こんにちは。
どなたか教えてください。
サルトルがカミュの葬儀の際によんだ弔辞のテキストを探しています。
どこかに載っている本や雑誌などないでしょうか?
ずーと探しているんですが、どういう風に探せばいいのかもわかりません。
読んでみたくてしょうがありません。
邦訳したものでもフランス語でもかまいません。
フランス語はできませんが、辞書片手に翻訳する覚悟です!!
あとメルロポンティの葬儀の際の、サルトルの弔辞もあわせて読んでみたいです。それぞれの関係を考えるときに、すごく気になります。
だれかーたすけてー
お願いします。

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A 回答 (1件)

 こんにちは。

カミュの方は分からないのですが、メルロ-ポンティについて参考になればと思いました。
 メルロ-ポンティ著『弁証法の冒険』(みすず書房)の336頁にこうあります。
「僚友サルトルの手になる感動的な追悼文「生けるメルロ=ポンティ」も邦訳されているので(平井啓之訳、人文書院版サルトル全集『シチュアシオンIV』に所収)」

 十年位前には『シチュアシオン』が書店に置いてあるのをよく見ましたが、最近は見かけません。古本でないと入手できない気がします。

 それにしてもいいセンスですね!私はメルロ-ポンティとサルトルのすれ違いにとても興味を持っています。上掲の『弁証法の冒険』にはサルトルへの批判が載っているのですが、とても難しい。いろいろと経緯があったらしく、遡って両者の前の論文等を読まないと理解できないようです。(~_~;)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。!!
今、必死になって検索して探しています。
見つかればいいんですが・・・

カミュへの弔辞は、「革命か反抗か」の邦訳のあとがきで少しふれていて、とても感動的で見事だ ということらしいので
うー読んでみたい。

最近、「サルトル/メルロ=ポンティ往復書簡―決裂の証言」というものを読みました。とても、おもしろかったので・・
もしご存知であれば忘れてください。

「シチュアシオン」ですか。なんとか早く手に入れてお正月休みで読みたいな。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/12/28 01:20

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Q【哲学】ニーチェ→サルトル→?ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?ニーチェ→サルトル→の源流

【哲学】ニーチェ→サルトル→?

ニーチェ→サルトル→の次は誰ですか?

ニーチェ→サルトル→の源流を組むサルトルの次の哲学者の名前と○○主義を教えてください。


ニーチェ→サルトル→以外の源流を組む哲学もあるんですか?

Aベストアンサー

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その神を追ひもとめてゐたのではないでせうか。宗教をふくめた人間そのものを肯定したのがニーチェです。当時のドイツの尊大な学者についてかう書いてゐます。
「学者はこうして自信をもって、その本能によって、宗教的な人間は、自分よりも価値が低い劣った人種だとみなすのである。」
(ニーチェ『善悪の彼岸』第3篇58 中山元訳 光文社文庫 140,141ページ)

先日別の質問にも回答いたしましたが、ネット情報ですませてゐたのでは、プラトン、アリストテレスなどの名前だけでありがたがつて、表面的に高尚な哲学だと信じこむだけです。私なら
プルタルコス→エラスムス→ニーチェ
です。哲学カテゴリのみなさんの見解もさまざまです。マキアベリやモンテーニュの名をお出しになる方もいらつしやいますし、タレスはアルケーだ、アウグスティヌスを崇めるのだ、マッハ以前の哲学はゴミだ、ウィトゲンシュタインの前で沈黙すべきだ、などなど諸説あります。ナナミさんも御自身でお決めになるのがいちばんよろしいかと存じます。

私は、西洋哲学の歴史的な流れを語るほどに、いろいろと著作を読んでゐるわけではありませんので、直接の回答はできません。OKWaveでは同じ質問にいくつかの回答がついてゐますから、そちらを御覧ください。

そもそも
ニーチェ→サルトル→?
といふ図式が出てくるのが不可解です。アホの私の頭では、ニーチェとサルトルは単純にはつながりません。ニーチェはキリスト教の腐敗を批判しましたが、聖書の世界を否定したとは思へません。強大な力の必要性を説きました。人間の世界ではどうしても神が必要になる、その...続きを読む

Qサルトルは人気ないの?

