【大喜利】【投稿~9/18】 おとぎ話『桃太郎』の知られざるエピソード

今、私的理由から江戸時代について調べています。
そこで、疑問に思ったのですが、江戸末期の生活様式や社会は一体どんな感じだったのでしょうか?
江戸時代はとても長く、一時期の生活様式(中期くらいでしょうか?)しかわかりませんでした。
さらに、どうやら江戸と上方では生活様式が違ったそうなので、私は本当にごく一部の、簡単なことしかわかりません。

当時の人々がどのような生活をしていたのか、よろしければ教えてください。

A 回答 (4件)

#2です。


江戸学の祖と呼ばれる大事な人を忘れていました。

三田村鳶魚(みたむらえんぎょ)

です。彼は膨大な本を書いていますが、そのほんの一部をを読んだ事があります。文庫本で余り厚くない本も手に入ります。ウェブサイトで探してみると良いでしょう。
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この回答へのお礼

再度のご回答、ありがとうございます。
「三田村鳶魚」で検索したところ、
本当にたくさんの本を書かれていることがわかりました。
今度、この方の著書を探してみようと思います。
本当にありがとうございました。

お礼日時:2007/10/28 23:39

江戸と上方との生活様式の相違というのは思いつきませんが、少なくとも江戸は参勤交代で各地の武家社会の影響を色濃く受けて一種の混淆文化といえるようです。


従って先端文化と田舎の文化とが混じった感じを受けます。

これに対し上方は経済と伝統文化の影響を受けていたようです。
この為、例えば料理の味付けは薄味、繊細となりいわゆる京料理の伝統が発達しておりこの事は足利幕府で織田信長の歓待をしたとき、料理の味付けが好みに合わず何度かやり直し、やっと好みにあう料理が出たという逸話がありますが、この理由を聞かれた料理人が最初は京風の味付けでしたが次々に田舎風に味付けを替えていったら気にいったので信長は田舎者ですと答えたそうです。

下りものというのは清酒や醤油などの調味料、西陣織など関西風の産物が江戸で珍重され高価に取引されたものです。
一種の文化的カルチャーショックといえる心理かもしれません。
回答になりませんがご参考に。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 「下りもの」というのは、関西の産物が江戸で珍重されるというものなんですか!
そういえば、以前ラジオでそのような話を耳にしたような………。
江戸の人々は上方に一種の羨望感を抱いてたんですね。
 また、上方は繊細な文化ということで、言われてみれば「ああ、本当だ!」と納得できました。
上方の文化を端的に言いあらわした素晴らしい表現ですね。
江戸は田舎のようで先端のような、面白い文化なんですね。さらに興味がわきました!!
 komesさんのおかげで、もっと江戸時代が好きになりそうです。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/10/28 23:44

明治の初期に江戸時代の文化が否定され、凄い勢いで忘れられて行くことに危機感を抱いた大学の先生方が、明治の中後期に旧幕の関係者を招待して諮問会を開き、その聞き書きを残しています。



「旧事諮問録」:江戸幕府役人の証言 (岩波文庫)

その中に、江戸時代の役所の制度、裁判所制度、大奥の事、将軍の日常生活(毎朝何時に起き、どんな食事をするか。一日の職務の振り分けや剣道の練習時間はどうか。どんな着物を着るか。奥方は一日何回着替えをするか)など驚くことがいっぱい書いてあります。したがって、この本は時代小説家の種本としても定評があります。参考にして見て下さい。
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この回答へのお礼

ご返答、ありがとうございます。
早速、この本を調べてみようと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/27 10:20

お下がりとか下がり物っていうのは、重要視したみたいですね。


文化レベルに関西と関東では圧倒的な差が当時はあったのでしょう。
昭和の後半でも上等舶来でした。nikonとかdatsunとかが
世界に認められたのと、江戸(東京)が世界的ポジションを得たのは似たような時期で、それまでは戦国時代では考えられないような、
卑屈な生活をしていたのだとおもいます。
機関銃も大砲も全て舶来もので、世界相手に戦争を始めたなんて、江戸時代があったゆえかもしれません。
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この回答へのお礼

ご返答、ありがとうございます。
けれども、「お下がり」や「下がり物」というものは、一体どのようなものなのでしょうか?
勉強不足で申し訳ございません。

お礼日時:2007/10/27 10:19

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