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神社は みなみを むいて おります。お寺は ひがしを むいて おります。ところが 古墳は まったく 東西南北の 方位に 無頓着に 築造されて おります。みなみむき、にしむき、きたむき、ひがしむき、360度 どの 方位も ありです。どうして この ような 状態なのでしょうか。方位に 配慮して 築造した ほうが 自然だと おもえるのですが・・・。

A 回答 (8件)

考古学上宗教学上歴史学上の確固たる研究結果に基づいているわけではないので、正しいことは専門家の方にお任せしますが、質問者様の仰る「古墳」というのは、あくまでも日本国内のいわゆる「○○天皇陵」などの古墳に限定しているのでしょうか?もしそうであれば、仰るように確かに日本の古墳は好き勝手な方向を向いているように私も思います。

(そんな写真を見たことがありますから。)

でも、このような大きな「陵墓」を作って権威を示そうというのですから、何も考えないで「無頓着に」作ることはまずあり得ないと思います。ただ皆様の、研究に基づくものであろうご回答の様に、当時の日本に「方角に対するこだわりがなかった」のかもしれませんね。

ただし私が「素人考え」で思うに、たとえばあの「エジプトのピラミッド群」、あれも立派な古墳ですが、「ピラミッドは神様の拠り所」ですから、《非常に高度な天文学知識や数学的知識を駆使して作られており、寸分違わず正確に東西南北を向いている》と、「歴史ドキュメンタリー」系の番組で聞いたことがあります。その意味では少なくとも海外では、「古墳は方角に無頓着?」という質問者様の考えは全く当たラないと思われます。

考古学の専門の方にお願いいたしますが、私も興味のある質問ですので、学術上の見解・定説などをお聞かせ願えればと存じます。よろしくお願い申し上げます。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
質問が 不十分でした。ピラミッドが 正確に 東西南北を むいて おる ことは 承知して おりました。といの なかの 古墳は 日本国内の ものに 限定して おります。
古代日本人が 「方角に 対する こだわりが なかった」だけなのかも しれませんが、あまりにも てんでばらばらの 方向を むいて おるので、ひょっとして 積極的に そういう ふうに して おる 理由が あるのかもと おもった しだいです。
考古学の 専門の かたの ご見解を おきかせいただければ さいわいですね。

お礼日時:2008/11/10 20:02

 回答番号:No.5:


 日本人には そういう 意識・観念が なかったと いう ことに:
 方位とかいうのは、所詮渡来的なのだと存じます。知っていても、日本人って、原則や原理にすごくおおらかですから。
 現状の中で具体的妥当性と合理を、優先してきた私たちの先祖様です。

 無論、ヒンドゥの勉強と精進でもこの方位というものをきちんと教えららております。
 インドの先生も、そういうことではあるが、あまりこだわるものではない。
 という付言をしながら、どちらからどんな力や思想、霊がきて、どちらが物質界で、どちらが最高神の方角で、どちらが子孫やセックス、つまり地上の王の方角だとは教えてくれました。
 気にするものではない。といって。要するにきちんと自分で生きることが大事だよ、といって。
 時刻についても。
 私たちの先祖はちゃんとそうやって生きてこられたのですね。
 神経質に、そうなるな。ちゃんと正しければいいのだと。
 大陸からの方位や時刻はそれなりに根拠があり、適用の場面があると存じますが、その前提や背景を度外視して、機械的に、そして神経質に適用するのは非常におかしいことになるのですね。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
あまり かたぐるしく かんがえんのが 日本人って ことですね。
きちんと 自分で 生きる ように します。

お礼日時:2008/11/22 21:45

こちらは、大阪府・堺市役所のサイトです。


堺市は、仁徳天皇陵(大仙古墳)など多くの古墳を擁します。
これは、古墳を空撮した写真集です。
http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/mozusya. …

もう一つ、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)などの古市古墳群を擁する大阪府・羽曳野市役所のサイトも紹介しておきます。
http://www.city.habikino.osaka.jp/info/115/bunka …

すぐ隣に別の古墳があるのに、同じ方向を向いていないことがわかります。羽曳野市のサイトの写真で、最も大きい古墳は15代・応神天皇陵です。その左の、2番目くらいに大きい古墳が14代・仲哀天皇陵ですが、皇子天皇陵とはほぼ逆向きです。他の古墳にも、右を向いたり左を向いたりしたのがあります。
多分、都市計画を立てずに原っぱに自由に家を建てて村を作った如く、方向を気にせずに集まったのでしょう。

そういえば、15代・応神天皇こそが朝鮮半島から来た騎馬民族だとか、実在が確認される天皇は応神天皇以降だとか、14代・仲哀天皇は朝鮮との戦いの大義名分を作る架空の人物だなどの諸説があります。
でも、この写真を見ると、陰謀説は信じ難くなります。

参考URL:http://www.city.sakai.osaka.jp/hakubutu/mozusya. …
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
また、堺市、羽曳野市の サイトの ご紹介 ありがとう ございます。ほんとに てんでばらばらの むきですよね。