サルトルの「存在と無」を読んでみたいのですが,岩波文庫に入ってないんですね。単行本としても置いてない。
人気がないんでしょうか。だとすればなぜ?
人気の有無は哲学と関係ないですが,あまりにも不思議なので質問します。

Aベストアンサー

サルトルは確かに人気ないですね。サルトルの批判者のレヴィ=ストロース(構造主義人類学)とか、メルロ=ポンティ(現象学)の方が人気が出たから、という理由もあるんでしょうね。ちなみに岩波文庫には、レヴィ=ストロースもメルロ=ポンティも入ってません。サルトルの師匠筋のフッサール(現象学の始祖)、ハイデガー(フッサールの弟子、現象学)は入ってます。サルトルらフランス人にはじめて現象学を紹介したレヴィナス(ハイデガーの弟子で批判者、現象学)は入ってません。

まぁ、他の書店から定番の訳が出てる場合、文庫にするにはいろいろ権利関係や本屋同士の大人の事情があるんじゃないですか。でも岩波文庫に現代思想はあまり期待しないほうが良いんじゃないですか?講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズに入ってる哲学者・思想家のうち何人が岩波文庫に入ってるでしょうか?フロイトもロールズもクワインもドゥルーズも入ってない。ウィトゲンシュタインは、最近、入ったばかりです。

ちなみに、サルトルの哲学は僕は直接は知りませんが、レヴィ=ストロースの構造主義が流行ったことで、見捨てられた哲学というイメージがあります。サルトルは古い、というイメージです。人気の有無は哲学と関係ない、と簡単に言い切れるでしょうか?ソクラテスやプラトンが流行る、ということはあまり聞きませんが、ニーチェやフロイトやマルクスやフーコーやドゥルーズは、やっぱり一時期「流行った」思想家ですよね。サルトルも然り、だと思います。

サルトルは確かに人気ないですね。サルトルの批判者のレヴィ=ストロース(構造主義人類学)とか、メルロ=ポンティ(現象学)の方が人気が出たから、という理由もあるんでしょうね。ちなみに岩波文庫には、レヴィ=ストロースもメルロ=ポンティも入ってません。サルトルの師匠筋のフッサール(現象学の始祖)、ハイデガー(フッサールの弟子、現象学)は入ってます。サルトルらフランス人にはじめて現象学を紹介したレヴィナス(ハイデガーの弟子で批判者、現象学)は入ってません。

まぁ、他の書店から定番...続きを読む

Q実存主義の理解を深めたい サルトル

こんばんは。
サルトルを読みたいのですが、哲学頭ではないので敷居が高く入り込めない状態です。今までサルトルで読んだのは「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」です。実存主義の理解を深めたいのですが、他に何から読むとよいでしょうか?なるべく、哲学用語だらけだったり、長すぎないものがよいのですが、わがままを言わず読みたいと思っています。初心者がおさえるべきサルトルの著作を勧めて頂けると幸いです。よろしくお願い致します

Aベストアンサー

サルトルの著作という事になると、
「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」は読んだのであれば、
次は戯曲を読んでみるのがよいと思います。
「蝿」「出口なし」「汚れた手」「悪魔と神」がさしあたりお勧めできます。
「悪魔と神」以外は新潮世界文学47「サルトル」の中に収録されています。
評論では岩波新書に収録されている「ユダヤ人」も読みやすいでしょう。

サルトルの実存主義は、彼自身の哲学理論から来ています。
実存主義とは何かは存在と無のある種の通俗化と取ることができます。
ですから、実存主義を深く理解しようとすると、サルトルの哲学的著作に
どこかでぶつからなければならないでしょう。
存在と無は哲学書の中ではかなり読みやすいほうだと私は思いますが、
それでも予備知識がない状態で読みこなすのはかなり困難です。
初期の哲学論文である自我の超越などは量的にも少なく、
論旨もわかりやすいのですが、やはり一定の哲学的予備知識
(以前の哲学理論をどうサルトルは受け止め、そしてどういう立場から
それを批判し、どう乗り越えようとしたのか)を知らないと辛いと思います。
ですので、哲学的分野に関しては、今回はサルトルの著作ではなく、
サルトル哲学の解説書としてよいと思うものを挙げます。

