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ラーメン屋で行列をつくっている日本人同士は、まるで相手が存在しないかのようなそぶりを見せます。
これをラーメン屋現象といいます(私が名付けました)。

日本は、かつてヨーロッパから議会制を輸入し、アメリカを倣い大量消費社会へと変貌しましたが、ムラ社会的な閉鎖性も併せ持っています。

ラーメン屋現象は、ムラ社会的な閉鎖性からくるのか、それとも武家社会の名残なのか、ほかの原因があるのか?
行動社会学や比較文化史に精通されている方、回答お待ちしています。

A 回答 (6件)

ラーメン屋がどこにあるかで答えは違うように思えますが。


例えば農村または人口数千人の島などで行列ができるようなことがあった場合、居合わせた人達の間に多少の会話は生まれるように思います。
これが都市部となると、貴方の言う「ラーメン屋現象」を目撃することになります。
これは先の例では、どこかで繋がっているかもしれない親近感と安心感、また連帯感などによるものと考えられますが、開けた地域では、隣り合わせた人間はほぼ赤の他人です。
現代はストレス社会です。
高度経済成長を皮切りに、産業用ロボットの導入などに伴って、人間もロボットのように扱ったことの弊害だと思います。
一人でいられるときぐらいは、極力一人を満喫し、他人との摩擦を避けたいのではないでしょうか。
向こう三軒両隣という言葉が死語になりつつあるのも頷けます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

人間をロボットのように扱ったことの弊害、、、その発想はなかったです。
では日本の教育現場はさしずめロボット製造所ですか笑

では高度経済成長以前はラーメン屋現象はなかったということでしょうか?
その根拠はありますか?

お礼日時:2008/01/06 18:17

ラーメン屋現象と言うより「行列現象」ですか・・・。



日本では古来から「世間さまに笑われるとか、世間を騒がせた、世間体」など、世間又は人様などと言うあいまいな物が存在します。

昔の映画など見ても「一列に並んで配給を受ける」などは整然と順番を待っていますよね。 村など知り合いならば雑談もあるかも知れませんが、そうでなければ黙って並ぶのが自然な姿として「昔より受け継がれてきています」。

現在では様々な地域から人の移動がなされて年を形成してますが、その根底には「日本文化として静かに並ぶ事が常識として受け継がれているように思いますが」・・・。

詰まり、過去の文化の影響も皆無ではないでしょうけど、今日まで一般庶民の習慣として残っていると考えます。

もい一点には、「見知らぬ他人に話しかける事の意味」、「話しかける必要が無いからしない」もある。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。日本でいわれる「世間」は「社会」より自己を抑制することを
要求するのでしょうね。

「MOTTAINAI」というように無駄なものを省く精神も日本人の特徴かもしれませんね。
(しかしこれはモダニズム以降に強調されたものであって、本当に日本の伝統なのかはわかりませんが。)

お礼日時:2008/01/15 16:58

>その「習慣」はどこからくるんでしょうか?



それを#4欄の主に「人は古今東西」以降に書いたつもりだったのですが。だめか ^^;;
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この回答へのお礼

うーん、、仰ることはよくわかるのですが、ラーメン屋のことに限らず、
日本人が何故よそよそしくなったのか?はっきりした原因は未だつかめません。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/09 22:20

先日は別の類似のご質問で失礼いたしました。

新しい質問を立ち上げたと、そっちのQ&A欄に書いてくださったのですが、カテもURLもなかったんで探すのに苦労しちゃいましたよ(笑)。

さて、せっかくなので私も回答させていただくと、やはり、原因はそんなに根強いものではないと思いますよ。「習慣」程度のものだと思います。

現に、寡黙な客が並ぶ日本のラーメン屋に欧米人が入店したからと、いきなりいろいろな人に話しかけるわけではないし、欧米の中で日系人だけがよそよそしいわけではないし、ラーメン屋で静かにしていた同じ日本人客が、一杯飲み屋に入れば隣の他人と話しますよ。

また、私も海外で暮らし、欧米やアジアを何度か旅しましたが、とりたてて欧米人のほうがすぐに話しかけるとか、よそよそしくないと感じたことはありません。よく、ラテン系の人は人なつこいといいますが、経験上、案外と日本人に似ていて、うちとければ人なつこいけれど、多くの人はシャイなので、知らない人には話しかけてきませんし、対応も冷たいことがよくあります。あなたがそう感じなかったとすれば、それは、あなたの見た目やお人柄が欧米でウケるのでしょう。また、総じて、人は“外国人”にやさしいですから、慣れない感じで歩いていたほうが、人が親切に話しかけてくる傾向はあるでしょう。「日本人は人なつこくて親切だと思っていたが、最近、変わった」という意見が、滞在期間が長くなってきた外国人から、よく出ます。

人なつこさがあるとすれば、基本的には、どちらかというと地域差とか、年齢層とか、個人の問題だと思います。おっしゃるとおり、誰も話しかけてこない六本木で、とあるバーに入ったら客がいっせいに話しかけてきたことがあります。全員、大阪人でした。「おばちゃん」という人種も他人種に比べてよそよそしさが少ないです。私もそのおばちゃんの端くれなのですが、若い頃よりも格段に警戒心やバリアがなくなり、今日も、七草粥の列に並びながら、ほかの見知らぬおばちゃんとどうでもいい話をしてきました。

