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法律は常に正しいのでしょうか。

たとえば、教育基本法が改正されて「国と郷土を愛する心」が明記されました。
これは教育基本法なので教育についての定めで、ある意味では教育者に定めたものです。
つまり、教育者(教師)は「国を愛する心」を養わなければ「違法」ということになるのでしょうか。

また、人に「法律できまってるよ」(→だから間違っていない、といいたい)と言われる場合は認めるしかないのでしょうか。

このような場合ではなくても、法律は常に善であり、またそれ以外は悪なのでしょうか。
たとえば、上記の例でいえば、教師が「国を愛すのは自由です」といった場合などです。
この場合は憲法で「表現の自由」として認められるかもしれませんが、優位法(?)もあるのでわかりませんが。

わかりにくくなりましたが質問は以下の二つです。
1、法律は常に正しいのか。
2、人に「法律できまってるよ」といわれた場合に、どう反論(反論がある場合に)すればよいのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

正しいかどうかは、将来分かる。


人の倫理観、社会観は今その時代に生きている人では判断できない。
同時に、今正しいことが将来悪となることもあり、逆のこともある。
法律はこの世で社会的生活を営み維持していくために制定されるもので、正しいか否かは、余り重要ではない。
勿論、今の倫理観に従って、大多数の人がおかしい、と感ずる内容はまずい。
法律は国会で論議の上決まりますので、法律が悪いとすると、国会議員が悪い、ということですから、次は落選させないといけません。

罪を法律が定め、刑を法律が定めますので、反論あれば、国会で修正させるしかないし、そう発言するしかない。
言葉の綾で、正しい、正しくない、を発言することは結構なことではないですか。
例示の「愛国心」が正しくない、との主張には賛同しません。
米国・中国・ロシア・インドどの国も愛国心を強調していますが、正しくないとは言えません。
日本で愛国心を主張するのは、あまりにも当然です。
日本で愛国心に異議を唱えるのは、戦争体験があるからでしょう。愛国心の名で死地に行く教育をされたから、の反省がそう言わせるのであって、愛国心が悪いわけではない。
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因みに私は素人です。

持論になりますが、少しでも貴殿のお役に立ちたいと思いここに述べさせて頂きました。
1法律は常に正しいのか。 あくまで、人間の作った法律。と踏まえて私は考えております。やはり、人間は失敗を繰り返しそこから何かを学ぶという実に基本的な進化の動物ですので、100年も前に考えた法律が今に適応するはずがないと思います。そういった意味では、法律は常に正しいとは言い難い。しかし、私達が常に平和に暮らす、また、争いごとを解決する為には無くてはならない皆の決めたルール。そういう意味では、善悪限らず、必ず守らなければいけない。つまり、常に正しいと言えます。ですから、法律とは常に正しくなくてはならないが、人間が作っているので法律も人と同じく進化(改定)していかなければならない。白黒着けられる話ではない。そういう見解を致します。
2「法律で決まっている」と言われ、反論がある場合。 ただの一般の議論であれば「悲しいね」の一言で良いと思われます。法律は常に正しいからです。私達一般人にはどうしようも出来ないからです。それ以上の反論は無意味です。内容は分かりませんが、それでも反論をしなければいけないのであれば、弁護士を雇うこと事。また、自分で法律をマスターするしかないのかと。ただ、法律を武器にする人は間違っていると私は感じます。法律が正しいからといって、本来、人を救うためにある法律が人を傷つける、そういう使い方はお勧めしません。やはり、これも人間の使い方一つで善にもなり、悪にもなりうる。
 しかし、「法律だから・・・」と言われても、常識をもっていれば、法律に違反しない程度に、その内輪だけで大人として(相手を怒らせないように)接した反論をすることが、今一番、私たちに必要なルールだと思います。長々と申し訳ありませんでした。
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 法律が「法的」に正しいかどうかは、法律が憲法に適合するかどうかです。

しかし、法律が法的に正しいと言うことと、その法律が「政治的」、「経済的」、「社会的」に正しいかどうかは、別問題です。
 例えばわいせつ物頒布罪が法的に正しいかどうかは、憲法第21条(その他の条項も問題になりますが。)に反していないかどうかの問題ですが、刑事罰を科してまでも、わいせつ物の頒布を取り締まるのが、政治的、社会的(あるいはその他の)観点から正しい(妥当)かどうかは、「法的」には判断できません。
 わいせつ物頒布罪が合憲であるかどうかは、最終的には裁判所が判断しますが、わいせつ物頒布罪が妥当であるかどうかは、立法府、そして究極的には国民が判断することになります。
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1.国により解釈は異なります。

