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『証言沖縄「集団自決」謝花直美(著)』を読んでいます。
沖縄戦に関する本は今までに何冊か読んできました。
そこで質問です。戦場に良い日本兵は存在しなかったのでしょうか?
※ 「助けてくれた」、「食料を分けてくれた」等
もし、活字になっているものがあれば書名を教えて下さい。
やりきれなくなってきた時に、
『沖縄県民斯ク戦ヘリ』を読むと少しホッとします。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

スパイの摘発に励み沖縄の治安を守った日本兵の話が『沖縄県史』に出てきます。


『伊江島の戦中戦後記録』には日本人の誇りを何よりも大切にし、県民に捕虜になるなどの恥をかかせない様、貴重な手榴弾を自主的に譲ってくれた親切な日本兵の話が出てきます。
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この回答へのお礼

資料名まで教えていただき恐縮です。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/08/04 12:46

違った視点からの意見です。

日本軍の蛮行に関しての論拠が一部崩れている事を述べたいと思います。

沖縄戦に関しての著書に信憑性が疑われるものもありますので注意が必要です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%86%E5%9B%A3% …
「2007年11月9日、大阪地裁にて『沖縄ノート』の著者である大江健三郎の本人尋問が行われ、大江は「現地調査はしなかったが参考資料を読み、集団自決は軍隊の命令という結論に至った」とし、座間味、渡嘉敷両島の元守備隊長2人が直接自決を命じなかったことは認めたうえで、住民に手榴弾が配布されたケースがあり、これが軍の強制となると主張した。一方、大江に先立ち尋問があった原告の一人で元座間味島守備隊長、梅沢裕は軍命令を強く否定。もう一人の原告の元渡嘉敷島守備隊長、故赤松嘉次元大尉の弟、赤松秀一は「大江さんは直接取材したこともないのに、いい加減なことを書き、憤りを感じた」と批判している。」

Ano.1さんの回答に補足しますと、上記URLの記事から引用で
「秦郁彦は、証言の裏づけも見つからない状況の中で「関与」というあいまいな言葉にすり替えて軍の強制性を語る人間が増えており、これは慰安婦問題と同じことが繰り返されていると批判している[21]。また、日本軍の手榴弾が自決用に使われた事を指して「軍の関与があった」としている人間がいるが、兵器不足であり、兵士に竹槍まで持たせていた日本軍にとって、手榴弾は貴重な武器だった。それを現地召集の防衛隊員に持たせていたものが、家族の自決に流用されただけなのに「手榴弾は自決命令を現実化したものだ」と語るのは問題だとも批判している[22]。」
という事を指摘しています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …
戦争で被害を拡大させた大本営には腹が立つ事しきりですが、当初は「「沖縄に戦火が及ぶ公算大」と判断、沖縄本島・宮古・石垣・奄美・徳之島の5島から60歳以上と15歳未満の老幼婦女子と学童を本土及び台湾へ疎開させることを」決定、沖縄県に通達しています(まあ、これも人道的見地からではなく、軍の足を引っ張るだろうからという作戦的な面があっての事ですが、一応の慰めにはなるかな)。

下記は私の個人的心情なのですが、一応記載しておきます。

私は戦争なんてしない方がいい、無い方がいい、と思っている人間なのですが、こうした厭戦気分の反動が噴出した戦後に出版された戦争の著書には行き過ぎた部分があると思っています(そして当時の世情もそれを認めた)。

そもそも平素の日本人が野蛮な性質を持つという証左ではなく、戦時の日本人が行った蛮行を反省しよう、戦争はもうこりごりだ、という世情から生まれた書物も多いので、今日本に生きている我々に反省すべき点があるというのではなくて、戦争になった際の行動がいけない、それでは戦争を防ぐにはどうすれば良いかという一歩進んだ視点に、更に言えば、現状その戦争アレルギーを持っている日本に対して、戦争を起こすぞと言ってくる周辺国(中朝韓露)に対して、こちらも戦争を起こさずに将来的な損を蒙らない政治的駆け引きをする、という視点に立たなければならないでしょう。日本という国は不幸にして、ある種、拳を突き出さなければならない国々に囲まれてしまっているのです。友好だけではどうにもならない国なので、悲しいかな戦力も保持しつつ上手く付き合っていかなければなりません。

沖縄の人にこうした話しをすると、「過去の話だから仕方無いさー。」と非常にあっけらかんとしています。しかし、我々としては将来的に地政学的に戦争の起こりうる沖縄に戦火を交えてはいけないのだと言う事を心に刻み込まなければならないと思っています。
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「良い日本兵」という意味はよくわかりませんが、このような話があります。


沖縄戦で戦死した福島県出身の太田博という陸軍少尉がいました。太田少尉には郡山商業時代から応援歌の作詞をするなど、詩の才能がありましたが、陣地構築の手伝いに来てくれたひめゆり学徒隊の女学生にお礼として「別れの曲(うた)」(相思樹の歌)を作詞して贈りました。これに沖縄師範学校女子部と沖縄第一高等女学校で音楽を教えていた東風平恵位先生が曲をつけ、卒業式で歌う予定でしたが、学校での卒業式の前に戦場に動員され歌えませんでした。しかしこの歌はひめゆり学徒隊の生徒たちの愛唱歌となりました。作曲した先生も沖縄戦で亡くなりましたが、戦火の中を生きのびた生徒たちは戦後の苦難の中でこの歌に励まされたと話しています。戦後60年にあたる平成17年には沖縄で太田少尉を偲ぶ平和祈年祭が開かれました。

この歌には、直接戦争や戦意高揚につながるようなことはどこにも出てきません。太田少尉が沖縄の女学生に対して思っていた気持ちが伝わるいい歌だと思います。悲惨な戦場に太田少尉のような心の優しい若者がいたことはせめてもの救いですが、沖縄戦で多数の非戦闘員の生命が奪われたことは勿論忘れてはならないと考えています。
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この回答へのお礼

良い話ですね。回答ありがとうございます。

お礼日時:2008/08/04 12:43

 No.2の方は「沖縄ノート」裁判の途中での発言だけを取り上げていますけれど、この裁判については一審では原告側の敗訴であることを無視するのは正しい引用とは言えないのではないでしょうか。



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B1%9F% …
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