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以前にも出ていますが改めて質問させてください。
私は将来教員を目指す大学生です。
集団塾でもアルバイトをし、教育実習にも行って感じたのですが
最近、習熟度別にクラス分けをされていることがよくあります。
集団塾で(教科は数学、学年は中一)教えていても、やはり
クラス分けがされている方が教えやすく良いと思うのですが
皆さんはどのように思われますか。
学校でも適用していくべきだと思いますか。
補足として、クラス分けされて下位のクラスに行った生徒の
気持ちは配慮する必要があると思います。
賛成、反対どちらの意見でも良いのでお聞かせください。

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A 回答 (7件)

#1です。


#3番様の回答を読みながら少し補足しておくことにしました。
私も全てを習熟制にしたほうがよいとは思っていません。一番極端には道徳の時間などはむしろ一緒にやるほうがよいだろうし、またそうあるべきだとも思いました。ただ、どの科目をどの程度すればよいかという問題は明らかに多くの議論を要するため、あえて省略したのです。
 質問者様の質問が教員を目指す大学生として、学校教育の現場への習熟性導入の可否という質問であったために、現在習熟性の導入を一切否定している公立小中を対象としてまず「導入すること」への賛成、という立場を展開したものです。
勿論導入にあたっては範囲や方法など細かい配慮が必要なことは言うまでもありません。ここに関しまして私が最後に簡単に2行で表現した内容だけでは質問者様にも、また他の回答者様にも誤解を与えることに気づきあえて補足投稿をすることにしました。

投稿の主旨はここまでですが、#3番様が書かれていた「習熟制にしても全体の理解度は変わらない」という研究結果にはおおいに疑問を感じます。上の子供は小学校5年と6年の時、校長の許可を頂き、算数の時間は先生の話を聞かず、自分で勉強を進めてもよいということをしたおかげで随分力がつきましたし、下の子は半分落ちこぼれだったのをくもんで低学年からの学習を自分のペースで続けることをきっかけに人並みまでもっていくことができました。どのような調査方法かはわかりませんが、そのまま信用するにはあまりにも実感とかけ離れた結果でなにか恣意的なものを感じてしまうというのが感想と本音です。
#3番様への反論ではありませんので、ご無礼をお許しください。
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この回答へのお礼

yasu2209さん、丁寧に補足を頂きましてありがとうございます。
No.3さんの「習熟制にしても全体の理解度は変わらない」というのは
私も疑問に思います。習熟度別学習にする理由は「理解度があがる」
ということですから、それが変わらないのであれば習熟制の意味が
ないということになりますね。

お礼日時:2007/11/02 21:41

はじめまして。



この場では賛成も反対もしません。
が、習熟度別の編成を考える際には、表面的なメリットのみならず、裏に潜む危険性についても考えた方が良いのかな、という段階に来ていると思っています。


先の回答者の方の書かれていた、「全体のレベルは変わらない」という状況も、実は充分にありうる話なのです(確か、どこかで調査した結果として発表されています)。
理由として挙げられるものの中に、確かに「集団による学び」が行えない、ということもあります。おんなじレベルが揃うと、中位・下位の子供は目標を見失う、ということもあります(計算が異常に早い友達がいるから、もっと自分も頑張らなきゃ、とか思える子もいるはずです)。


あと、もう1点。

高校など入学者選抜を行っていない、公立学校の小中学校などで、下位グループの集団を編成すると、その中でかなり多くの割合で、不登校、不良、発達障害(いわゆるADHD、LD、アスペルガー、高機能自閉、その他知的障害等)をお持ちか、そのグレーゾーンにいる子が含まれてくるはずです。
そういった集団をまとめきり、学習を成立させることは、非常に難しいのです。個々の教育的ニーズが、全く異なるからです。
(こういった子を育てるために、集団の力というのは、有効だったりします。そういう意味でも、習熟度別にしない方がよい場合もあります)


もちろん、プライドの問題もあるでしょうね。
グループ編成時に思ったように行かないことで、学習意欲が下がることも、充分に考えられるはずです。


もう一度書きますが、私は賛成でも反対でもありません。
どちらも良いとこ悪いとこがありますよ、という意見です。
ただ必ずしも、指導者が教えやすい=良い、ではないと思ってはいます。
参考まで。
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私は賛成です。



>クラス分けがされている方が教えやすく良いと思うのですが皆さんはどのように思われますか。

一番のメリットは“生徒自身が学びやすい”というところにあると思います。

学力には個人差があるため、高い学力をもっている生徒はAクラス、真ん中くらいの学力をもっている生徒はBクラス、学習への理解が不十分な生徒はCクラスというように分けることで、それぞれの学力に応じて教師側の指導・支援の仕方を工夫することができますし、生徒は自分のレベルに合った進度や学習内容で取り組むことができるので、理解しやすいです。