人は古今東西、空気を読みますから、ラーメン屋に入店して、そこが静まり返っていれば、静かにしているものです。ちなみに、なぜラーメン屋では静かにしているかというと、効率優先だからだと私は思います。余計な口数をたたかずに、黙って食べて、次の客に席を譲る。待っている間は退屈かもしれないが、そこで大勢がしゃべったらうるさくてかなわない。客層が若い男性中心というのも静かな原因のひとつでしょう。やはりラーメン屋でも、おばちゃんや子連れが多いところでは、もう少し会話がありますよ。

しかし、確かに経験上、「この国の人は、どこにいようと、やたらと話しかけてくるし、おしゃべりだ」というのはあります。私の場合、一番はオーストラリア人、二番目にフィリピンにいるフィリピン人、三番目がロンドンっ子です。理由はわかりません。ただ、逆に考えると、イギリス人は誰とでも打ち解けようとする人種だから、世界中に植民地を作っておきながら、それを維持できたのかもしれないと思うことがあるし、フィリピンの人たちが、あれだけいろいろな国に支配されながら生き延びてきたのは、人と渡り合うすべを自然に身につけていたからかもしれないと思うときはあります。

一方で、日本の電車内が静まり返っていることに違和感を感じるという外国人談をよく聞きます。しかし、よくよく調べてみると、そう言うのはたいてい、アメリカの中でも車社会で生きている人々だったりします。そういう人たちは地下鉄に乗ったことがないし、ましてや電車通学をしたことがないので、電車の中でみんなが普段の音量でしゃべると、どれだけ混沌とするかを知らないのです。そういう意味でも、歴史というよりは、経験からの学習や習慣が原因だと私は思うのですけれどね。

あ、長くなりましたが、もうひとつ考えられます。人は他人を映す鏡であるといいます。こちらが打ち解ければ、相手も打ち解けるし、こちらが身構えていると、相手も身構えるものです。質問者さんが海外よりも日本の人がよそよそしいと感じるのだとしたら、ご自身が日本にいるときのほうが、無意識のうちに、よそよそしくしてしまっている、という可能性もなきにしもあらずです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

ucokさんの仰るとおり、私は先入観をもって人と接してしまっているのかもしれませんね。
しかし、私には日本人(日本に長く住んでいる人々)が、外国人に比べ「比較的」よそよそしいと感じるのはぬぐえません。

「さて、せっかくなので私も回答させていただくと、やはり、原因はそんなに根強いものではないと思いますよ。「習慣」程度のものだと思います。」

その「習慣」はどこからくるんでしょうか?

未だに、納得できる回答には出会っていません。

お礼日時:2008/01/09 18:03

ドイツの高校生です。



ホントはいろいろ書き込もうと思ったんですが結構面白そうなテーマなんでとりあえずここで書き込んで終わりにしないで僕の中でいろいろ考えてみます。

ドイツでも同じ現象は起こります。おそらく世界のどこに行っても起こるでしょう。というわけで日本の武家社会云々ではなく人間にそもそも備わった機能であるという仮定がまず立てられると思います。しかし人間にそもそも備わっていたとしたらなぜ小さな子供たちにはその現象は起こりにくいのかという矛盾にあたるでしょう。ということは僕らは成長する過程でその現象を何らかの利益から積極的に選ぶようになるということが伺えると思います。

まぁ残りの答えはきっと誰かが書き込んでくれるでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

Allemagneってフランス語で“ドイツ”ですよね。
私はフランスに留学し、海外を旅していたことがあります。西欧、北欧、東欧、地中海の島、中東、中央アジア、と回ったのですが(すべての国をじっくり滞在した訳ではありませんが)、日本人のよそよそしさは違うと感じたのです。

今は私は大阪に住んでいるのですが(自分語りばっかですいません。)、東京よりラーメン現象は少ないです。江戸も大坂も多くの人達が集まる場所でした。しかし人々の習慣や礼儀の質が違う。これは江戸が将軍のおひざもと(朱子学を重視した、規律を重んじる場所)に位置するという原因もあったのではないかと思いまして。

それに日本人は鬼は外、福は内というように、あらゆる場所やものに対し、“ウチ”か“ソト”かを判別します。そして“ソト”に干渉されたり、干渉することを嫌います。

ANo.1の方が、人間もロボットのように扱う、という比喩をされてましたが、日本が工業化を推し進めたところにも原因があるかもしれません。

ある程度発達した社会であればラーメン屋現象はどこでも起きるのは当然でしょう。しかし他国と比べて強くないですか?強いとすればなぜでしょう?というのがわたしの質問の趣旨です。

お礼日時:2008/01/07 10:41

エレベータに乗り合わせた他人どうしが皆、黙って階数表示を見ているのと同じだと思いますよ。



参考URLをみてください。近くに居たいとおもってない人と近接して並ばなければならないので、あえて無視しているのでしょう。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BA%BA% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もちろんa-saitohがおっしゃることは前提です。
ちなみにこっちのほうが詳しいですよ。http//en.wikipedia.org/wiki/Personal_space(英語)
日本人のパーソナルスペースは比較的狭いという説もきいたことがあります。

しかしラーメン屋での行列は、エレベーターや電車の中のように、密室でストレスがたまるような場所ではないので、隣の人と喋ったりするのは可能ですよね。

しかし日本人は比較的奥ゆかしいというか、礼儀正しいというか、よそよそしい人が多いと感じます。(日本人を貶めたいわけではありません。)

このラーメン屋現象には、日本人固有の民族性か何かが影響しているのでしょうか?

お礼日時:2008/01/06 18:56

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