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教師を目指している大学生です。
だけど取得単位が少なすぎるのでなるのなら留年は必至だと思います(泣)。

冗談はさておき(本当は冗談ではないんですが)
今日の講義でプリントを配布されました。
詳しく書くと長くなるので、辞めておきますが、その中の一節にこんな文章がありました。
校長先生の言った言葉です。
「丸刈りにしなければならない合理的な理由はないかもしれないが、ルールなら守るのは当然」
この文章を見た俺はカチン!と来ました。

校則を分類すると4つに分類できるそうです。
1.学習・教育に関する規則(授業・休憩時間等)
2.学校内の生活に関する規則(清掃等)
3.生徒らしさの保持に関する規律(礼儀作法、髪型・服装、所持品)
4.学校外の行動の規制(外出・出入場所、バイク、アルバイト、男女交際等)

1と2は絶対に必要だと思いますが、3と4に関しては取り立てて必要性が感じられません。っていうか合理的に説明が出来ません。
だから髪の毛どんな色に染めようが、化粧が濃かろうが、服装がどうであれ、俺はいいと思います。学校は勉学して社会性をはぐくむ所だと思いますので。
人によっていろんなアイデンティティの方法があって然るべきであり、それを感情で押さえ込むのは許せません。
外見が大事だという根拠はどこにあるんでしょうか?
中学生らしいとか高校生らしいとかいう理由ははっきり言って理由ではありません。所詮感情でしかありません。もし違うのなら「らしい」についての合理的理由を教えてください。
3と4に関して合理的な理由があるのなら教えてください。感情的な理由は勘弁してください。

長文ですみませんでした。時間が許せるのならよろしくお願いします。
とりとめなく書いてしまったので分からないところがあれば言ってください。

A 回答 (29件中11~20件)

度々で済みません。

三度目になりますが書き込みます。

僕の回答に大いなる違和感を抱いておられることは良く分かります。ですが貴方の中で何処にどのような違和感を抱いているのか、それが頂いたお礼の文からは読みとれないのです。
出来ることならそれも分かった上で再び回答したかったのですが、それよりも貴方と僕の観点の違いから生じた疑問と思われる反応が目に付きましたので、それについて答えるつもりです。

>それは教師が関与するところではありません。ですが維持費がどうこうでまともな授業風景にならないのならそれは単純に教師の力不足です。
だけどその論理少し飛躍していませんか?

授業における著しい障害なのにそれに教師が関与しないっておかしくないですか?
個性的な髪型を維持するのは学生にとって大きな負担です。高校生ならおそらくはアルバイトで何とかするでしょう、勉強の時間を割いて。場合によって遅刻、欠席、早退あるいは授業中睡眠、どれも学業において大きなハンデです。
教師としては何とか勉強して貰いたいから、その生徒に授業以外にも余分に関わる必要も出てくる。1人2人ならまだしもそれが何人もいるとなれば、教師の力不足だからと言う問題ではないでしょう。いちいち面倒見てられないと放ってしまえばそれは責任がなさ過ぎる。
飛躍していると貴方は仰ってますが、そんなことは無いと言い切れますか?分かりやすいからわざわざ話を極端にしましたが、程度の差はあれ同じ様な問題は起こると思いますよ。

>たとえば中学生や高校生にどれだけのフォーラムな場があるんでしょうか? ~将来が閉ざされるとは例えば具体的に言ったらどんな場でしょうか?
極論だと思うので別にそこはいいんですが、

極論ではなくあり得る話ですよ、中学・高校生活に限っての話ではなくなりますが。
生徒が属してきた教育機関のどれもが、貴方の思われるように外見などに関知せずに済ませ、フォーマルな(というか公の)場で他人に違和感を与えない格好振る舞いについて指導せずにいたら、やがて就職活動に出ても相手して貰えない、本人にはこの道に進みたいと言う所があっても進むことが認められないとすれば、これは将来が閉ざされたようなことになりませんか?
あらゆる学校の校則が貴方の持論の通りになっているならば、小中高校全て外見や服装において規制も指導もしないんですよ?むろん大学も同じ、だとしたら記念すべき1度目の失敗が就職活動時にやってくるでしょう。
それはもう輝かしくデビューする筈の社会人人生を閉ざす一撃になり得ませんか?

今回の書き込み冒頭において貴方と僕の観点の違いを感じた、と言いましたがそれはつまり、校則における規制云々をリアルタイムな学校生活の中でのみ考えているか、学校生活を終え一般社会に出るときにどうなるかという違いに思えるのです。
学校というのは様々な学問を勉強させると同時に、集団での社会生活や、社会人としての基礎を知る所だと思います。ならばやがて社会へ送り出す時の事を前提に考えないことには意味を為さないのではないでしょうか。

貴方はここで議論されるような事は、校則ではなく教師個人が独自の理論によって生徒に指導すればいいとお考えのように見えます。校則による指標を一切当てにしないと言うのであれば、学業に励ませる傍らに時間をとってじっくり指導されるおつもりでしょうか?
多分に古い考えが残っているとは言え、平均的一般的に通用する事柄が含まれている校則を捨て、教師個人個人が個々のやり方で指導するのは、むしろ非合理的で偏重する傾向が強いという気がします。
僕の中ではそれは線路もないのに迷走する列車のように思えてなりません。

