

12/22 に発表された2013年度から実施の英語指導要領では,英語で英語を教えるのだそうです.
このこと自体は正しいと思います.日本語で英語を教えることによる弊害として,英語を話せない教師が文法偏重に逃げ込み,堅固な日本式英文法の世界が構築されてしまったということがあります.日本の英語教育が進歩しなかった根本原因だと考えています.
ところで,英語で英語を教えるとなると,いろいろな問題があると思います.
たとえば,英語で英文法を教えられる日本人教師がいるでしょうか?英語を話せるからと言って,外国人教師に英文法教育を期待するのはさらに困難でしょう.なぜなら,一般のネイティブ英語教師は英文法に疎いですから.
その他,いろいろな問題が出てきそうですが,思いつく方は教えてください.

No.18
- 回答日時:
何度も失礼します。
若干補足します。私も小学校の英語教育にはあまり賛成的ではないんですが、英語云々よりも先ず、小学5年、中学4年の教育システムを望んでいます。その上で中学校から英語を始めれば現行よりも英語の学習開始が1年早まりますが、それでいいと思うんです。そして、前にも書いたように英語の授業を現在の3コマから4コマに増やすべきだと思います。そうすれば、高校で英語で英語を教えるだけの素地は何とか作れると思います。ただ、英語の習得というのは とにかく時間をかけなければならないので、この方法を導入するには 他の教科の時間を削るなどして時間を工面する必要が出てくるでしょう。例えば、古文はどうせ習っても役に立たないのでいっそのこと止めて、数学も大幅に削って英語の時間に充てる必要が出て来ると思います。他の国を見ても英語に力を入れている国は、インドを除けば数学は日本より低いし、自国語よりも英語の教育にウェイトを置いているので、日本の古文にあたる科目は中等教育ではほとんど教わらない場合が多いようです。ただ、私も議論するつもりはないんですが、イタリア人が日本に来て英語が通じないというような些細な現象を「社会的な問題」として考える人は平和で羨ましいです。日本にはまだまだ深刻な問題が沢山あるというのに。
まあ、ご質問とは関係ありませんが、私はイタリア語も少し話せるので、大変魅力的なイタリア人女性とあったらイタリア語で会話します。
イタリア人はhの音を発音できない人も多く、イタリア人の英語は聴き取りにくいです。もっとも、イタリア語はむしろ英語よりも日本人にはやさしい外国語ですけどね。それに、英語で話すとどうしても隔たりがなくなりませんから。
ただ私が感じているのは、英語は何だかんだいっても最も重要な外国語に違いはないんですが、 英語一辺倒の傾向があまりにも強すぎることです。ここまで来ると、地球上には日本語と英語しかないような錯覚に捉われ、英語さえ話せれば世界のことを知ったつもりの人も少なくありません。ところで、私は日本海沿いの大きな町に住んでいて仕事柄もあって特に感じるのしれませんが、韓国人、中国人、ロシア人と接する機会も多いんですが、一般に英語が通じにくいです。全員が学ぶ必要はありませんが、日本の隣国のことを理解するためにも もう少し高校でも英語以外の外国語を学習する機会を増やしてもいいんではないかと思います。
>地球上には日本語と英語しかないような錯覚に捉われ
それほどでもないとは思います.バベルの塔以来,多くの言語があることは常識です.
しかし,なにしろ,世界人口のうち英語を話す人の数が圧倒的に多いそうですから,やはり,優先度から言って英語になるのは合理的でしょうね.イギリス英語,アメリカ英語,オーストラリア英語,香港英語,といろいろあってもよいのです.外国語として英語と決めるのは自然です.
No.17
- 回答日時:
ドイツなどでは、中等教育での外国語の授業はその学ぶ言葉で行う、と聞いたことがあります。
英語は英語で、と言うことらしいです。ところで、日本では”外国語”と称して”英語”しか教えない高等学校が大多数ですね。
今回の発表どおり、英語で英語の教育を実施するとなら、高等学校からでは、遅すぎます。小学校の英語(私自身は小学校英語教育は反対なおですが)から実施すべきでしょう。その前に、英語の先生、全員に試験を課すか、研修を受けさせるべきでしょう。
以前、テレビである学校の英語の授業を取材したのを見た覚えがあります。全て英語で、と言うことが売りのようでしたが、その日本人の先生の英語に”間違い”がありました。”Discuss about this problem."なんて、教室で生徒に話しかけておりました。 全部の先生が、こうだとは思いませんが、如何ななでしょうか。
また、実際に英語を英語で教えて(日本人が)効果が(何の効果を求められているんですか?)あがりますか?
