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(1)私は「性格が暗い」と悩んできましたが、あるとき、ある本で「性格が暗くてもいいではないか。人はそれぞれ違っていい」という一説を読んで元気が出ました。しかし、いま、少し疑問が湧いているのです。この論理でいくと、「人はイライラしていい、情緒不安定でいい」「人は憎んでいい」となり、何でも認められ、それによって、周りの人が嫌な思いをしてしまうとしたら、「人は暗くてもいい」「人は情緒不安定でもいい」「人は憎んでもいい」ということは、言えないのではないかと思うのですが。しかし、一方、「暗くても良いよ」「イライラしても良いよ」「憎んでも良いよ」と言われると、心は安心します。この矛盾に何か良いお考えをアドバイスしてください。

(2)人をある人を憎むときがあります。そして、その憎いという思いが、生きるバネになり、力にもなることがあります。でも、憎いということは「マイナス思考」ですね。よく世間で「マイナス思考」より「プラス思考」が良いと言われますが、「憎い」というマイナス思考は、やはり捨てることが大事なのでしょうか。憎しみから生まれる、頑張るぞ!というプラス思考のエネルギーは、よいものではないのでしょうか。

 まとまりのない質問ですが、 よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

個人的な思いですが、現代は、「プラス思考症候群」とも言える病気ですね。



どこぞの自己啓発本が元凶なのでしょうが、「プラス思考症候群」が生み出しているのは、
極少数の達成感と大多数の敗北感だけなのではないかと、訝しく思っております。

(1)について、心理学的には、人は、そのままの自分自身を認められると力が沸いて来ます。
  「人は暗くてもいい」「人は情緒不安定でもいい」「人は憎んでもいい」と
  そのままの自分を認められたとき、あなたもわかっているように、「心が安心」します。
  「安心した心」は外(他人)への攻撃性が低くなり、
  少しだけでも、頑張って見ようって気持ちになります。

「性格が暗い」から「性格が明るい」へと一気に変えるのは、
心理的に大変にキツイ事ですし、まず無理です。
自分の暗さを認めて、安心(安定)した心で、「ではどういう対応が、自分の得になるか?」と
徹底して考えてみてください、「憎むこと」「イライラすること」「仕返すこと」が、
(最初に)自分にとって、(次に)相手にとって最大の得になることなのか、
得になるには、どうすれば良いのか?プラス思考ではなく、損得思考をお薦めします。

(2)にあなたが、言われている憎しみをバネや力にすることを「昇華」と云います、
  憎さが、エネルギーになっている時に、憎さを手放すと、エネルギーがなくなります、
  憎さを手放して、幸せに向かうか、エネルギーを維持して、モノゴトに向かうかは、
  あなた自身の選択です。得だと思う方を選んでください。

> よく世間で「マイナス思考」より「プラス思考」が良いと言われますが

世間は世間に都合のいいことを、あたかも真実のように言うものです、
世間のものさしは、自分に合うのか?自分にとっての損得をよく吟味する必要があります。

私個人は、「幸福は最大の復讐」と心に刻んで、
絶対に憎い相手よりも幸せになろうと誓っております。

※近頃ボケて来て、誰が憎かったか思い出せない、錆びついた脳みそですが・・・(笑)
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
とても為になる回答でした。
「暗くていいよ」「イライラしていいよ」「憎んでいいよ」と言われると、たしかに 「心が安心」します。そして、元気が出てきて、損得勘定で少し頑張ってみようかなと思います。プラス思考ではなく、損得勘定の考え方に目が開かれた感じがします。

「憎しみを手放すと、エネルギーを失う」の言葉、スーッと入ってきました。これも損得勘定で。なるほどと思います。

もう一度、ご回答を参考にして、考えてみます。
ありがとうございました。



 

お礼日時:2008/07/04 05:54

>「性格が暗くてもいいではないか。

人はそれぞれ違っていい」

それは「自分は暗い」という事実を個性として受け止め、自己を認めるという事ではないでしょうか。
決して苛々して情緒不安定でもいいという事ではないと思います。
苛々して情緒不安定であると自分を認める事で先にすすめるのではないでしょうか。
憎む気持ちがあるのに「人は人を憎んではいけない」と気持ちを押さえつけると、より苦しみが増しますよね。
憎んでいるという事実を認めてあげると少し楽になります。
どうやったって憎いものは憎いのだからしようがない。
そうすると不思議と憎い人から憎いと思っている自分自身に目がいくようになります。