それから、外見服装に関しては一切自由で何だって良いと仰いますが、ちゃんとした格好と言われる物がどういうものか教えた上で好きにさせるならともかく、一切指導しなかったなら生徒達の後々を考えてあげられない不親切な教師に見えます。
感情的に押さえつけるのなんて許せないと仰ってますが、一時の感情に振り回されているのは貴方も同じに思えます。

長々とですが、僕の思っていることはだいたい述べたつもりです。
繰り返すようですが、僕は生徒達の学校生活のその後のことを考えればこそ、礼儀や外見やその他社会生活に関わることは校則を利用して指導するべきと思っています。
もちろん今のままでは古い慣習にとらわれ意味を為さない部分もあるでしょう。だからと感情に流されむやみに無くすのでなく、改善して利用すればいいと思っています。

学校出てからの事なんて今論議する事じゃないと思われるのでしたらそれ以上は僕も言うことはありません。
僕としては充分に有意義な話が出来て良かったと思っています。
長々と付き合っていただいてありがとうございました。
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この回答へのお礼

三度も回答していただきありがとうございました。

貴方の文面を見ていると校則のみによって生徒が良くも悪くもなるような感じがします。
校則1や2をしっかりと覚えさせて、No.15の方の所で書いたようにさせるべきです。
俺は放任主義ではありません。
そうしたら就職の時の問題もなくなりますよね?

>飛躍していると貴方は仰ってますが、そんなことは無いと言い切れますか?分かりやすいからわざわざ話を極端にしましたが、程度の差はあれ同じ様な問題は起こると思いますよ。
これ他にもゲームとかいろいろな場合も考えられますよね?
全て可能性がある場合は禁止するんですか?

わざわざ三度も回答していただき本当に謝意の気持ちでいっぱいです。
俺の文章能力がないがために本当に3回もお付き合いさせてすみませんという気持ちとありがとうございましたっていう気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。
もし何かまたありましたらお気軽にお願いします。

お礼日時:2002/10/30 18:56

なんか、難しい内容でよくわかりませんが、元不良で、現在3児の父としての意見です。

最初に申し上げておきますが、この文章について教育的意義や合理性をを求められてもお答えできません。逃げてる訳じゃありません。私の経験のみで書かせてもらいます
私の高校は市内でも有数の校則が厳しい高校でした。やはり反発して、髪型、バイト、バイク、酒、タバコ、喧嘩、暴走族と何でもやりました。丸坊主は一度や二度ではありませんでした。停学も片手じゃ足りません。何度、家出して、学校を辞めようと思ったことか。もちろん校則は今でも嫌いです。でも卒業して社会に出て、校則の意味がわかりました。会社は高校に比べると規則は少ないですが、自己責任という点では、高校の比ではないと思います。
gooneeさんは、学生ですよね。ということは、まだ就職の経験はないわけですよね。じゃあgooneeさんの仰るとおり自己主張で、髪の色を変えて、ピアスをして教師の就職試験に受かるのでしょうか?それともそのときだけ止めるのですか。そんなの自己主張じゃないような気がします。
前途のとおり、高校時代は好き勝手やってましたが、何かあったときは、私を丸坊主にした先生が、親と一緒に警察まで迎えにきてくれました。
私は、髪型を自由にさせる先生よりもその先生が好きです。あの高校の厳しい校則があって、それに反発して先生に殴られて、大人になったように思います。今でもその頃の先生方とはちょくちょく飲んでます。いい関係です。
高校の時何者にも縛られず好き勝手やってきた人間が社会で急に大人になれるのでしょうか。確かに「長いものには巻かれろ。」高校時代は、一番嫌いな言葉でした。そして反発してきました。でも社会では、妻と子供のために長いものに巻かれなければならない時もあります。No.17のbuleberry15さんと重複しますが、高校の3年間は社会に出てしまえばあっという間の3年間です。その間の校則に我慢できないなら、それ以降の社会、会社の規則に従っていけるのでしょか。そういう事を教えるのが勉強を教える事より重要な教育のような気がします。体を張って涙を流して、私を殴りながら卒業させてくれた先生方に今でも感謝しています。これが本当の教育のような気がします。
元暴走族の不良で、高卒の職工の戯言です。合理的じゃなくてすみませんが体験論です。夢に向かって頑張ってください。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございました。
もちろん俺は学生の身分なので就活経験はありません。

>じゃあgooneeさんの仰るとおり自己主張で、髪の色を変えて、ピアスをして教師の就職試験に受かるのでしょうか?それともそのときだけ止めるのですか。そんなの自己主張じゃないような気がします。

大人になってそれではまだまだ幼稚だと俺も思います。
俺が最終的な目的とするのは外見的なものではありません。内面的な自己主張です。
No.15の方の所で詳しく書きました。

>高校の時何者にも縛られず好き勝手やってきた人間が社会で急に大人になれるのでしょうか。

何物にもっていうのが校則なのでしょうか?校則だけが縛っているのでしょうか?