なんと言っても、外国語なのです。英語を正規の授業で教える以上は、正確で、間違いの無い事を教えて貰わないといけませんが、、、。
私には、あなたの言われる”日本式英文法”なるものが、どんなものなのか全く理解できません。英語は何処まで行っても、英語なおです。間違っているのなら、直せば好いだけです。但し、いわゆるネイティーヴだからと言って、No mistake と思うのは間違いで、結構物知らずだったことに出くわしております。
英語で英語教育を、という事でしたら、一番最初から、行うべきです。先ずは、その為の教師養成か、今の組織では不可能でしょう。それと、高校へ入った人と全てが、そのような”英語”を必要としていますか?
私は、自分の経験からして、日本人には”外国語の発音”、”聞き取り”などは教えて貰う気は全くありません、現在の状況だとして。
>英語で英語の教育を実施するとなら、高等学校からでは、遅すぎます。
これは賛成です.ではいつからかというと議論が分かれます.
日本で英語教育を行う場合の不利は,いろいろな環境が不足していることです.もともと言語はその地域の文化と結びついていますから,英語を異文化の中で学ぶことには困難が伴います.日本では,まず親が話せない,先生が話せない,友人が話せない.新聞テレビ,雑誌,本,など日本語が圧倒的に多いわけで,この環境の中で英語を学ぶのは本質的に困難です.また人間の脳の発達と言語は切り離せないのですが,思考は言語で行われるとした場合に,日本人は日本語で論理や感情を育てていくので,ある程度脳が発達した段階でないと英語は教えるべきでないとする考えもあります.たしかに,それは否定できません.
一方,ヨーロッパでは複数の言語を幼児から身につけることもあり,環境さえ整えば可能と思っています.
ではどうするか.環境を整えるしかありません.現実的なのは昔から採用されている海外での訓練です.必要性の問題があるとすれば,将来を含め必要な人が海外に出られるような援助もすべきでしょう.
No.16
- 回答日時:
duosonic です。
>>どうも自慢にしか聞こえないのは私だけだろうか。
、、、重ね重ね、僕はそういうつもりが毛頭ありませんが、自慢と取れるのなら、どう言ってもそう聞こえてしまうということなのでしょう、まあ仕方ありません。
ちなみに、「日本流ハードコア英文法」は僕が勝手に作った「造語」です。現役の中学校英語教師の方が以前ここで「クラスで英語の歌を歌わせているのだが、どんな歌が良いか、アイディアはないか?」という質問をされていました。僕が「日本流ハードコア英文法ばかりでは、生徒も息が詰まるということでしょうか ~」という回答をした際、その方が補足にて「その通りです。私も日本流ハードコア英文法詰め込みばかりの授業に疑問を感じており、少しでも生徒の気持ちを和らげるために、授業前に歌を歌わせているのです」とされていました。「なるほど、現役の英語教師さんがそう言うのなら、やはりその通りなんだろうな」と思った次第です。
それからもう一つ。つい先日、「溜まったマイレージを使って、9月に日本に5日間だけいた」という大変魅力的なイタリア人女性に会いました。僕が日本人であるということが分かると、つかつか寄って来て、舌を振るわせるようなイタリア語なまりの英語で「日本人なんだって? この前行ったんだけど、とっても良いところだね! 古くて新しい文化があるのが面白くて、離れたくなかったよ。ただ一つだけ難点(problem)は、一人も英語を話さないこと(absolutely no one speaks a word of English)かな。東京で行ってみたかった店があったので、2、3人に英語で道を聞いたんだけど、残念ながらどうしてもその店の場所だけは分からなかった。私の英語もアクセントが抜けなくて完璧じゃなけど、日本語は丸っきりダメだし、まさかイタリア語でもないしね。でも必ずまた行きたいと思っているよ」 、、、信じるや否や、こう言ってました。僕は「それが今、社会的な問題になっているんだよ」と言って苦笑しました。
、、、議論は俄然面白くなって来たのですが、回答者同士による意見交換は削除対象らしいので、質問者さんの迷惑になります。回答者の方がお気を悪くされたのなら僕が謝罪いたしますので、とにかくこれで止めましょう。

No.15
- 回答日時:
何度も失礼します。
「日本流ハードコア英文法」というのは誰かの造語だと思いますが、私この「日本流ハードコア英文法」と命名された方法で英語を学習する方法を「クラシカルメソッド」と呼んでいます。でもまあ、「日本流ハードコア英文法」と言っても学問的な見地から見ても不備な点も多く、
「仮定法」の記述に論理性を欠きますし、動詞のアスペクトについては言及されていません。
ただ、ここは英語かぶれが多いのか、自慢するつもりは毛頭ないと言っておきながら、 "英検一級の二次試験でも「日本の官僚・役人など公僕によるトテツもない勘違い」というネタで時間オーバーにてネイティブ面接官と白熱した議論を展開しました"というのは、どうも自慢にしか聞こえないのは私だけだろうか。
それから、「意欲と基礎力をもって対象者を絞る」というのはある程度必要です。というのは、学校で勉強するのは英語だけではありませんから英語を中心に考えるべきでもないのです。また、高校では全ての科目を履修するのは不可能なので、必修科目と選択科目があるわけです。数学や古文にしても全員が必修科目で基礎的な部分を習い、選択した人が更に深く勉強するわけです。 しかしながら英語だけを考えても英語は得手不得手の差が非常に大きく現れますが、ご質問の方法を実践するには少なくとも少人数で習熟度別に教えないと現況よりも英語の落ちこぼれを増やします。
危機感と言えば、英語以前にまだまだ改善しなけれないけないことが山ほどあるんですけどね。まあ、これは置いとくとして。ただ、現在の日本では大半の人は「簡単な英語が読めてコンピューターを使える程度の英語力があれば十分」なはずなのに、何を慌てて深刻に考えるのか私には理解しかねます。フィリピン人やインド人は日本人よりもはるかに英語力が高いですが、日本人より豊かな暮らしを享受しているでしょうか?
