プロが教えるわが家の防犯対策術!

 みなさんこんにちは。私は現在、東京都の大学に通う学生ですが、この頃ほとんど学校に行っていません。というのも、対人恐怖症で、他人と話したり、友達でもあまり親しくないと目を合わせて話すことができません。このごろは、誰かが自分のそばで、ひそひそ話をしていたり、からかうように笑っていたりすると、それがすべて自分についてのことじゃないかという一種の被害妄想を抱くようになりました。
 又、寮に住んでいるのですが、寮に住んでいる人とも顔を合わすのも嫌で、一日中自分の部屋に閉じこもり、部屋の外へ出るのは最小限にとどめているという状態です。
 こんな状態なので精神科に行ったほうがいいのかといつしか思い始め、一度、母や寮母さんに相談しましたが、’実験台にされるのがおちだ。’といわれ、強く反対されてしまいました。
 しかし、このままではいられません。どうにかしたいと思っていますが、かといってこれといった解決策もないので非常に困っています。
 同じような悩みを抱えている人がいればアドバイスいただけませんでしょうか。それから心療内科には行ったほうがいいのでしょうか?
 よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

なるほど。

そうですか。お辛いですね。
Agoraphobia・Hallucination・Auditory Hallucination・
自傷行為はないのですね。

重度の Anthropophobia と診断したのはどなたでしょうか。
Delusion of Persecution(=Persecution Complex)もおあり
とのことで……ご家族の人間関係は、母子関係・父子関係は
円満・濃密・豊饒でしょうか。

個人的には内科的な疾患がなければ心療内科よりも
精神科で診察をお受けになられることをお勧めします。
難治性になったり他の病を誘発してしまうと大変ですので
できるだけお早い機会に。

(濃いサングラスで他の人たちの目線を遮断するのも1つの方法
ではないでしょうか。まぁ気休め程度ですが……アナタさまは誰か
特定の人をズ~ッと見つづけることがあるでしょうか。私たちは
通常の暮らしでは著名人でもない人を見つづけることは殆ど
ありません。そういった認識も考えるヒントになるでしょう)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
専門医に診察してもらったわけではありません。
ただ、周りの人が私のことを対人恐怖症だというし、自分でも人とかかわることが人一倍辛いと思っているので、重度の対人恐怖症と書きました。言葉の使い方が間違っていたなら申し訳ありません。
 もうしかしたら、あなた様から見れば、私に表れている症状は精神異常の内には入らないかもしれません。
 親子関係についていうと、そうですね、仲は悪くないですが、高校退学や、大学を一度やめて新しい大学に入りなおしたり(すべて対人関係が問題でこうなったんですが)、私がさんざんなわがまま娘なので、親には精神面や金銭面でかなりの苦労をかけていると思います。だから親は、私について心配しているというか、今後の行く末をひどく心配していると思います。ただ、お互いに話し合う時間はあまりありません。親は遠く離れた関西にすんでいるうえ、母は持病もちで年々精神的にも弱ってきています。ですから悩み事を相談しようにもできません。こういう状態ですからどうにか自分で解決したいんです。また退学して親を悲しませたくありませんし。ビールやカクテル以外に心をオープンにする薬なんかないんでしょうか?
 自傷行為は特にありませんが、この頃手のこうをよく歯で噛みます。時々少しはれる程度です。
 精神科に見てもらったほうがいいとおっしゃいましたが、精神科にかかっって逆におかしくなるということはないのでしょうか。行って見ようと思ったことはありますが、なかなか怖くて行けないのです。

お礼日時:2009/01/26 12:51

<お礼>拝見しました。


なるほど。そうですか。

精神科に
恐怖や懸念があるのであれば、
心療内科へ行きましょう。

病歴が長くなると
治り難くなってしまいますので、
お早目に。
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精神科=実験台という発想は古くさくて失笑してしまいますが、


心療内科なら、そのイメージも和らげられるので、
そちらに通われた方がいいかもしれませんよ
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心療内科に通院中のひきこもり者です。


精神科・心療内科に行くよう勧められてから1年経ってやっと行けました。
質問者さんと同じような悩みを長年抱えています。

>一度、母や寮母さんに相談しましたが、
>’実験台にされるのがおちだ。’といわれ、
>強く反対されてしまいました。

おそらく精神科医がすべて「患者を人間として見ておらず、色んな薬を試してデータ収集をしたいだけの医者」だと決め付けておっしゃったのだと思います。実際、そういう医者はいるらしいんですけれども。

確かに色んな薬を試すんですが、それは個人差があるからなんです。
合う・合わないは飲んでみないとわからないのが実情のようなんですよね
僕は合う薬が見つかってから症状が軽くなっていって、
色んなことを気にし過ぎなくなりました。

お母さんや寮母さんを説得する必要はないんじゃないかなぁ。
僕の親も未だに心療内科について理解していないですし。
”1回だけ”のつもりで行ってみたらいいんじゃないでしょうか。
誰かに話すことで楽になるかもしれないし、
1回だけならその医者とはもう会わないわけですからネ。
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この回答へのお礼

貴重なご意見ありがとうございます。ちょっと勇気がわいてきました。
体に特に症状はないんですが心療内科でもだいじょうぶですよね。
心療内科もでいくつか自分で試してみたほうがいいですよね。
あう病院を自分で探してみます。
ありがとうごさいました。

