ベトナム戦争のブービーとラップとはなになのでしょうか?

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A 回答 (6件)

補足です。


ブービートラップは実際に相手を死傷させるだけが目的ではなく、精神的に消耗させるという意味合いも深かったようです。「ベトナム戦争」の密林におけるゲリラ戦にとって、どこから来るか分からない敵、突然のトラップは精神的に負荷が大きく、正常な判断等もしにくくさせたようです。(行軍速度が遅滞するのは当然です。)
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よくあったものでは釣り糸を木と木の間に張っておくものですネ。

糸の先には手榴弾や銃が仕掛けてあるのですが、全部に仕掛けている訳ではなく、時々仕掛けておきます。するとそれで敵の進行速度を削ぐこともできるのです。
尖った釘を植え込んだ丸太が降ってくる仕掛け、踏むと枯葉の下に隠した釘付きの棒が立ち上がるもの、落とし穴の底に杭を植えたもの、玩具に仕掛けた爆弾など‥
古くは、第二次大戦でドイツ軍が退却するときにヒトラーの額やハーケンクロイツの旗に仕掛けたもので、多くの連合軍兵士が死傷していますネ。
以上kawakawaでした
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ブービートラップ=Booby trap とは「偽装爆弾」や「地雷」のことです。


元々、扉を開けたとたんに上から物が落ちてくるような悪ふざけのいたずらのことを言いましたが、ベトナム戦争では恐ろしい武器になったのです。
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ブービートラップとは、簡単な罠だと、思んですが。


たとえば、糸を張っていて、それに引っかかると手榴弾が爆発するものとか、
簡単なものだとおもんですけど。。。
そのまんまですね。 
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補足です。


Booby trap

booby:馬鹿、のろま の意
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手っ取り早く言えば『罠』のことです。


重要書類や、武器などをわざと放置しておき、手に取ったとたんにドカンとかいった火薬等を使うものから、落とし穴(中には糞を塗りたくった竹槍がいっぱい…)のような、単純なものまで、思い付く限りの種類があります。
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"ベトナムは負けなかったその差はなんなのですか?"
    ↑
1,ベトナムは自国内で戦ったのに対し
 日本は外へ出て戦いました。
 その違いです。
 具体的には補給ですね。
 自国内でやるから、補給には便利ですが、日本軍は
 補給に苦しみました。
 更に米国は慣れないジャングル戦やゲリラ戦法に
 悩まされました。

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本当だと思いますよ
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Aベストアンサー

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
 ご質問の枯葉剤の散布地域は、北ベトナムから南ベトナムに浸透するためのホー・チ・ミンルート、つまり広い国道沿いや整備された道路沿いばかりではなく、山岳回廊地域をジグザグに走る山道やジャングルの間を縫うように走る小道のネットワーク、さらに海路の補給を遮断するためのメコンデルタのマングローブ湿地帯の湿原などだといえます。

 クチトンネルに関して言えば、まるで蟻の巣のようなその実態や詳細な配置図などは、米軍はもちろん、トンネルを構築したベトコンやNVA当事者たちも現在に至るまでその詳細は把握できない複雑なものでした。ということは、とりたててそこをピンポイントで狙ったということは考えにくく、やはり周辺施設や支援および補給ルートを広範に狙った作戦だといってよいかと思います。
 
 ことの是非やその後の国際的な批判や後遺症などの問題はこの際無視をして言わせてもらえれば、この作戦によって700万リットルの枯葉剤を含むエージェントイエロー・エージェントブルー・エージェントホワイトなどの除草剤は、南ベトナムのジャングルの20パーセント、国土のマングローブの森の36パーセントの計600万エーカーに散布されました。そのほとんどは現在でもまともに樹木は育たないほど荒廃し、さらには枯葉剤や他の除草剤による農地の死滅を嫌った農民が多数村や農地を捨てたことにより、結果的にベトコンへの支援体制や補給所が減少したことは数字にしっかりと表れていますので、ある意味効果的な作戦であったともいえます。

 以上、何かのご参考になれれば幸いです。
 

 1962年から1071年にかけて行われた「ランチハンド作戦」は、主に南ベトナム領で行われていました。その目的についてはもうご存知だとは思いますが、もっとも大規模に行われた1969年にはカンボジア領に拠点を置くベトコン陣地までその攻撃の対象になりました。やはりベトコンの食料の補給ルートや避難所を駆逐する目的を考えれば、南ベトナム領内全域がその散布地域になったと考えていいと思います。
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