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今虐待について調べているのですが
そこで思ったのが、 
「しつけと虐待の境界線」はどこ・どのようなことなのだろうか。


皆さんの意見を聞きたいので、よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

個人的には骨折等の明らかな怪我を分かったときやりすぎたと思えないくらいなら虐待でしょうね。


あと気分で体罰をするしつけの場合には、程度が著しく変わるなら・・では?たとえばいつもは靴を散らかして家に上がっても注意だけなのに今日ははたいて外に数時間放置とか・・まあ、子供に対する愛情を感じるなら・・ってそれが難しいんですけどね・・

個人的な解釈です。でも、教師でも体罰は必要だと私は思います。体罰ないとほとんどの人はまともに育たないでしょう。まともなのは天才とかできた人です。私は体罰をみっちり受けました。子供のころは何かと妹泣かせてましたから・・
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ここを治したい、こういう子供に育って欲しい


という理念をもって接することがしつけ。

自分の感情をそのまま行動に表したり
教育や子育てに不必要な行為が虐待

だと思うのですが、どうでしょう?
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難しい質問です。



子供にも個性があって、
叱れば素直に従う子もいれば、叱っても殴っても言う事を聞かない子供もいます。
と、考えると共通の境界線は無いのではないでしょうか。
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愛の有無ではないでしょうか?


日本人と言うのは欧米に比べてあまり子供を大事にしない民族でして、つい昭和初期まで、子殺しは口減らしのためと黙認されていました。江戸時代ではある藩で年間1万人の子供が姑や母親によって生まれてすぐに殺され、その死体は犬猫のそれと同じ頻度で道に見ることができたそうです。
子供を大事にし出したのは昭和維新からです。富国強兵のために子を産み育ての命令のもと、子殺しも犯罪となりました。注意すべきは、欧米では人権の観点から進んだこの流れが、日本ではつい最近、それも強制によって行われたことです。
すなわち多くの人がまだ、子供は親の所有物だと思っているのです。そのために日本では体罰が(まるで野蛮人のように)ある程度認められ、武士道的な観点を持ち出してこれに賛同する人も少なくありません。
体罰・折檻をする親や教師は、ドイツでの統計によるものではありますが、その原因に自らの経験(ひどい幼少期)があり、また性的な疾患をかかえており、その行為の際に自らの性的要求が解放されると感じているそうです。アルコール中毒・薬物中毒の罹患の割合が高く、また体罰を受けた子もまた、同じことを繰り返す確率が非常に高いそうです。
一方、愛に恵まれた家庭では、叱咤も子供を追い詰めることなく、よい影響を与えております。多くはその親の両親も、よい子育てをしてきたのでしょう。虐待の家系と比べれば、これは正のスパイラルともいえるでしょう。

しつけは、愛がある。虐待は、する側の性的欲求である。これもひとつの意見として聞いておいてください。
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