>No.17のbuleberry15さんと重複しますが、高校の3年間は社会に出てしまえばあっという間の3年間です。その間の校則に我慢できないなら、それ以降の社会、会社の規則に従っていけるのでしょうか。

従う必要があるないは個人の問題です。
短絡的にこの規則が嫌だから従わない!って思うのは話になりませんが、
その規則は本当に合理的ではなくて不当だと思うならば全力で戦う事を教えたいです。
大学のクラブの方で戦っています。

本当の意味での教育とは人それぞれ違うので一概には言えません。
だけど素晴らしい先生と出会って幸せですね。

お礼日時:2002/10/29 03:39

No,6です。


(>彼らは、「(学校で禁止されていることを)自分はやっているんだ。」という未熟な自己表現を禁止された枠内でわざわざやりたいのです。
それなら禁止しなければそれでいいのでは?と思うのですが・・・)
のご返事について一言・・。
<それなら禁止しなければそれでいいのでは?>のgooneeさんの意見に対してですが、禁止内容はさておいて、gooneeさんは「自分に、周り(世間、管轄地域など)の方があわせるべきだ。」をおっしゃっているのをお分かりですか?「私の気に入らないことはアンタが合わせるべきだ。」=最近で言う、「切れやすい子供」を作ることになりえませんか?「ガマンはしなくていい。」んですか?実際に世間は常に「自分」にあわせてくれるものですか?生徒は学校教育を踏み台に社会に出るのです。「今、染髪するか否か。」といったような瞬間的な感情は社会に出るのに必要ですか?その思想をあなたが40人の生徒に教えるのですか?先生が、「授業中に携帯電話を触るな!」と注意したら、生徒から「先生、みんな触りたいんだから禁止しないでください。」と言われたら、「そうか。俺が悪いんだ。皆やってるもんな。」とでも言うのですか?
親御さんから「子供の成績が悪い」と言われたら、「アンタの子供が授業より携帯を触るほうを選んだもんで・・・うちでは授業中の携帯、化粧は生徒の意見により禁止していないんです。」とでも説明するのですか?日本の学校では生徒が先生に従う関係でないとお互いが成り立たない気がするのですが。gooneeさんも友人の家を訪ねたらその家の方針に従うでしょう?それは過去にgooneeさんに「禁止は禁止。」と教えてくれた人がいたからです。
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この回答へのお礼

二度目の回答ありがとうございます。

>禁止内容はさておいて、gooneeさんは「自分に、周り(世間、管轄地域など)の方があわせるべきだ。」をおっしゃっているのをお分かりですか?

校則1と2に反する行為は許されません。
その校則を守った上での行動は構わないと思います。ピアスとか髪型とか。
例にあった携帯電話ですが、
先生「授業中に携帯電話を触るな!」と注意したら、
生徒「先生、みんな触りたいんだから禁止しないでください。」
教師「そうか。俺が悪いんだ。皆やってるもんな。」
そんな事は言いません。厳しく注意します。

お礼日時:2002/10/29 02:56

#9です----------------------------------------------


こちらこそ、ありがとうございます。
お礼の中にご質問ありましたので、補足させていただきます。

>>校則に関して怒りを感じるのは生徒の役割なのだと
>ここのところを詳しく教えていただけないでしょうか?
ここ何年も教育系の資料から遠ざかっているし、実務経験(実習のみ)もないので、専門的なことは言えませんが、教師って、生徒に対して共感して良いところとそうでないところがあると思います。[前回の回答/わたし達よりも、今の高校生の感覚は想像以上に若いものだと思います。その感覚を現実にうまく組み込んでよりよい学校生活が送れるようにしてあげるのが、教師の役目ではないかと…思ったりします。//ここまで]ですから、生徒と同様の怒りを感じてはいるものの、実際は異なる怒りですよね? また、「カチン」という記述から、わたしはてっきりあなたが生徒同様の感覚を持って、かと思いましたが、これは誤解だったようですね。怒りとしての「カチン」ではなく、「疑問」としての「カチン」でしょうか。もしそうでしたら、わたしの回答は不必要です。

>だけど外見から自己表現させる方法を教えてやる事もアリだと思います。
具体的な方法はさておき、[その生徒たちが将来社会を担って行ける力がつけばよい]のですから、アリかもしれませんね。先のことはわかりませんが、会社員のわたしから言えるのは、第一印象はかなり重要だということだけです。同年代の人や思想の近い人同士ならなんでもアリかと思いますが…というと頭が痛くなるのでやめます。十人十色なので。他の方とのやりとりを読ませて頂きましたが、生徒から信頼される教師になれるのでは。

頑張ってください。
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この回答へのお礼

二度目の回答ありがとうございます。

疑問と言う意味です。もちろん少しは怒りもありますが・・・。
何故合理的理由が無いにも関わらず、校則を作るのか?
合理的理由がなければ作る必要は無いのではないのか?
って思いました。
不必要なことはありません。どうもありがとうございます。

>第一印象はかなり重要だということだけです。
確かにおっしゃるとおりです。
だけどそれ以上に大切な事があります。
第一印象を持った側はもっともっと対象者に対して「知ろう」っていう気持ちを持たなければなりません。
また持たれた側は「知ってもらおう」っていう気持ちを持たなければなりません。
そういう気持ちを持つ事を教えていければな・・・って思います。
だけど具体的にどうするか?はまだまだ発展途上です。

