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25歳女、結婚して半年、現在妊娠二ヶ月の者です。
実家とは電車で一時間ほどの距離に住んでいます。

本題ですが、両親(双方50代半ば)が来年の一月に離婚する予定です。
わたしが大学生のころから、母からは「離婚したい」ということを聞いていたので
ついにこのときが来たか、という感じです。
母は父に対して長年積もった不満があるようです。
確かに父にも欠点はたくさんありますが、わたしにはかけがえのない父です。
父のいい面も母は認めており、憎しみを抱いているわけではないと言います。
けれど、もうやりなおす気はないようです。
母には父以外に好きな人がいた時期がありましたし、
父も浮気をしていたことがあるようです。
わたしが高校二年生のころから父の単身赴任が始まり、
週末以外は帰ってこない生活が長く続いていたのも原因のひとつと思います。
夫婦のことは夫婦にしかわかりません。わたしも結婚してそれは実感します。
でも、自分の親となるとそう簡単に割り切れなくて。

離婚しても母は今の家に住み続け、父は単身赴任先で生活するようです。
なので実家に帰れば母はいます。
父はわかりません。もうあの家には帰ってこないかもしれません。
母のいる家は実家だけど、それはもう本当の実家ではない、そう思ってしまいます。
妊娠中という不安定な時期もあると思いますが、
これから困ることがあっても、両親の揃う家がなくなること、
甘えん坊の妹(寮住まいの学生)にとっても同様であること、
離婚に際して両親からきちんとした説明を受けていないこと、
今後避けられないであろう、両親が別々に住んでいる場合の介護問題など、
そういう諸々のことを考えると、憂鬱な気分になります。
特に妹とは少し歳が離れていることもあり、また妹の性格も考えると
今回のことにどれだけショックを受けているだろうと涙が出てきます。
母は長子であるわたしを、変に大人扱いをすることがあり
聞きたくもない話を高校のころからよく聞かされました。
今回の件とは直接関係のない、そういうことまで思い出してしまったり…。

父は単身赴任生活も長く、趣味も多い人なので離婚されても大丈夫かと思います。
もうわたしもいい大人だし、父と実の親子であることは変わらないのだから、とわかってはいます。
両親には離婚しないでほしかった、という気持ちと
離婚してこれまで以上に幸せになってほしい、という二つの気持ちがあります。

今もキーボードを打ちながらぼろぼろ泣いてしまって、自分の幼さに嫌気がさします。
同じように熟年離婚されたご両親をお持ちの方、
離婚後の親との付き合い、介護などはどうされましたか?
何かアドバイスやご意見があればお願いいたします。
情けないわたし自身に対する厳しいご意見でも結構です。よろしくお願いいたします。

A 回答 (4件)

まだご両親お若いでしょう。

介護なんて20年も先の話です。
それまでに自分の家庭や仕事、きちんと積み上げてください。
今が25歳なら、40ちょっと前にはもう少し大人になって問題解決能力が上がってますよ。

現実は、親が長生きして、子供たちが定年を迎えて、お金も体力も大変!ですよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答、ありがとうございます。
そうですね、まだ介護は先の話なのですが、
わたしも夫も医療従事者のため、ついつい考えてしまって…。

25歳のときにはできなかった考え方が、40歳になればできるのでしょうね。
なんだか気持ちが軽くなりました。ありがとうございました!

お礼日時:2008/11/21 20:49

私は45歳で離婚し3年後に再婚し今55歳です。

熟年離婚とは違いますが
質問者さまと同じ年頃の子供が3人います。
>両親には離婚しないでほしかった、という気持ちと
>離婚してこれまで以上に幸せになってほしい、という二つの気持ちがあります。
これは、よくわかります。時間とともに、後者の気持ちが増えていくことを願って
やみません。

どうしようもなかったという気持ちと、お子さんが自立するまでという節目が
あったんだと思います。
我々1950年代生まれは、戦後の混乱期に親があわてて結婚した世代の子供
私たちも70年代後半にオイルショックの不況の最中、ろくな遊びもしらずに
早婚がひとつのブームだった時代です。

