痔になりやすい生活習慣とは?

こないだローマ人の物語を読みました(疲れた…)。
そこで、ローマの税制で属州税や100分の1税というのが出てきました。
属州税は収入の10%、100分の1税は1%というらしいのですが、実際には、誰が、どのようにして税額を算出し、どのように徴収していたのでしょうか?

属州税は、農民から小麦を取ったのかな?と予想がつくのですが(あってますか?)
100分の1税はどうやっていたんでしょうか?
塩野さんは古代の消費税とか言っていましたが、売上税にするにしても当時の技術水準では販売額を把握する術もないと思うのです。
一体どのようにして税を取っていたのでしょうか?やっぱり小麦なんでしょうか?

他にも色々税制があるわけですが、実際、誰が、どのように税額を算出し、どのように徴収していたのでしょうか?

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A 回答 (3件)

イエス時代のローマと属州の税制、小作農の発生



http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/04 …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
こうやって一覧になってると分りやすいですね。
解説もなかなか分りやすかったです。

ただここからさらに具体的徴税技術を知りたかったりします。
属州税が収入の10%というのであれば、どのようにして所得を把握していたのか。
穀物税の10%とは、日本の年貢方式と同じだったのか。
何より売上税はどんな風に売り上げ金額を算出していたのかもし足りたいわけです。

もしそういうサイトもご存知であれば教えていただけると助かります。

お礼日時:2008/09/18 01:34

安価な本では、「古代ローマ帝国―その支配の実像 (岩波新書) 吉村 忠典 (著)」が面白いですね。

10分の1税を現場ではどのように農民から徴収し横取りしていたのかを、著者は属州シチリアに赴任した総督ウェレスの弾劾裁判におけるキケロの名演説を読みくだきながら、滑稽なくらいに生々しく描写していきます。質問者さんの疑問は、これを読めば解決すると思います。本屋さんにはまだ在庫があるかも。後は、分厚い専門書(経済史関連)を読むことですね。
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この回答へのお礼

お返事遅くなりました、ありがとうございます。
キケロが有名になったという裁判の話ですね。
個人的には帝政期の税制が知りたかったのですが、共和時代の税制にも興味はあるので機会があったら読んで見ます。

お礼日時:2008/10/01 23:57

塩野さんの本を読んでいればわかると思うんですが


文庫版では、硬貨が表紙になっていますよね
ローマ帝国では、貨幣経済が確立していました
教育も浸透しいています
当然出納帳のようなものがあったかと
当時の技術水準をあなどってはいけません
中世ヨーロッパは、経済・教育等が退化しています

この回答への補足

確かにローマ以後文明が退化している面が有るのは事実です。
しかし、それでも古代の技術で売上税をまともに機能させるのは難しいと思うのです。

消費税の歴史を振り返ってみれば、一般消費税が導入されたのは20世紀です。つまり、政府が近代化し行政能力が急激に上昇した時期です。
個別消費税ですら導入されたのは16世紀です、始めたのは、財政学で最先端を行っていたオランダとそこから財政学を学んだイギリスです。

そして、アラビア数字が普及したのが12世紀ごろ、紙が普及し始めた10-13世紀ごろ、その後ピサで簿記が生まれ、ベネチアで複式化して、その後オランダで進化したのだと理解しています。
簿記も、紙も、アラビア数字もない上に、当時の商売は店よりも市が中心だったと思うのです。さらにローマは小さい政府だったわけです(地方に任せたり民間人を雇ったりは出来るでしょうが)。

そんな状態で売上高を把握し徴税する手段があったのか疑問なわけです。
農地などに対してつまり生産の時点や関税のように流通の時点で税をかけるなら分りやすいですが、売買の際消費の時点で税をかけるというのが信じがたいのです。

補足日時:2008/09/18 01:55
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Qローマ帝国が崩壊した理由。

ローマ帝国が崩壊した政治・経済・宗教上の理由ってなんですか??