お礼日時:2002/10/29 02:42

 こんばんは、興味があるのでお邪魔したいのですが


疑問に思うことがあるので補足をお願いしたいと思います。m(__)m

NO.13の方のお礼についてなのですが_________________________________________________________

冗談はさておき、線引きはする必要は無いと思います。

>の生徒の視界を遮ってたり月々の維持費で大変な者もいるかも知れない。そうなってしまうと最早まともな授業風景とも呼べず
それは教師が関与するところではありません。ですが維持費がどうこうでまともな授業風景にならないのならそれは単純に教師の力不足です。
だけどその論理少し飛躍していませんか?

もちろん指導はしますよ。教育を放棄するつもりはありません。
___________________________________

「線引きする必要は無い」「それは教師が関与するところではありません」
との事ですので生徒の髪型がどんなに派手になったとしても
それをとやかく言うべきではというのが質問者さんの意見ですよね。

 「ですが維持費がどうこうでまともな授業風景にならないのならそれは
  単純に教師の力不足です。」

次に上のようになっていますが、生徒の髪形についての自由を
すべて認めて維持費、授業風景に支障が無いようにして
「もちろん指導はしますよ。教育を放棄するつもりはありません。 」
というのはどういう意味なのか僕には良く分かりません。(^_^;)

質問1
(1) 生徒の髪型は自由、教師が関与すべきではない
          ↓ 
(2) 髪型の維持費、授業風景に支障が出るのは教師の力不足
  (髪型が自由なら維持費はかかる、維持費の話が出るくらいの髪形なら
   授業風景にも支障が出るような髪型の生徒の割合もかなり高いと思われる
   維持費、派手さの事では日焼けサロンに通う高校生も居た事から十分
   あり得ると思います) 
          ↓
 (1),(2)を両方満たすのは無理ではないでしょうか?

質問2
 質問1に続く物と思いますが、「もちろん指導はしますよ。
教育を放棄するつもりはありません。」と書かれていますが
「髪形についてとやかく言うべきでない」教師はどういった「指導」
をするのですか?

 また質問者さんの言われる「指導」とはどういったものでしょうか?
その「指導」は「とやかく」言った事にはならない物でしょうか?
 

質問3
 「だけどその論理少し飛躍していませんか?」質問1,2に続きますが
「何が、どのように」「飛躍」しているのか説明をお願いしたいと思います。
自分は~というようなことを言っているのにNo.13の方は・・・と言うような
事を言っているから、という感じでお願いします。


質問4
 No13の方へのお礼ではありませんが
質問者さんがお礼の中に使われた「自己表現」とはどういった事でしょうか?
また自己表現をしない生徒はどうなる心配があるのですか?

 色々意見があるのですがNo13の方のお礼で良く分からなかったので
説明をお願いします。

 また自分としての感想は、失礼だとは思いますが
質問者さんは主語を省いての文章が多く読解力の乏しい自分には
何が何を指しているのか、前後の繋がりなども
質問1,2,3、が指すように、よく分かりませんでしたので
もう少し分かりやすくお願いしたいと思います。
校則の話ですから子供も見ていると思いますし・・・

質問1,2,3,4,それぞれに対応した説明をお願いします。

 色々失礼なことを書きましたがよろしくお願いします。m(__)m
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この回答へのお礼

返事が遅くなりまして申し訳ございませんでした。

質問1に関して
そういうことだったんですね。勘違いしていました。本当に申し訳ございませんでした。完全に誤読していました。
だけど校則1や2に従って注意します。

質問2に関して
校則1や2に反する行為を行った場合に指導をします。
指導という言葉は抽象的な言葉なので一概に「こうだ!」という事は、
少なくともまだ教師でもないこの俺には出来ませんが、
今考える限り書かせてもらいますと、
指導とは集団行動や自律を促す事なのかもしれませんし、
生徒の思った問いに一緒に考えていく事なのかもしれません。

質問3に関して
質問1で勘違いしていました。本当にすみません。

質問4に関して
実際、自己表現していない人間はいません。
話し方にせよ、ノートをどう取るかにせよ、癖にせよ、全て自己表現です。
ですがその自己表現が他人には分からないって言う事は結構あると思います。
(分からせようと思う気持ちがあるかないかの問題になるとは思いますが)
特に中学校は集団意識が高いため、さらには外見の面で拘束されている中学生は
自己表現の場が限定されています。
おとなしい子や静かな子、人に合わせる子などはしっかりとした意見を持っていても言わない場合の方があります。経験則ですが。
最終的には内面の自己表現を目指しますが、きっかけとして外見から入るのもいいかと思います。
そこから人にわかってもらおうって思う気持ちをしっかりと引き出していっていけばそれでいいと思います。
今の教育は内面の個性だけが重視されすぎていると思います。
外見と中面をバランスよく個性を引き出していく方がいいかなって思います。
もちろん外見の偏見を植え付けようとかいうものではありません。