ただ、これから世の中どうなるか分かりません。現にアメリカ本国は経済が落ち込んでアメリカのプレゼンス低下しているのに加え、ヒスパニックが増加してバイリンガリズムが進行しているし、日本を見てもガチガチの親米だった自民党の政権も危うい状況で、新興国の中国、ロシア、ブラジルとの国交がますます盛んになれば、英語だけでは間に合わなくなって、英語だけが出来ても思い上がっていられなくなる時が来るでしょう。
>意欲と基礎力をもって対象者を絞る
というのは賛成です.必要無いと言う人は意欲がないし,足を引っ張るだけですから.
まあ,他の回答者の回答やコメントについて言及するのは品位がよろしくないと感じます.
No.14
- 回答日時:
雑感です。
現場の実態を知らないまま自らの持論に固執してしまい、いつまでもカビが生えたような主張を繰り返してしまう人はいつの時代において、またどの分野においてもいるものです。どのようなテーマであれ、その分野に直接関係のない人が意見を述べることは歓迎することであっても、決して非難するべきことではありません。しかし、あるテーマについて述べるのであれば、少なくともそのテーマについての最低限の状況は把握しておくべきです。
ただ、知らないことは非難されるべきことではありません。しかし、現状認識について「間違っている」という指摘を受けた場合には、自己の認識の是非を確認するべきでしょう。そして、もし持論が正しいという前提にこだわるのならば、少なくともそのことについての意見なり反論なりを根拠を示して述べる必要があります。
繰り返しますが、現在の中学・高校において「文法中心」の授業を行っている学校はあまりありません。皆無とは言いませんが、少なくとも多数派ではありません。このことを無視して「文法云々」という英語教育批判は現在ではあまり意味をなしません。実態のない亡霊に対して剣を振り回すようなものです。
また、高校では英語は必修ではなく選択必修の科目です。外国語という教科の中から一科目を選択して履修すれば良いわけです。すなわち選択するのは英語ではなくて仏語でも独語でも可能なわけです。実際には書状から英語を選択せざるを得ない学校がほとんどですが、必ず英語を選ばなければならないという規則はありません。センター試験でも個人の意思において選択可能です。
上記のことから英語だけが唯一の選択肢ではないことは分かるでしょうが、それ以上に大切なことは「英語という科目の中でも『どのような内容を選ぶか』は学校の実情に任されている」ということです。
一時期話題になった「オーラル・コミュニケーション」も学校によって選択が可能でしたね。中学校でも選択授業を設けて自分のレベルにあった授業を「生徒自身」が選んで受講することは今では珍しいことではありません。
現在では、生徒の希望を押さえつける教育(幸いなこことに私にはあまり経験がありませんが)ではなくて、生徒の自主性を重んじる傾向が強まっています。これが現在の英語を学ぶ環境なのです。したがって、「英語による授業」という選択科目があっても何の問題もないことを踏まえた上でなければ、どのような主張もピントはずれのものになってしまいます。
さらにこの掲示板は、自らの希望で分からないことを質問する場所です。内容が文法であれ、解釈であれ、些細な疑問であれ、だれからもとやかく言われる筋合いのものではありません。文法を極めたいという人もいるでしょう。
自らが勝手に定めた狭い枠から外れるような疑問を持っている人に、またはその疑問に真摯に答えようとしている人に、自らが勝手に作ったレッテルを貼り付けて非難したり揶揄したりするような発言は感心しません。
現在の英語教育に一定の問題があることは事実でしょう。その1つとして「英語が使えない。」という指摘があることも事実です。しかし、その原因をただ「文法中心主義」だけに求めることは問題の解決を遅らせるような気がします。30年前であればその主張も理解は出来ますが、少なくとも現代においてはもっと複合的な原因が考えられます。
「時間数」や「クラスの人数」の問題、そしてまた「モチベーション」の問題などを解決することなしに、ただ「英語による授業」を機械的にすべての高校生に実施すれば問題が解決するわけではありません。教育の現場が善意ある人々の思惑の通りに進まないこともあるだろうと思います。今回の文科省の決定には、まだまだ改善する余地がたくさんあると思います。
※ この掲示板の「英語による回答」は、誰かが主催元に頼まなくてもそれを標榜する人ならば自主的に個別の回答の中でできるのでないかと思います。「英語が分からないから知りたい」という状況は、この掲示板の質問者だけではなく、新しい指導要領を適応される一般の高校生でも同じことです。高校生に対応できることなら、この掲示板の質問者の皆さんにもできるでしょう。「英語による回答」が良いものならば、質問者の皆さんにもきっと支持されるはずです。気高い志を持ち、己の才能に格別の自信をお持ちの方の勇気を期待したいですね。
ご意見ありがとうございます.
