こんにちは。
どなたか教えてください。
サルトルがカミュの葬儀の際によんだ弔辞のテキストを探しています。
どこかに載っている本や雑誌などないでしょうか?
ずーと探しているんですが、どういう風に探せばいいのかもわかりません。
読んでみたくてしょうがありません。
邦訳したものでもフランス語でもかまいません。
フランス語はできませんが、辞書片手に翻訳する覚悟です!!
あとメルロポンティの葬儀の際の、サルトルの弔辞もあわせて読んでみたいです。それぞれの関係を考えるときに、すごく気になります。
だれかーたすけてー
お願いします。

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A 回答 (1件)

 こんにちは。

カミュの方は分からないのですが、メルロ-ポンティについて参考になればと思いました。
 メルロ-ポンティ著『弁証法の冒険』(みすず書房)の336頁にこうあります。
「僚友サルトルの手になる感動的な追悼文「生けるメルロ=ポンティ」も邦訳されているので(平井啓之訳、人文書院版サルトル全集『シチュアシオンIV』に所収)」

 十年位前には『シチュアシオン』が書店に置いてあるのをよく見ましたが、最近は見かけません。古本でないと入手できない気がします。

 それにしてもいいセンスですね!私はメルロ-ポンティとサルトルのすれ違いにとても興味を持っています。上掲の『弁証法の冒険』にはサルトルへの批判が載っているのですが、とても難しい。いろいろと経緯があったらしく、遡って両者の前の論文等を読まないと理解できないようです。(~_~;)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。!!
今、必死になって検索して探しています。
見つかればいいんですが・・・

カミュへの弔辞は、「革命か反抗か」の邦訳のあとがきで少しふれていて、とても感動的で見事だ ということらしいので
うー読んでみたい。

最近、「サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡―決裂の証言」というものを読みました。とても、おもしろかったので・・
もしご存知であれば忘れてください。

「シチュアシオン」ですか。なんとか早く手に入れてお正月休みで読みたいな。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/28 01:20

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Q【哲学】ニーチェ→サルトル→?ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?ニーチェ→サルトル→の源流

【哲学】ニーチェ→サルトル→?

ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?

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ニーチェ→サルトル→以外の源流を組む哲学もあるんですか?

Aベストアンサー

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その神を追ひもとめてゐたのではないでせうか。宗教をふくめた人間そのものを肯定したのがニーチェです。当時のドイツの尊大な学者についてかう書いてゐます。
「学者はこうして自信をもって、その本能によって、宗教的な人間は、自分よりも価値が低い劣った人種だとみなすのである。」
(ニーチェ『善悪の彼岸』第3篇58 中山元訳 光文社文庫 140,141ページ)

先日別の質問にも回答いたしましたが、ネット情報ですませてゐたのでは、プラトン、アリストテレスなどの名前だけでありがたがつて、表面的に高尚な哲学だと信じこむだけです。私なら
プルタルコス→エラスムス→ニーチェ
です。哲学カテゴリのみなさんの見解もさまざまです。マキアベリやモンテーニュの名をお出しになる方もいらつしやいますし、タレスはアルケーだ、アウグスティヌスを崇めるのだ、マッハ以前の哲学はゴミだ、ウィトゲンシュタインの前で沈黙すべきだ、などなど諸説あります。ナナミさんも御自身でお決めになるのがいちばんよろしいかと存じます。

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その...続きを読む

Qサルトルは人気ないの?

サルトルの「存在と無」を読んでみたいのですが,岩波文庫に入ってないんですね。単行本としても置いてない。
人気がないんでしょうか。だとすればなぜ?
人気の有無は哲学と関係ないですが,あまりにも不思議なので質問します。

Aベストアンサー

サルトルは確かに人気ないですね。サルトルの批判者のレヴィ=ストロース(構造主義人類学)とか、メルロ=ポンティ(現象学)の方が人気が出たから、という理由もあるんでしょうね。ちなみに岩波文庫には、レヴィ=ストロースもメルロ=ポンティも入ってません。サルトルの師匠筋のフッサール(現象学の始祖)、ハイデガー(フッサールの弟子、現象学)は入ってます。サルトルらフランス人にはじめて現象学を紹介したレヴィナス(ハイデガーの弟子で批判者、現象学)は入ってません。

まぁ、他の書店から定番の訳が出てる場合、文庫にするにはいろいろ権利関係や本屋同士の大人の事情があるんじゃないですか。でも岩波文庫に現代思想はあまり期待しないほうが良いんじゃないですか?講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズに入ってる哲学者・思想家のうち何人が岩波文庫に入ってるでしょうか?フロイトもロールズもクワインもドゥルーズも入ってない。ウィトゲンシュタインは、最近、入ったばかりです。

ちなみに、サルトルの哲学は僕は直接は知りませんが、レヴィ=ストロースの構造主義が流行ったことで、見捨てられた哲学というイメージがあります。サルトルは古い、というイメージです。人気の有無は哲学と関係ない、と簡単に言い切れるでしょうか?ソクラテスやプラトンが流行る、ということはあまり聞きませんが、ニーチェやフロイトやマルクスやフーコーやドゥルーズは、やっぱり一時期「流行った」思想家ですよね。サルトルも然り、だと思います。

