自分の通っていた小学校のあるある

フォークランド戦争に参加したアトランティックコンベイヤーですが、あの船は空母と同時にイギリス出港したのでしょうか?

ハリアーを運搬したとのことですが、戦闘で損耗するであろうハリアーの予備を、あらかじめ準備していったのでしょうか?
損耗があってから派遣されたのでしょうか?

よく揚陸艦や輸送艦から無理やり戦闘機を飛ばそうとしても、甲板が熱で持たないといった話を聞きますが、アトランティックコンベイヤーは甲板の加工を行ったのでしょうか?

A 回答 (2件)

 アトランチック・コンベアーは英空母と共に出港はしていません。


 
 7隻の補給支援部隊を含む英機動部隊21隻は1982年4月5,6日の二日間にわたって、フォークランド諸島へ向かって出撃していますす。ご質問のアトランティック・コンベアーはそれ以前に他の支援部隊の船と共に出港を済ませており、この二つの艦船グループは大西洋上のアセンション島で合流しています。

 この島はフォークランド諸島とイギリス本土との中間地点に位置する島で当時イギリス領であったものをアメリカ海軍に貸与していたもので、艦船の合流や休養、そして開戦前の訓練に活用していました。

 ハリアーとシー・ハリアーは出港時からハーミーズ、インビンシブル、それにアトランチック・コンベアーに載せていたのではなく、空中輸送、いわゆる自力飛行でアセンション基地に送っています。ただ距離がありすぎたため最低2回の空中給油が必要で、このときのハリアーの連続9時間飛行は今でもハリアーのレコードになっています。

 アセンション島で潮風を避けるため機体をシートでカバーした機体をアトランチック・コンベアーに積み、フォークランド海域まで輸送しそこでようやくハーミーズとインビンシブルに渡しています。

 戦闘消耗におけるハリアーの補給ですが、当時合計で8機が補給されていますが、いずれもアセンション島を経由しての空中輸送を繰り返しながら補給を行っています。補給自体は消耗してからではなく、増派的な補給だと考えていいかと思います。

 アトランチック・コンベアーの強度的な問題ですが、もともとが甲板上に重量のあるコンテナを何段も重ねるような使用法をするコンテナ船ですから、他のタンカーや輸送船のような船内貨物を主とする船とは違って、甲板はかなりの強度があったので特別な補強工事は必要なかったはずです。もっともこのような利点があったからこそ、この船が第3の空母と呼ばれていた所以です。

 ただしこの船にはスキージャンプ甲板や飛行機の誘導装置た他の対空兵器などを装備していなかったので、昼夜兼行の駐機場として活用されていたのはご存知の通りです。この船からハリアーが武装して飛びたてていれば、あの戦いもかなり様子が違っていたかもしれませんね。

 いずれにしてもこの船は思いのほか重宝し、また活躍しましたので、ア軍の航空攻撃で沈没したときの英政府の衝撃はかなりのものだったようです。

 余計なことを書きましたが、参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
単純に空母についていく足があって、甲板がすっきりしている船を選んだものかと思ったら、甲板強度が強いという意味もあったのですね。

お礼日時:2008/06/16 15:14

http://en.wikipedia.org/wiki/Atlantic_Conveyor
参照の事。

1)戦域に対する出発は4/25。機動部隊の進発はさらに20日ほど前になる。一方、ハリアーの喪失は5月に入ってから。

2)簡易なフライトデッキはあった。どの程度の加工かは不明(耐熱板の固定とかだと思われるが)。
http://www.raf.mod.uk/falklands/1sqn_1.html
によれば直前に入渠し、改装を受けている。
#ただし、あくまでヘリ支援船。ハリアーは露天繋止で、移動中はカバーリングされていた。この日記にも写真が貼付されている。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/06/16 15:09

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