>現在の中学・高校において「文法中心」の授業を行っている学校はあまりありません。
それはそうだと思います.毎年,それぞれの志ある教師の創意工夫で改善されてきていると思います.
一方で,高校の英語教師の多くと接触した経験からすれば,また,東京都の英語教師の調査結果をみても,たとえば,TOEICレベルが900台であって欲しいと期待したのに,惨憺たるものでした.
実態はまだ不足なのでしょうね.
No.13
- 回答日時:
duosonic です。
お礼欄を拝読いたしました。
1.
僕は自慢するつもりなんて毛頭ありませんよ。自慢したかったら「それをもって僕は専門家です」と自称していましたから。そうではなく、「日本の英語教育に際しては、「コミュニケーションとしての英語」に重きをおくべきで、「日本語ハードコア英文法」が分かると言って「専門家」とは言えないのではないか」という持論のポイントを「こういう適性を持って、こういう考え方の人間もいるよ」と言明したかったのですね。「自慢」だと取られたのなら、それは僕の言い方が悪かったのでしょう、かなり心外なことで、むしろ「コミュニケーションとしての英語が大事だと考えている人間がいることは喜ばしい」と思って頂きたかったところです。
ご質問者ご指摘の通り、「日本式英文法用語の説明から始める回答者が実に多い」です。文法家?が作ったのだろう「~詞の~用法」を知る限り羅列し、「しかし、この場合は~用法と考えるべきです。文法に則して考えれば、すぐに理解できます。分かりましたか? 分からなかったら、もっと文法を勉強して下さい」と言ってのける人たちですね。それこそ自慢?自己満足?に思えます。「そもそも、質問者が知りたかったのはそんなことだったのかな?」と思えるまでもね。つまり、英語を大学専門課程のように捉え、自分たちが作ったのだろう専門用語を操り、どんな「用法」であってもとにかく「日本語ハードコア英文法のカタ」にハメないと気が済まないということなのでしょう、これじゃあ「コミュニケーションとしての英語」からはほど遠いですね。
ということで、必ずしもそういう回答者ばかりじゃないよということを「一般人」という言葉に託して言いたかったのです。まあ結局、単に人によっていろいろな解釈があるということで、良いだ悪だの話ではないのでしょう。
2.