これでよろしいでしょうか?また分からない事があれば言ってください。
最後にmon-roeさん本当に申し訳ございませんでした。
他の皆さんにも迷惑をかけて本当にすみませんでした。

お礼日時:2002/10/29 02:24

ちょっと疲れていて、体調も今ひとつなので、充分に答える気力が残っていないことをお許しください。

がんばります。

最初に確認しておきたいのは、「原則論」は持ち出してよいときと、まずいときがあるということ。
昔私の妻が小学校の職員だった頃、2月の職員会で卒業式の進行、運営、打ち合わせをしていたそうです。2月といえば学校は年度末で、毎日がてんてこ舞いの頃。職員会も早く終わらせて、みんな自分の仕事をしたいところです。

そんな時、「君が代の伴奏は誰がやりましょう?」というところから、職員会は空転を始めたそうです。「そもそも君が代がなぜ卒業式で…」「国歌と決めたからといって我が校の意志は尊重されてはいけないのか」「児童に、この歌の意味をどうやって教えればよいのだ」…このあと、伴奏者の先生が決まるまでに、2時間が費やされたそうです。原則論を持ち出しても、混乱を招くだけ、という例です。

これらを飼いならされているというのであれば、それも甘受しましょう。

しかし、理不尽なのかどうかを考えて、原則に返ってばかりはいられないことも、実際の生活の中にはあるということも確認しておきたい。

さて本題です。

校則などというものは、確かに教師の「見る目を養う」教育も大切ですが、要は生徒が現状を改善しようとしたとき、改善できるだけのシステムを学校が持っていること。そして、そのシステムに乗っ取って、場に応じて変えていけばよいのだと思っております。

質問文の3と4について、「合理的な理由」?とのことですが、要は、そういうものが存在する意義があるのかどうかということですね?

あった方が、楽といえば楽です。余分なことを考えず、学校生活に集中できるという面におきまして。もちろん、その「余分」が、本当は大切なのです。しかしながら、そこに「原則論」が顔を出す。

続いて、「らしさ」について。

「らしさ」を押し付けられている本人たちが、息詰まることはわかります。
では、それを全部壊せばいいのかどうか。実は私たちは、多くの「らしさ」によるステレオタイプをもつことによって、安心して暮らしているというところが多々あると思うのです。その証拠に、たとえ教師が、例えば服装についての規制を取っ払ってしまっても、生徒たちは、「自分たちだけの仲間の印」として、おのおので決まったスタイルを作りたがります。その仲間の格好を少しでも違反するものが表れると、その子は強烈にいじめられるのです。

とすればどう考えるか。

その時その時の「まあこれぐらいはそろえておこうよ」というラインを、教師、生徒、保護者の間で、できるだけ納得する形で探りつづけるのです。私も「丸刈り」などはおかしいと思いますが、もしもそれが校則になっているのならば、おかしいと感じた仲間が、改正のために動くことです。ただし、そのときの鉄則としては、その規則を守りながら訴えること。そんな規則などなくても、十分に学生としての、その年齢の時期でしか学べない学習を進めているという信頼を結んでいれば、改正の道は近い。

あとはそれを見守る教師の「コモンセンス」にかかっています。

この回答への補足

今上の方の方の補足要求を見て反省しました
補地学実験合宿があるので時間が許せる限り書きたいと思います。
No15の方には明日の夜まで実験のために返信できませんがお許しください。

確かに教師側としては時と場合によって原則論を持ち出す持ち出さないって言う気持ちはわからないでもないですが、それ以前の問題として常に意識する事項だと思うのですが。。
意識するのは大変だと思いますが、意識しないと駄目だという想いもあります。
理想論かもしれませんがそう思いました。
もし不快になられたら申し訳ございません。

補足日時:2002/10/26 12:47
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>校則などというものは、確かに教師の「見る目を養う」教育も大切ですが、要は生徒が現状を改善しようとしたとき、改善できるだけのシステムを学校が持っていること。そして、そのシステムに乗っ取って、場に応じて変えていけばよいのだと思っております。

すばらしい意見だと思います。こういう学校作りが理想ですね。

>あった方が、楽といえば楽です。余分なことを考えず、学校生活に集中できるという面におきまして。もちろん、その「余分」が、本当は大切なのです。しかしながら、そこに「原則論」が顔を出す。
教師側としては納得すると思いますが、生徒にこういう風に説明する事は出来ません。
意義が分からないと思います。現に俺も頭悪いので分かりません。

>「自分たちだけの仲間の印」として、おのおので決まったスタイルを作りたがります。その仲間の格好を少しでも違反するものが表れると、その子は強烈にいじめられるのです。
そういう可能性ももちろんあるでしょう。そういう事はしっかりと教えていかないといけないと思います。
いつもおまえはいじいじしてるって言う理由でいじめられた経験のある知り合いもいます。外見が変わればいろんな意味でオープンになると思うのでいいと思いますが。
ま、ここはいたちごっこなので議論するところじゃありませんね。
「らしさ」は自分で創っていくのならいいんですが、他人に言われる筋合いはないですよ。
中学生らしい格好や行動をしろって・・・・。