日本の法体系はurutora11様がご指摘の通り、ドイツ法を含むヨーロッパ大陸法の系譜に入ります。この枠組みの中では、より権威の高い法と矛盾する法が出来てしまったら、その法は無効であるという裁判を起こすことが可能です。一般的には、日本の法は全体的整合性を好み、憲法>法律>条令という序列がはっきりしています。また、ドイツや日本の法律には、「道徳と法の分離」という概念があり、道徳とは内面的規範で強制力の無いもの、法とは外面的規範で強制力のあるものとされています。したがって、愛国心という内面の道徳的規範である部分に法が踏み込むことは、この法と道徳の分離の原則から見て非常に大きな問題であり、現行の教育基本法は憲法違反だとする見解が自然と出てくるようになっているわけです。

こういったロジックは、イギリス法(アメリカやオーストラリアを含む)やイスラム法の世界では通じません。われわれ日本人は、国内の問題については、日本文化とヨーロッパ大陸法の枠組みの中で考えていれば十分なのです。

2.日本の法体系の特徴のひとつとして、民法には拡大解釈を認めるが、刑法には拡大解釈を認めないという原理があります。これはドイツ人法学者フォイエルバッハにより打ち立てられた「罪刑法定主義」という原則とも、つながりをもつ考え方で、「犯罪とは、事前に法律で明示的に禁止されている行為のみをさす」という考え方をします。したがって、「法律で決まっているよ」と言われた場合、民法などの場合は、「そんなの別の解釈だって出来るじゃないか」と言い返せます。刑法の場合は拡大解釈ができないという点をポイントにし、「正確にはなんて書いてあるの?拡大解釈は禁止事項だよ」と返すのが基本でしょう。もうひとつの手段は、「その法律はいつ出来たの?」です。あなたの行動を誰かが犯罪だとして批判している場合、問題の行為が、それを違法と定めた法律が出来るより先の出来事であれば、刑法が過去に遡って適用されることは無いと言い返せます。しかし、自分のやっていることが現在、もしくは該当行為の実行時期において明らかに刑法違反である場合、本当は犯罪であることを免れることはできず、知らなかったからでは許されないのが日本の法律なのですが、「すまん、今後は気をつける」でごまかし逃げるしかありません。
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> 1、法律は常に正しいのか。



そうとは限らないと思います。
正しくないから改正する、という考え方もあります。
あと、最高裁判所が法律が違憲というようなことを判決に含めることが
あったりします。


> 2、人に「法律できまってるよ」といわれた場合に、どう反論(反論がある場合に)すればよいのでしょうか。

法律で決まっているんだから、守らなきゃいけませんね。
しかし、素人である以上、法律を誤って解釈している可能性があるので、
通常の会話に法律の話題を盛り込むのは避けたほうが良いと思います。
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法律学的な基準での回答を…。



>法律は常に正しいのでしょうか。

「正しいかどうか」の評価基準によります。

>つまり、教育者(教師)は「国を愛する心」を養わなければ「違法」ということになるのでしょうか。

「違法」というのは法律を基準にした評価です。
法律に従わなければ「法律を基準にすれば正しくない」とは言えるでしょう。

「法律が正しいか」は法律で無い基準による評価であることはわかりますか?

>また、人に「法律できまってるよ」(→だから間違っていない、といいたい)と言われる場合は認めるしかないのでしょうか。

少なくとも、法律で決まっていることに従わない場合は
法律による制裁を受けることは覚悟しなければならないでしょう。
それ以上でも、それ以下でもありません。

>このような場合ではなくても、法律は常に善であり、またそれ以外は悪なのでしょうか。

法律は、「法律の世界において」基準を定めています。
それ以外の基準で評価するなら、それはもはや法律の外の問題です。
それ以上でも、それ以下でもありません。

そして、法律の外の基準(その代表格は政治)によって法律自体も評価されており、
その評価に耐えられない場合は法律は改正されます。
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 私は素人ですので、誤りがあるかもしれません。