ここでも英語で回答するというのは面白いですねぇ、望むところです。ただ、質問者は英語が分からないからこそ説明を求めているワケで、「このカテを英語にする」のは現実的ではないのでしょう。インタネ固有の「相手の顔が見えない」というのも一つの大きな障害でしょうし、このカテの「目的」を見失しなうようなことになりかねませんから、「質問者不在」に等しくなってしまうのではないかと。正に「国民不在」の日本国政府のようなものですな(決して「自慢」ではありませんが、僕は政治・経済ネタも英語ほどに大好きで、実は英検一級の二次試験でも「日本の官僚・役人など公僕によるトテツもない勘違い」というネタで時間オーバーにてネイティブ面接官と白熱した議論を展開しました)。
まあやるとすれば、既存のこれとは別カテを立ち上げるのでしょうかね。それだけ英語が分かる質問者だったら既にネイティブ主催の英語フォーラムなどを利用しているのだろうと察しますが、果たしてどれくらいの需要があるのか、発案者に是非OKWに提案して頂きたいものです。
懸念すべきは、「回答者の文法は違う。これは ~詞の~用法となるべきところで、、、」という「日本流ハードコア英文法崇拝者」がまた出てくるのでしょうかね。それでは本末逆転、勘弁して欲しいところですが、またそれを英語で説明してもらうというのも実に面白いでしょうし、そうなればきっとネイティブも参加してくれるかも知れませんね。「日本人の英語専門家」の方が英語で説明する past indicative/subjunctive mood、the fifth sentence pattern 云々をネイティブ回答者がどう理解し、どんな見解を持つのか、これは是非拝読したいところです。ネイティブが「文法的には合法なのかも知れないけど、そうは言わないな」と言ったら、僕はそれまでですが。或いは、ネイティブから質問が出されるかも知れませんしね(笑)
英語に限ったことではありませんが、どうも「専門家」というのは「聞いている相手もある程度分かっていると仮定する」傾向が強いと感じます。もちろんそういった人ばかりではありませんし、「専門家」なのは結構なことです。が、「人に教えることができる技能」というのはまた別の素質なのかとつくづく思います。つまり意味不明の品詞呼称を並べて圧倒するのではなく、「説明を求めている相手のレベルに下りて、納得してもらえるように説明する技能を持った人間」、それが「英語教育の専門家」なのでしょう。それ以外はあり得ないでしょう、あくまで質問者に納得してもらえてナンボですからね。
中・高で「日本流ハードコア英文法」が教えられている現場では、こういう風に「~詞の~用法」が詰め込まれているだけなのかなと想像するだけでゾッとします。それでは面白いものも面白くないでしょうに。
3.
、、、ちょっとご質問の主旨から外れてしまいましたね、ごめんなさい。
さて、「意欲と基礎力をもって対象者を絞る」というのでは、全く意味がないと思いますね。では、「僕は数学やりたくない」、「古文を勉強する意味が見出せない」、「私は体育が苦手なので」と生徒が言えば、これらはやらなくても良いという論理なのでしょうかね? 生徒が望まなければ、やりたくない授業は受けなくても構わないということでしょうか? よく僕には理解が及びませんが、とにかくそういう問題ではないんだと思いますよ。もちろんネイティブ並みに会話ができる生徒や意思が強い生徒がいれば、それは課外の特別講座を作ってやってどんどん伸ばしてやれば良いですよ。しかしこれはそもそも、「「日本流ハードコア英文法」に傾注した基本的教育指針自体を抜本的に変えよう」ということで、全ての生徒向けた指針の話をしているのですけどね。
中・高校では、実生活では特段以後の人生で役にも立たない学科も教えられています。しかし、義務教育とは基礎知識を養成するべきところですから、それはそれで意味があることなのでしょう。
しかし「英語」には「世界共通語である」という如何せんし難い理由?事情?が存在するのですから、やっぱり必要です。ところが単に「徳川三代将軍は家光公である」という事実を覚えれば良いという話ではなくて、何せ「英語=言語」ですから、「聞けて話せて初めて教えることに意味がある」んだと思うんですよね。
「日本流ハードコア英文法」のみの英語教育では、実生活では役に立ちません。それを改善しようという発想は評価に値し、皆で取り組んでいくべきものです。それは、島国だから、必要ないから云々以前の問題であり、必要性云々というのは、実際に誰もが最低のコミュニケーションができるようになってから議論しても決しても遅くないとと僕は思いますね。
英語は勉強して損をするものではないですから。折角教えるのなら、やはり「言語=コミュニケーションの媒体」としてネイティブ、或いは英語が話せる第三国人と最低の意思疎通ができるようになってこそじゃないの? と、ただそれだけのことです。
4.
今思ったのですが、この「英語で英語を教える」という教育指針で一つ大きな障害となり得るのは、もっとマクロ的に、そうすることによって受験英語で好かれる「日本語ハードコア英文法から遠ざかるのは困る」と親が懸念し、反対してくる可能性があることでしょうか。
悲しいかな現実は、ご質問者や僕のように現状に危機感を持ち、「そういった教育が正しい、本来そうあるべきだ」という考え方を持つ人間ばかりではありません。現にここにも、「簡単な英語が読めてコンピューターを使える程度の英語力があれば十分」と本気で考えている人もいるようですからね。これでは「方法論、どうやって進めるべきか」を討議するところまで行きませんよね。
今日の学校に眼を向けると、モンスターペアレント?というのでしょうか、その必要性が上手く理解できない親が「英語で教えることには意義はない、受験に則した内容でないと困る」と学校ではなく、教育委員会に上告するようなケースが充分ありそうな気がしますね。もちろんこの新しい指針の内容、今後の説明のし方によりますが、いかがでしょう?
