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生から死への間は自由が与えられていますが、死とは何なのでしょうか?

A 回答 (20件中1~10件)

生物学見地での回答ですが


(あくまでも外敵に捕食されたりの不慮の事故に遭遇しないのが前提で御読み下さい。)

まず、『生から死への間は自由が与えられていますが』と仰いますが、あくまでも条件付きの自由です。
条件とは、「種を繋ぐ事」です。
 生物は死のある生物と無い生物の2種類に分類されます。前者が多細胞生物。後者が単細胞生物です。
生物は単細胞生物が起源になります。
そこから突然変異(エラー)により多細胞生物へと歩んで来たのですが、細胞は分裂を重ねる度に劣化しエラーを起こす確率が高まります。そこで我々の祖先は、エラーにより種の絶滅を防ぐ為に遺伝子細胞に『死(崩壊)』を組み込んだのです。
その結果、完全体として種の繫栄を手に入れたのですが、思わぬ副産物『生息環境などに合わせて進化する』が生じ、現在の生物多様性に至るのです。
ですから、「生」とは進化した次世代の出現であり、「死」とは種を次世代に託す事、世代交代と位置付けられます。
もし御自分の御祖父母が御健在でしたら、御子さんや御孫さんがいらしたら、御自分の顎の大きさと下の歯の本数を計測して頂ければ御解りになるでしょう。
現代人は柔らかい食物を摂取するようになったので、世代が新しい方の方が顎が小さく(所謂小顔)、歯の本数が少ないか歯並びが悪いのが解ります。これも進化の一環です。


余談としまして

高等生物になるほど仲間や身内の死に悲しみを覚え、さらには死の先にあるモノについて恐怖を覚えます。
知らないモノに対する警戒心が恐怖を生み出すのです。これも生き抜く為に遺伝子に組み込まれたモノなのです。
しかし人間は不思議な生物でして、知らない事に興味を抱く半面、恐怖も抱くのです。
それが病気治療の確立や天体の発見などに作用したのは歴史的事実でもありますし、救いを求め宗教にすがる所以でもあります。
たしか80年ほど前に、死んでいく人間を重量計に乗せ生前と死後の重量差を計測した実験が行なわれましたが、死後排出される水分やリンなどの成分を計算するとたしか48gほど不明な重量差が発生したそうです。
それが霊魂の重さであると学会発表されましたが、その後非人道的な実験は行われておりませんし、なにぶん学生時代に読んだ文献ですので記憶があいまいな所があり、正確な年代や実験場所(ネーデルランド?)や排出成分や量・重さ・実験設備は曖昧ですので御容赦下さい。
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生きているものはみな死につつあると言えます。

不可逆的な変化であり、常に身に起こっていること、それが死であるとするなら、生物はみな自らの死と共生していることになります。死とは生命の変化の様態の一つであると言えるのではないでしょうか。そしてその変化が完了したときを死の訪れと呼んでいるのだと。

自分が自分でなくなっていく瞬間瞬間を死と呼ぶのかもしれません。
「死とは」の回答画像19
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以下は、私が本等で知り、納得できたものですので、紹介します。


 死とは、肉体と魂が分離しただけのことでもあり、ちょうどぬいぐるみから魂が出で来るようなものです。
 また、肉体と魂の関係は、パソコンと電気のようなものでもあり、肉体やパソコンは【物質】ですので、やがて消滅しますが、魂や電気は【物質】ではなく、存続します。パソコン稼働中は、あたかもパソコンが自動的に動いているように見えますが、それは電気が通っているからこそです。
 また、魂は(意思・思考・感情等を持った)気体・電波のようなものですので、ちょうど缶詰のフタを開けて中から気体が出て来るとその比重・波長によって階層等が分かれるように、魂も肉体から出るとその比重・波長に応じて行く先が分かれます。
 以上は理科的な説明ですが、以下は国語的に説明します。
 人間は死んで肉体から魂が出ると、通常はあの世で自分の一生を映画のように上映されます。それを見て、自分がどのような人柄・人格であるかを自他共に認識・納得させられ、人格に応じた世界へ行くことになります。(上映不要なほど人柄が明白の場合等は上映なしに直行というパターンもあります。)
 ちなみに、この世では他者にわからないようにふるまったことでも、上映においては明白になりますし、自分が他者へ与えた影響によってその後その人がどうなって行ったか、その人の感情まで伝わるそうです。
 そして、上映後観衆から拍手を送られる人もいれば、その逆の印象を持たれることもあります。
 それで天国行き・地獄行きが分かれますが、どちらも更に様々な階層・種類に分かれています。心境が変化すれば行先も変わりますが、人の趣向は簡単には変わり難いのも現実であるようです。
 なお、天国にいると居心地がいいですが、長く居ると退屈になったりし、そうするとまた新しい体験を求めてこの世に生まれ出て来る、というわけです。(なお、地獄からこの世に生まれることは許されていません。)
 あの世では(基本的に)自分と似た人としか交流できませんが、この世では自分と違うレベル・趣向の人々と交流ができることで、自分も変化したりし、生まれる前よりすばらしい人間となってよりすばらしい世界へ帰ることができるわけで、そうした幸福感を味わうために生きている、というわけです。
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私は私たちが一般的にイメージする死は存在しないと思います。


