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戦時中には石油・鉄鋼・食料その他が極端に不足したとは歴史の教科書で習いました。

そこで疑問なのですが、石油・鉄鋼に関しては資源を輸入に頼っていた為に不足したことは理解できるのですが、食料に関しては何故でしょうか?

当時から食料自給率は低かったとは思えませんし、働き手が不足しただけという説明もピンときません。

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

聞いた話ですが、当時は、まず一般市民よりも兵隊さんという考えが大変強かったそうです。

もちろん軍部の政策や世相等によるものでしょうが、普通の市民よりも、お国のために命がけで戦ってくれている兵隊さんに食料をはじめ、ありとあらゆるものを優先させていたようです。

 戦いに勝っていた日清戦争から太平洋戦争初期の頃までは、戦場の物資も潤沢で、うまくいっていたようですが、中期・末期になると日本は連戦連敗で、一般市民を2の次・3の次にして集めた多くの物資も戦場に運ぶ途中に、輸送船(団)がことごとく撃沈されてしまい、食料をはじめ兵器も他の物資もその多くは海のもくずと消えていきました。

これはもともと日本軍部が兵站を軽視していたのに起因しています。

そして戦争も末期になると、送っても送っても戦場では物は足らなくなっていったようです。
その結果国内では、「欲しがりません勝つまでは」と言われるほど、国民の生活は窮乏していったようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
戦地への物資補給のために食料不足になったということですね。

お礼日時:2002/08/26 23:09

3000万人程度の自給率というのは、


すべて国内の資源で賄うという前提の計算だそうです(出典は忘れてしまいました)、

食料(農産物)の輸入というよりも作り出す為の肥料(リン酸や窒素肥料、窒素は火薬の生産に回すなど)や輸送用燃料の不足や、
戦争によって漁業の操業ができなくなる(船や人員不足による輸送手段の確保の問題、敵国による攻撃の為に操業できない)とか。
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。
色々な要素が絡み合っての食糧難だったということが分かりました。

お礼日時:2002/08/28 19:13

いくつかの理由が複合していたと考えられますが、



1 輸送力の低下
  ただでさえエネルギー不足、その上軍事輸送優先。民間のトラックなどはほとんどなし。つまり、農村部に米はあっても運べない。
2 魚等漁獲高の減
  エネルギー不足、人手不足等による漁獲高の減があります。また、氷等の保存用資材の不足もあり、獲っても腐らすだけの状態も・・・。
3 加工手段の減
  米でさえ玄米の状態での配給(一升瓶に玄米を入れて棒で突いて精米している場面を見たことはありませんか。)でしたから他の食品は・・・。

 結局、有るところには有ったのです。
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この回答へのお礼

なるほど、輸送力の低下には納得しました。都会から田舎に食料の買出しに行ったという話しは聞きました。
また、漁獲量の減も納得しました。漁業は男手の仕事ですもね!
それに加工手段の減ですが、瓶での米つきシーンは映画とかで見たことがあります。
結局、有るところには有ったという説明は納得できました。

ありがとうございました。

お礼日時:2002/08/26 19:39

確たる証拠は無いのであくまでも個人的な意見ですが、


日本の国土では3000万人程度しか農産物の食料自給はできません(今の人口だとアルゼンチンぐらいの面積がいるそうです)、
当時の人口は判りませんが少なくとも8000万人はいたと思います、

それに今と同じで肥料やエネルギー源となる石油の供給が絶たれたら農業はできないと思いますし、

自給できない状態で戦地に食料や物資を送っていたのですから、
不足するのも当然では。

この回答への補足

>日本の国土では3000万人程度しか農産物の食料自給はできません
ということは、当時も食料の輸入量は多かったということでよろしいのでしょうか?

>肥料やエネルギー源となる石油の供給が絶たれたら農業はできないと思いますし
具体的にはどういうことでしょうか?

質問ばかりですみません。

補足日時:2002/08/26 19:34
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