僕らの時代には、中・高の先生というのは「絶対」でしたね。怒鳴る、引っ叩くなんていうのは当たり前で、椅子を投げる国語の先生もいました。親も「先生、うちの子をどうぞバシバシ指導して下さい」なんて言っていましたからね。それはそれで良い思い出だし、そうしてくれた先生と親には感謝します。しかし何がどうなってしまったのか、今は先生の威厳がすっかりなくなってしまい、ことなかれ主義が横行し、校長先生に至っては教育委員会の方向ばかりが気になっている状況です。なのでこうした「必要性が理解できない親」や「お受験」との兼ね合いまでも考慮するようになるのでしょうかね。
、、、などと考えると、まだまだいろいろな点を詰めていかないといけませんね。以上、ご参考までに。
なななか興味深いお話,ありがとうございます.
そうですね.英語での回答というのは別なカテにして欲しいですね.
親が日本的英文法にこだわるのですか.
それはどうでしょうか,そうだとすれば,それは受験英語にこだわるばあいでしょうね.
今回は,文科省が変えようとしているのですから,大学入試の問題も変わってくることを期待しています.
文科省の考えていることの一端があります.ご参考.
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/03/030331 …
No.12
- 回答日時:
>直接のコミュニケーションが必要な人だけに英語を教育すればよいとする考えもあります.しかし,今でも,必要な人なのにコミュニケーションできない現実もあります
一部の人に限定されるとはいえども「英語が必要なのに使えない。」とか「英語を使いたいのに使えない。」という問題は確かにあるだろうと思います。
「英語による授業」と「日本語による授業」を選択制にすることが、その問題の一部を解決する糸口になるかもしれません。今回の学習指導要領のようにいきなり全員に「英語による授業」を強制するのではなく、生徒が自分の希望や能力に応じて自由に選択できるようにすることが「理想の英語教育」への小さいけれども貴重な一歩となるような気がします。
ただし、ずっと指摘しているように「英語による授業」については最低でも毎日1時間、生徒数は20名を越えないなどの環境を整えることが必要です。
文科省には、功をあせってあまりに早急な改革を目指すことによって学校教育、ひいては「英語による授業」を望まない普通の生徒たちにしわ寄せが及ぶことのないような配慮を望みたいものです。
※ この掲示板でも「英語による回答」限定のコーナーがあっても良いのではないでしょうか。どれくらいの回答が寄せられて、それぞれの回答がどれくらいの支持を集めるのでしょうか。大変興味があります。文科省の参考になるかもしれませんね。
ご提案ありがとうございます.
そうですね.選択制は合理的と思います.
考えてみれば,実は進度別クラスとか能力別クラスというのはある意味で同等なのかも知れません.
「必要度別クラス」とかでしょうかね.担当教師もレベル分けするため,ランク付けをするとかでしょうか.これも合理的ですね.話せる教師と話せない教師が同じ評価というのでは,話せてよりよい授業をしようとする教師のモチベーションをそいでいるかも知れません.いずれにせよ,競争は教師間でも必要です.

No.10
- 回答日時:
度々失礼します。
#7です。>必要論・不必要論は根本的議論だと思います.
そこなんです。英語の習得には膨大な時間が必要になってきます。英検1級、TOEIC950以上が双方一発と豪語する人がおりますが、そう言う人は英語の素質もあり、日常生活でも英語を使うでしょうから、それはそれでいいんです。ただ、大半の人は簡単な英語が読めてコンピューターを使える程度の英語力があれば十分なのではないでしょうか? もちろん、現在の英語教育にも問題はありますが、日本はフィリピンやインド、北欧やオランダとは違うので、第二公用語にする必要は全くありません。
私の具体案としては先ず、中学校の英語の授業を週3コマから4コマ(出来れば5コマでもいい)に増やすことです。そして、スタートに時点から、現在の訳読と文法に偏った教育をコミュニケーション中心の教育に改めることです。5文型とか不定詞の分類なんか教える必要はありませんが、それでも仮定法の構文も(仮定法という用語は問題もあるので使う必要はありませんが)教え、英語の基本文法は高校に持ち越さず、中学校の段階で一通り終えるようにします。
高校では英語も生徒のレベルに応じて、苦手な生徒には中学校の復習を中心に少し発展させて応用的な練習をさせるに留め、得意な生徒には選択制で ご質問にあるように英語で英語を教えて、更に英語以外の外国語を学ぶ機会も大幅に増やすことが望ましいのではないかと思います。
現在日本では英語を話せない外国人が話せる外国人の数を上回っているし、このように国際化が進んで来ると、英語だけでは対応しきれなくなって来ているのも実情です。
No.9
- 回答日時:
こんにちは。
そうらしいですね、習得英単語数も数百単位で増やしたり、「ゆとり教育からの脱却を図る」というような話でしたね。正直なところ、「やっとかよ」という印象です。
1.