サルトルは確かに人気ないですね。サルトルの批判者のレヴィ=ストロース(構造主義人類学)とか、メルロ=ポンティ(現象学)の方が人気が出たから、という理由もあるんでしょうね。ちなみに岩波文庫には、レヴィ=ストロースもメルロ=ポンティも入ってません。サルトルの師匠筋のフッサール(現象学の始祖)、ハイデガー(フッサールの弟子、現象学)は入ってます。サルトルらフランス人にはじめて現象学を紹介したレヴィナス(ハイデガーの弟子で批判者、現象学)は入ってません。

まぁ、他の書店から定番...続きを読む

Qサルトルの言葉「青春とは~」の意味

「青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。」赤く輝いているのはわかりますが、なぜ内部ではなにも感じられないのでしょうか?わかる方、回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

サルトルは詳しくありませんが、日本語から常識的に解釈するに
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Q1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上

1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上重要なポイントだった、

みたいなことが本に書かれていたのですが、どういう内容の論争だったのでしょうか?

論争のことが書かれた本などはないですか?

Aベストアンサー

内容は知りません。
未見ですが、『ミシェル・フーコー思考集成 3 』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/
の「フーコー、サルトルに答える」が該当するのではないでしょうか。

目次を見ると、「プルースト宛書簡」なんかもあって、ずいぶんおもしろそうですね。読んでみよう。

参考URL:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/

Qサルトルの無

自由で無でなど少し意味がわかりません。即自、対自、対他の3つで、自分は将来どちらでも選択できるからということだそうですけど。ものに対して、自分が無になるという意味がわかりません。

Aベストアンサー

俺自身が無学やから、そのへんは差し引いて聞いてや。
こないだ大学生の息子(倫理哲学)と話してたら、たしかデカルト(ゴメン記憶力も怪しいねん、俺)とかいう哲学者が「我思う、ゆえに我あり」と大昔に言わはったらしいんやけど、俺は、考えてるから、自分は存在するにゃろう、ってくらいに思てたら、ちょっとニュアンスが違ごてん。「自分は思う(考える)から、たしかに自分はいるやろう。でも、自分以外のもの、たえば目の前にあるコーヒーカップやきれいな女やらでもなんでもいいやけど、それが有るということはできん」いう意味なんやて。
で、サルトルやけど、俺も恥ずかしい話、昔サルトルの小説『嘔吐』とか『存在と無』とかも読んだんやけど、もう中年になって記憶がめちゃ薄れてるうえに、それらの本を読んだときに理解してたかって言うとたぶん理解してなかったと思う。
そんでいまホコリだらけのその当時の本を引っ張り出してきて読んでみたんやけどな、その本にはあんたのいう、即時、対自、対他のことが簡単に解説してあった。それをそのまんま書くと…。
【物的存在を「即時」、意識の存在を「対自」、他人との関係における存在「対他」】という意味らしい。でな、【身体を持つ人間は、自らによって主体であるが、他人の眼には客体すなわち物としてあらわれ得る。他人に対する行動の挫折は、サディズム、マゾヒズムを両極限として、この主客の不一致を逃避しようとするさまざまな企てであるところからくる】。つまりさっき言うてたことと重なるんやけど、物の存在(自分)は=即時、あんたが意識(考えてる)することを=対自、他人の知人とかの存在から認識する場合=対他、ということになるんかな?
他にもこんなことが書いてあった…。
【他人があんたを見た場合は=客体(物)、この挫折を克服して本来性を回復するためには、自由な主体として一切に全責任を負い。自己の客体性を引き受けねばならない】。とこのへんがあんたが言うてる「自由」というもんなんやろな。この自由は大変な重荷やな。サルトルとかはそれを自分の意思・主体で選びとるべきやと考えたんと違うかな?で、
続きにはこんな記述があった…。
【ここからいわゆる「参加」の問題意識が生まれ、さらに歴史的社会における実践の問題が追究されて、新解釈によるマルクス主義を結びけるにいたるであろう】。
最後の「自分が無になる」というのか難しいな。さっきデカルト(主義)のこと言うたやろ?どういう経路か俺には学術的なことはわからんけど、デカルト主義はやっぱりサルトルの実存主義やマルクス主義に影響を与えたらしい。フッサールの後期現象学的な意味合いも強い気がする。俺の勝手な解釈でええか?これを信じてしもたらあかんで。俺は「自分が無になる」、要するに我思う、ゆえに我ありという人間・個人を呪縛するようなその言葉も頭に入れて思うのは、「自分が無になる」すにわち「人間が本当の自由を勝ち取る」ということと違うかなと思う。
あんたがいま何歳かしらんけど、正しいことは大学の先生とか専門家(哲学者)にちゃんと習いや。これが定時制高校中退で地べた這いずって生きてきた俺の精一杯の解釈やわ。間違うてたら、ほんまゴメンな。

俺自身が無学やから、そのへんは差し引いて聞いてや。
こないだ大学生の息子(倫理哲学)と話してたら、たしかデカルト(ゴメン記憶力も怪しいねん、俺)とかいう哲学者が「我思う、ゆえに我あり」と大昔に言わはったらしいんやけど、俺は、考えてるから、自分は存在するにゃろう、ってくらいに思てたら、ちょっとニュアンスが違ごてん。「自分は思う(考える)から、たしかに自分はいるやろう。でも、自分以外のもの、たえば目の前にあるコーヒーカップやきれいな女やらでもなんでもいいやけど、それが有るということ...続きを読む


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