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視線とか気配とか目に見えなくても感じたりする物ですが、科学的に証明できるものですか。
心理学的ないわゆる自意識過剰なのでしょうか。それとも超能力的な第六感なのでしょうか。
(株式用語ではありません。)

A 回答 (6件)

一般的な素人ですが、「>目に見えなくても感じたりする」ということは確かにあると思います。


ただし、それは、
視線がある【ように】感じる、
気配がある【ように】感じる、
というだけのことではないでしょうか。
実際に背中の目線を感知するわけでも、目に見えないものを感知するわけでもないでしょう。
(無論、音とか匂いとか感覚器官に訴えてくるものがあれば見えなくても感知できるでしょうが、それはこの場合考慮しなくていいですよね。)

「視線とか、目に見えない人やものの存在を、予測なり推測することは可能である」ということにすぎないと思います。
「>超能力的な第六感」とは偶然の別称ではないでしょうか。
つまり、予測なり推測なりが当たることもある、ということです。
偶然ですから、高確率で当たる人もいるでしょうし、殆んど当たらない人もいるのが自然です。

第六感がよく当たるというケースもしばしば耳にします。
この場合でも、常に当たるわけではないはずです。
そして、大事なことは、当たらなかったことは(無意識的にせよ)忘れがちなものだ、ということではないかと思います。

一人の部屋の中で気配を感じてふと後を振り向いた方は、案外多いように思います。
しかし、ほぼ間違いなく誰もいなかったはずです。
ところが、翌日外出中にふと視線を感じて振り向いたら、誰かがじっと見つめていた、なんてことはあるでしょう。
これが数回続くと、それを第六感と感じてしまうのだと思います。
そのとき、振り向いても誰も見ていなかったときのことや、部屋の中で振り返った回数は殆んど忘れ去られているように思われます。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ご意見のとおり、なんでもなかった方が圧倒的に多いわけで、人によってはそれを霊の存在なんて言ったりしますが。
私はファンタジー好きではありますが、ファンタジー信者ではありませんので超能力的な可能性が無いのは少し寂しい気もしますが、理路整然のご意見に目からウロコが落ちる思いです。
丁寧な対応にお礼申し上げます。

お礼日時:2008/04/30 09:49

#3です。

私は心理学者ではありませんので、貴方の質問にどれだけ役に立つか知れませんが、そのつもりで読んでください。ただし、学者として、研究生活での創造的営みに於ける直感に付いては、さんざん経験もし思索もして来ましたので、それに関して後で簡単に触れます。

先ず、気配から。気配を感じるときには、それが当たるときも当たらないときもあると思います。当たる可能性が大きいときは、たいてい何か自分の見ている物の中に、どこだとはっきりは言えないながらも、いつもとは違った違和感や異様間があり、それを感じているのだと思います。そして、実際何か予期しないことが起こったりしたら、突然、その言葉にならなかったものが、一気に整合化し、やっぱり、ということになるような気がします。ですから、気配は誰しも感じることができて不思議はないと思います。

そう言うことを何度か経験して行くうちに、今度は実際に見ていないものにまでその驚きの経験を外挿してしまい、それが偶然に当たったときの印象が強烈に記憶に残ると言うことも考えられます。

視線も同じで、実際こちらが見られているときには、もしそれが視野に入っていたら脳の片隅でそれを感じるのもだと思います。先冬、長野県渋温泉で、温泉につかる野猿を見て来ましたが、そこの注意書きに、猿をじっと見ないように、特に目を合わせてじっと見ないように、と書いてありました。私の経験では犬も同じです。私にも猿にも犬にも数百万年の進化の経験で、DNAの中に視線に敏感に反応する遺伝子が組み込まれてしまったようです。

頭で感じる視線に関しては、これも気配と同様に経験の外挿のし過ぎから起こった誤解に基づいた、強烈な印象のなせる技ではないでしょうか。

さて、研究生活での直感ですが、それはあります。答えがどこにあるか、論理的な道筋がまだぜんぜん分かっていない段階で、その答えを見つけてしまうことが、しょっちゅうあります。こういう場合、皆さんは直感が当たったとよく言います。

私はこれを何も不思議なことだとは思っておりません。論理には、時系列的に順序立てて認識する論理ばかりでなく、全体を一気に眺めて、収まるべきところに収まっているかどうかという空間的な位置関係や相関関係を認識する、いわば絵画的な論理の認識法もあります。この絵画的認識法に対して、時系列的な認識法は、いわば音楽的な認識法と呼んでも良いかもしれません、そして、研究者たちが日常経験するこの直感とは、経験に基づいたこの絵画的認識法を無意識にうちに適用し、それが収まっているところに収まっているか、あるいはいないかという形で、いきなり答えを見つけてしまうときのことを言っているのだと思っています。その段階ではもちろん順序立てた論理の展開はできませんが、もし、空間的認識法の結果が正しかったら、あとで必ず時系列的な論理立てが出来るようになるのです。