手に入れやすいものの中でまず挙げるとすれば、
「サルトル―失われた直接性をもとめて 」梅木 達郎著です。
NHK出版のシリーズ・哲学のエッセンスの一冊ですが、
存在と無の内容をコンパクトながら丁寧にまとめてあり、
まずお勧めできると思います。

清水書院人と思想シリーズの中の
「サルトル」村上 嘉隆著も、紙数の都合か若干駆け足ですが、
サルトルの著作を解説しながら生涯を伝記的に追っており、
読む価値はあると思います。

「同時代人サルトル」長谷川 宏著は、サルトルの解説もさることながら、
著者がサルトルをどう読み、どう時代と向き合ったかについても多く書かれています。
純粋な解説書とは言えませんが、全体を通して著者のサルトルに対する
共感があふれており、好著だと思います。講談社学芸文庫に収録されています。

「図解雑学 サルトル」永野 潤著はわかりやすいのですが、
簡潔にしすぎていて、内容的に物足りなさが残ります。
「90分でわかるサルトル」ポール ストラザーン著、
「サルトル」ドナルド・D. パルマー著も単純化しすぎに思います。

岩波新書の「サルトル―「人間」の思想の可能性」海老坂 武著と、
クセジュ文庫の「サルトル」アニー コーエン=ソラル著は、
サルトルが生きた時代状況と絡めての解説という趣が強く、
読む価値はじゅうぶんにあるのですが、
著作の詳細な解説という側面は薄くなっています。

古本屋へ行くこともいとわないのであれば、
「サルトル哲学序説」竹内 芳郎著がだんぜんお勧めです。
存在と無の解説として内容が充実しているのはもちろん、
叙述が生き生きとしかつ明快であり、
私が読んだ中ではこれを超える本はないと思います。
ぜひ入手してみてください。

以上、参考になれば幸いです。

サルトルの著作という事になると、
「嘔吐」「水入らず」「実存主義とは何か」は読んだのであれば、
次は戯曲を読んでみるのがよいと思います。
「蝿」「出口なし」「汚れた手」「悪魔と神」がさしあたりお勧めできます。
「悪魔と神」以外は新潮世界文学47「サルトル」の中に収録されています。
評論では岩波新書に収録されている「ユダヤ人」も読みやすいでしょう。

サルトルの実存主義は、彼自身の哲学理論から来ています。
実存主義とは何かは存在と無のある種の通俗化と取ることができます。
です...続きを読む

Qサルトルの言葉「青春とは~」の意味

「青春とは、奇妙なものだ。外部は赤く輝いているが、内部ではなにも感じられないのだ。」赤く輝いているのはわかりますが、なぜ内部ではなにも感じられないのでしょうか?わかる方、回答よろしくお願いします。

Aベストアンサー

サルトルは詳しくありませんが、日本語から常識的に解釈するに
「青春を過ぎてしまったものは青春は激しくまぶし感じられるが、青春の中にいるものには、それはあたり前の日常であるが故に、特別ものして感じられない。」
ということではないでしょうか?

Qサルトルの思想について教えてください

サルトルについてレポートを書くことになりました。
哲学は初心者で相談したところ間違った解釈でもかまわない。高度なものは望んでない、どう感じたのか知りたい。と言われました。
彼の生涯や著作(時間がないので読んではないのですが)を調べてみたのですが感じたことだけ書くとただの感想文になってしまい、レポートもあまり書いたことがないのでなかなか手につきません。

彼の思想について、何でもいいので教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

残念ですが、彼の著作を全く読んでいないのにアドバイスを
するのは結構難しいのです。
参考に、サルトルについて簡単にまとめた方のページ
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951/sartre1.html,http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html 

2005年に岩波新書で出たサルトルの解説本(200ページぐらいですので最低限これぐらい読んでおけばただの感想文にはならないはずです)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html
を紹介しておきます。

参考ページにも書いてありますが、一時期日本の青年たちに大変
大きな影響を与えたいわゆる「実存主義」の哲学者ですが、
ハイデッガーとはちょっと違いますかね。

あとは、質問者さんのセンスしだいだと思います。
サルトルという哲学者の生きた時代がどのような時代だったか、
そしてマルクスやハイデッガーの後に生きる哲学者としての
彼の思想についてかければ内容はどんなものでも
レポートとしては問題ないと思いますよ。

残念ですが、彼の著作を全く読んでいないのにアドバイスを
するのは結構難しいのです。
参考に、サルトルについて簡単にまとめた方のページ
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/8951/sartre1.html,http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html 

2005年に岩波新書で出たサルトルの解説本(200ページぐらいですので最低限これぐらい読んでおけばただの感想文にはならないはずです)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/sin/sin_kkn/kkn0505/sin_k232.html
を紹介しておき...続きを読む

Q1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上

1966年にサルトルとフーコーが論争したことはポストモダン思想の歴史上重要なポイントだった、

みたいなことが本に書かれていたのですが、どういう内容の論争だったのでしょうか?

