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知識と受け売りの違いはどこにあると思いますか?
例えばテレビなどから得た情報を知識と読んでいいのでしょうか?

自分の頭の中にあるものは今まで学校で勉強してきた物を別にしたら
ほとんどがテレビから得た情報であるように感じます。

本はたくさん読みますが読む本といえばほとんどフィクションのものしか読まないです。

自分の頭の中にあるものが果たして本当に知識なのか疑問です。

A 回答 (11件中1~10件)

情報を受け自分が少なからずとも経験したり、経験しなくてもその考え等が納得できた物が知識



ただ、伝えられた物を理解せず、人に教えることが受け売り。

知識と受け売りでは内容の濃さが違います。突っ込まれたときに受け売りでは答えられません。
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この回答へのお礼

早速回答ありがとうございます。

質問に答えられるということでそのことに関する知識であると思っていいのでしょうか?

お礼日時:2002/11/11 15:54

他から得た情報を自分なりに理解していれば、知識だと思います。


受け売りは、いわば伝言ゲームみたいなものですね。
何の理解も解釈もなく、ただ得た情報をそのまま次の人に伝えるみたいな・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

いい言葉を挙げてくださいました。
「伝言ゲーム」
私は知識も結局の所伝言ゲームなのではないかと思うのです。
そういう意味で違いはないのではないかと思ったのです。

つまり過去の知識の伝達により現在の知識が有ってその先に未来の知識がある。

今書いていて気づきました。
受け売りは同じ伝言ゲームでも未来の知識にはつながらないのですね。
こういうことに気づきたかったんです。
漠然としていたものが形になったように感じられます。

お礼日時:2002/11/11 16:02

人から質問された内容を、他の人に きいて そのまま 答えたら 受け売りでしょうね。


つまり、こういう行為が 受け売りという行為だと思います。
知識は 行為では ありませんからね。

ちょっと話はかわりますが、製造元や問屋からの委託品をほかに売ることも
受け売りだそうです。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりです。
確かに知識は行為ではないですね。
比較しようと並べるにはちょっと無理があるかもしれませんね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/11 16:16

まず、一度、GOOのHPの検索欄に「 受け売り」 または 「 知識 」を 入力し


その欄の右下の 「 国語 」のボタンを押してそれぞれの言葉の意味を再確認してください。

(ここからはイメージ的に返答します。)
私の認識では、あるものをそのまま他人に伝える事しか出来ないのが 「 受け売り 」
あるものを聞いて、その後、噛み砕いて自分なりの言葉で他人に伝えられるようになったら、
それは、知識だと思います。

御自分の頭の中にあるものが知識である事に、自信を持たれていい、と思います。

では (^^)
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この回答へのお礼

辞書で調べてから質問しました。(言い訳がましくてすみません)
なにぶん自分の中でもうまく言葉にする事が出来なくてああいう質問文になってしまいました。
すみませんでした。

自分の頭の中で情報を取捨選択した時点で
間違っている可能性も有るのかもしれませんが知識と思っていいということでしょうか?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/11 16:08

これは別の言い方をすれば知っているのと理解しているとの違いでしょう。



知っている(受け売りにあたるかなぁ)と言うのは一通りこんなことですよと説明はできるが、さらに何でそうなるのと聞かれた時に答えに窮するまたは答えられない(そんなの常識なんて答えをするのはこの範囲)物で、理解している(知識・解っている)というのは、相手の疑問点を径決するだけの解説ができる物でしょう。端的に言ってしまえば基礎から理解できていて基礎に基づいた説明ができるのが知識で、単にその事柄のみを知っていてその原理やその結果どのように事が運び、さらにどのように進む可能性があるかの説明ができない程度なら受け売りの範囲でしょう。

必要なときに応用が利かないようでは知っているだけで知識とは呼ばないと私は考えています。
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この回答へのお礼

