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先日学校で江戸時代の「三都」について習いました。三都の中でも一番大きいのは、江戸、その次は大阪、その次は京都、と習いました。そこで疑問なんですが、その三都の次に大きかった都市、つまり当時四番目に大きかった都市は何なんですか?どなたか教えてください。

A 回答 (4件)

尾張(愛知県・名古屋)と金沢(石川県)の人口が10万人前後と推定されていて第4位を争っています。



名古屋はともかく金沢が4位という事に意外に思われるかもしれませんが、
金沢は江戸自体最大の大名であった前田家の城下町で、経済的にも人口的にも大都市でした。
(いわゆる加賀百万石です。)

他に人口は少ないですが、商業都市としてなら博多が栄えていました。
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「元禄時代考証総覧」新人物往来社によると、


城と城下町の項目に、当時の中心都市として
江戸、大坂、名古屋、仙台、金沢、廣島と書かれています。
この順序の根拠には触れていませんが、都市の繁栄には経済が大きく関与している為と思われます。   領主の石高より影響力が大きいという事です。
 背後地域の物資の集散が重要という事でしょう。   中部の名古屋、東北の仙台に比して、北陸は市場が小さい上に良港のある新潟と、競合する金沢の地位は低いと思われます。
城下町でない京都を入れた三都の次ぎは名古屋でしょうか。
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江戸時代の城下町の人口は、だいたい次の関係



石高 => 武士の数 => 消費者数 => 商業規模
となりますので、石高の大きな大名家の城下町が大きくなります。

その点で 加賀100万石の金沢が第四位でした。

吉宗の緊縮財政の頃、尾張の宗春は、現代で言えばケインズ的な経済政策をすることで、名古屋の反映をもたらしました。このころ、名古屋が第四位に浮上します。
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金沢


途中から 名古屋

だったかと
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