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はじめまして。
OD(とってもユーロジン2mを4~8?程度だったかと)しました。
精神科に長く通ってる身内にいつも分けてもらっているものです。
ちなみに精神科には通っていなく、薬の処方もされていません。

・・・が。
翌日からものすごく気分良く人と接することができるし
滞っていた手紙は書けるし
掃除はしたくなるし

日常生活が快方に向かった気がします。
デメリットといえば、焦点とふらつきですが・・・
そんなのより、ODしたほうが気持ちよくキチンと
生活できるんです。

でもこれって、よくないことの筈・・・
とも内心思います。

質問にならず申し訳ありませんが
経験者の方はいらっしゃるでしょうか・・・
不安もあるのは事実なので
ご意見ご指導などお願いできたら嬉しいです。

A 回答 (5件)

これまで治療をされていなかったということは、抗不安剤も使っていなかったわけですね。


ユーロジンは催眠剤ではありますが、抗不安剤と同じ仕組みで効く薬です。
ですので、期せずして、抗不安剤の「効果」が出ているのではないでしょうか。
専門医に常用の抗不安剤をもらえば、いつも好調でいられると思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

まとめてのお礼で申し訳ございません。
どれも、とても参考になりました。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/21 16:03

ユーロジンなど他にも、こういった薬を多量に飲んだ翌日に人によってですが、薬の効果とは逆にハイになるような症状が出る人がいます。

もちろん副作用です。
 ユーロジンは医師の指示通りの容量で飲む分には毎日飲んでも特に問題のでないような薬ですが、多量に飲み続けると依存症となり禁断症状が出てきます。
具体的には飲まずにいると不安症状が強く出てふるえがしたり妄想的になったりします。
 ODすることで日常生活が快方に向かった気がするとのことですが、飲まずにはキチンと生活できない。つまりすでに体が薬を必要としているということですね。
 今不適切な飲み方をしてこの先、あんな事しなければよかったと後悔するのと、今専門家に相談して適切な飲み方で今後心と薬とうまく付き合いながら生活を送るのとどちらがいいか考えてみてください。
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あーー、誰もツッコミ入れていないですが……違法行為ですけれど?



> 精神科に長く通ってる身内にいつも分けてもらっているものです。
> ちなみに精神科には通っていなく、薬の処方もされていません。
この行為は薬事法に反します。
http://www.houko.com/00/01/S35/145.HTM

医師の処方箋が必要な医薬品は、たとえ家族であっても、「もらって」は、原則、違法行為です。
(※「原則」と書いた理由は、たとえば認知症を患った人が飲む薬はどうすればいいのか、などの細かい点がわからなかったです。)

まぁ、私の法律的知識はこれぐらいなので、詳しくは、医師・薬剤師もしくは法律家に質問してください。
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ODは体に負担がかかるので辞めた方がいいです。


精神科のお薬は作用が強いですから。
精神科に行き適量のお薬を処方して貰うべきです。
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人間には心が二つ在ります、かなり判り難い事です。

その二つの心の矛盾を人間は「悩み、苦しみ」として受け取っています。今の精神科、或いは、心療内科の医師達には今言った事が判っていない人達も多く見受けられます。

人間の満足感、或いは幸福感と言うものは、自分の環境に在ると言う風に解釈されていますが、事実は違っています。本当の満足感、幸福感と言うものは「心の持ち方に在ります」その心の持ち方と言うものは自分自身の二つの心が矛盾していない処に在ります。

健常者と言う人達であっても、何事も肯定的に考えている人と、何事も否定的に見ている人がいます。人間の心は極端な言い方をするなら「肯定と否定」で出来ています。何をするにつけても「肯定と否定」が協議をして決定しています。その肯定が優っている人が肯定的に生きている人です。

あべこべに否定が優っている人が「心が病んでいる人」と言う言い方でも良いかと思います。それは自分自身の心の在り方とも言えます。それは自分自身の自我意識と、もう一つの意識との関係です。

もう一つの意識と言うものは自分自身に備わっている「命そのものの働き」と言うものです。お釈迦さまが言った「仏性」に相当します。それは自分の無意識を働かせています、或いは無意識の中に隠されていると言う言い方でも良いかと思います。

人間は「自我意識」だけで生きていると勘違いしています。人間の脳の機能の解明や、心自身の働きには本当の意味での解明、解釈はまだまだ未知なるものが多いと言えます。

人間が感じる「心の違和感」「罪悪感」「漠然とした不安感」「恐怖感」と言うものがどこから来るのかと言う事を今の科学では説明できていません。是は自我意識が感じているものです。それは「生きる」事に対しての不安感がその元になっています。人生や自分自身に対しての疑問とも言えます。

その不安感が元になってセロトニンやいろいろなホルモンが出たり出なかったりする事になります。根本的な「不安感」が解消されないで、唯外部から不足したホルモンを補っているのが今の精神医学の方向です。その薬品を心自身が作り出す能力が有りながらその機能を使わないで外部から補っています。

その事の意味する事は、薬によって補われても調和する量で打ち切りになって、自分自身が作り出さなくなってしまうと言う事になります。言い方を替えたなら、薬で補っても、元の「不安」を感じるレベルまで、下がってしまい、もっと多くの量が必要になってくると言う事になります。つまり「薬ずけ」の状態になり易いと言う事です。

心の安定と言う事は、自我意識と「仏性」とのかかわり方と言う事ですが、この事は簡単に言うならば、自我意識が引っ込んだ生活に徹する事を心がけると言う事になります。

今言った事が判るために説明してみます。不眠症、吃音、書痙、対人恐怖症、鬱など心の病の原因は「自我意識が引っ込めなくなった」状態と言えます。それは自我意識が自我意識だけで生きていこうとしている事を意味しています。つまり人間が生きてゆく時には自我意識だけでは行きずまる、と言う事です。

自我意識の他に何が在るのかと言う事になります。それが東洋文化の代表と言うものになります。それが「無」と言う事になります。それが無意識を働かせているもの「仏性」と言う事になります。自転車に乗っている時に「自我意識は自転車に乗っていません」自分の心は人と話をしたり、景色を見たり、或いは携帯電話で話をしていて、自我意識は自転車に乗る事を無意識に任せています。この事はあらゆる事に言えます。

結論ですが、人間は自我意識と仏性が常に相談したり、連絡を密にして暮らしています。この事は判り難い事ですが、事実です。自我意識が優位に生活している状態が否定的な見方をしている時です。或いは心が病んでいる時と言っても良いかと思います。

仏性が優位になって生活している状態が幸福感に包まれている時です。自我意識が黙って自分自身の働きに従っている状態です。この事が禅の中に在ります。興味が在るようでしたら、鈴木大拙博士の著作したものを読んでみて下さい。
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