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中国が沖縄を自国の正当な領土であると主張したことが過去にあるのでしょうか。
また、これからの可能性としてありえますか?

A 回答 (3件)

沖縄では尚氏による琉球王国が生まれる以前の1372年から中国とは朝貢国の関係でした。


しかし朝貢というのは中華王朝の権威を示すものであって、実質的な属国の関係とはなりません。

中国が過去の朝貢国全ての領有を宣言すると大変なことになるかも知れません。

また、琉球処分の際に日本と清で琉球の領土を分けるという案もあったようですが実現しませんでした。
この時の清は琉球を領有する意図があったと言えるかも知れませんが、過去に一度も中国の領土になったことがない沖縄を、現在の中国が表立って領有しようとすることは普通に考えれば無いかと思います。

・・・とは言え今後のことは断言できませんが。
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明治初年に、琉球王国が琉球藩とされ、沖縄県となる過程を「琉球処分」ということはご存知かと思います。


琉球王国は東南アジアと中国の中継貿易で成長し、ポルトガルの進出で衰退に向かい、日本と中国に従う位置に置かれるようになる。
「日中両属」です。だから中国の元号で年を表したお墓が沖縄にはあります。
日本の摩藩が侵攻したのが江戸初期の1609(慶長14)年でしたか。
「摩の琉球入り」といわれる。

台湾にオランダがゼーランディア城を築くのが1624年。それを奪うのは明の遺臣成功。それを平定してようやく中国に属すことになるのが台湾です。
1623年のアンボイナ事件でオランダはイギリスを香料諸島から退け、イギリスは日本からも撤退する。
そのころイギリスはスコットランドの王家に対する抵抗を組織し始める。
世界が連動し始める面白い時代ですね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/25 15:53

琉球は14世紀から明~清の冊封国であったが、17世紀始めからから旧薩摩藩の実質的な支配下に置かれるようになります。


そのため琉球は、清にも日本にも服属する特殊な状況になりました。

明治4年琉球の島民が台湾で現地人に殺害されます。
これをめぐって、日本と清の交渉が始まります。

明治7年交渉が終結[日清両国間互換議定書]が調印され、琉球が日本に帰属することを清に認めさせました。

しがって沖縄は日本です。中国ではありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました

お礼日時:2008/01/25 15:50

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