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なぜ、動物は本能で子孫の残そうとするのでしょうか。
子孫を残す理由なんてそもそもあるのでしょうか。
太古の昔から子孫し、今現在私が存在している訳ですが、本当の理由が分かりません。
どなたか分かる方はいらっしゃいますか。

「愛しているの人の子どもを生みたいと思うから」とか「本能だから」などうどいう曖昧な答えは要りません。

A 回答 (8件)

子孫を残さない選択をした種は絶滅してしまっているはずです。

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逆でしょ。


生物の定義では、エネルギーを消費して、子孫(遺伝子)を残すことですから。
それをしないのは、生物じゃないです。
石や金属と同じと言うことになりますから。
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こんにちは。


本能とは定められたものであり、生命といいますのはみな子孫を残すために作られています。では、どうしてこの生命が作られたのかは、どうして宇宙があるのかと全く同じ問題であり、その答えを知るひとはいません。
惑星構造や生命現象の機序は概ね説明されており、それは全て「エントロピーに逆行する自己組織化現象」に分類されます。ですが、どうしてエントロピーに逆行する必要があるのかは人類の価値観で判定できるものではないです。この価値観を追求したいということでありますならば哲学カテに行って下さい(あまりお勧めできないですが)。
人類が子孫を残すのは自然現象ですから、本当の理由などというものは存在しないと思います。
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まず質問自体に誤りがあります。

子孫を残すのは動物だけではなく、全ての生物が子孫を残します。ですから「動物」を「生物」に置き換えさせていただきます。

なおここは生物カテなので、哲学的な内容は無視します。

モノは生物と無生物に分けることが出来ます。無生物だけでも「無生物の世界」が成り立ちます。(現在分かっている限りでは)地球以外の星がそうです。無生物の中にも、細胞に似たものがあります。ミクロスフェアとかコアセルベートという言葉をお聞きになったことはありますか? 生物はこのようなものから出来たと言われています(ただしこれらが直接の祖先であると考えられているわけではありません)が、たまたま核酸を取り込んでほぼ正確に自分を複製できるものが生物となりました。こうして「生物の世界」が誕生しました。現在の生物は、これが多様に進化しただけの話です。人間のように「子供」を生む生物も、ゾウリムシのように分裂するものも、もとは同じ仕組みであり、進化した結果に過ぎません。

もし、生物の「もと」が自己を複製する能力を獲得しなくても、「無生物の世界」が存在するだけ、獲得したから「生物のいる世界」となっただけの話です。「生物が子孫を残すようになった」のではなく、「子孫を残すから生物」ということです。
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全生命の「歴史」を「一本の樹」に例えたとしたら、40億年まえ、全生命は一個の「種」だったかもしれません。


そして今日現在もその「一本の樹」は、成長し続けている。
私達人類は、その樹の一本の小枝かもしれません。そして「私」はそのまた枝のそのまた一枚の葉っぱの、その中の一つの「細胞」のようなものかもしれません。
明日、「その私のような細胞」は、『樹木全体の成長の影響で』分裂し2つになっているかもしれませんし、『近くにいた細胞との接触で』変容して違った機能の「細胞」になっているかもしれません。
そして明後日、『寿命』や『他のなにかの刺激で』分解してしまって樹木全体にとけてしまっているかもしれません。
でも、今日、「私の細胞」はきえてしまっているけど、私を「プロセスの一部として経由した」私の「子孫」のような「別の細胞」は、活動してるのでしょう。
「一個の人間」をこのようにみると、『大きな樹木の成長のプロセス』の中で、他に触れ、触発され、変容し、また全体のプロセスに組織化されていく「細胞」のどこまでが自己でどこまでが非自己なのか、もっというと『大きな樹木の成長のプロセス』で見たら「私」と「子孫」すらあいまいになってきそうです。
「『太古の』単細胞生物」の子孫の「私」。
意識すら持っていない、性差すらない「太古の単細胞生物」も『大きな樹木の成長のプロセス』の中で「子孫である私」を残してきました。
現代の人間や動物の「個体」がもつ「意識」や「性行動」とそれ(「子孫をのこすこと」)は全く無関係に太古から『大樹の成長プロセス』に促されるように続いてきたと思われます。
『大樹の成長プロセス』を「自然」と呼ぶにしても、「本能」をよぶにしても、『私たち「個体」』の「自然」、「本能」ではなく、
『大樹の成長プロセス』の「自然」、「本能」とよべるように思えます。
そして、「大樹」の中の「一様態」のような私たちは、「大樹」や「大樹の成長プロセス」は永遠に想像しか出来ない。
まるで、「一個のカモフラージュ昆虫」が「木」の上で世界をみているように。「自分の色が木と同じ色をしていることも、そのとき体の中で何が起こっているかも」「その木がなにものかも」本当の意味でしることはできない。そうではないでしょうか。

長くなりました。すみません。参考にしていただければ幸いです。
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おそらく化学分子の複製にまでさかのぼることだとおもいます。

ある化学分子は自分とおなじ形をしたものを複製することができます。大切なことはこの際自分だけではだめで鋳型というかいったんついになれる分子と反応する必要があるということだろうと思います。核酸が作る二重らせんがよいモデルだと思います。自分と同じ分子を増やすためには巧妙な機構が必要であるはずですが、長い年月をかけて現在の生物になったはずです。本質的には自分(だけ)を複製することはかなり難しいことです。また本能という言葉も人間に関して使うときには注意が必要な言葉だと思います。
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エントロピーの増大がそうさせているのでは?


と思っています。エントロピーの増大とは
エネルギーの発散ですので、そのはけ口として
自己増殖現象が起こっているのではないのか?

よくわかりませんね。
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子孫を残そうなんて、ま~ったくしてないと思います。


そんな意識(神の意識?)なんてあるわけない(笑)

大昔、たまたま
タンパク質とかが何かとくっついてDNAができてしまった。
それには、たまたま分裂できる性質があった…
(たまたま水分子が「さらさら」だったみたいな?ただの性質。)

結果、「ただ増えちゃっただけ」なんだと思う。
石ころを砕いていったら、細かい石ころに増えちゃった、
というのとまったく同じ。別に何にも意味はない。

でも、生命にとっては、増えた結果、
他者が現れ、他者への「恐怖」が生まれ、
そこから「競争」が生まれ、生き残りが生まれ、
「生き残る」という意思が生まれた…。
(多分、この辺から子孫を残すということが美化されたのではないか?)
そして、さらにDNAは「生き残る」ことに磨きをかけられ、効率化され、sexを気持ち良くし、生命として進化し増えていく…

これも、磨きがかけられちゃっただけ、なんだと思う。
本来な~んにも意味はない。

生命なんて、
ただそこに転がっている石ころと、ま~ったく同じなんだと思う。
ただ、磨きがかけられて、つるつるで綺麗な石になったと。
(そこに綺麗!っていう価値を見出すのは、やはり人間の見方で、石ころがつるつるで綺麗なことに何にも意味はない)


しかしながら、
そのまったく意味のない「生命」という”箱”に
生まれ出てしまった「恐怖」や「快楽」とどう付き合い、
どう、よりよく生きるか?というのは、
人間の生き方の問題だろうと、そのように思います。

つまり、生命は”箱”とか、”真っ白なノート”なんだと
思います。
それ自体には何にも意味はない。
大切なのは、それにどう乗っかったり、何を描いたりするのかだと思います。

子孫は繁栄させる必要もないし、残そうとしてもいいし。
子供を作ってもいいし、作らなくてもいいし。
その人の生き方、そして社会との調和や共生なのだろうと思います。
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