私は生や死を理解する上でまず自分の存在そのものが謎めいており、
そもそも死とは私たちが存在し続けるために勝ち得たプロセスに過ぎず、
なぜ私たちはそういったプロセスを駆使し存在し続けようとするのか疑問でした。
この疑問に対する答えは見つかりませんが、
私は宇宙そのものが存在し続けようとする意思があるのではないかと思います。
それはいつか宇宙が消えてしまうことによる反作用なのかもしれません。
元をたどれば私たち生物もただの物質に過ぎず、
そこに神経回路が形成され、
私たちが普段認識している意思が生まれたようにイメージしますが、
それはあくまでこの宇宙が存在を維持しようとするプロセスに過ぎないと思うのです。
つまり宇宙は私の意思であり、私の意思は宇宙の意思なのであり、
したがってあなたの意思も私の意思であるように思えます。
よって私たちの考える死は存在しないと思います。
無の象徴として死があるわけであり、
死が疑問なのではなく無が疑問であるのだと思います。
つまりそれは宇宙の存在そのものの謎であると考えます。
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個性の喪失。

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死は自由>それは「解脱」のことを言っているのだろうか?(^^; 



こんにちわ。よろしく。^^
僕も宗教的、考古学的な本を読みふけりましたが、古代の思想からいえば、死は恐ろしいもの、穢れているものだそうです。
だから、神話の話になりますが、イザナギが黄泉の国(死後の世界)からかえってきて、みそぎをしたんです。
「吾は汚いところにいったから、洗い流さなければならない」といって。
死ぬことは汚いこと。おそろしいこと。
黄泉の世界(=死)は暗くて怖いという恐怖感があったのです。
もちろん、日本神話に限らず、ギリシア神話にも死後の世界がでてくることから、古代では黄泉の国と現世(うつしよ)を行き来できたのかもしれませんよね。現代では無理でしょうけれど・・・。
本題からずれましたかね?(^^;


「死」がなんなのか。
肉体と魂が別れることのみをさすのかもしれませんし、
科学的な意見も出ていますね。
僕も死後の世界はみたことがありません。
それゆえ、明快な回答はできないと思いますが、僕なりに思うところはあったのでレスしました。(^^;


仏教の事についてのレスもあったので、書いてみたいと思います。
仏教では解脱と言う言葉を用いてこの世での苦しみを終え、「涅槃」にゆく、と説いていたようです。
解脱は肉体を捨て、魂だけの存在になることですが、この世で悟りを得ると、すっと肉体から魂が抜け、悩みも苦しみもない自由な「涅槃」で暮らせるそうです。
つまり、今日言われるような死に方ではない。だから死ぬことに恐怖感を抱くなというのが、釈尊の意見ですね。インド哲学においては、「ブラーフマナ」と呼ばれる宇宙の真理が存在していますが、これは仏教のもとになったものです。
すべての根元と言われているあたり、死とも関係あるのでしょうけれど、このことについては省きましょう。



キリスト教でも「死を恐れてはならない」とか言うのがあったと思うんですが・・・。
キリスト教は支配的な教えでもあります。だからあまり勉強はしてこなかったんですけど。キリスト教の死生観も、曖昧ではあります。それなのに、
「永遠」と言う言葉が頻繁にでてくるのです。「永遠」はありえません。
仮に永遠があるとして、そうすれば誰も、死にたいする恐怖は抱かないはずですよね。(←西洋思想史は苦手。苦笑)


このように、単純に「死」に対してだけ結論を出そうとしても、でないものなのです。否、僕が理論的な展開ができないだけだと思うのですが。。。
もし違う答えを期待していたら、申し訳なく思います。(^^;
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我々は死を経験したことはありませんが、他人の死をみたことはあります。

肉体が活動を停止し、死体となる様をみ、死というものはせいを奪われる恐怖なのだと概念化しているのです。見る限り、それはまさしく生の終わりだから。ですからその続き、霊魂の存在など仮定したりしますが、あまりに冷酷な死を何とか解釈したい足掻きにすぎません。マルクスなら逃避というでしょう。
私は人間もまたAL(人工生命)だと捉えます。故に死とは全機能の活動停止。

この回答への補足

・・・反応が多くてびっくりです。
しかしzyabaさんの答えは意味不明ですね。

補足日時:2003/01/28 08:14
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>生から死への間は自由が与えられていますが



 つまり生きている間は、好きなことができるし
好きなところへも行ける。死ぬ自由もあるということでしょうか?