そうして、何故憎いのか、何故苛々とするのだろうか、情緒が不安定なのか、なぜマイナス嗜思考なのかと原因を探る事で解決出来る事もありますし、原因がわからなくてもその状況の時にどう対処したらよいかという事も学べますよ。
憎しみをバネに変えて成長するというのも一つの対処の仕方ではないでしょうか。
それに性格が明るくなければ人に認められないとか、人と付き合えないという事でもないと思いますよ。
「暗い」もプラスの言葉に言い換えられます。慎重だとかクールだとか…。
善と悪とは表裏一体です。何事にも裏と表があり、月も太陽がいるから輝く事が出来ます。
暗くてもいいとはそういう事なのだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
「憎しみをバネに変えて成長するというのも一つの対処の仕方では」というご回答に、「それでよかったのだ」という安心感をいただきました。
また、「暗い」もプラスの言葉に言い換えられます。そうですね、考え方一つですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/06 11:28

とりあえず、No2の方に


>近頃ボケて来て、誰が憎かったか思い出せない
意味ないぞー!! と突っ込んどいて

(1)イライラ、情緒不安定、憎む
どこでも誰にでもお構い無しにこんな感情を真っ正直に
垂れ流してもいい
というわけではないです。
「自分こんな感じでめっちゃ暗いんすけど、駄目っすよね?
何か方法ないっすかー?!」
と自分の暗黒な面を表面的に明るく晒す、という方法もあります。
人は暗くてもいい、という考えには、お互い様
という気持ちを持てる事にある。
誰かがネガな事を言った時、自分を棚上げして批判する事が
なくなり、自分の行状も一緒にどうすればいいか、と
冷静に考えられる事にあると思います。

ネガで何が悪い。そりゃ社会生活を発展させて行く上で
ポジな思考は不可欠だろうけど、できないものはできない。
でも、できないなりにできる事はある。

(2)憎い イコール マイナス思考 とは思えない。
今に見てろこのやろ、という思いは
自分のパワーを上げるのに重要。ただ、この思いが
自分でなく、相手を貶める事に向かうと何の発展もない。

本当にネガなら自分を憎む。
自分は人間の屑だと思っていながら、自分に対して今に見てろ
なんて思えない。これがどうにもならないネガ思考だと思う。

確かにネガティブな思考は、自分の足を止めるのは簡単です。
でも、留まってはいられない。しかし、ポジにもなれない。
その上で、どうやって進んで行くか
あなたの考えている事は、私も20年近く考え続け
これからも考え続けるだろうと思う事です。
心理学的な事が何も書けなくて申し訳ない。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
「あなたの考えている事は、私も20年近く考え続け、これからも考え続けるだろうと思う事です」の文に、「ァ、そうなのか」「ここにも一緒に悩む人がおられる」という思いがして一種の感動がありました。
ありがとうございます。

感情を垂れ流してはいけない。これもなるほどです。言われてみて、ソウダ!と。

憎いは、イコール、マイナス思考ではない。
これが、相手を貶めてやろうということは、いけないと言うこと、なるほどと思いました。
参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/04 06:17

(1)について。


>「暗くても良いよ」「イライラしても良いよ」「憎んでも良いよ」
これは自分の感情を認めることになると思います。
自分が今感じたことはこれからずっと続くことでないことは過去の体験
から理解出来ると思います。
だから、自分の感情に従って何かをしなければ感じたことは自然に消え
ていくはずです。
自分が感じたことを認めない、暗くてはいけない、イライラしてはいけ
ない、恨んではいけないと思うことでその感情を長く引きずるようにし
てしまうのです。

(2)について。
憎むことには何にも問題はないと思います。
憎むというのは自分の中で起きていることです。
自分のなかで起きているのならば誰かに知られることもないで自由にし
ていいと思います。
そして、何も行動をしないことが大切だと思います。