>ただし、そのときの鉄則としては、その規則を守りながら訴えること。そんな規則などなくても、十分に学生としての、その年齢の時期でしか学べない学習を進めているという信頼を結んでいれば、改正の道は近い。
もちろん規則を守りながら訴えるつもりです。ご教授ありがとうございました。

お礼日時:2002/10/26 12:41

#7です。



お礼の文も読ませていただきました。可能性としてこういう事は考えられないか?といった軽いスタンスで回答したので、リアクションを読んで考えさせられました。
前置きはこのぐらいにして、

>たとえば髪を染めてはいけないと説明するときどう説明しますか?
貴方の今の回答で生徒たちは納得しないと思います。
もう少し詳しい生徒にとって分かりやすい説明をお願いします。

例えば、髪は何色でも良いし髪型も好きにして良い、外見について細かい規制はない。としましょう。
そうなると目立ちたい生徒は色んな色にするだろうし、髪型にもこだわるでしょう。そのうちに目立ちたい者同士で競争となり教室の中は百花繚乱になるでしょうね。
中にはレインボーの頭やアフロになってたりして、他の生徒の視界を遮ってたり月々の維持費で大変な者もいるかも知れない。そうなってしまうと最早まともな授業風景とも呼べず、誰が言うこともなく一定の規制を設けるようになるのではないでしょうか。
そうなると次の問題は線引きです。何処まで妥協するか?ここはありでここは無しの基準は?決まったら決まったで生徒達にしてみれば不満爆発、いよいよ収拾つかなくなる。
そもそも勉強させるために学校に集めてるのに、校則一つにそんなに時間かけていられるのか?いちいちやってたら教師達はたちまちオーバーワークになってしまう。
生徒の自主性を重んじ生徒会辺りで秤に掛けてみても、全校生徒の意見が簡単に決まるものではなく、授業時間は削られるばかり。いったい何のための学校?

極端な意見ではありますが、そうならない保証だってありません。今現在の状態ですら教師は拘束時間も長くハードワークだと聞いています。理想があっても実現する前に実務の山が立ちふさがってる状態ではないでしょうか。

>もし金髪で派手な化粧してフォーラムな場に行きたければそれではそれでいいんではないでしょうか?
失敗させればいいんです。
自分で自分は痛い奴と認識して今後は一切そのような事はしないでしょう。

それはどうでしょうか?
確かに失敗によって学ぶことは大事でしょうし、そうすることも教育方法の一つだと思いますが、せっかく今教えることが出来るのにその機会をわざわざつぶす必要もないのでは?
知る機会が無かったばかりに、不幸にしてそれまで失敗を感じなかったばかりに、本人の重大な転機に限って失敗し将来を閉ざすような事態に陥ったとしたらどうしますか。
教えられる事があるなら、せめてできる限りのことは身につけさせたい、学校を出ればすぐにも社会で通用する人になって欲しい。というのが理想の教育だとすれば、僕はやはり必要性を感じます。

起こり得無さそうなケースを例に挙げて話してしまいましたが、さりとて皆無とも言い切れない、何が起こるか分からないのは一般社会と同じだと思います。
外界に出たとき、トラブルの原因になりそうな物は、やはり早い内に分かっておいた方が良い。その為の指標としてあって良いものではないでしょうか?
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この回答へのお礼

二度目の回答ありがとうございます。
>中にはレインボーの頭やアフロになってたりして
飽きなくていいじゃありませんか。ま、これは俺の主観ですね。
冗談はさておき、線引きはする必要は無いと思います。

>の生徒の視界を遮ってたり月々の維持費で大変な者もいるかも知れない。そうなってしまうと最早まともな授業風景とも呼べず
それは教師が関与するところではありません。ですが維持費がどうこうでまともな授業風景にならないのならそれは単純に教師の力不足です。
だけどその論理少し飛躍していませんか?

もちろん指導はしますよ。教育を放棄するつもりはありません。
何度も言っても聞かずに私は自分がじっくり考えた末での結論ですと言われたら
どんな格好であろうと自分がいいと思う格好でフォーラムな場に行かせます。
俺は絶対に止めません。
たとえば中学生や高校生にどれだけのフォーラムな場があるんでしょうか?
冠婚葬祭あるいはなんかの授賞式ぐらいしかないような気がしますが・・・・。
将来が閉ざされるとは例えば具体的に言ったらどんな場でしょうか?
極論だと思うので別にそこはいいんですが、
>何が起こるか分からないのは一般社会と同じだと思います。
ここに関しては反対の余地は微塵もありません。
ですが恐れていたら何も出来ません。
今のおとなしい中学生は衝動的に人を殺すってよく言いますよね?
なんか知らないんですがこの言葉よく大学の講義で耳にします。(基本的に好かない言葉なんですが)
こういうことを恐れていたら何も教育は出来ないと思います。

お礼日時:2002/10/26 01:23

感情ではなく合理的な説明とのことですので、



まず、校則ですが、
昭和52.3.15に最高裁で、
「学校は、法令に特別な規定がない場合でも、学則などによりこれを規定し、
 実施することのできる自律的、包括的な機能を有し、
 一般社会とは異なる特殊な社会を形成している、」と判示しています。

