前に借りて読んだ横山光輝さんの「三国志」に登場した人物の名前が思い出せないので知っている方がおりましたらお教えください。
 魏の人で、曹操が悩んでいたときにボソッとつぶやいた言葉(食べ物の名前だったとおもいます)を、夏候惇が何か意味があるものととらえて、その意味を聞きに行った人の名前がどうしても思い出せません。
(なぜ思い出したいかと言いますと、三国志で好きな人物として名前を書きたいからです)
 その言葉の意味を的確に当てたその人は、曹操から「人の心を読む」と思われて処刑されました。「才子、才に倒れる」というような表現をされていたと思います。
 思い出せることといったらこれだけで、どこ(誰)と戦っていたかも思い出せないので、手がかりが少なく申し訳ないのですが、このエピソードとともにその人の名前をご存知の方、もしみえましたらお教えください。よろしくお願いします。

 該当の本を手に取る機会がないので、自分でいろいろ調べましたが、三国志で才に倒れた人は何人かいるみたいなので、誰か特定できませんでした。

 出来ればでいいのですが、そのとき曹操がつぶやいた言葉もお教えくださると助かります。

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A 回答 (2件)

回答:No.1さんの通りです


横山光輝「三国志」40巻(漢中王劉備)ではこんないきさつです

夏候惇が曹操に夜間警備の合言葉を聞きに行った時、
思案中の曹操がふと漏らした「鶏肋」を合言葉と勘違いし、
夏候惇は陣中に布令を出しました
それを聞いた楊修は直ちに撤退の準備にかかりました
そこで、夏候惇がその理由を尋ねて納得し、他の諸将にも知らせ、
全軍が撤退の準備にかかりました
眠れぬ曹操が陣中を見回ってみようと起きだしたところ、
誰の命令で陣払いをしているのかと尋ねると
夏候惇が答えるに「楊修がわが君のお心を察して~以下略」
この時、(曹操は)心の奥底を見透かされたひどくいやな気分になり、
楊修の今までの行動の積み重ねが、遂に曹操の心を爆発させ
処刑に至りました
~「才は才に亡ぶ」楊修の死はまさにそれであった~
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!
ご丁寧に経緯までありがとうございます。
まさにこの話の人物です。

お礼日時:2008/09/16 10:52

処罰された人物は「楊修」で、


曹操がつぶやいた言葉は「鶏肋」(けいろく・鶏の肋骨)です。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A5%8A%E4%BF%AE
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました!

お礼日時:2008/09/16 10:51

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【中国史】いま中国ドラマの曹操を見ているのですが曹操って中国で何をやった人ですか?

現在の中国人って毛沢東以降の人は尊敬して像とか建てて拝んでいますが曹操の銅像とか見ないですよね。

革命後の人物しか拝んでいない気がします。

中国人は曹操を尊敬していますか?

いまの日本では徳川家康とか尊敬されていなくて田中角栄とかが尊敬されています。

中国では曹操は知ってるけど尊敬は別にしていない過去の英雄って感じですかね。

この中国ドラマの曹操は本当の話ですか?

フィクション?

Aベストアンサー

曹操って中国で何をやった人ですか?
  ↑
三国志の英雄です。
魏の国を造った人です。


曹操の銅像とか見ないですよね。
  ↑
あります。
曹操は詩人としても有名です。


中国人は曹操を尊敬していますか?
   ↑
かつては蜀の劉備が善人であるのに対し
曹操は悪人の代表のように扱われていました。
しかし、最近では一部に見直しの動きが
あります。


この中国ドラマの曹操は本当の話ですか?
フィクション?
  ↑
言い伝えをドラマの骨にしています。
大まかなところでは本当の話だと
言われています。

Q『三国志』の魏の張こう

『三国志』の魏の張こうですが、張こうは曹操は降伏した後、関羽に斬り殺されたと書いてありましたが、長坂の戦いで、曹操軍に同名の将が出てきましたが、違う人物ということで解釈してよいのでしょうか。このような質問で恐縮ですが、よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

再度登場です。

私は吉川英治三国志、3回ぐらい読みました。

で、「ほふった」という表現ですが、gooの国語辞典で調べてみました。


ほふ・る 2 【▼屠る】

(動ラ五[四])
(1)鳥や獣の体を切りさく。
「牛を―・る」
(2)試合などで、相手をうち負かす。
「優勝候補を―・る」
(3)攻め滅ぼす。皆殺しにする。
「傍の郡を―・りとる/日本書紀(雄略訓)」
[可能] ほふれる