また自分の努力によって学力のレベルが上がってくれば、BクラスからAクラス(CクラスからBクラス)に移動するといったこともできます。

学校に限らず習い事でもそうです。初めて習う人がいきなり上級クラス(プロ育成クラス)に入れるわけがありません。またスポーツの世界でも一般人がオリンピックのマラソン選手といっしょに42キロを走れるわけがありません。

自分に合ったレベルで努力を重ね、そのクラスの中で順位を上げていき、より高いクラスに行くということが重要になってくると思います。

学力が高いのに低いレベルの学習内容を取り組むことは時間がもったいないですし、学力が低く授業の内容が分からないまま学校生活を過ごすことも残念なことですからね。充実した学校生活を送るためには、やはり自分の学力に応じた習熟度別クラスの編成がより効果的だと私は思います。


>クラス分けされて下位のクラスに行った生徒の気持ちは配慮する必要があると思います。

生徒やその保護者が納得しないままでいると、せっかく習熟度別クラス編成をしても学習の効果が高まりません。生徒自身や保護者の理解があってこそ実現できるもので、それを無視して行っていては意味がありません。生徒が納得すれば、学習意欲も高まりますからね。

参考になれば、嬉しいです。
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#3です。


>「習熟制にしても全体の理解度は変わらない」というのは
私も疑問に思います。

なるほど、あまりにも常識とかけ離れた結論なのでそう思われるでしょうね(私は教育学の研究者、一応専門家です)。でも、学校の教員なら、教えやすい・教えにくいは別にして、効果としては「それほど変わらないんじゃないかなぁ」という直感は持っている方が多いと思います。

これは事実なのです。「全体の理解度」という言葉がポイントです。普通、習熟度別のクラス編成をする場合、学年が単位となりますよね。それで、学年のトータルとしての、テストの得点を調べると、通常の学級単位に授業をした場合と変化がないのです。

もちろん、#1さんのお子さんのように、個別に見れば伸びる子もいます。でも逆に落ちる子もいるのです。そして、学年全体を見ると、実は変わらない、のです。
この理由も、ほぼはっきりしています。中程度の子供が伸びないのです。
詳しくお話をしましょう。

上位の子は、変な話ですが、普通の学級編成だろうが習熟度別クラスだろうが、内容をきちんと習得します。もちろん、習熟度別クラスにした場合には、難しい応用問題などに触れる機会は増えますが、テストの場合そうした問題は出しませんから、その単元の内容に限っていえば、同じ事なのです。
次に下位の子供なのですが、こちらはあまり効果がありません。何故かというと、下位の子供の「分からない」は本当に個別の「分からない」であって、30人のクラスが5人になっても、個別指導をしない限り同じ事なのです。例えば、(私は小学校教育が専門なのでそちらでお話をしますが)小数の割り算が「分からない」子供が3人いたとしても、一人はそもそも九九が分からない、一人は小数の理解ができていない、一人は整数の割り算でつまずいていた、となると、いくら少人数にしても一律の指導はできません。
では、現行の習熟度別学級編成は、そこまで戻るかというと、戻りません。なぜかというと、「途中の道筋は違ってもゴールは同じ」が建前だからです。限られた時間で、同じゴールを目指す以上、四年生にかけ算の九九から教え直している余裕はないからです。

最後に中位の子供なのですが、この子達にとって、習熟度別は大事な授業の過程が抜けてしまうのです。それは、「基本を覚えるにあたって、人の間違えや、人の優れた考えを見る・聞く」という機会です。
実は中位の子供にとって、先生の説明は、よく分からない場合、きちんと理解しきれない場合が多いのです。この子供達は、
○授業の過程で先生の質問に友達が答える
→間違っていて先生から直される
→上位の子供の優れた考えを聞いて感心する
○黒板に出て問題をやる
→人の間違いを見て、自分の同じ間違えノートをこっそり直す
→先生にほめられたやり方を真似する

こうした過程を通して、理解を深めていくのが普通なのです。これは大人でもありますよね。つまり、上位の子や下位の子がいるから、理解が進むというのが事実なのです。同じ程度の子供が集まると、こうした機会がごっそり抜けてしまい、「何でだろう」という疑問が残ったまま、練習問題に取り組む時間が増えてきます。もちろんこれは、全員がそうだ、ということでなくそういう子供もいるということです。

こうした結果、トータルとしてみた場合、実は変化が無いのが事実なのです。

ですから、アメリカではこんな馬鹿な(と言っては言い過ぎでしょうが)編成はしません。もっとはっきり上位の子供はaccelerator class と言って上の学年の内容を勉強します。3年生で5年生くらいの内容を教えます。逆に、できない子にはマンツーマンです(もっともそもそも人数が少ないですから)。つまり、「道筋も違うし、ゴールも違う」のが本来の習熟度なのです。「道筋は違うが、ゴールは同じ」ならば、かける時間が変わらなくては物理的に不可能です。
保護者の皆さんが、現在の学校教育にそこまで割り切りを認めるなら、話は別です。
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賛成される方(質問者さんも)は、たいてい算数・数学を引き合いに出されるのですが、他の教科はどうなのでしょうか?