論争のことが書かれた本などはないですか?

Aベストアンサー

内容は知りません。
未見ですが、『ミシェル・フーコー思考集成 3 』
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/
の「フーコー、サルトルに答える」が該当するのではないでしょうか。

目次を見ると、「プルースト宛書簡」なんかもあって、ずいぶんおもしろそうですね。読んでみよう。

参考URL:http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480790231/

Q【サルトルの実在主義】サルトルの実在主義ってどういうものですか? 簡単に分かりやすく説明してくださ

【サルトルの実在主義】サルトルの実在主義ってどういうものですか?

簡単に分かりやすく説明してください。

Aベストアンサー

椅子やテーブルとかの物は、最初に座るもの、物を置くものという役割が決まってから作られます。
それに対して人間は役割や性質が決まる前に「現実に存在」(実存)してから、自分の生きている意味を決めていくことになります。
これは人間には自由があるということと同時に、自分で決めていく責任があるというのが実存主義です。

Qサルトルの無

自由で無でなど少し意味がわかりません。即自、対自、対他の3つで、自分は将来どちらでも選択できるからということだそうですけど。ものに対して、自分が無になるという意味がわかりません。

Aベストアンサー

俺自身が無学やから、そのへんは差し引いて聞いてや。
こないだ大学生の息子(倫理哲学)と話してたら、たしかデカルト(ゴメン記憶力も怪しいねん、俺)とかいう哲学者が「我思う、ゆえに我あり」と大昔に言わはったらしいんやけど、俺は、考えてるから、自分は存在するにゃろう、ってくらいに思てたら、ちょっとニュアンスが違ごてん。「自分は思う(考える)から、たしかに自分はいるやろう。でも、自分以外のもの、たえば目の前にあるコーヒーカップやきれいな女やらでもなんでもいいやけど、それが有るということはできん」いう意味なんやて。
で、サルトルやけど、俺も恥ずかしい話、昔サルトルの小説『嘔吐』とか『存在と無』とかも読んだんやけど、もう中年になって記憶がめちゃ薄れてるうえに、それらの本を読んだときに理解してたかって言うとたぶん理解してなかったと思う。
そんでいまホコリだらけのその当時の本を引っ張り出してきて読んでみたんやけどな、その本にはあんたのいう、即時、対自、対他のことが簡単に解説してあった。それをそのまんま書くと…。
【物的存在を「即時」、意識の存在を「対自」、他人との関係における存在「対他」】という意味らしい。でな、【身体を持つ人間は、自らによって主体であるが、他人の眼には客体すなわち物としてあらわれ得る。他人に対する行動の挫折は、サディズム、マゾヒズムを両極限として、この主客の不一致を逃避しようとするさまざまな企てであるところからくる】。つまりさっき言うてたことと重なるんやけど、物の存在(自分)は=即時、あんたが意識(考えてる)することを=対自、他人の知人とかの存在から認識する場合=対他、ということになるんかな?
他にもこんなことが書いてあった…。
【他人があんたを見た場合は=客体(物)、この挫折を克服して本来性を回復するためには、自由な主体として一切に全責任を負い。自己の客体性を引き受けねばならない】。とこのへんがあんたが言うてる「自由」というもんなんやろな。この自由は大変な重荷やな。サルトルとかはそれを自分の意思・主体で選びとるべきやと考えたんと違うかな?で、
続きにはこんな記述があった…。
【ここからいわゆる「参加」の問題意識が生まれ、さらに歴史的社会における実践の問題が追究されて、新解釈によるマルクス主義を結びけるにいたるであろう】。
最後の「自分が無になる」というのか難しいな。さっきデカルト(主義)のこと言うたやろ?どういう経路か俺には学術的なことはわからんけど、デカルト主義はやっぱりサルトルの実存主義やマルクス主義に影響を与えたらしい。フッサールの後期現象学的な意味合いも強い気がする。俺の勝手な解釈でええか?これを信じてしもたらあかんで。俺は「自分が無になる」、要するに我思う、ゆえに我ありという人間・個人を呪縛するようなその言葉も頭に入れて思うのは、「自分が無になる」すにわち「人間が本当の自由を勝ち取る」ということと違うかなと思う。
あんたがいま何歳かしらんけど、正しいことは大学の先生とか専門家(哲学者)にちゃんと習いや。これが定時制高校中退で地べた這いずって生きてきた俺の精一杯の解釈やわ。間違うてたら、ほんまゴメンな。

