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"Let's" はもはや Let us の縮約形とはネイティブには感じられず、不変化詞(particle)として感じられる、というのは本当?

A 回答 (5件)

そういうことはないでしょうね。

I'mが元は何かとおなじくらい
分かってますよ。第一ネイティブなら学校で習うし。
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自分の感覚での話ですが、そう思います。


Let us know....(私たちに知らせて欲しい)のような言い方は、Let's know...(さあ、~を知ろう)とは全く意味が違うわけで、また、使う場面も、「~しよう」は、決まってしまうので、特に、let us の短縮形と言う意識はないはずです。Good morning.などの決り文句と同じ意識だと感じています。日本語で、「こんにちは」と言うのと同じで、もともとの意味とは乖離して、慣用的に使われているのではないかと思います。
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んん、微妙です。



まず、ちょっと話はズレますが、日常会話で「Let's dance.」というと「一緒に踊りましょう」ですよね。で、日常会話で「Let us dance.」というと、イントネーションにもよりますが、「私たちに躍らせてよ」と考えるのが自然です。この用法を仮に(1)としましょう。

しかし、上記の「let us」と「let's」の短縮を解いた「let us」は、別物だとネイティヴは考えます。例えば、説教台の前で演説口調で「Let us dance.」と言えば、それは「我ら、共に踊ろうではないか」というニュアンスだと解釈するのが自然です。この用法を仮に(2)とします。

で、日本語で日常的に「レッツ・ゴー!」なんて言っていた私は、なんとなく「let's」は不変化詞(particle)的なものだと捉えていました。しかし、アメリカに移り住み、英語を母国語のように捉えられるようになってみると、そうではなく、やはり英語を話すときには、どこか頭の奥底で、「let's」は「let us」なんだと認識しているのだと自分で気づきました。だけど、(1)の「let us」とは違うのです。でも、しっかりと「我らを~させよ」的なニュアンスだと認識しているのです。というのは、もったいぶった話し方をする時には、瞬時に「Let's dance.」を「Let us dance.」に切り替えられるからです。

ちなみに、「Good morning.」を「良い朝」と認識したりはませんが、「Let's go.」は、やはり「(共に行こう、という意味での)Let us go.」だと認識しています。で、それは、ひとつには「Good morning」に大したバリエイションはないけれど、「Let's go.(行こう)」には「Let's go to the zoo.(動物園に行こう)」とか「Let's all go.(みんなで行こう)」とか、バリエイションができるので、その過程で意味を認識するのかもしれません。同様に、「How are you?(あなた、どう?)」のほうが、まだ「Good morning.」よりも少しは意味を認識しますね。それは「How are you doing?」という言い方も一般的にするからかもしれません。

なんだか、うまく説明できませんが。
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○ 本当です。

「Let's ...」と「Let us ...」は本質的に異なるものです。

【Let's go to the party.】
  ※ 「Let's」の中の「us」は聞き手を含みます。
  ※ 「(あなたも含めて)いっしょに行こう。」

【Let us go to the party.】
  ※ 「us」は聞き手を含みません。
  ※ 「(あなたを含まずに)私たちを行かせて。」
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アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。

 このカテで書き始めて8年目に入りました。 

私も異質なものと考えてしまう使用法が多いと思います。

辞書には、英英でも、Let'sはLet usの短縮形だと書かれているだけのものはあると思います。

しかし実際にこれらが使われているのを意識的に感じ取れば、ちがう!とはっきりいえるときのほうが多いと思います。

Let'sは「誘い」、Let usはやらせてと言う命令形(命令的な表現ではないですが)として区別して使う事がある、と言う事です。

しかし、Let'sがLet usの短縮、言い換えれば、Let usが命令形ではなくLet's 持つ、一緒にと誘う表現として、ちょっと硬いフィーリングを出した方が良いと感じるときとか、昔からの表現として残っている、と言うときなどは、Let'sの代わりにLet usが使われます。 良い例が、教会での使い方で、では一緒のお祈りをいたしましょう、と言う日本語でもちょっとお堅い感じになるように、英語でも、Let us pray.と言う表現を使い、Let's prayと言う表現は使いにくいものとなっています。 祈ろうぜ、と言う感じになってしまうフィーリングが出てきてしまうからでしょうね。

その反対が#4さんの例文です。 お誘いか許しを得ようとしている命令形か、と言うことになるわけです。

ですから、Let us go to the partyと言う表現が「効かないと分かれば」Please let us, please.と今度は本気になって頼むわけです。

と言うことでいつも言うように、7年間このカテで同じことを言ってきたことになるわけですが、同じ表現でも状況によって意味合いが変わってくると言う事実を学校でももっともっと教えるべきなのです。 そして教えられるようになるには、このようなことも、ただ、Let's はLet usの短縮形だ!としか教えられないと言う事ははそれだけで教える事の出来ない人が教えている、と言うことになってしまうわけです。 しかもこんな簡単な事をです。

すみませんはI'm sorryと教しえるだけではダメだと私は言う理由です。 日本語としての「すみません」と言う表現の使い方をまったく知らないか、気がついていないか、それとも英語と言うものをおかしく教えてしまったにもかかわらず英語力があるとされてきた文法優等生がフィーリングと言うものを感じられない、よって、日本語を英語に直す時にまず頭に浮かんだ意味合いとしか英語に直せないと言うことになってしまい、同じ表現が時として違う表現になると言うことに気がつかないままに、すみませんと言う表現は英語ではなんていうのでしょうか、と言う質問にそれはI'm sorryといいます、と断言してしまうわけです。

つまり誰かを訪問した時にわざわざ珍しいコーヒーをご馳走になったときに、日本語なら、あぁ、どうもすみませんと言うのが普通ですから、口からは、I'm sorryといってしまうわけです。 こっけいな目をもたせてしまった人がいるわけです。 英語を教えると言う立場にいる、英語教師としてだけではなく、人が、I'm sorryとみっともない教え方をして、その生徒の喜ばれて有頂天になっているだけでいつかこの生徒がはずかしい思いをしなくてはならない原因を作ってしまったなんて思っていないのですね。 もちろん、すべてを知っていてわざと間違った事を教えると言うのであれば、それこそ、愉快犯ですね。 どっちにしろ、無責任な人だと言うことになります。 そして私たちはこのカテで指をくわえてまた犠牲者が出た、と残念がるしかないルールがあるわけですね。

口先だけで思いやりのあるような事をいっても実際に使っても大丈夫だと言って、中級者であれば間違っていると分かる表現を平然と何度も何度もする人がいるわけです。

と言うことで、この人が言っていることは半分正しいと言うことになります。

参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。 

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