とありますので、(2)の相手を打ち負かすだと思います。

手元に本が無いので何とも言えないのですが、魏の武将で張[谷β]と表記される武将は、曹操に降伏した一人です。
ですので、同一人物ですが殺されてはいません。

(吉川英治三国志は三国志の基本書の一冊ですが、古い作品ですので、表現も難しいのだと思います。また、私の記憶だと同じ漢字表記の武将は1組だけ出てきます。馬延(だったと思う)。一人は夷陵の戦い(だったと思う)と言う件で殺され、一人は孔明の南征に従軍して活躍します。(多少、ネタバレ入ってスミマセン。))

Q三国志・魏に降った蜀呉の武将の最高位・真実の徐庶の姿

蜀、呉から魏に降った人物の中で、
最も高い位にまでのぼりつめたのは、誰でしょうか。
それはなんという位で、どの程度の役職でしょうか。


徐庶が好きなのです。
徐庶は魏に降ったあと、右中郎将・御史中丞までのぼったと聞きました。
この位は、なかなか高い、もしくはあまり高くないという両方の意見を聞きます。
史実の徐庶は、実は演義で描かれるほどには能力の高い人物ではなかったのかなと思ったり、
いやいや、蜀から降ったわりには、すごい位にまでのぼったじゃないかと思ったり、
曹操のために献策しないと言ったのは、本当なのかな、うそなのかなと、思ったり……

蜀呉から魏に降った他の人物のその後の位と、徐庶の位を比べることで、
徐庶の真実の姿に迫りたくて……
よろしくお願いいたします。

他に、史実の徐庶に関することなら、どんな情報でも大歓迎です。
よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

 単純に魏に降った、だと「黄権」(車騎将軍・儀同三司)ではないでしょうか?
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%A8%A9

 車騎将軍
  蜀だと張飛が就任。上には大将軍と驃騎将軍のみ

 儀同三司
  従一品の文官が帯びる散官で、特に職掌はなかったけれども、三公(太尉・司徒・司空)に準じる扱いを受ける役職です。

 まあ、彼は「三国名臣序賛」で蜀の四名臣に挙げられるくらいですし…。
 他に諸葛亮・ホウ統(鳳雛と呼ばれ、諸葛亮と並び称される名軍師)・蒋エン(諸葛亮の後継者)
 
 呉から魏へ降った将で、特に昇進した例はちょっと思いつかないのですが、蜀から呉へ下った将(関羽が呉に討たれた時)では「潘濬」が一番ではないでしょうか?(顧雍の次に、陸遜をさしおいて丞相に推挙されていた。長生きさえしていれば確実に丞相に…。)
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BD%98%E6%BF%AC

 ただ、徐庶と比較するには、ちょっと不向きかもしれません…。
 両者とも奮戦、捕縛後も自国への忠誠心を堅持していた事を、相手国の君主(曹丕・孫権)に認められ驚嘆させています。
 (特に黄権に対して、劉備は「黄権が私を裏切ったのではない。私が黄権を裏切ったのだ」とまで言っていますし)

 理由は兎も角、徐庶は自分の意思で劉備を見捨ててしまったので、魏では君主を見捨てた裏切り者の汚名を背負ってしまっているので…。
 (この時代は、家族の為に義を損なうのは褒められた行為では…。演義では徐庶の母は、息子が劉備を見捨てた事に怒り、自殺していますし…。)

 特に魏の曹丕は、家臣が君主を裏切る行為を毛嫌いしていますので…。
 (旗揚げの頃からの功臣の于禁が呉に捕縛され、命乞いした事に怒り、曹操の陵墓にわざわざ、その様を描かせ、戻ってきた于禁を憤死させています。)

 ただ、御史中丞という弾劾を司る役職に昇進した事は、彼の公明正大で精力的な仕事振りが魏においてさえ認められていた証拠ではないでしょうか?