 善悪ということには、法律(つまり正不正)と、人の感性やその人の属する社会(広い意味での社会道徳も、家族単位のモラルも、さらには自分にとっての利益不利益・快不快等々)まで含めたものをいう場合があるのだろうと思います。そのなかで、国家(わが国では国会)が定めた法律は、形式的には各人の利益不利益・異なる地域や団体同士又は個人と集団との利害を調整して出来上がっているものと考えられます。
 ご質問中にある「国を愛する」ということは、どちらかと言うとモラル(ないしは道徳的規範)なのかな、と考えます。
 法規範(制度)とモラルを完全に分けて論じることは難しいのかもしれません。しかし、例えば刑法を適用して人に罰を科すことについてはこの法規範とモラルを分けて考える利益は十分にあると思われます。
そうしないと法律に規定される罪以外のモラル違反についても罰を与えることが可能になったり、反対に、法律の上では罪になるのにお構いなしになったりするでしょうから。
 上記に関連し、特に公務員は、法律の根拠に基づき私人の権利を制限したり、その他の公権力の行使を権限の範囲で予定していますから、法規範とモラルを分けて使う必要があるのではないでしょうか?

>1、法律は常に正しいのか。<
 これについては、結局その法律が施行されている間は正しいとして扱う必要がある。しかし、理不尽なことや一方の不利益を考慮していない場合には憲法に照らして下位法が違憲(つまり正しくないと判断されることもある)と言うことが出来ます。また、制度に不備があった場合には、民主的過程を経て改正することも出来る。というものだと考えます。
 ただ一部「慣習法」ということもあるようです。商売をしている人は「民法」や「商法」に書いていない(成文規定でない)ことでも、それが商習慣として社会的に通用しているのであればこの商習慣に従わなければなりません。

>2、人に「法律できまってるよ」といわれた場合に、どう反論(反論がある場合に)すればよいのでしょうか。<
 どの法律の何条(成文規定)なのでしょうか?と質問することができるのではないでしょうか。また、はっきりとは書いていない場合にそのように解釈できる根拠はなんですか?という質問ができると思います。
 根拠がはっきりしている場合には、誰に何の義務があるのかを確かめた上で行動することが必要だと考えます。

 なおご参考までに、ドイツ刑法などの研究者(日本人もいます)の文章を読まれると法規範とモラルについての考え方がわかると思います。
 わが国の刑法その他の法律での「不作為義務(やってはいけないこと)」の立法やその運用・解釈は、ドイツ法の影響を多く受けているそうです。
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1.法律と正しさは一致していません。


正しさは、多分に社会的な概念であり、社会は変化し続けています。そして法律はその変化する概念を後から追いかけている形です。
もし絶対的な正しさを定義できるなら、正しい法律も作れるかもしれません。

2.その法律が正しくないと思われる理由を論じてください。
ただ、正しくても従えない事情がある、という場合もあるかもしれません。具体的にどの法律の話か、まで踏み込まないと回答は難しいと思います。

ところで、法律は"みんな"で決めたものなので、その"みんな"に自分が含まれている場合、基本的に従う義務があるはずです。
そして、法律に従わない場合、それなりの罰則が法律で定められていることが多いです。
それらを考慮に入れて、従わないことは、できるでしょう。
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たまたま見かけましたので、法律論争はわかりませんが・・・・


1.に関しては私はわかりません
これにはいろいろな意見が出てくると思われます。
   
2.ですが「法律できまってるよ」といわれた場合
日本国民である以上、日本の法律に拘束されるという事だと思います。
つまり法律を守ることは国民の義務です。
間違っている、間違っていないというシチュエーションがよくわかりませので、反論と言われても???です。
    
まあ以下のシチュエーション
ここの制限速度は40kmと道交法で決まってるよ。
周りが野原、民家もなしの1本道、確かに制限速度は40kmだけど自己責任でしょ。
・・・・制限速度はある程度、周りと本人のために規制されるものでしょう。
周りは何もない状況では、本人の事故防止が目的だからこれさえ自己責任ならよろしかろうと・・・・
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1.>法律は常に正しいのか。


  法律は常に正しいとは限りません。その証拠に改正法・特別措置法
  憲法改正論議迄されているではありませんか。
  法律はその時点(施行)において守らなければならないものでは
  あります。故人も言ってますよね「悪法も法なり」と・・・

2.>人に「法律できまってるよ」といわれた場合に、どう反論(反論があ  る場合に)すればよいのでしょうか。
  先程も書きましたが、その時点においては守ることが法律の大前提です  ので守る事に関しては罰則規定の有る無しに関係なく、国民の義務です  ね。但し、この法律はおかしい・矛盾がある・趣旨と違った運用がされ  て困っている人がいる等、論理的に声を上げる事は自由です。言論の自  由はこれも法律で守られています。それを多くの大衆の声にすれば、法  律も改正されますよ。
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