これは、学校が一般市民社会のなかにあるが、
これとは別個に自分たち独自の規則を有する特殊なところであることを
認定[是認]しているものです。[この表現は行き過ぎかもしれませんが、内容はこの通りです。]

そして、学校教育法施行規則第15条に、学校が備えるべき表簿として学則があります。

従って、学校には、校則が必ずあり、
一般市民社会にはないルールが存在する可能性はあります。

ただし、ご質問は『社会通念上合理的でないものや必要以上に詳細である』
というご批判だと思います。

では、次に、不要だと思われている内容、
>3.生徒らしさの保持に関する規律(礼儀作法、髪型・服装、所持品)
>4.学校外の行動の規制(外出・出入場所、バイク、アルバイト、男女交際等)
についてですが、

髪型を例にとりますと、
昭和60.11.13に熊本地裁で
「中学校長は、教育実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有し、
 生徒の服装などについて規律する校則が
 中学校における教育に関連して定められたものである場合には、
 その内容が著しく不合理でない限り、その校則は違法とはならない」とされました。

“やっぱり、著しく不合理なのはだめなんだ。。。。”と、考えられるかと思いますが、

これは「丸刈り裁判」の判例で、
結論は
『丸刈りを定めた本件校則の内容が著しく不合理であると断定するべきではない』となりました。

3.の学内はまだよしとしても、4.の学外まで制約されることは、、、、おかしい。
と思われるかもしれませんが、

髪型規制は学校外の生活全般にも影響することから、
髪型規制が是認されたと言うことは、学外での生活に関しても、
何らかの制約が許容されると解されます。

両、判例を元に、
基本的人権とといえども絶対に制約できるものではなく、
自由の一部をなすものであっても規制できるということになります。

【自由は公共の福祉に反しない限り行使が認められるのは周知の通り、
 無制限であるわけはありません。】
【また、合理的範囲内で、社会通念上認められ、教育として必要なものである限りとなります。】
【もちろん、校則を作る権限や内容が無制限に許されているわけではありません。】

ここで、おそらく、「合理的と社会通念上・・・」の判断が話題になるかと思います。

これは、これら判例の別部分で、以下のように示されました。

・教育上の措置に関するものなので画一的に判断できない。
[裁判所が決めるものではない、また、児童生徒・保護者・市民などの一部の意見または世論が、
 決めるものではない]
・実際に教育を担当するもの、
 最終的には校長の専門的、技術的な判断にゆだねられるべきものである。
[校長が作ると言うことではなく、作成には様々な過程があるが、
 その是非の判断と施行を校長名で行い、責任を負う、ということ]

もちろん、具体的には、地域社会の環境、保護者・児童生徒の考え方(意見ではない)を
いろいろな角度から十分に検討した上で方針を決定し、
それぞれの学校ごとによる手続きを経て(生徒総会??)、
全職員の共通理解を図り、指導上の不一致を生じさせない校則を定めるべきです。
また、児童生徒に、なぜそれが示してあるのという意味を十分に納得させる指導が必要です。

ただし、だからといって、
反対の教師がいるからできないとか、
私は反対だからこんな指導はしないとかは、許されるべくもなく、
すべての生徒・保護者が、またはすべての地域住民が納得するものが常に作られているというわけでもありません。

ご質問の事例も詳細がわからないので何ともいえませんが、
その校長も、赴任したときにすでに制定されている校則に対して、不合理で承伏しがたいものもあるが、
これが、創立以来支持されてきた校則であり、
校長としても、ほかの教員も、生徒保護者も、校則は適切な手続きを以て、改正されない限り、
[改正の提案が校長としての自分のところに起案されない限り]
順法精神に則り、または尊び、これを支持・執行していかねばならない、
そして、児童生徒には、そのこと[順法・遵法]こそ指導しなければならない。
という、自分の教育理念と方針を吐露されたのではないでしょうか。

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ちなみに、私は校長職ではありませんし、それを擁護する立場のものでもありません。
個人としての感情では、頭髪や服装などの規定は不要だと思います。
でも、子供には、「決まりは、まず守ること」「変えるのは自分たち」という、
民主社会の本当のルールを、まずは規則を押しつけてでも、身につけさせる必要はあると思います。
私自身の意見や考え方を詳しく書くともっと長くなりますので、それはやめます。
ただ、gooneeさんも、教師志望でしたら、いざ学校で教師として、、、、
なぜこの規則が容認されているのかを考えられては如何でしょう。
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皆さんに総攻撃されそうで、怖々ですが、
以上 記憶不確かでの過ちや、私の思い違いの記述がありましたらご指摘ください。
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この回答へのお礼

法律の観点から詳しい回答をしていただきありがとうございます。
つい最近日本国憲法の授業で学んだんですが、
自己決定権というものがありますよね?
それによると髪型一つとってもその生徒にとっては人格形成に必要不可欠ならば、
それを学校側が阻害する事は出来ないと言っておられました。教科書にも書いてありました。
つまり校則の3.4番は生徒にとって人格形成に必要不可欠ならば否定できないはずなんです。
専門家の立場からこれはどうなんでしょうか?もしよろしければ再度宜しくお願いします。
あとde88さんの個人的な意見もよろしければお聞かせください。