お礼日時:2009/01/27 00:03

約30年前に神経症が完治した経験を持っています。

その経験から書いてみます。貴方も神経症について研究してみて下さい。

人間には自我意識と、もう一つ人間を働かせているものが有ります。この事が判り難いために、精神疾患と言うものが判り難くなっていて、しかも直す事が難しくなっています。

神経症は自我意識と、もう一つの意識と言うものが対立と矛盾を起こしているために起きている現象です。貴方の頭の中では心と心が、「肯定」と「否定」が言い争いをしていると思います。心がいつも賑やかで、やかましい感じになっていると思います。

神経症の症状には様々な症状が有ります、ですがその事が起きている原因は一つです。それが心の矛盾と言うものに当たります。貴方が対立している貴方の心と言うものは「仏性」と言うものです。貴方の心はいつも苦しいと言う感じかと思います。お釈迦さまが言った「一切皆苦」と言う事を実感していると思います。

人間は子供時代には「悩み」と言うものは有りません。ですが成長して脳の機能の分化と言うものが完成に近くなる頃から「悩みや、苦しみ」が始まります。そして「精神疾患」と言うものが増えてきます。是は脳の機能の分化が完成に近くなった事を意味しています。

聖書に在るアダムとイブが知恵のリンゴを食べて天国から追放された。と言う事の意味は、脳の機能の分化が完成に近くなったと言う意味に当たります。それは物事を分別出来るようになったと言う意味になります。自分を、又周りを客観的に分析して比べて見る事が出来るようになったと言う事です。

それは世の中を「意識」してみる事が出来るようになったと言う事です。その「意識」すると言う事が分別すると言う事で、天国に、居られなくなって、天国から追放された。と言う事になります。

神経症でも鬱でもその症状は「意識した事が」そのまま症状名になっています。この意識した事によって「天国から追放された」と言う事になります。天国に一番近い存在は幼子と言う事は「脳の機能が分化していなくて、意識をしないで生きている」と言う意味になります。

人間が普通の暮らしをしている場合は95パーセントが「無意識」の時という研究が有ります。つまり自我意識が係わって行動している時は起きている時の5パーセントと言う事になります。処が人間は常に自我意識が自分を働かせていると言う錯覚をしていると言う事になります。

その錯覚の最たるものが神経症と言えます。その中の吃音、書痙、上がり症、対人恐怖、不眠症等は説明がしやすいと思います。それは「自我意識が自我意識だけで、単独で行動しよう、考えようとしている」事になります。眠る時には「自我意識だけでは」眠りに入れません。眠る場合には自我意識が「無意識」と交替しています、その無意識が心地よい眠りに入らせています。

他の症状も全てが今言った事になります。その反対が意識をしていない時と言う事になります。それは優勝がかかったゴルフの最後の一打を打つ選手の心境と言えば分り易いと思います。或いは真剣勝負の立ち会いの時の対合いの時の二人の心境と言えば分り易いと思います。

どちらも「意識」した方が負けると言えます。或いは「自我意識を引っ込ませていた方」が勝つ可能性が高くなると言う事になります。自我意識が出たり、出なかったりします。自我意識が出た時が「上がり症、対人恐怖症」と言えます。神経症全般に言える事です。只意識した内容が違っています。貴方の症状は対人恐怖症と言う事と精神不安定と言う事ですが、「神経症」全般を学ぶ事が良いと思います。症状は違ってもその元は皆同じところが出発点となっています。

今言った事は神経症の本当の発症の原因ですが、今の貴方には分からないかも知れませんのでただ目を通して見て下さい。分かる時が来たなら私の言葉がぴたりと判る筈です。

貴方の場合の治し方と言うものを書いてみます。兎に角「症状」を無視する事です。症状を治したい、良くなりたいと言う心の働きが症状を発症させていて、さらに固定させているからです。症状の改善に懸命になっている間は症状は無くなりません。是は心のジレンマです、症状の相手をしている間は症状に悩ませられます。症状の改善を望む心が症状を呼び込んでいます。一生掛っても治らないかも知れません。

それよりも症状を起こしているものを研究してみて下さい。それは意識をすると言う事です。この意識をすると言う事が、人生を不安にして、苦しめています。この解決は「神経症」だけを対象にするなら森田療法と言うものを学ぶ事です。もっと望んで不安を解決したいと思っているなら、禅と言うものを学ぶ事が良いと思います。是は昔から不安になり易い、意識性の強い先達達が、その不安の解消を実践してきた歴史そのものであり、又その研究成果でもあるからです。

肯定と否定の言い争い、心の矛盾の解消が「禅問答」の中に在るからです。禅問答は自我意識では歯が立ちません。是は脳の機能の観点から言える事になります。もう一つの脳の出番が無いと解く事は出来ません。禅問答が解けた時の事を「生死の問題が解決した」と言います。それはもう一人の自分に会ったと言う事になります。神経症を起こしていたものと会ったと言う事です。

神経症とは自我意識と仏性が矛盾を起こしていると言う事になります。大変に判り難い事です。鈴木大拙博士の書いたものが参考になると思います。博士は自分自身に出会う「見性」と言うものを体験しています。精神疾患と言うものは「見性」をした場合には完治をします。心の矛盾が全て解消するからです。
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