俺自身が無学やから、そのへんは差し引いて聞いてや。
こないだ大学生の息子(倫理哲学)と話してたら、たしかデカルト(ゴメン記憶力も怪しいねん、俺)とかいう哲学者が「我思う、ゆえに我あり」と大昔に言わはったらしいんやけど、俺は、考えてるから、自分は存在するにゃろう、ってくらいに思てたら、ちょっとニュアンスが違ごてん。「自分は思う(考える)から、たしかに自分はいるやろう。でも、自分以外のもの、たえば目の前にあるコーヒーカップやきれいな女やらでもなんでもいいやけど、それが有るということ...続きを読む

QJ.P.サルトルについて

サルトルについて、いま勉強してるのですが、独学な分、分かりづらい所が多々あります。優しくサルトルについて、教えていただけたら幸いです。
また、書籍やHPなども教えて、もらえると、なお嬉しいです。

Aベストアンサー

 
  ジャン・ポール・サルトルの何について勉強されているのかで話が違って来ます。まず、哲学者としては、「サルトルの実存主義」を唱えた人です。実存主義というのは、唱えた人ごとで随分内容が違うのです。「ハイデッガーの実存主義」「ヤスペルスの実存主義」では、互いに違いがあり過ぎます。
 
  基本的に実存主義は、「かけがえのないこの私の実存」というものを重視します。この場合の「実存」は、他の人と交換できない、「この私の現なる存在」で、例えば、私は女である、私は学生である、私は27歳である、わたしは北海道生まれである……などは、「私の実存の要素」ではあるが、それは私にとって「非本来的」である。(注:この「私」は、話の例で、わたしのことではありません。わたしは性別・年齢・職業など、公開していません)。
 
  非本来的というのは、そういう「女である」「学生である」「27歳である」「北海道生まれである」というような特性・性質は、そういう性質を他にも持っている人がいて、そういう部分は、他者と交換可能で、独自な唯一の「私の実存」の本来的要素ではないということです。西欧哲学で、こういう属性を「本質」とも云います。「私の実存が、私が何であるか=本質に先立つ」とは、こういう意味です。
 
  サルトルの場合、存在(etre)、無(neant)、即自(etre en-soi)、対自(etre pour-soi)、対他(etre pour-autrui)、また意識(conscience)、アンガージュマン(engagement)などの言葉が、その思想を理解するキーになります。わたしは、サルトルはよく知らないので、一般論になりますが。
 
  サルトルは、意識は対自、対他存在であって、常に対象を必要とするが故に、「無」であるとします。この場合、実質の存在としての実体がなく、機能として、対象を追求し求め、投企してゆく作用のなかに意識の存在はあり、それ故、意識は実体がなく、機能として「自由」であるが、「無」であるとなるのです。対象を求める作用は果てしなく、意識の自己実現というか、実存は充足されることがなく、意識であること、対自・対他存在であることは、完結のない無であり、「自由」は「呪い」であるとなります。
 
  即自存在(エートル・アンスワ)は、物質の存在などがそうで、何か対象に対して存在があるのではなく、意識ではないが故に、それ自身で充足しており、完成しているともされます。即自には、「自由の呪い」はないのです。
 
  即自こそ、存在であり、対自・対他は意識であって、意識は対象を求める過程・作用であって、存在として不完全で、無であるということになります。
 
  サルトルの小説に『嘔吐』というものがありますが、この「嘔吐」とは、意識は、常に対自(自己を意識し、自己を対象とする)であり対他(他者を意識し、他者を対象とする)であって、対象との関係にある「無」なのですが、「ものそれ自体」を考えていると、それは「即自」であり、そのような「存在のありよう」は、意識を超越しており、意識である「私」にとって、到底受容しがたく、生理的に反発を抱くことしかできないものであり、即自存在の「体験」は、まさに「嘔吐」を催させるものに他ならない、ということから、こういうタイトルが付いています。
 
