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家族が飲まないので、大分前に、お酒をやめました。近頃、飲酒運転のニュースを目にするたびに、「お酒ってヤバイ」と思うようになりました。年末には、電車の中で酔っ払いは暴力を振るわないように、という車内広告まで見かけました。

アメリカでは、拳銃の所持が許可されていて、単に持っているだけでは、他人に被害はないとされています。しかし、アメリカで銃によって死亡する人の数は、殺人・自殺・事故を合計すると毎年4-5万人にも上り、殺人事件の7 割に銃が使われているそうです。

拳銃を正当化する論理と同じように、お酒を飲んでいるだけなら、他人に迷惑をかかりません。しかし、実際には、飲酒運転や暴力沙汰、痴漢行為などのニュースを毎日みかけます。実際に、酔っ払いに絡まれたこともあります。

厳罰化により飲酒運転は多少減ったみたいですが、「そこまでしないと」規制できない、「ものすごい厳罰だから」という理由でしかやめない、っていうのは一体、酒飲みのモラルって何?と思ってしまいます。いままで、飲酒運転ぐらいOKだという勢いです・・・。

最近の若い人は飲まない人も少なくなく、そもそも日本人にとって、拳銃と同様に、お酒がなくても困らないような気がします。むしろ、飲まない人には迷惑なぐらいで、飲酒運転自体はこんなに問題になっているわけです。

そう考えると、どうして、日本では拳銃は規制されていて、飲酒に関してはろくな規制がないのでしょうか?

A 回答 (7件)

誤解を恐れずに言えばこの両者に共通点がある事は否めません。



しかし飲酒人口は日本でおよそ7000万人、酒造メーカーも数知れず。加えて宗教儀式などに代表されるように太古の昔から親しまれてきた酒、これを規制して飲ませないようにするには完全なる警察国家でなければ出来ません。無理に実現しようとすれば今の北朝鮮以上に強権を必要とするでしょうね。それは外国との貿易も大幅に規制するという事でもあり現実問題として不可能です。

実際アメリカの禁酒法は製造、運搬、販売は禁止されましたが飲むことは禁じていませんでした。それは個人の領分ですから国家といえども出来ない訳です。なのに完全に破綻しむしろギャング達の資金源を作ってあげたようなものです。つまり酒を規制するのは非常に難しいのです。

またアメリカの銃は歴史的な必要性も有って憲法にも権利として詠われています。これを作る産業も極めて巨大でありしかも軍事国家アメリカとしては銃こそ力、力こそ正義と考えているのでこれを国民から取り上げるのはほぼ不可能です。

対して日本での銃器は全く条件が違います。
国民から猟銃を含めた一切の銃を取り上げても困る人は殆どいませんし所持する必然性も有りません。また反対者も表立って主張できませんしね。
まあ大方の国民は支持するでしょう。

飲酒運転は更なる厳罰化に向かうべきと個人的に考えますし又アルコール濃度を測る装置が身の回りに普及すれば“不本意な飲酒運転”を防げるかも知れません。
ケータイにそのような機能を持たせても良いかも知れませんね。
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アメリカでも銃所持は社会問題となっています。

 銃が蔓延している為、規制をすると善良な市民が危険に晒されることから規制をかけたくても不可能であり、増加する凶悪犯罪を前にフラストレーションを抱えている現状にあります。
アメリカは銃所持を容認しているのではありません。
従って銃規制と飲酒規制を総じて論ずることは無意味かと思います。
質問の焦点は『日本人の飲酒時のモラル』についてだと考えます。
私は酒を好んでいます。ですが常々、この点に関しては憤りを持つものです。「酒は飲んでも呑まれるな」という言葉が日本にはあります。
これは欧米の飲酒時のマナーに通ずるもので、学校教育の一環として取り入れて欲しいと願う程です。近年はテーブルマナーを経験し習得を図る教育もあるくらいで、そういった点でもマナーの重要性を再認識するべきです。つまり飲酒に限らずモラルの低下を否定できない日本に疑問を抱かざるを得ないのです。
しかし禁酒法は他でも述べられている通り、更なる犯罪を生むことがアメリカで実証されています。闇市のように法の外での売買が盛んになりギャングの大きな収入源となって、抗争から社会は殺伐としたものになりました。よって禁酒は善良な市民の利益になり得ません。
そこで思うのは、条例などで制約を設けることはできないのか、という具体案です。 煙草のようにポイ捨てや歩き煙草に対し条例で罰則を設けることと同じく、飲酒で迷惑行為に及んだ場合も罰則を設けることが必要に迫られています。
酒は適度な嗜みであれば、人間関係を円滑にするものであり潤いを齎すものですが、飲み方も知らない一部の無礼極まる人々の劣悪行為により誤解されることは甚だ迷惑だと感じています。
しかし日本とは面白い国で、先に述べたような言葉もあれば、全く逆の言葉もまかり通っています。
「酔ったうえでのことだから」
この言葉が免罪符には決してならないことを理解できない人が多いのかも知れません。恥ずかしいことです。