教えて下さい。。。

Aベストアンサー

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或いは自然災害や飢餓等で一々首都ローマの皇帝に指示を貰って動いていたら今の日本のお役所仕事よりも状況は悪化します。なので担当者を派遣して急場は彼らが処理して根本的な対処(立法や公的資金の注入。軍の配置等)は事後報告を受けた皇帝が担当することになりました。
しかし皇帝が後継者を残さずに死んだりネロ等の様に住民や元老院に見放された皇帝が出てきたらついムラムラっと支配欲に燃える人も多かったりします。それが上り坂の時代ならば多少は許容されるのですが下り坂で蛮族の侵入が重なったりしたら内乱に乗じられたりする訳です。

経済的には政治的な内容と重なりますが内乱と蛮族の侵入が重なるとどうなると思いますか?
ここでは北アフリカを挙げたいと思います。内乱等で軍隊が指揮官の皇帝即位の為に他のライバルを武力討伐する為に他の地域へ移動すると周辺民族が侵入してきます。彼らは簡単に言うと銀行強盗の群れだったので街や村を略奪して回ります。そうすると住民は暴力を嫌って難民となり他所へ流れて行くことになります。基本的に経済は農作物や鉱山からの収益或いは貿易で成り立ちますし農業はそれらの基本です。そして農地は常に人が手入れしないと荒れる物です。信じられないかもしれませんが当時の北アフリカは砂漠では無く穀倉地帯だったんです。で荒れるに任せて砂漠化しました。これは他の地域では荒地になったり森林になったりして収穫は激減していったのです。
しかも強盗は略奪する物が無ければ支配して搾り取る方法にして居座り続ける事を始めたので二重の意味でダメージになりました。

宗教的には色々ありますが政治的・経済的行き詰りとキリスト教の普及が重なった事が大きいでしょう。ローマ古来の神々は我々を見捨ててしまった。そんな思いに駆られたローマ人の心のスキマにキリスト教は漬け込んだんです。曰く、今の状況は真の神を蔑ろにしたローマ人の所業のツケである。曰く、しかし真の神に帰依すれば救済されるとでも言ったのでしょう。ここで最後の審判で救われると言うのがミソです。来るかどうかも分からない最後があると言って置きながらそんなものは20世紀が終わってもありはしなかったのですからね。まぁこれは今だから言える事ですし当事者はパニックで冷静に考える余地が無かったのですけど。
それからカトリック教会とローマ法王という形で国家内にもう一つの国家を作り上げて寄生されたのも痛かったですね。飢饉で神父やシスターが難民にパンを配る・・・美しい光景ですが何の解決にもなっていません。解決するには行政サイドが動くしか無いのですがガタガタの帝国にはそんな力は残されていなかった。これでは教会に入る人が増えるし帝国に見切りをつける人が増えるのは止め様がありません。


最後に追加ですが戦争のやり方が変ったのも重要です。かつては重装歩兵が主力を担っていたのが騎兵に取って代わりました。単純に考えて甲冑と槍で済んでいたのが追加で馬が加わります。これがクセモノでして俗に牛飲馬食と言う言葉がありますがこれは飲み食い意が激しいのを牛馬に例えた言葉ですが馬を飼うには餌場を順々に回る遊牧生活か金で買って入手するしか方法がありません。しかも手綱や鞍を付けないと乗れませんし牧場や厩舎を作ったり練習の為の馬場も必要です。
これは何故かと言うと大陸の東のモンゴルとかの遊牧民が食い詰めてヨーロッパ方面に移動しました。と書くと穏やかですが戦争しながら原住民を土地から追い出して居座ると言う形で成されました。それでゲルマン人も食い詰めてローマに・・・と言うわけです。なので力関係では負けてるので弱ってるローマで略奪や居座りして新生活を始めよう・・・とそういう次第なんです。



纏まりが無く内容が重複した文章ですがそう私には見受けました。

まず言っておきたいのは、領土(図体)が大きくなりすぎた事を念頭に入れておいて下さい。

政治的には領土が広すぎた為に軍司令官や属州総督を派遣するといったシステムが多かった様です。と言うのも東西だけで言うと最盛期にはスペインのジブラルタル海峡からロシアの黒海沿岸やイラク北部に跨っていました。今でこそ飛行機で何時間といった距離ですが当時は風任せ・人力便りのガレー船と徒歩や馬で街道を進むしか方法が無かった時代です。そんな交通事情では例えば蛮族(周辺住民)の組織的な侵略や略奪。或...続きを読む


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