憎しみを利用してパワーを得て行動するようになってしまうと、何かを
する時には誰かを恨まなければ力を出せないといった習慣を自分の中に
作り出す可能性がありますので気をつけた方がいいでしょう。

プラス思考、マイナス思考も人によって捉え方は異なると思います。
私はいま出来ることを見つけだすのがプラス思考で、今出来ないことに
ついて考えて時間を潰すことがマイナス思考だと思っています。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。
とても、参考になりました。
心に自然に出てくる感情は、素直に受け入れること。
憎しみも、イライラも、暗さも。
「憎むことは何も問題ない」という一言で安心できます。

それから先、どう行動するか?そこが大切だと言うことですね。

プラス思考、マイナス思考は人によって異なると言うのも、
とても参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/07/04 06:03

心理学のことはわかりません、専門家ではないので・・・



(1)に関して
私も昔同じようなことでずいぶんと悩みましたよ。
ただね、「暗い」ということは、世の中にとってはマイナスの作用しか
及ぼしません。だから、世間の人はそれを避けたがるし、できれば
そうなりたくない、とみんな考えています。
だから、「暗い」ということに対してみな拒絶反応を示し、係わり合いに
なりたくないと思う人が多いのは確かです。
しかし、世の中にはそういうことは関係ない、それがその人の持ち味だと
考える人もいて、分け隔てなく接することができる人がいらっしゃいます。
そういう考え方の人からすれば、
>「性格が暗くてもいいではないか。人はそれぞれ違っていい」
と言う意見なのだと感じます。
しかし、ご質問者様の捕らえ方では「暗い」=「ネガティブ」という
図式があり、「ネガティブでも許される」と思い込んでいらっしゃるようです。
でもね、勘違いされてはいけませんよ。
どんな「ネガティブ」でも許されるのではありません。
「暗い」と言うのは単に自分を表に出して表現できないとか、
明るさの部分を自分で積極的にもつことができないだけの性格の問題です。
しかし、
>「人はイライラしていい、情緒不安定でいい」「人は憎んでいい」
これは明らかに誰かに迷惑をかけてしまいます。
これが「暗い」ということとの決定的な違いです。

イライラしていいはずがありません。
情緒不安定なら、周りにいる人間が相当迷惑するでしょう。
憎むことからは、決してプラスの結果は生み出しません。
人を恨めば、その分だけ自分に返ってきます、因果応報と言うやつです。
でも、単に暗いだけなのは、自分で変えられることはできますし
どんなくらいと自分で思っている人でも、その人が必ず輝けることが
必ずあって、それが表に出せないだけなのです。
だから、矛盾ではないのです。

(2)について
これは、数字の計算にたとえて考えるなら、マイナスの数字は、プラスの数字と
足し算をしても、引き算をしても、掛け算をしても、割り算をしても、
結果として大半がマイナスの数字になるか、元の数字よりも少なくなって
しまいます。
しかし、マイナスの数字同士をかけると、プラスの数字になりますよね。
憎しみなどもそれと同じです。
「いつか復讐してやる」「いつか見返してやる」と言う憎しみのパワーを
持ち続けるためには、自分と言う存在をそのときが来るまで維持していない
それをすることはできません。
だから、悔しいとか腹が立っても生きのびてそうするんだと決めたら
それがパワーになる場合もありえると言えるだけです。
ちなみに
>憎しみから生まれる、頑張るぞ!というプラス思考のエネルギーは、よいものではないのでしょうか。
これは聞いたことはありません。
憎しみから生まれるいつかやったるそ!なら聞いたことがありますが。
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この回答へのお礼

とても、とても、ためになる回答をありがとうございました。
目から鱗が落ちるという感じでした。
性格が暗いことと、情緒不安とか、憎むということとは、全く違いますよということ。
後者の2つは、明らかに周りに迷惑をかけます。これはいけないことです。
性格が暗いということは、単に自分だけの部分があって、人に迷惑をかけるかどうかは、解釈する人で変わります。だから、性格が暗いということをネガティブに考えないことですね。

憎しみからはよいものは生まれない。因果応報ですね。分かりました。

心よりお礼を申し上げます。

お礼日時:2008/07/02 18:17

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