小学校高学年なら、あと7教科(国・社・理・音・図・体・家)。中学校なら8教科あります。それに加えて道徳・総合もありますね。これらの教科もやはり「習熟度別のクラス分け」が良いのでしょうか?

例えば、体育などで、できない子、上手ではない子をみんなで手助けするという光景には反対ですか、賛成ですか。習熟度別ならこういう光景は無くなります。音楽で合唱をやるとき、上手な子の声に助けられて声が段々出せるようになる、こういう事もなくなります。

みんなが分からないなりに不十分な意見を言い、人の意見を聞くことで考えを深めていく。現場の教員なら誰でも知っている、日々の授業です。これは算数の授業でも見られます。これも無くなるでしょう。

学校の勉強って、そんなに効率ばかりを求めるものですか? 色々な子がいて、一緒に勉強するから分かる事ってあるのではないですか?

私は、習熟度別のクラス分けを全否定するわけではありません。限られた教科の、限られた場面で、限られた子どもには効果的なのかもしれません(実は、習熟度別にしても全体としての理解度は変わらない、という研究結果は出ているのですが)。「教えやすい」のは事実です。特に、理解度の早いクラスを持てば、素人でも教えることができます。
でも教員を目指す方にはちょっと立ち止まって考えてもらいたいです。学校って、子どもの成長のために、わざわざ非効率なことをやらせるところでもあるんです。

例えば、わざわざ子どもに挨拶の言葉を考えさせます。そんなの大人が書いてやった方が効率的で、上手です。でも、それはしていけないところです。低学年の給食の配膳なんて、先生がやった方がずっと上手で早い。でも、わざわざ下手くそな子どもにやらせて、時間を浪費しています。
なんで? それが学校だからです。
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この回答へのお礼

hukuponlogさん、貴重な反対意見ありがとうございます。
私は数学の教員を目指していますので設定を数学にしましたが
では道徳で習熟度別クラスを、あるいは音楽で…となっていく
とこれはやはり疑問の声が出てきそうです。
効率だけを求めない、それが学校なんだということですね。
難しい問題で何かしらの条件(学年や教科)を付けないと
答えが出そうにはありません。いや、そもそも答えなど
無いのかもしれません。

お礼日時:2007/11/02 21:36

3人の子供の母です。


私も賛成です。同じ親の子でもそれぞれです。さっさとわかって先に行きたがる子、100%わからないと「全くわからない」と自信をなくす子、好きなものしか頑張らない子(^^;) 全員同じ授業じゃきっとどこかでその子その子に合わせたフォローが必要と日々感じます。

公立の学校でしたが、算数の習熟度別クラスをときどきしていました。その時、どのクラスに行くかは子供本人が決めていました。うちの子の場合、同じ成績でも一人はレベルの高いクラスに行きたがり、一人は一番下のレベルから順々にやりたがりました。塾のように先生のほうがクラス分けするのと違って自分で選ぶ場合下のクラスでもあまりコンプレックスを感じないようです。また、クラスをこまめに変えられるといいと思います(単元によっても得意、不得意があるので)。
習熟度別ではないですが、授業で簡単な問題から難しい問題までいくつかのレベルのプリントを用意して自分にあったものをやる、と言うのもあるそうです。
現場の、子供に直に接する先生が増えなきゃきめ細やかな習熟度別ってできないんでしょうかね。
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この回答へのお礼

hanababaさんありがとうございます。
習熟度別クラスでどのクラスに行くかは自分で
決めるというのは算数なら良いかもしれません。
自分で選ぶなら嫌な思いをすることもなくなりますし。

お礼日時:2007/11/02 21:30

私は賛成します。



私の子のうち一人は中学に通っていますが、いくつかの教科においては2年から10年くらい進んだ学習をしていますから学校(公立)の授業はまったく時間の浪費になってしまっています。この時間を別のこと、例えば音楽やスポーツ等に使えたらどれだけ豊かな人生を歩ませてやれるだろうといつも歯がゆい思いがあります。
 
またもう一人の小学生の子は一時期学校の授業についていくのが困難なほどに授業がわからず、これまた時間の浪費をしてしまいました。
塾などの助けを借りてでやっと普通にはついていけるようになりましたし、今は勉強は新しいことを知ることが出来て楽しいとまで言うようになりました。しかし当時は随分自信をなくし自分の居場所を「ひょうきんで面白いやつ」というところに求めるようにすらなっていたのです。あのまま学校だけの授業で過ごしていたらいったいどうなっていたのだろうと思うことがあります。
 