回答にはなっていないでしょうか。
申し訳ありません。
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「最近の若い人は飲まない人も少なくなく」


は「飲む人も多い」であり、
「日本人にとって(略)お酒がなくても困らない」という流れに
なりません。そもそも、この話で日本人を「最近の若い人」で
あるなしを区別する理由もありません。
また、その脈絡で
「飲まない人には迷惑なぐらい」
では、飲む人を日本人に含めないことになります。
そして「飲酒運転自体はこんなに問題」であり
「飲酒自体」ではありませんから
飲酒そのものを規制するべきとはなりません。
言うまでもなく銃と酒の害は本作用と副作用の違いがあるので
規制もとうぜん異なります。また、外国との関係ありとするならば
「飲酒と銃は両方を規制するか、両方を規制しないのがよい」
という妙な主張になってしまいます。
正しくは、外国がどうなっているかと日本がどうあるべきかは
無関係です。

本件は、質問の文章が「根拠を論じて結論を示して是非を問う」
ものなので、このように構造の誤りを示すことが回答そのものと
なります。
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飲酒規制とはどのように考えているのでしょうか。


酒を誰にも飲ませないと言うのであれば、それはおかしいと思います。
銃の規制と言っても日本国民誰も銃に触れることができないというわけでは無いですよね。

飲酒規制=飲酒運転をきつくしたり、飲酒が原因の犯罪を今までのように酒の席でのことだからと軽く扱うのでなく逆に厳罰にする。
と言うのならまだ話はわかります。
動きも徐々にですがそのようになってきています。

そうでなく飲酒そのものを絶滅させるとなればアメリカの禁酒法時代のように混沌した世界になるだけでしょう。
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銃規制と飲酒を混ぜてしまうのはどうかと思いますが・・・


お酒は文化や歴史とも馴染みのあるものです。宗教によっては神への捧げものや、心身を清めるものとしても扱われてきました。なので不必要と云うのはいささか早計だと思います。
比べて銃は歴史から見ても殺すために使われたのが殆どです。
それに銃などは直接的に傷つけることが出来るものです。
酒は直接傷つける事ができません。一部の人たちが理性を失い迷惑を掛ける、もしくは酔っていることを言い訳にしているだけです。

私的に言わせてもらえば飲酒が問題なのではなく、それを問題化している人たちが居るだけで、こういう問題は飲酒に限ったことではないと思います。つまりはマナーやモラルを守らない人間が問題なのだと思います。

なんて自分でも分けが分からず面倒な文章を書いてしまいましたが、そう硬く考える必要は無いと思いますよ。いつも迷惑を掛けるのは一部の人たちです。とはいえその”一部の人たち”が増えているのは困りますけどね・・・
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拳銃の取り締まりに関しては日本とアメリカ、根本的に歴史的背景が異なります。

日本の庶民の武器所持の始まりは、豊臣秀吉の刀狩から始まり、それ以降も武器を所持することが許されたのは、武士だけでした。また、明治以降は廃刀令により武士からも武器を奪い取り、武器は公のみに扱うことができるものとして「強制的に」管理されるようになり、今でもそれを引き継いでいます。武器所持に関しては、日本でその是非は特に問われることもありませんが、アメリカではそうではないです。今でも武器所持に関しては、色々な議論があります。それの政治的背景やアメリカ国民の考え方の変遷などには触れませんが、日本と異なり、国民の権利が十分に確立する時点で、武器所持が一般的であったのがアメリカです。日本は国民の権利とか言えるようになったのは、何とか明治以降で、その時点で、既に武器は一般人が所有するものではないというのが一般的でした。また、廃刀令は武士にはすこぶる評判が悪かったのも事実で、明治政府発足後に士族が度々反乱を起こした原因の一つともいえます。