男女双方に恋愛経験が少ないなかでの結婚はいわば博打のようなもので、ひくに
ひけない博打のブラフをいままでかかえこんできて、最大に負けが込んだかたちの
お手上げというのが熟年離婚なのだと思います。
その理由のひとつに子供があるから、状況は切ない。

私の両親も不仲で、経済的理由から離婚せず、最後まで不仲のまま二人は
70代半ばで先を争うように世を去りました。

私が離婚するとき 長男は
「なんで、相談してくれなかった」
と泣きながら叫びました。
「これは、大人同士の話だ。子供は関係ない。」
そう言うと、志望校の高校に合格したばかりの息子は
「ちくしょう。なんでなんだ」と悔しそうに何度もこぶしでソファーを殴って
いました。
娘たちはただ事態の意味すら理解しかねてしくしくと泣いていました。
一生で一番哀しいできごとでした。
そうか、こどもたちはこんなふうにうけとめるのかと・・・

離婚の原因は、複雑です。性格の不一致ですが、直接は私の
仕事仲間とのプラトニックな好意に嫉妬した妻が昔の恋人と
一定期間不倫をしていたことが、最後の亀裂に楔を打ち込んだ
かたちになりました。

子供にとっては自分の存在の基盤を否定されたような悲しみで
あるのは想像がつきます。でも心を鬼にして、離婚を決めた背景には
父母の失敗を繰り返したくなかったということがあります。

誰のための人生か・・・それは、70代にもなれば他人のために生きることも
可能でしょうが、30代40代半ばと子供のために生きてきてそのなかで
自分の夢も追いかけてきた。自分の生き方がいつか子供に何かを伝え
なにかを学ぶヒントになればという気持ちがあって
ただ、不仲な結婚で自分の気持ちをいつわって生きてきてそこで我慢の
人生を子供に学ばせたところで、子供もまた本当に仲のいい夫婦というもの
は永遠に遠い存在と思ってしまうだろうという思いがありました。

親父は離婚して自分の幸せをつかんだ。

そのことは、ある意味エゴイスティックだけど、人間は失敗したらやり直せ
ということを子供に示す意味では重要なんだろうと今は思うのです。

自分の親への思いとは、自分が親になったときと親が亡くなったときに
はじめてわかる部分があったように感じます。
同様に、子供が人の親になり、自分がこの世を去るにあたって、親父の
離婚の意味ってこういうことだったのか・・・わかってもえたらそれでいいし
わからなくても、それぞれが自立した親子関係という意味で、私は
満足しています。

子供が10歳になるまで、私は思い切り愛情を注いで子供に接してきて
離婚したあとも今でも子供には頻繁にあって食事をしたり話を聞いたり
している。決して十分とはいえないけど。
ある意味、自立するまで子供と一緒に過ごした質問者様のご両親は
ご立派だと存じます。
ただ、いずれは子離れ親離れするのが親子。戦後の核家族、サラリーマンの
家庭の崩壊というのはTVドラマの素材となり、家族そのものが空疎な
絆となりつつある現代社会で、親も子も個としての自立を考えて生きていく
ことは、最も大事なことなのだと思います。
時間だけが皆に平等に与えられているものです。ただし健康という条件が
あればこそ。
自分の肉体の健康は自分で維持するしかないですよね。
同様に、心の健康も自分が責任を持つしか仕方がない。子供が何かを
与えてくれるわけでもないし、こどもに尽くせば心の健康が維持できる
わけでもないです。
正直、離婚直前は私は発狂寸前まで追い詰められました。もっと楽に
幸せな人生を生きたかった。

自分を偽らずに、あるところで荷物を降ろさせてもらって今はとても
シンプルに幸福に生きています。

どうか、お父様、お母様にも、荷物を降ろすチャンスをおあたえになって
あげて下さいませ。

ひとつ、経験上のアドバイスをさしあげるとすれば、遺産相続の
問題は将来大きな問題になります。
お父様の責任で遺言をしっかり書いていただくことです。
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この回答へのお礼