ご指摘の通り、中・高校では、ネイティブも知らない「~詞の~用法」云々という意味不明の品詞呼称だけが詰め込まれる「日本流ハードコア英文法」に傾注してしまいました。「英文法」を中高で教える英語を話せない日本人教員自身が「教師としての威厳」を保つために教育委員会云々がそうしたという話もあります。もちろん中には「日本流ハードコア英文法」だけの詰め込みに疑問を持つ教員も多々いて、生徒が少しでも英語に興味を持てるように、授業前に全員で英語の歌を歌ったり、英語版アニメを取り入れたりしている個別例もあるのがせめてもの救いです。
いずれにせよ、「コミュニケーション媒体としての英語」ではなく、以後の人生で特段役に立つワケでもない「受験英語」ばかりになってしまいましたね、受験産業は儲かるからなのか知りませんが。とにかくこの結果、「日本人は世界で一番英語を勉強するが、世界で一番英語ができない民族である」と言われます。「受験英語はある程度分かるが、一切コミュニケーションができない ⇒ 英語ができるとは全く言えない」という点で、その通りです。「言語」なのですから、コミュニケーションができてこそナンボです。この点に異論を持つ人はいないことでしょう。
このカテゴリーにも「専門家」と自称する方が多々おられますが、何をもって「専門家」と言っているのかは、僕からすると???です。「日本流ハードコア英文法が分かれば専門家だ」とは僕には到底思えません。「何も知らんヤツが分かったようなこと言いやがって」と思われるといけないので申し上げておくと、僕自身は英検一級、TOEIC950点以上、双方ともに一発です。また、ネイティブとの交流もものすごく深い者です。それでも僕は「一般人」です。数学や物理学など「必ず答えがある学問の専門家」というのなら分かりますが、ご存知の通り「言語」というのは生きていて、いつも変化するものです。すなわち「カタにハマらない」ところがある学問です。加えて、自国語も完璧ではないところ、100%マスターするのには当然限界がある「外国語」をもって、「専門家も何もあり得ないだろう」と思えるからですね。まあこの辺は回答者個人の「自己判断」に委ねられているようですが。
2.
僕はむしろ「英語は出来て当たり前」だと思っています。「英語」というのはいつの間にやら「世界共通語」になってしまいました。その現実の中で、極端なことを言うと、日本は過去に日本語圏を広げることができなかったのですから(戦争自体の道徳性は置いておいて、日本語を公用語・準公用語とする国家という意味で)、その代わり、現在の「世界共通語」を「ある程度聞く、話す、書くことが出来て当然でしょ?」ということです。
日本人の英語コミュニケーション技能は正に憂うべき事態だと感じます。だって「世界的大国」の長が、UN他の国際舞台で演説する際、或いは、ノーベル賞受賞者が「ジャパニーズ・オンリー!」なんて世界中に向かって叫んでいたら、何ともカッコ悪いですよ。日本語で聞いても分からないような難しい「物理理論の話を英語でしろ」というのではないですから。
決して「ネイティブのように流暢になるべきだ」という話ではありませんし、それが望まれているのでもありません。しかし、人によってはどんなに使わない言葉であったとしても、「最低相手の言うことが分かって、自己紹介くらいできるようになるべきでないのか?」ということです。
3.
前書きが長くなりましたが、やっと日本も「コミュニケーション媒体としての英語」を教えるということだと期待しています。が、運用面でいろいろな障害があるのはその通りでしょうね。
ご指摘の通り、一般のネイティブは文法に疎く、「SVOC」と言われて何のことか分かる人はほとんどいません。が、もちろん中には分かる人もいます。何はともあれ、「英語=母国語」の人たちですから、勉強すれば一般ネイティブでもある程度の文法云々は教えられるようになるハズです。我々日本人が「一、二年日本語文法を勉強して、英語圏生徒に教えられるようになれ」と言われれば、かなりのことができるのではないかと感じます。それと同じです。
僕は反対に、問題は「英語で英文法を教えられる日本人教師がいるか?」ということのように思います。個人個人、できる・できないで分かれるところでしょう。「日本流ハードコア英文法」崇拝者上がりで実際の会話が一切できない人は、単純に「教師ができない」ということで失業してしまいますから、「コミュニケーション媒体としての英語の授業」を念頭に、政府はそういった教師を教育し直すとかということをするのだと考えます。
これも含めてかなりの準備が必要ですから、五年計画でこれからいろいろ試行錯誤を重ねていくのでしょう。当然今の段階では、「とにかく、やってみないと分からない」ということが多いですよね。なので、このネタを議論するのは、ある程度の指針が判明し、いくつかの運用例などが上がって来てからなのかも知れませんね。
ただ、どんな障害があったとしても、それらを何とか克服してやってもらいたいものです、国家的プロジェクトとして。以前そんな論議もあったようですが、僕は英語を「第二公用語」にするべきだと思っています。面白いものなんですけどね、英語って。なのに、「日本流ハードコア英文法」が押し込まれるだけではつまらないですよ。
以上、ご参考までに。
たいへん示唆に富むコメントありがとうございます.