また、そのことから、意味のある直感は経験と思索に基づいた裏付けがないと浮かんでくるものではないと言うことも判ると思います。ですがこの空間的認識法の存在を理解していない人にとっては、直感がミステリアスに思えてしまうのだと思います。
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この回答へのお礼

度々の回答ありがとうございました。
結局は普段の生活の中でほんの僅かな違いでもそれを無意識に感じ取っていて、今までの体験から気配やら視線を感じると結びつけていると言うことでしょうか。
(いつもとは違った違和感や異様感があり、それを感じている)
と言ったくだりが、なぜなのか知りたい部分ではありますが。
やはり思い込みということなんでかね。
直感については私は研究者ではありませんが、仕事(営業職)のなかで
共感できる部分はあり、なるほどと思いました。
丁寧な対応ありがとうございました。

お礼日時:2008/04/30 09:37

どうも、今の物理学では認識されていないけど、


認知というか、感じ取れるものはあるようです。

そもそも、電磁波や電流も、発見される前は、
それに関する現象は、不思議なものとして捉えられて
いたでしょうし。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
例えば障害者の方が異常に感覚が鋭くなったり、人間が秘めた力に
興味があるので。
めったにないのですが突然、いましている事と関係ない事を急に考えたりすると、何日かして本当に起きてしまったりする事があります。
予知なんてまさかと思って気にしないようしていますが、そんな
人間の能力がもっと分かると楽しいですね。

お礼日時:2008/04/29 23:14

私は物理学者ですがその立場から見て、ある脳内で流れる電流が発する電波を他の脳が感じることは、物理的に不可能なことに思えます。

なぜなら、その電波よりも何千万倍何億倍も強いいろいろな雑音(熱雑音や、電波雑音等々)が外からやって来て貴方の脳を取り巻いているからです。例えば、貴方が大音響のメタルロックをスピーカーの前で聞いているときに、誰かが貴方の1メートル手前で貴方に向かってひそひそ話をしているようなものですから。

しかし視線とか気配は、視覚や違和感などを通してはっきり感じることができるものですから、それを感じたからといって別に不思議ではなく、現にあるものを感じているという事実を説明するのに、科学的も非科学的もないものです。

似たような質問に、幽霊がいるかどうかを科学的に証明できるか、というのがあります。日本民俗学の創始者の一人柳田國男はそれに付いて、「幽霊がいるかいないかという問題は確かに大変興味がある問題であるが、それにも増して興味ある問題は、幽霊を見たという人が過去にも現在にも何にも居たという事実を否定できないことである。その文化的ないし心理的背景を科学的に探ることには十分な意味がある」という趣旨を述べています。

また視線に関してですが、過去の日本では「邪視」といって、視線によって人の運命を変えられるものと考え、それを大変恐れていました。

他の例では、日本では「くしゃみ」は他の人(生霊、死霊ともに)の呪いが原因で出てくるものと考えられていたのです。そこで、その霊をはね除けるために、くしゃみが出たとき、今風で言えば「この糞野郎」という意味の、「くさめ」すなわち、臭い野郎と言い返していた言葉が、いつとはなしに「くしゃみ」に変わっていったのです。霊がいるかいないかも興味ある問題かもしれませんが、それを霊によるものと本気で理解していたのが私たち日本人の祖先だったのです。

この回答への補足

ありがとうございます。
専門家からご意見に大変興味深く拝見しました。
ただ、(視覚や違和感を通じてはっきり感じることが出来る)という
所が知りたいのです。視線など、真後ろで自分の視覚に入らなくても
感じたり、暗い夜道で、足音も影も感じなくても気配だけはある、と言った場合もあります。
勘というのは過去の自分において膨大な生活してきた時間の中で蓄積してきたほんの小さなデータの積み上げで出せるものと思いますが、
それとはちがうのでしょうか。
それとも現にあるものをみえたり聞こえたりしているが、それを自分で
見えていないと勘違いしているだけですか。
支離滅裂かもしれませんが宜しくお願いします。

補足日時:2008/04/29 22:58
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自己防御のための本能から発するものだと思います。



いわゆる「気」の微妙な変化を受容する五感総動員プアラスアルファ第六感的なものだと考えられますが。

科学的に証明することは不可能だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
まさにその本能に興味があり、応用できるものがあるのではないかと
考えたりします。漠然とですがね。

お礼日時:2008/04/29 22:43

第六感、なんて言葉が有ります。


五感以上の感覚も、もともと人間に備わっているものなんじゃないでしょうか。なんとなく感じる、みたいな。

神経の活動時には、微弱な電流が流れています。複雑に絡みあった神経細胞に電流が流れる時、ひょっとしたら電磁波が発生してるのかもしれませんね。その電波を感じ取っているのかも?
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
一番身近な超能力だとすれば何か楽しくないですかね。
最近、原始的な事に興味があり、例えば、何故魚と人間でも
顔のレイアウトが同じなのだろうかとか。
それが一番合理的な配置だと分かっていてもそれを判断させたものって
何かなとか。今回の質問もそんなプリミティブな所が知りたくて
質問しました。

お礼日時:2008/04/29 22:39

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