「知っている」と「理解している」

こういうことを言いたかったんです。

回答していただいた内容に沿って分類するならば
テレビの中でいわれていることのほとんどは「知っている」事柄になりますね。

本の中から得る「知識」が多いのは順序だてて説明されているから
なんでしょうか?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/12 07:48

このご質問を読み、「知識」「見識」「胆識」という言葉を思い出しました。



「知識」とは、物事を知ること。
「見識」とは、物事を正しく理解すること。
「胆識」とは、物事を正しく理解し、それを実行すること。

この伝でいえば「知識=受け売り」となってしまうのですが、今、胆識という言葉があまり聞かれなくなっていますので、最上位が「見識」になるのかな。従って、「受け売り<知識<見識」というランク分けでしょうか。

さておき、人からであろうが、テレビからであろうが、本・雑誌・マンガからであろうが、そこから得た情報がなにがしかの役に立った場合、またはなにがしかの役に立てようという場合、それは「知識」といってもいいのではないでしょうか。

何かを考えているとき、「あっ、そういえば、あのときテレビで言っていたな」と思い出して、それが解決の糸口になる。思い出すまでは、テレビで言っていたその情報は受け売り程度の情報です。ところが、その程度だったものが、記憶していたために何かの役に立った。その時点で「知識」になるんだと思います。

ちなみに、松下幸之助翁は「耳学問」の天才だったそうです。人の話でもテレビ番組でも、漫然と聞いていれば、その情報は受け売りレベルです。有意注意で聞けば、同じ情報でも「知識」になるのではないでしょうか。

ご質問者さんの頭のなかに蓄積されているもの、「知識」として生かすようにしてください。

 
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この回答へのお礼

今までとは違った視点での回答ありがとうございます。

語義とは違っているのかもしれませんが
とても納得できました。

「見識」という言葉は知っていますが「胆識」という言葉ははじめて知りました。
でも広辞苑に載ってなかったです。
「たんしき」と読むんですね?

受け売りを知識出来るように頑張ります。

お礼日時:2002/11/12 07:56

#1からです。



>質問に答えられるということでそのことに関する知識であると思っていいのでしょうか?
受け売りですと自分の中で何の根拠も分かっていないのです。
a:「これはこうだよ」
b:「じゃあ、なんでこうなの。こうなった場合は?」
a:「......」
これでは受け売りですね。

ここで「これはこう言った事からこうなるはずなんだ。」
とか「自分でやってみたらこうなった。」
となれば知識として認識できていると思えば良いと思います。
線の引き方が難しいですが、テレビ等でもちゃんとした研究をされた物を見て得た情報なら有る程度は知識と思って良いと思います。
何の知識もない技能人のウンチクを真に受けて人に言ってしまうのは受け売りですね。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。

さすがに芸能人の言う事は信じてません。(偏見なんだろうか?)

お礼日時:2002/11/12 07:59

再び、回答者No.4です。



最初の質問と違いますが(補足質問があったようなので・・・)回答します。

(一部お礼文に( )を入れて・・・)

>自分の頭の中で情報を取捨選択した時点で
>(間違っている可能性も有るのかもしれませんが)
>知識と思っていいということでしょうか?

選択した時点では私は知識のイメージがありません。
回答4でのべたとおり、
「 その後、噛み砕いて 」(などのワンステップ)があって、
自分なりの言葉で他人に伝えられるようになったら知識、と考えます。

(^^)
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この回答へのお礼

「咀嚼する」というのが必要なんですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/12 08:00

「テレビで言っていた」=「本当の事」、「新聞に掲載されていた」=「本当の事」、「本に書いてあった」=「本当の事」、「先生が言っていた」=「本当の事」、「宗教の教祖がい言っていた」=「本当の事」、「近所の人が言っていた」=「本当の事」、「政府が言っていた」=「本当の事」。


これらは全て正しいとは言えません。正解は、「本当の事も含まれる。」と言う事です。
また、「正解」とは必ずしも不変的なものではなく、科学の世界でも時代の進と共に考え方が変わってきます。ましてや政治経済となるとその変化は激しいです。

