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藩内で内戦を行っていた時、藩主毛利敬親、家老?木戸孝允は
藩の主流派、高杉派のどちらに付いてどのように行動したのでしょうか?

A 回答 (2件)

>亡命とはどんな理由でどこへ行っていたのでしょうか?


亡命の理由は反対派(俗論党といわれる。)が藩の政権を握っており、桂小五郎は高杉の兄貴分のような存在でしたから帰藩すると殺されかねなかったからです。
桂は剣術も免許皆伝で腕には自信があったようですが、逃げ足は速いほうで、それが明治まで生き延びられた一因です。
どこにかというと、場所は一定せずに隠れ歩いていたようです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
第二次長州征討に対して、長州の中では大変な葛藤があったのですね

お礼日時:2007/12/25 22:43

藩主は「そうせい候」といわれたように特に自分の意志を出す人ではなかったので、つねにそのときの藩政権に反対することはありませんでした。


木戸孝允(桂小五郎)はこのときはまだ亡命中で、政権についたのは内戦が終ってからです。(家老ではありません。このころの家老は藩主と同じく象徴的なポストでした。)
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました
亡命とはどんな理由でどこへ行っていたのでしょうか?

お礼日時:2007/12/25 21:18

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