このように、歴史的背景が異なっており、国民の権利として、武器の所持をどう考えるかは、一様に決め付けることはできません。

同じように、お酒もそうです。日本は歴史的に酒におぼれる傾向にあると言われています(戦国時代にきた宣教師などの文献にも記載されているようです)。一方、欧米では酒におぼれることは恥であり、酒は飲みますが酔いつぶれることは良しとはしていません。イスラム圏に至っては酒は許されません。世界的に見れば日本(というか東アジア圏?)は酒におぼれることに慣用であるようです。

このような背景において、お酒は飲酒運転の引き金になるから、とか暴れるやつもいるからとかで、規制するというのは少々考え方が浅はか過ぎます。成人でお酒の好きな人の意見がそこには何も反映されていません。また、アメリカにおいて禁酒法を制定したことがありましたが、むしろ逆効果であったことが歴史的に示されています。このような色々な事情も考え、また日本人の国民性を考えて、お酒については論じなければならないでしょう。

飲酒運転については、近年議論が盛んですね。良いことだと思います。質問者様と同様、色々議論の余地があると思います。余談ですが自動車業界で働く人は、酒気帯び運転で即解雇になります(本当の話です)。ちょっと位…とか、まあつかまることなんてめったにないし…という油断があるのでしょう。

酒を好む日本人において、酒と飲酒運転の問題は、国民性とモラルの間で激しく衝突しています。飲酒運転のモラルは、どちらかと言えばかなり最近になり重要視されるようになり、酒を好む国民性は長い歴史が培いました。よって、国民の自主的なモラルに頼るのではなく、これを悪とし、規制するほうが、結果的にモラルを作り上げる上で近道と踏んでいるのでしょう。

このほか、タバコや合法麻薬や環境権などで色々と個人の観念や嗜好とモラルがぶつかりあっています。他にもたくさんあるでしょう。

実は、モラルの確立こそが法の支配よりもより高度な自治統治能力で、規制をするよりも経済的でかつ効果的なのです。それは、あなたの言う酒飲みのモラルに該当するところでしょう。まさにそれは言えています。では、それを確立するためには、どうすればよいのか?お酒の文化が深く根付いた日本では…。

以外にも、規制が効果的であることを、日本人の国民性が証明しています。法律の名の下に、日本人は弱いのです。法規制は日本において容易にモラルを形成しやすいのです。

飲酒運転に関する法改正などで、飲酒運転に対する社会の目の厳しさは今まで以上に高まっています。実はこれが日本におけるモラルの形成過程なのです。今は理由が法律が厳しいからという理由かもしれませんが、時間が経つと「危ない」からとなっていくでしょう。銃所持のように。
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飲兵衛としての意見です。


日本人にとってお酒がなくても困らない、ってのは違うと思いますよ。
飲める飲めないを問わず、基本的には能天気な人種なんです。日本人って。
お正月とか、結婚式とか、祭りとかってお酒がつきものでしょ?
これは文化として認めるべきだとおいらは思います。

で、飲酒の規制についてですが
犯罪をすべて飲酒のせいにするのは性急かと思います。
暴力的な人は飲まなくてもケンカするし
痴漢にいたってはたいていシラフだと思うのですが。
確かに罰金が50万だから飲まない、とかいうのは情けない話ですがね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

それですと、犯罪は拳銃がなくても起こるのだし、あった方が正当防衛として役に立つという意見と同程度だと感じてしまうんですよね。
最近は、お神酒を出さない神社も増えてきました。私自身、昨年、葬儀を行った時、お寺に車で来る人がほとんどだったために、お酒を出しませんでした。故人を大切にすることが目的であって、周りの人は、お酒がつき物とは思っていません。

あと、植草元教授やNHKのアナウンサーが痴漢をしたときは、「酔っていて覚えていない」と言っていました。お酒を飲むと理性を失って痴漢するのでは?

日本人が能天気とも思いませんし、飲まない人も困ってないと思います。

お礼日時:2008/01/24 23:56

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