昔は、地球は止まっており天体が動くと言う天動説が主力でしたが、現在は地動説が主流になっております(主流と言う意味はだれもそれを確かめていない。理論的に言ってそちらの方が現象を説明するのに都合が良いと言うレベルです。
また、戦時中の「欲しがりません勝つまでは」、「駆逐米英」の時代は日本国軍の行っている事が全て正しいと教わりましたが現在ではそれは否定されています。
教科書にしても人間が作り、国家検定がある以上執筆者の自由な表現が出来ないため正しい事は書かれないと思っても良いでしょう。
ましてや、テレビや週刊誌等はストーリーが先に出来上がっておりそれを肯定する発言を集め、「○○の××先生はこう言った」と言う様に言葉ジリだけを捕えてまとめているケースが多々あります。

「おも○っきりテレビ」や「ある○る大辞典」等の内容の薄さには閉口しますが、それを見て信じている人が多いのには困ったものです。

と言う事で、ほとんどの場合は受け売りで、自分が発見したり結論を出すまでのプロセスを自分自身で確かめた例はわずかではないでしょうか。

抜け道マップで得た知識をそのまま人に教えるのは受け売りで、その道を何度か(あるいは毎日)通り、確かに本来の道より短時間に行ける事を体験できていれば知識になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

矛盾しているようでは有りますが
テレビで健康番組で取り上げられるものが
一面的であるために危険(ここまでは言っていなかったかもしれない)である
というようなことを聞いた事があります。

まさに受け売りによって生じる弊害ですね。

最期に挙げていただいた例は非常に分かりやすかったです。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/12 08:08

私は「知識」の中に「受け売りの知識」と「生きた知識」があると思っているのですが、ご質問に即して「受け売り」と「知識」と呼ぶことにしましょう。



「受け売り」というのは、聞いたことがそのままの状態で頭の中を漂っているような状態です。
たとえば、「現在の国債発行額はおよそ30兆円です」という情報をテレビで聞いて、それが他の情報と結びつかない状態が「受け売り」です。

これに対して、「今年の予算額はこれこれ」「他の国の標準的な国債発行額はこれこれ」「小泉政権の公約はこれこれ」「経済学上国債の役割とはこれこれ」…といった様々な情報が、新しく得た情報と結びついて、「それでは現在の国債の発行額は多い/少ない」「財政政策としてこうしたらどうか」という情報を自分で生み出せるようになれば、それは生きた「知識」と呼べるでしょう。

最初には、情報は孤島のように浮いているのですが、それにどんどん自分で橋を架けてやることで、「知識」にしていくのです。

怖いのは、自分で「知識」のつもりでいても、実は「受け売り」に過ぎない場合です。
たとえば、マニュアルが完備された電話勧誘などは、どう聞かれても対応できるようになっているそうです。しかし、それは勧誘員に「知識」があるわけではなく、マニュアルを「受け売り」しているに過ぎません。

それを克服するには、自分自身で得た情報をいろいろな情報(できるだけ加工されていない情報)と付き合わせてみることです。

下手にビジネス書ばかりを読んで加工された情報を受け売りするよりは、フィクションを読んで「橋」を架けてやるための回路を柔軟にしておいた方がよいのではないか、と私は思います。
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この回答へのお礼

「生きた知識」とはとてもいい表現ですね。

「現在の国債発行額はおよそ30兆円です」
これを聞いたらまず思い浮かべるのは「自転車操業」なんだなぁと言う事でしょうか。
現在の国債は国家予算額の1/3、1/4くらいなんだから多いんだろう。
とまでは思うかもしれませんが。
それで財政政策としてこうしたらどうかまではさすがに考えられませんね。
日本の財政を改善する事が出来たらノーベル賞をもらえるそうです。
テレビなんか見ていても今の財政政策に反対するばかりで
それならどうしようということをほとんど言わない。
そう考えるとテレビに出ている人でも生きた知識をもっていないということですか?

回答ありがとうございました。

お礼日時:2002/11/12 08:28

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