できそうですよね。

丁寧で細かい説明が希望とのことなので、ちょっと長くなりますが書いてみます。
数学的には無駄の多い説明ですが、分かりやすく説明したつもりですので読んでみてください。

1000円の50%は500円、30%は300円であることは分かりますね?
これは以下計算をしていることになります。
 1000×(50÷100)=500
 1000×(30÷100)=300
●%ってのは●÷100のことです。
で、▲円の●%を求める場合、▲×(●÷100)で計算します。

次、1000円の30%オフって場...続きを読む


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