ご自分の経験までお話してくださって、ありがとうございます。
わたしもまだ妊娠しているだけの身なので、
子供を産んで初めてわかることもきっとあるんだろうと思います。
今のわたしや夫は人間として未熟な部分がたくさんあります。両親もそうだったと思うんです。
でも子供にとっては、両親の存在ってすごく大きいんですよね。
夫婦間ではいい夫・いい妻でなかったとしても、わたしにしたら最高の父と母なんです。
両親に、結婚は失敗したけど
わたしたち姉弟(わたしと妹の間に弟もいます)の存在までは失敗だったと思ってほしくないです。

両親が違う誰かと再婚するかはまだわかりませんし、
そうなったらまた複雑な気持ちになると思いますが、
わたしたちをここまで育ててくれたことに感謝して、幸せを願えるようになりたいと思います。

お礼日時:2008/11/21 22:30

初めまして 二児の母です。


何となく 私と似ていますね。
私も長女であり、父は17年間単身赴任をしていました。
単身赴任をしていると どうしても長女が父親役と言うか、、、愚痴と言うか 決断等を迫られる事はありました。
最終的に 両親は離婚する事はありませんでした。
17年の単身赴任を終えたのは 母の病気が発覚したので。

私は 両親の離婚を言われた時には 既に二児の母でもあったので、
母から聞かされたとき 反対はしませんでした。
祖母(父側の)を看取ったのは 母ですし。
どうしても 父と一緒に過ごす時間よりも 母と過ごしてた時間が長く
父の味方にはなれませんでしたね。
実際に離婚してないので 介護等は実践してませんが、
看れる状態を作る事が 貴方に出来る事だと思います。
まだ当分先の事ですが、部屋の間取り等の関係で 介護を目前とした時
困らない様に自分達の地盤を築く事。
夫婦の事ですから いくら子供が言っても どうにもならない現実はあると思います。
歳の離れた妹さんが居る様ですが、何かの時には応援出来る様にしていたら良いかと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
父は単身赴任をしていても、週末は帰ってきてくれましたし、
日帰りや泊りで旅行につれていってくれたりもしました。
わたしは幼いころからお父さんっ子で、二十歳を過ぎても
父と二人で出かけることにまったく抵抗ありませんでした。
なので、実家に帰っても父に会えなくなると思うと悲しいです。

介護については夫ともよく話をしています。
わたしは病院勤務、夫は老健勤務なので、介護問題は常に目の当たりにしています。
自分たちの基盤はしっかり築いておこうと思います。
弟と妹には出来る限りのサポートをしてあげたいです。
弟妹をわたしに作ってくれたことに関して、両親にはすごく感謝しています。

お礼日時:2008/11/21 22:43

私の両親も熟年離婚しました。



私は‥そうですね。
父と母は夫婦でなくなるのだけれど、私にとって父と母である事は永遠に揺るがない事実であり、父も母もこれまで以上に幸福に生きるために夫婦でいる事を止める決断をしたのだと、そう受け止め、考えるようにしました。
親も自分と同じ一人の独立した人間であり、自由に生きる権利があるわけで、子どもにそれを侵害する権利はないのだ、と。

そんな風に考えて、やはり辛い気持ちをなだめた様に思います。
それに、両親の意思を尊重したかった。

質問者さんもつらいお気持ちもあるでしょうけど、ご両親の気持ちを尊重して理解してあげて下さいね。
人って、自分らしく生きるために、つらい決断をしなければならない時があるんですよ。
介護などについては、お仕事柄色々考えてしまわれるでしょうけれど、その時その時でご自分にできる精一杯の事をされればいいと思います。
でも、ご両親も離婚されてこれから新しい生活を始められるのですし、まだまだ先だと思いますよ。

あまり考えすぎないように、受け止めてあげて下さいね。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなり、申し訳ありません。
時間が経って、少し冷静に受け止められるようになりました。
こんなに周りの人間を傷つけて振り回して別れて、
これで幸せにならなかったらどうしてくれよう、と思います。
両親の決断を止めようとは思いません。

わたしの今の家族は夫とおなかの中の赤ちゃんなので
自分の家族を第一に考えていくことにします。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2008/11/24 01:23

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