 そして、そこまで昇進した割に正史にその業績が残されていない事が、魏における彼の置かれていた立場の辛さを示していると思います。

 単純に魏に降った、だと「黄権」(車騎将軍・儀同三司)ではないでしょうか?
   http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%A8%A9

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  蜀だと張飛が就任。上には大将軍と驃騎将軍のみ

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  従一品の文官が帯びる散官で、特に職掌はなかったけれども、三公(太尉・司徒・司空)に準じる扱いを受ける役職です。

 まあ、彼は「三国名臣序賛」で蜀の四名臣に挙げられるくらいですし…。
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Q三国志 夏侯惇の評価

子供の名前(男)に、「惇」という字を使おうと思います。
そこで頭に浮かぶのが夏侯惇なのですが、彼の正史及び演義での評価を教えてください。
演義ではあまり悪いものは無かったような気がしますが・・・。
ついでですが、孟徳(たけのり)っていう名前はどう思われますか?

Aベストアンサー

評価というか、自分のイメージなんですが、
夏侯惇は、演義では戦場において、孔明のかませ犬的な役割で負けてるイメージがあります。でも、曹操から一番の信頼を得、かなりの地位にのぼりつめていることから、やっぱり有能な武将だったのでしょう。

性格は、気性は激しいが、行軍中であっても講師を招いて学業を授かるような勉強熱心な人だったようです。
また、財産に余裕ができれば、そのつど他人に分け与え、清廉倹約な生活をおくっていたそうです。

私は、夏侯惇すきですね。
「惇」っていう文字(人情のあつい意を表す字)もいいですよね。
あと、どうでもいい話ですが、孟徳(たけのり)っていうクラスメートいました。でも、その時は三国志なんて読んだことなかったから全然わからなかった。普通にいい人でした。
私が親に名前をつける時に注意してほしかったのは、画数かな、本当にどこにいっても画数悪いと言われるんですよね~、軽くショック。親にはもうちょっと名前考えてほしかったなぁ。なんて愚痴になりましたが
夏侯惇は紛れもない名将です。

Q曹操

曹操は曹操と書かれるのと武帝と書かれるのとではどちらが多いですか?
ある文に漢の武帝のことについて書かれていて、私は三国志が好きなので武帝ってどこかで聞いたことがあるなぁ確か曹操のことだなと思って読んでいたのですが、何か書いてあることが曹操とは違うような気がして調べてみたら曹操も武帝でしたが魏の武帝でした。
他にも武帝っていっぱいいるんですね。

他にも気になっていたのですが曹操の息子の曹丕が文帝ですが、文なら曹植の方がぴったりなのになぁと思ったのですが、それともこれには武秀でていたから武帝、文の才能があったから文帝という以外のつけ方があるのですか?

Aベストアンサー

曹操については、いわゆる「皇帝」には即位していないこともあり(彼はあくまで漢帝国内の魏王、つまり国王という形です。これは、足利義満が日本国王とされたのと似たようなもので、あくまで皇帝のほうが上です)、曹操とよばれることが多いかと思います。また、武帝はたくさんいますし、さらに普通、武帝といったら前漢の武帝(劉徹)です。

文帝については、こちらは即位、皇帝となっていますから、文帝とかかれることも多いですね。
なお、贈り名は結局飾りみたいなものです(それでもやはり、業績に沿ったものにしているのも多いですが)。
また、字で多いのはやはり武、そして文ですね。
やはり武は武力統一を大きく進展させた人・・・曹操、前漢の最大領土を作り西域や南方を武力で平らげた劉徹、殷王朝を滅ぼした周の武王、曹家から帝位を奪った後呉を滅ぼし統一した司馬炎など、やはり武で統一した人がおおいです。

また、文については詩文の文と考えるよりも、学問をあらわす文と考えたほうが適切でしょう(文武両道なんかの文ですね)。
一応、中国では儒教の関係もあり、文のほうが重んじられる傾向は強いです。
また、内政的な意味も多分に含んでおり、曹操が対外遠征を主としていたのに対し(といっても彼は破格の英雄なんていわれるくらいですから、内政にも破格の才能を発揮していますけどね)、九品官人法や私刑や仇討の禁止、密告の禁止など、やはり内政に重きを置いています。

曹操については、いわゆる「皇帝」には即位していないこともあり(彼はあくまで漢帝国内の魏王、つまり国王という形です。これは、足利義満が日本国王とされたのと似たようなもので、あくまで皇帝のほうが上です)、曹操とよばれることが多いかと思います。また、武帝はたくさんいますし、さらに普通、武帝といったら前漢の武帝(劉徹)です。

文帝については、こちらは即位、皇帝となっていますから、文帝とかかれることも多いですね。
なお、贈り名は結局飾りみたいなものです(それでもやはり、業績に沿っ...続きを読む


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