今の公立の学校の平等主義にも良い点はあると思います。しかし一方でそれが、個人の能力や特性に応じたカリキュラムを組むことを許さず、結局時間を浪費させ、豊かな人生作りの妨げとなったり、場合によっては人格形成の妨害要素になったりする場合もあります。

また社会的側面から考えても、この平等主義がどれだけ日本の国際競争力を落としているのだろうとも思います。それは優秀な子の生著の芽をつむという意味でも、授業についていけず落ちこぼれを生むという意味でもです。

出来る子供には知的好奇心を十分に満足させてやれる教育を。
比較的遅れた子供には成長する喜びを与えてやれるような教育を。
それぞれに工夫していくことを前提として、習熟度別クラス編制に賛成します。
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この回答へのお礼

yasu2209さんありがとうございます。
平等主義によって競争力を失うというのは
その通りだと思います。私はまだ社会に出ていませんが
社会に出れば競争ばかりだという友人の話も聞きます。
生徒に合わせた指導は効率的ですね。

お礼日時:2007/11/02 21:28

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Q習熟度別学習のデメリットとは?

こんにちは。
大学で学校教育についての講義を受けていて、
習熟度別学習についての説明を聴いていたのですが、
そのときはそのメリットが多くあるように聴いたのですが、
では逆にそのデメリットはないのかなと思いました。
そこで質問があります。

習熟度別のデメリットとは何ですか?

どうぞ教えてください。宜しくお願い致します。

Aベストアンサー

理論的・理念的な問題はともかくとして、おそらく多くの教員が実感しているのは、

1.「分かる生徒の分かり方は一様だが、分からない生徒の困難は個別で多様だ」ということ。

例えば、小学校4年生の算数「わり算の筆算」で「習熟度別編成」をして、実際に教えてみれば分かりますが、分からない子が「どうして分からないか」という理由は実際、本当に個別バラバラなんです。その単元の内容が分からない、前の学年の内容(あまりのあるわり算の暗算)が定着していない、抽象概念の理解力が劣る(商を立てることができない)、そもそも九九が怪しい、イヤもっと前の繰り下がりの引き算が・・・原因は様々で結局のところ個別に指導をするしか方策は無い、というのが実感です。

もちろん「習熟度」ということを細分化して対応すれば可能でしょうが、そうなると「習熟度別」ではなくて「個別」です。で、#1さんが書いておられるように、そこまで対応できるキャパは学校にはありません。結果的に、「分からない子」は分からないままで、「できる子」だけが高度な内容をどんどん進める、ということになります。

これは、理論や理念の問題ではなく、現実の学校現場の物的・人的な限界から来るものです。

2.学習に対する刺激・励まし合いが減り、「中程度の子ども」でモチベーションが下がるということ
教室の学習というのは、先生から教えてもらうだけではありません。友達の答えを先生がほめたり、友達が間違いを指摘されたり、「優れた子」の発言を聞いて納得したりということで理解を深めていくことは、例えば算数の場合でも普通にあります。

また、「あいつが計算テストで100点取ったから、俺も負けないで頑張ろう」とか「あの子が、ドリルで○ページまでやったんなら、私も家に帰ってそこまでやろう」というような意欲を受ける場面も教室では見られます。特に「中程度の子」は上位の子から、そのような刺激を受けてモチベーションが高まります。

反対に、「分からない子」の間違いから、自分の間違いや勘違いに気付いたり、その子達にちょっと教えることで理解を深めたりすることもあります。

ところが、習熟度別では、特に中程度の子どもは「ドングリの身体検査」ですから、刺激を受けたり理解や思考を深めたりする機会が少なくなってしまうのです。結果的に、その子達は習熟度別でも通常の学級編成でも効果に差が見られない、なんてのは現場の実感でしょう。

指導に問題があるのだ、と言われればそれまでですが、教室でのダイナミックな学び合い、というのは多様な子どもがいるからこそできる、というのはたぶん多くの先生の実感だろうと思いますよ。

理論的・理念的な問題はともかくとして、おそらく多くの教員が実感しているのは、

1.「分かる生徒の分かり方は一様だが、分からない生徒の困難は個別で多様だ」ということ。

例えば、小学校4年生の算数「わり算の筆算」で「習熟度別編成」をして、実際に教えてみれば分かりますが、分からない子が「どうして分からないか」という理由は実際、本当に個別バラバラなんです。その単元の内容が分からない、前の学年の内容(あまりのあるわり算の暗算)が定着していない、抽象概念の理解力が劣る(商を立てるこ...続きを読む


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