>なぜこの規則が容認されているのかを考えられては如何でしょう。
もちろん考えました。自分の要求する側の意見だけにとらわれていたら話しになりませんから。

お礼日時:2002/10/26 01:04

興味深い内容です。


皆さんのご意見がすべてだと思います。私自身の意見は規則と規律は必要だと思います。その規則、規律(評価基準)があるからこそ、その枠組みの中で生活していけると思います。ただし、貴方が質問しているように、アイデンティティ、規律、規則の重要性を正当に議論し枠組みを広げることも必要だと思います、もしそうすべきに足る合理的な根拠があればですが。これまでの、皆さんの意見を見ていると、貴方が望まれた規律、規則がなぜ必要かという問いに対して合理的な根拠がたくさんあります。私もまったく賛成です。逆に、なぜ自己満足(私は自己満足が個人のアイデンティティとは違うと思います、アイデンティティはもっと深い意味がある。)が規則、規律よりも優先させなければならないのかという納得させる回答もないし、私も具体的な根拠が見つけられません。なぜ髪の毛を染めたいのですか?なぜ化粧をしていのですか?その、<なぜ>というのがアイデンティティではないでしょうか。皆があるいはタレントがしているからというのでは、これは単なる風潮、自己満足で、アイデンティティにはほど遠く、規律、規則を変える根拠ではないと思います。もし学生がアイデンティティをもって規律、規則を変えるよう努力するなら、私は応援したいです。これは、学則のみならず、法律を議論するときと同じで、どう考えてもおかしい法律を変える場合、相当な根拠と時間が必要であるということに通じます。ただ、校長の言葉は軽率だったと思います。
最後にがんばってください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

そうなんです。そこなんです。それを覆すだけの根拠が無いんです。
だけどそれ以上に根拠もなく規則だからという怠慢的理由で生徒を拘束するのはさらにおかしな話です。
たくさんの根拠があるとおっしゃられましたが、根拠はあるんですか?
俺には無いような気がしますが・・・・。

アイデンティティという言葉を使うかどうか最初迷いました。
絶対にそこを突いてくるだろうと思ったので。
>皆があるいはタレントがしているからというのでは
これは必ず間接的理由にはなると思うんです。
だけど最終的には自分がやりたいからやるんです。
つまり自分をよくしたい、よくみせたいという感情です。
それが結果的にみんなと同じような形になっても
それはその生徒にとっては十分アイデンティティだと思います。
仮に違うと言われてもアイデンティティを育んでいる事は確かです。
そういう気持ちを尊重させたいです。

お礼日時:2002/10/26 00:48

いろいろな回答者がいますが、質問者の意図は明白だと思います。

(1)(2)は必要である。しかし、(3)(4)に関して、理不尽な規制や規則は、学校教育に必要か?じゃないでしょうか。

合理的な理由なく「規則だから」の一言で、締め付けるのは学校教育ではなく、軍隊教育です。軍隊では人殺しという理不尽さに疑問を持ってはいけません。自分が殺されてしまいますからね。

学校教育の現場で理不尽な規制や規則があるのは、生徒が問題を起こしたときに、学校側が責任を免れるためです。たとえば生徒がバイクで事故を起こした場合、学校はバイク禁止なのだから、それを違反した生徒が悪いのであって学校には責任がない、と。特に公立の場合は入学者にフィルターをかけることは出来ませんから、地域によっては極端にひどい規制や規律を設けている学校もあるでしょうね。

「丸刈り」に代表される理不尽な規制や規律は、実はたいした問題ではないのです。むしろそれらが理不尽とわかっていながら、変えることが出来ない組織、特に管理職の側の問題なのです。例の校長も、理不尽とわかっていながら規則だからといってしまう。けれども、彼の一言で変えることは可能なはずです。学校という組織のトップなのですから。それをわかっていない校長がバカなのです。あるいはわかっていながら責任問題を回避している卑怯者です。

もし質問者さんが教員になられるのでしたら、これらの愚かな校長や教員と戦って子供たちを理不尽な規制から解き放ってやってください。ただし何か問題が生じたときに、全責任を被らされるかもしれませんが・・・。

まあ、そんなことよりも、この手の問題の合理的理由など考えている暇があったら、勉強しましょう。教員採用試験に、こんな質問は絶対出ませんよ。
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この回答へのお礼

質問の意図を汲み取った回答をしていただきありがとうございます。

>むしろそれらが理不尽とわかっていながら、変えることが出来ない組織、特に管理職の側の問題なのです
そうですね。
あと考えられるのは二つ。
理不尽と分かっているけれどサディストの集まりあるいは、理不尽とも思ったことの無い者か・・・

>もし質問者さんが教員になられるのでしたら、これらの愚かな校長や教員と戦って子供たちを理不尽な規制から解き放ってやってください。ただし何か問題が生じたときに、全責任を被らされるかもしれませんが・・・。

でしょうね。おそらく全責任かぶせられるでしょうね(苦笑)。

>まあ、そんなことよりも、この手の問題の合理的理由など考えている暇があったら、勉強しましょう。教員採用試験に、こんな質問は絶対出ませんよ。

あなたの言うとおりです。。

お礼日時:2002/10/26 00:28

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