五年計画とは言え,どんどん注文を出して行くべきと思います.
今までに,日本の英語教育はコミュニケーションよりも,特殊な用語体系の暗記と数学的な演算(置き換えなど)の技能の使いまわしの習熟を徹底して強制することが主で,強固な文化を作り上げてしまっているようです.
このカテでもまず日本式英文法用語の説明から始める回答者が実に多いのは,その世界にどっぷりつかっている典型を暴露しているように見えます.
人様々なので,まったくこだわりませんが,私は「専門家」を次のように考えています.それでなにがしかの収入を得ていて,平均よりは知識経験を持つ(と自負する)人.たとえば,翻訳書を独力で出版したとか,登録された通訳者,大学で教えている人,など.中高の英語の教員は対象と考えません.
名乗るのは自由だし,気にしません.ですから,力があって一般人と名乗っていると言っても,逆の意味で,自慢にはならないと思います.
No.8
- 回答日時:
>12/22 に発表された2013年度から実施の英語指導要領では,英語で英語を教えるのだそうです.
その指導要領は5年後の高校1年生から実施される予定ですから現時点では教科書の見本さえできていない状況だと思われますので判断しにくいですね。
今言えることは、「英語で行う授業の中身や対象者の明確化、また授業の仕方次第では効果も考えられるが、環境を整えていないまま実施しても『ゆとり教育』の二の舞にしかならないだろう。」ということくらいでしょうか。
まず、英語で行う授業の中身についてです。これは決して「英会話」ではありません。従来「Reading(読解)」と呼ばれていた教材の解釈や説明を英語で行うものだと思われます。
「読解」では授業が教師の一方通行になりがちなために授業についていけなくても放置されてしまう所謂「お客さん」状態の生徒が増える可能性が大です。
対象者をもっと意欲と英語の基礎力をもった生徒に絞るべきですね。高校生のすべてが将来英語を専門とする学校へ進むわけではありません。将来への必要性を感じなければ、日本語でも理解に苦しむ高度な英語を英語で理解しようとはしないでしょう。英語で説明したら理解できる生徒が増えるのではないかというのは甘すぎます。そこには合理的な根拠は見当たりません。
授業の工夫も必要です。どこまで英語を用いるのかは、現場の生徒たちの理解力に左右されます。次の示すような段階ごとの対応が考えられます。
(1)生徒への指示のみを英語で行う。
(2)長文の内容のQ&Aをプリントを利用して英語で行う。
(3)個々の英文の説明を英語で行う。
(4)文法の説明を英語で行う。
(5)段落ごとにparaphraseさせて英語で発表させる。
(1)や(2)程度であれば現在の中学校でも行われているでしょう。(3)(4)(5)はレベルの高い高校生であれば対応できるでしょうが、理解力の劣る生徒にとっては分からないまま貴重な1時間の授業が過ぎてしまう可能性が高いですね。また、理解力のある高校生でも3年生のレベルや大学受験の内容になってくると(4)や(5)はかなり苦しくなってくるでしょう。
まあ、その辺の逃げ道として、文科省は「文法や抽象的なことの説明は日本語でも良い」としているようですが、生徒のレベルによっては、もっと早い時期に変更を検討せざるを得ない学校の方が圧倒的に多いでしょう。当然英語の使用率も低くせざるを得ない学校も出てくるでしょう。
文科省は、Super English High School(だったかな?)で行った実験的な結果を判断の材料にしているのでしょうが、それは全国の高校生の状況とはかけ離れていることは容易に想像できたはずです。世間の「英語を話せない。」という批判のプレッシャーに耐えかねて、「落ちこぼれがでても仕方ないだろう。」という判断で見切り発車をしてしまったように感じます。
「英語による授業」に批判的な内容になってしまいましたが、下準備をしっかり行えば実施する価値はある思います。それは「対象者を絞ること」、「授業時間を増やすこと」、「クラスの生徒の数を20名以下にすること」などです。今の状況で実施しても英語嫌いや英語に対する苦手意識を持った生徒を増やすだけの結果になるのではないかと思います。ご参考になれば・・・。
たいへん建設的な問題意識を示していただきありがとうございます.
目標は設定されたわけですから,そこへの道のりをどう設計するかですね.
いずれにせよ,今までの日本の英語教育者にとって未開の地のはずです.
アメリカの大学では入学前に英語を習得するためのESL学校が併設されているところが少なくありませんが,そこの教育法を学ぶのが一つの案ではないでしょうか.
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