  無である意識である「私」は、いかに自己の実存を充足できるか。サルトルは、対自・対他である意識は、社会的重要事項に「関与・参加(アンガージュマン)」することで、実存を実現できると考えました。社会参加を通じて、人は、ただの人一般から、独自な「その人の実存」へと到達できるというのです。サルトルは、このアンガージュマンの考えから、現代社会(サルトル当時の)では、参加するにたる価値ある社会運動は、マルクス主義しかないと主張し、マルクス主義に接近して行きます。
 
  思想家としては、一体何を主張しているのか、一貫性がないとも言えるのですが、それがサルトルの「実存主義」だということにもなります。
 
  サルトルの思想は、いまは人気がなく、それでも次のような本があるようです。(サルトルは、文学的実存主義のアルベール・カミュなどと対比されます。メルロー=ポンティとも当然親交がありますが、メルロー=ポンティの方が思想家として豊かであるような気がします)。
 
  >「サルトル―実存主義の根本思想」中公新書 124
  >矢内原 伊作 (著) 単行本 (1967/02/01) 中央公論新社
  >価格: ¥420
 
  >「ハイデガーとサルトルと詩人たち」NHKブックス
  >市倉 宏祐 (著) 単行本 (1997/10/01) 日本放送出版協会
  >価格: ¥1,120
 
  >「実存主義とは何か」
  >J‐P・サルトル (著), 伊吹 武彦 (翻訳) 単行本 (1996/02/01) 人文書院
  >価格: ¥1,900
 
  >「同時代人サルトル」講談社学術文庫
  >長谷川 宏 (著) 文庫 (2001/08/01) 講談社
  >価格: ¥1,100
 
  新書などで読んでみて、大体の輪郭を把握されることです。
  以下の『存在と無』はサルトルの主著ですが、わたしは読んだことはありませんし、随分本が高いです。この本で「存在」とか「無」と呼んでいるのが、先に述べた、即自や対自・対他です。
 
  >「存在と無〈上〉-現象学的存在論の試み」
  >J‐P サルトル (著), その他 単行本 (1999/05/01) 人文書院
  >価格: ¥7,600
 
  >「存在と無〈下〉-現象学的存在論の試み」
  >J‐P サルトル (著), その他 単行本 (1999/07/01) 人文書院
  >価格: ¥7,600
 

 
  ジャン・ポール・サルトルの何について勉強されているのかで話が違って来ます。まず、哲学者としては、「サルトルの実存主義」を唱えた人です。実存主義というのは、唱えた人ごとで随分内容が違うのです。「ハイデッガーの実存主義」「ヤスペルスの実存主義」では、互いに違いがあり過ぎます。
 
  基本的に実存主義は、「かけがえのないこの私の実存」というものを重視します。この場合の「実存」は、他の人と交換できない、「この私の現なる存在」で、例えば、私は女である、私は学生である、私は...続きを読む

Qサルトルについて。

「人間の存在に理由はない。理由がないのならば歴史を動かすくらい暴れ回った方がおもしろい人生だ」

とサルトルは考えていたらしいですが、いったい彼のどの著述にこのことが具体的に載ってるでしょうか?
また、彼以外にもこういう考えを持った人間がいたなら教えて下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

運命論決定論に基づかない、自由意志と責任、それが実存主義の根幹と言えます。
「自由という刑に処されている」とサルトルはしばしば表現しています。

ネガティブ的無力、無を認めて、そこからスタートするという点では、
キルケゴールの「死に至る病」(人間はいずれ死ぬものであり、誰しもそこから逃れ得ない。故に、それを認める所から生が始まる云々)と共通するものかもしれません。

具体的な叙述は素人知識もあって今分からないのですが、実存主義関連の本をあたってみると
いくつか分かりやすい著述に出会えるかと思います。
(というよりサルトルの著述の中では再三再四しつこく同じ事が繰り返して述べているので、最も顕著な例というのをピックアップするのが難しいともいえます)


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