お礼日時:2008/11/14 19:47

>いう くらいの 一定性が


方角はあります。春分の日・秋分の日・夏至・冬至等の方向から作付けなどをする文化は。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%86%85% …

しかし、古墳で方向に関係した文化を持ちこんだのは朝鮮人で
http://www.asukanet.gr.jp/kitora/index.html
7-8世紀頃です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%88% …

日本で独自な形は前方後円墳で、円ふんはアジア共通
ぜんほうこうほうふんは、数が少なくまい送品も特殊な物蛾多いので、在日朝鮮人指導者、又は、在日中国人指導者と考えられます。
つまり、方向を墳墓に持ち込む文化は持ちこまれていましたが、これを実行する人は帰化人に限られていたのです。

実際に墳墓相当の土を人力で積んでみればわかります(何年か前のこうしんの年にやりましたけど)が、方向を気にして土を運搬するなんてほぼコンなんです。その場の小地形を使って建設するのがやっとです。

なお、私の地区には、平安末期にかいでんされた地区があり、ここに古墳があります。つまり、石を運搬して土砂崩れをふせぐ堤防(重力式ダム)を作り、ここに人柱を立てて建設されました。この方向は丁度谷間に対して90度、重力式ダムとして建設されたことがわかります。

寺は、「東寺」に代表される様に、らがん配置(記憶が曖昧)を重視します。中央に仏像をおき、四方の角にそれぞれの方向をつかさどる4つの仏像をおきます。そして、その先にこれら仏像の出先の寺を作ります。
中心の寺の真南に出先の寺を作って、、、
と方向を重視した建設を行っています。これは、木で作られる建物だからそれなりに簡単に作れたのでした。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
キトラ古墳の 青龍、白虎、朱雀、玄武は 有名ですが、時代も あたらしく、朝鮮人の てに よる ものなのですね。
建築と ちがって 土木工事で 東西南北に 築造するのは 困難な わけですね。

お礼日時:2008/11/14 19:44

 方位方角の意識がなかったからというのも一理かも知れませんね。


 しかし、お寺、神社その他のことでは、方位方角を意識しているようですね。方位方角の意識の性格が理解できると、より明確になると存じます。そのこととは別に、素人の感想を、・・・
 広大な自然の形状などを利して、造成した。
 従来私たちの先祖も、原則ということにあまり厳重ではなく、いわばそのときと場所に、自分もそれからなすことも合わす巧みさを持ち合わせていた。という原因でしょうか。
 私は法律を勉強したのですが、ラートブルッフ(グスタフ・フォン・ラートブルッフ)という、ドイツ・ワイマール憲法の高名な法学者、哲学者がおりますが、法の解釈と適用は、普遍性と事物の本性での具体的妥当性を要するというお話をされていますが、そういうふうに私たちの先祖もきっと、その地理・形状の妥当性のなかで、設計したのかも知れません。はっきりいえば、古墳については方位・方角の哲学は生かされることはあまりなかった。中にはそういうことを考えて造ったものもあるが、必ずそうしなければならないという、意識・観念はなかった。ということではないでしょうか。
 そういう意味で日本人の意識や心性を考えるうえで面白いなと拝読しております。つまり、国民・民族性の結果であるということなのですが。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
やっぱり 古墳時代の 日本人には そういう 意識・観念が なかったと いう ことに なるんですね。

お礼日時:2008/11/14 19:35

近畿の古墳は瀬戸内海や大阪湾に沿って点在していますが、


海路を行く船からの眺めを計算に入れて築造しているのではありませんか。
つまり、東西に長くのびているほうが、
船からは巨大な古墳に見えるなら、
そのほうが土地の権力者の勢力の誇示になります。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
仁徳天皇陵などは 大阪湾を いく ふねからも よく みえたと いう ことは きいた ことが あります。それを 意識したと いう ことは おおいに かんがえられます。ただ、ふねから みえる 古墳ばかりでは ないので、その 説で すべてを 解明する ことは できんと おもいます。

お礼日時:2008/11/10 20:07

方角に意味を持つような文化が古墳建設当時には日本に発達していなかった。



社寺は、奈良時代の遣随使以降に日本に普及しました。古墳はそれ以前の分です。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
方角に 意味を もつ 文化が 古墳時代に なかったとは いえ、「だいたい みなみを むいとる」とか いう くらいの 一定性が ある ほうが 自然な ような 気が したのですが・・・。

お礼日時:2008/11/10 20:11

「方位に 配慮して 築造した ほうが 自然」


なのでしょうか。
昔のよくわからないことについて、信仰や宗教のことにして解決する手法を、誰が始めたのか知りませんが、そんな考えは気楽でいいですね。
普通に考えるなら、初めに何かがあって、それに沿って決めるというより、やってみた結果、不都合があって修正するとしたほうが自然でしょう。
もし、不都合がなければそのままになっている、ということです。
方位に 配慮しなくても特に不都合はなかったとは考えられないのでしょうか。
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この回答へのお礼

おこたえ ありがとう ございます。
「きたむきは さむそうだから やめよう」 くらいの ことが あっても よさそうな 気が して 質問した ものです。かんがえすぎだったのでしょうか。

お礼日時:2008/11/10 20:15

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