>死とは何なのでしょうか?

 死とは何なのかという疑問に取り付かれるのは、人間をはじめ
一部の哺乳動物だけだと思います。殆どの動物は食べたいとか寝たい
とかいった本能だけで生きています。というのは記憶が持続しない
からで、例えば哺乳動物以外で比較的頭のいいと言われているタコでさえ、
1つの記憶が3日程度しか残らないそうです。

 こうゆう言い方をするとある種の差別感覚と捕らえられるかも
しれませんが、人間のように記憶が持続する動物とそうでない
動物とでは、死の意味するところが違うと思います。

 記憶の持続しない動物にとって、死とは体内の生化学的な
反応が止まることであるのに対して、人間の場合、人生の記憶も
失われるのです。その事を無意識のうちに理解している
人間は、写真やビデオで出来る限り記憶、思い出を
頭の外に残そうとします。

 つまり死とは記憶の永久的な喪失と言えるでしょう。
 
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天文学の分野で仕事をしていますので、その方面から回答しますと


星も死んだり、誕生をしたりしています。
重い星は最期に大爆発を起こして終わりますが
ガスが宇宙空間に拡散していきます。
しかしそのガスは自己重力で収縮し、やがてまた星が誕生します。
(1000万年の単位)
我々の太陽もそのような経過をたどり、現在の太陽は宇宙誕生後から
数世代目の恒星と考えられています。
星も輪廻転生を繰り返すのです。

また生物の絶滅との関連では
例えば6500万年前、恐竜の絶滅がありました。
(絶滅の原因は隕石衝突説が有力、火山説などもある)
恐竜の絶滅があったおかげで、当時ねずみのような哺乳類が
500万年ほど前から、人類として進化してきたのです。
恐竜が地球にまだ生息していれば、哺乳類は進化できなかったでしょう。

したがって私は「死は次の生へのステップ」と考えています。
これは仏教の永遠の生命観に似ていますが
私は仏教の解説書では納得がいきませんでした。
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この回答へのお礼

仏教ですか?
キリスト教の「神々が宇宙の塵を集めて星を作った」というのもいいとこついてる☆

お礼日時:2003/01/28 08:24

私が考えている一つの解答を書きます。


全ての物質は原子レベルで宇宙を還流していると思われます。
比較する対象を限定して「水」で考えると、液体、固体、気体の3形体が存在し、これを人間に当てはめるとき「液体(母体中)」「固体(人生)」「気体(あの世)」というようになります。
つまり、物質エネルギーの観点から見れば「あの世」は現に存在するわけです。
問題なのはそこに「意識」が存在するかという点です。
私が思うにそれは不可能だと感じます。その理由としては、まづ脳神経そのものがもともとくっついているわけでなく、若干の隙間を保ちつつ情報伝達物質をやり取りしながら思考を行っているということが解明されているため、脳細胞が死んだあとに思考だけは行われるということは考えにくいですし、仮に電子レベルで脳神経が何らかの繋がりを保ったまま空中に浮遊できたとしても、宇宙を飛び交っている放射線によってすぐに破壊されるだろうということが容易に推測できるからです。
ということは「死」とは何か?「水」でいえば沸点で形状変化点ということになりますが、これは人間でも同じで、死ぬことによって原子レベルへ形状変化し、バラバラになって他の原子等と再結合し新たな物質を再構築する、つまり「死」とは原子が分離し再構築する地点。「死」のあとも人生中のような意識は無いですが、かなり自由度はありそうですね。哲学的に「死」を考えるときそこには「説明できないもの(意思はあるが存在しないもの)」の概念を取り入れがちですが、物質として考えた方がいたってシンプルで合理的な答えだと私は思うのですがどうでしょう。もし、確実に幽霊というものに出会えたら私はそれを科学的に証明してみたい。しかし、いまだそういう科学者がいませんし、ある山の(東北の)方々も実体としては呼んでくれません。「いわゆるあの世」は、モラルを説くために作られたとても良い教則なのだと私は思っています。
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この回答へのお礼

ほほう
なんだか4次元世界ですね

お礼日時:2003/01/28 08:21

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